唯神夜行 >> シキガミクス・レヴォリューション 作:家葉 テイク
「…………………………は?」
想定の埒外の切り返し。
余りの想定外に、ピースヘイヴンの思考は一瞬空白で染められた。
「テメェの言う『危険のない世界』が成立して、最小限の犠牲で世界が運営されていくようになったとして、だ。
そんな世界で、世界を上手く回す為の歯車として永劫に機能し続けるであろうテメェは何のメリットを得る? って聞いてんだよ」
「……そんなものは……」
ないし、不要だ。
──そう言おうとして、ピースヘイヴンは一瞬だけ口を噤む。
その間隙を縫うように、薫織は続けた。
「テメェの救済は、そもそもテメェ自身が救われることを度外視している。当たり前だよなァ。テメェの陰謀はテメェ自身の罪の意識から出発したモンだからだ。
……黒幕さえも幸せにならねェような陰謀が、世界をよりよい形にする? ンなしみったれた野望、信じられる訳がねェだろうが」
薫織は苛立ちすら見せながら右手で頭を掻き、
「大ッ体よォ……どいつもこいつも、浪漫が足りてねェんだよ。明日世界が存続するかも分からねェから……
誰かを食い物にして自分の身を守る?
自分よりも優れた誰かの尻馬に乗って犠牲から目を逸らす?
そうなった原因に対して復讐をする?
あまつさえ、自分自身をも犠牲にしてシステムを刷新する?
……………………全く以てくっだらねェ!! どいつもこいつも煤けて真っ黒になって、本来の輝きを失ってやがる!!!!」
叫びながら、薫織は拳を握る。
薫織の眼前で燃え盛る炎は、まるで彼女の怒りを示しているようですらあった。
「テメェの作る全く新しい
だが……テメェはまだ
「……………………こんな現状を生み出した筋書きごときなど、もう未練なんてない。ハッピーエンドなどとうに望めなくとも……せめて、せめてバッドエンドだけは回避する責任が私にはある」
「何がバッドエンドだけは回避する、だ……」
そして、薫織は炎を踏み越えた。
業火を背にしながら、薫織は一つの事実をピースヘイヴンに突きつける。
「テメェが作り出したその世界がいかに上等でも! その光景を見ているテメェ自身が完璧に救われてなきゃ、その結末は〇点のクソバッドエンドシナリオだろうが!!
テメェは! この世界中の人間に! 『私たちは貴方の犠牲のお陰で幸せに暮らしていけています』なんてクソみてェな十字架を背負わせる気かっつってんだよ!!!!」
ごくごく当たり前の事実を。
お涙頂戴の自己犠牲なんかで丸く収めたところで、真実を知る者は誰一人として救われはしないという、当然の帰結を。
「……だったらどうしろと言うんだ」
──溢れるような怒りがあった。
薫織の語調に引きずられるように、ピースヘイヴンの声にも徐々に感情が乗っていく。
「現にこの世界は
「自分の罪を認めるのは結構なことだ。……だが、テメェが生み出した
「……なに?」
そこで。
ピースヘイヴンはようやく気付く。
ステージ上に立つ流知が、いつの間にか
「あッ──」
『天尾羽張』の内部血路の書き換え。
即ち、『唯神夜行』の失墜。
それを危惧したピースヘイヴンの予想を大きく上回って、流知は無言で壁に絵筆を突きつけた。
その瞬間、霊能が発動する。
しかし、その発動が企図したのは陰謀の破壊などではない。
──そこにあったのは、大勢の人間の笑顔だった。
構図は、上空から地上に立つ人々を描いたもの。
空を見上げた老若男女が、みな屈託のない笑みを浮かべているイラストだ。
白を基調とした学生服を身に纏った黒髪の少年。
少年の傍らに寄り添うように佇む和服を纏った白髪の少女。
老境に差し掛かった小太りの男。
高飛車そうな顔つきの金髪の少女。
豪快な印象の和装の男。
雅な印象の和装の女。
それこそ数十人単位の人間や人外が一堂に会して幸せそうな笑みを浮かべている光景が、ステージの壁面全体に
「…………こ、れは…………」
ピースヘイヴンは────
──否。
イラストそのものに、見覚えはない。
確実に見たことがないと断言できる。
しかし──『その絵柄』については、何度も見て来た。
知っているそれよりも幾分か洗練された絵柄になってはいるが、この絵柄は。
「
気付けば、ピースヘイヴンの背後から嵐殿の声がした。
振り返ると、押し倒されて気絶していた嵐殿はフラフラとよろめきながら立ち上がっているところだった。
「『ラストシーンは、これ以外にあり得ない』『真っ先に天国に逝っちまったあの馬鹿を、皆が笑顔で見送る。それが
ちゃんとお前のプロット通りにやって最後がこれじゃあ、俺も認めるしかなかったよ」
言われて、気付く。
あのイラストの全員が、大空の向こうにいる
「……大好きな場面ですわ。中学生のときにはじめてこの作品を読んでから……いっぱいこの場面を模写しました。他にも色々……それがもとで、わたくしはイラストを描き始めて……やがてデザイナーを志すようになりましたの。だから鮮明にイメージすることができましてよ。
…………このシキガミクスを設計して……この世界に
「………………こ……こんな……こんなことが……」
ピースヘイヴンの身体が、よろめく。
それは身体のダメージなんかではない。
もっと根幹にある『何か』に強大すぎる衝撃を受けたことで、魂の芯が揺らいだのだ。
「テメェは知っているはずだ」
そこに、薫織が言葉を紡ぐ。
「物語の最後。最後の最後に生じた三千世界の崩壊に向かって、人間も怪異も、清貧なる聖女神も権力にまみれたタヌキジジイも、全員が全員一丸となって『
テメェが一番よく知っているはずだろうが!! テメェが生涯をかけて描き切った
──『シキガミクス・レヴォリューション』は名作だった。
原作小説だけに飽き足らず、コミカライズ、ボイスドラマ、アニメーション、劇場映画、スピンオフ、あらゆるメディアミックスは成功をおさめ、そして世間はみなその物語を読んで束の間、空想の世界を満喫した。
耐えがたい災害によって大切なものを奪われた子どもたちが、空想の世界で心を癒し立ち直るだけの活力を育むことができた。
その物語に特殊な効能があるわけではない。
ただ、その希望の物語が──誰かの心を奮い立たせることができたというだけの話ではあるが。
だが、それはとあるメイドにとっては世界を揺るがすほどの大偉業だったに違いないはずなのだ。
世界に危険が溢れているだとか。
悲劇が蔓延っているだとか。
誰かがニヤニヤ笑いで語るような上っ面の状況設定で失われる、そんな軽い強度の
「物語と同じような奇跡がきっと起きてくれる……なんて楽観じゃねェ。
現実にこの世界にはハッピーエンドを掴み取ることができるほどの千両役者が大勢いて、この世界の奥の奥まで知り尽くしているテメェがいて、そして世界もテメェも救いたいと願う
答えは、なかった。
ただ、ピースヘイヴンは静かに膝を突いた。
それが、全ての事件の終着を意味していた。
そして、それが合図となった。
◆ ◆ ◆
どぐん、と。