唯神夜行 >> シキガミクス・レヴォリューション 作:家葉 テイク
まるでのしかかる様に、重苦しく降り注ぐ雨だった。
窓から覗く曇天を眺める夕見子の横顔に、一筋の雫が流れる。
それを振り切るようにカーテンを閉めると、夕見子は改めて現実に向き合った。
病室のベッドには、一人の青年が横たわっていた。
人が好さそうな面持ちの、穏やかな雰囲気の青年だった。
常ならば、平穏な雰囲気に包まれていたことだろう。
しかし、全身に包帯を巻き、その各所が仄かに赤く滲んでいる無惨な姿は、身動ぎ一つしないその悲しい姿は、穏やかさからは程遠い現実を突きつける。
つまり、彼の命の灯が失われたという事実を。
「…………柚希」
夕見子の喉から絞り出されるようにして発せられた声はくしゃくしゃにしわがれていて、どれだけの間彼女が泣き疲れていたかを示しているようだった。
交通事故。
この四文字が人の命を容易く奪うという事実が、目の前に突きつけられている。
たったの四文字で、掛けがえのない命が失われ──そして、もう二度と笑い合うことすらできなくなる。
忘れかけていた感覚だった。
幼い、それこそ記憶にも残らないくらい幼い頃に体験して、ずっと昔に悲劇と共に置いて来た感覚。
それが今、目の前にある。
真実、二人は姉弟だった。
血は繋がっていない。
生まれた地域も遠く離れている。
本来であれば、縁もゆかりもないはずだった。
だが、夕見子と柚希は姉弟だった。
あの家で救われ、あの家で学び、あの家で育ち──そして巣立った。
大きな家族の中で、夕見子と柚希は特に仲のいい姉弟だっただろう。
夕見子や柚希に限った話ではないが──彼女達の『家族』は、多くが家族を亡くしている。
様々な事情で一人だけになってしまったところを保護され、共に生活する『家族』。
それが、夕見子や柚希だった。
彼らの多くは成長して
「なんで、どうして、柚希が……」
漏らす言葉の中に、自然と涙が混じっていく。
まだまだこれからだったはずだ。
ようやく仕事に慣れて来たと、はにかむように報告してきたのがほんの数日前。
これから、辛かった分いっぱい幸せを掴もうと話していたのだ。
そうなっていいくらい、頑張って来たはずだったのに。
「どうしてよぉ……!! こんなの、あんまりじゃないの……!!!!」
「……子どもを助けようとしていたらしい」
悲嘆に暮れる夕見子の背に、落ち着いた声がかけられる。
大樹のようにどっしりとした声色に振り返ると──病室の入り口に、メイド衣装に身を包んだ大男が佇んでいた。
通常であれば不謹慎だといった恨み言の一つでも出てきそうだったが、夕見子はその異様を自然に受け入れていた。
彼女の『家族』にとっては、これが日常だったから。
「運転中に運転手が発作を起こした車だったそうでな。歩道に突っ込んで来た時に……咄嗟に近くにいた子どもを助けたそうだ。子どもは重傷だが命に別状はなかった。
運転手の方は……発作と事故の衝撃で、助からなかったそうだ」
誰が悪かったという問題ではなかった。
彼が悪かった訳でもなければ、巻き込まれそうになった子どもも、事故の原因となった運転手すら、非を咎めることはできなくなった。
にも拘らず、現実に彼女の大切な人の命は失われてしまっている。
その不条理。
「馬鹿……」
夕見子は、耐えきれなくなってその場に泣き崩れた。
「馬鹿よ、大馬鹿よ! なんでアンタが死ななきゃいけないのよ!! これからでしょ!! メイド長みたいになりたいからって保育士の資格取って!! アンタの人生、これからだったでしょ!!」
泣きながら弟に縋りついてみても、答えは返ってこない。
何を言っても困ったように笑う彼女の弟は、もういない。
彼の命は尽き──その魂は、きっとここではないどこかに逝ってしまったのだろう。
人生は、物語の世界とは違う。
思い出の最後が
メイド服を身に纏った無敵の大男──やがて
悲嘆に暮れる娘から視線を外し、彼はそっと病室を出た。
それでも彼は変わらない。
悲劇が、彼の心を捻じ曲げることはない。
それが、愛する『我が子』の死であったとしても。
陸奥柚希、享年二四歳。
交通事故の為死亡。
陸奥夕見子、享年一四三歳。
弟の死から七年後、結婚。のちに離婚するも、三男四女に恵まれた幸せな人生を送る。老衰のため死亡。
◆ ◆ ◆
「………………」
柚希君が死んだ。
その報を受けた後は、バタバタの連続だった。
柚希君は他の子達と同じくメイド長と養子縁組していたから、法的な手続きについては問題なかったけど……だからといって、何年も一緒にいた子が死んで何もない訳がない。
施設の子達にも動揺が走ったし、年少の子にはまだ心の傷が癒えていない子もいるから、そこで生まれる混乱を最小限に留める必要もあった。
それに加えて葬儀とかの準備もしなくちゃいけなくて……とにかく、職員総出で奔走した数日間だった。
「お疲れ、メイド長」
デスクに向かってぼけっとしている大男に、私はつとめて明るい声色を作って声をかける。
……成人して独り立ちしているとはいえ、コイツにとっては目に入れても痛くない我が子の死だ。
コイツは強いから悲しみは表に出さないけど……辛いのは間違いない。
だから少しでも、その悲しみを癒せたら……そう思って、私はデスクに温かいコーヒーを置いた。
「あ? ……あァ、ありがとな」
素直にコーヒーを受け取って、啜る。
……やっぱり大分精神的にキてそうだ。
私たちのやっている事業の性格上、こういうことは初めてじゃない。
もっとどうしようもない最期を迎えた子だって、悲しいことに、いる。
でも、だからといって悲しみに慣れるはずもない。
どの子だって私達にとっては本当に『家族』だったから。
コイツとは、なんだかんだ言ってもう出会ってから三〇年以上の付き合いになるか。
これだけ長いこと顔を合わせていれば、コイツの格好悪いところも情けないところも知っている。
だからこそ、私は分かる。
コイツが、本当は泣きたいくらいに打ちのめされているってことも。
それでも自分の力だけで立ち上がれて
だから私は、コイツに対してお節介を焼いて慰めたり、そういうことはしない。
そんなことは、この男にとっては不要なことだから。
必要なのは、二言三言。
「…………チビ達は裕斗とあずまが連れてったよ。私も、これから散歩に行ってくる。留守番よろしくね、メイド長」
「……そうか。分かった。気を付けて行って来いよ」
「了解」
短く言って、私はそのまま職員室から出る。
職員室を出てしばらくすると、やがて部屋の中から低い唸り声のようなものが聞こえて来た。
それは間もなく、獣の慟哭のような叫び声へと変わっていく。
…………。
どうして、なんだろうね。
何でこの世界は、悲しいことばかりが起こるんだろう。
柚希みたいないい子が死んで、アンタみたいな男が苦しみ泣いて、それでもどうして、世界には悲しいことが溢れているんだろう。
変えられるものなら、変えたいよ。
悲しいことも苦しいことも全て覆して、全員が幸せなだけで暮らせるような世界。
そんなものを作れるような、現実離れした存在になりたい。
……神様だったら、そんなとんでもないことだってできるのかもしれないけど。
でも、悲しいかな。
私はただの、人間だ。
この雨を、止めることさえできやしない。