『ほう、「超克」と来たか。面白い表現だ。……私の描くこの世界の改稿版では、キーワードにしておいてあげよう!!!!』
先程とは違い、右フックで防御の手薄な薫織の左側を攻めていく崩れ去る定説。
これも上体を逸らしたスウェーで以て回避する薫織だったが、しかし崩れ去る定説に同じ手は通用しない。
ガッ!! と薫織の足を破壊する勢いで振るわれた足払いを、薫織は大きく体勢を崩しながらも寸前のところで飛び跳ねるようにして躱した。
しかし、やはりそこが限界だ。
それ以上の攻防を続けることはできない。
足払いを躱したことで、薫織は横倒しの姿勢で完全に空中に放逐された。
こうなってしまっては、先ほどの様に身体に回転をかけて攻撃の威力を逃がすこともできない。
いや──そもそも、回転で威力を逃がすような甘い攻撃を崩れ去る定説に期待することもできない。
たとえば、肘と膝で胴体を挟み込むような攻撃を使えば、逃げ道などなくじかに最強のシキガミクスの膂力で内臓を破壊されることになるのだから。
そして実際に、崩れ去る定説が選んだトドメもその通りだった。
『これで詰みだ、園縁君!!』
左肘と右膝を立てて、まるで肉食動物の顎のような形で薫織の腹を食いちぎらんと挟み込む姿勢に入る崩れ去る定説。
しかしその刹那──トドメを刺される直前の薫織は、一切の動揺なくこう返した。
「王手の間違いだろ、ピースヘイヴン」
◆ ◆ ◆
──そしてその直後、薫織の姿が崩れ去る定説の目の前から掻き消えた。
否。
崩れ去る定説の身体各部に内蔵されたカメラは、その瞬間に薫織がどう動いていたかを克明に捉えている。
「──メイド百手、『飛石奉仕』」
崩れ去る定説の殺人的足払いを無理やり回避する形で中空に放られていた薫織の足先があった空間には、いつの間にか小さめのショッピングバッグくらいの缶が存在していた。
そして、何より。
薫織の身体は、崩れ去る定説の前から一瞬にして右方向に移動していた。
『──!! 盾としてではなく、即席の足場として利用したか!』
その言葉を証明するように、薫織はさらに空中に発現された缶の上に着地し、そしてそのまま崩れ去る定説の真上へと跳躍した。
女中の心得で発現した『女中道具』は、発現直後その空間に固定される。
ならば、固定された足場として運用することも当然可能。
──頭上からの攻撃。
崩れ去る定説がそれを警戒し、臨戦態勢を整えた瞬間──薫織はさらに空中にショッピングバッグくらいの缶を発現する。
それを受けて、崩れ去る定説は予測を修正した。
《背面攻撃か──!! 確かに想定外。だがこの程度の想定外ならば、スペック差で十分ゴリ押しできる!!》
予測したのは、頭上からの攻撃に見せかけて背後に着地してからの不意打ち。
しかしそれでも、彼我の速度差はまだ崩れ去る定説に分がある。
さらに、崩れ去る定説の身体各部にはカメラが内臓されているのだ。
背後は必ずしも死角にはなりえない。
薫織が着地した直後のタイミングで攻撃を合わせることも十分に可能、
──そこまで考えたところで、崩れ去る定説は気付く。
《いや……違う!! 園縁君の目的は見え見えの背面攻撃などではない! 迎撃にこちらの意識を集中させておいて、先ほどの空中跳躍を使って本体に奇襲を仕掛けることか!?》
証拠に、身体各部に内臓されたセンサーは薫織が空中で顔の向きをピースヘイヴンの方へ向けていることを感知していた。
本体・ピースヘイヴンとの距離はおよそ一〇メートル程度。
この短距離であれば、薫織の方が早く動いていればピースヘイヴンの奇襲まで崩れ去る定説から逃げ切ることはおそらく可能である。
だが、此処で浮足立ってピースヘイヴンの護衛に完全に重心をかけるのは却って下策だ。
崩れ去る定説は波立ちかけた心を落ち着けて、あくまでも冷静に考える。
《確かに奇襲のリスクはある。だが、そう見せかけて本体を守ろうと動いた隙を突く作戦という可能性もあるだろう。顔の向き程度はいくらでも誤魔化せる。此処は下手に動くよりも──》
ダン!!!! という地響きめいた音が、体育館に響き渡る。
崩れ去る定説が選んだのは迎撃でも追撃でもなく──その場を『力いっぱい踏みしめる』という行動だった。
ただし、最強のシキガミクスの膂力によって繰り出されたのであれば、ただそれだけの行動が明確に戦局に影響を及ぼす一撃となりうる。
まるで水面に小石を落とした時のような形で飛沫を上げる木目の地面の残骸が、崩れ去る定説とピースヘイヴンの間を覆う壁のようにして展開される。
──薫織が下手に突っ込めば、着用型シキガミクスゆえに負傷はないにしても、彼女の期待する奇襲性能は失われるような妨害である。
それでいて、『その場で床を踏みしめる』というアクションは下半身の行動である。
仮に薫織が奇襲にみせかけた崩れ去る定説への攻撃を企図していたとしても、十分に迎撃が可能であったが──
しかし、薫織が行ったのはピースヘイヴンへの奇襲でも崩れ去る定説への攻撃でもなく、単なるその場での跳躍だった。
ショッピングバッグくらいの缶を足場にしてさらに跳躍した薫織は、直後にたった今足場にした缶を解除してしまう。