その時歴史が動かなかった   作:dwwyakata@2024

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恐怖に困惑しながら、試行錯誤をはじめるリッテンハイム侯爵。

しかしながら、彼の努力を嘲笑うように、何をしても事態は好転しません。

少しずつリッテンハイム侯爵は、正常な判断力を失っていくことになります。

もともと優れた水準の判断力が存在していたかは甚だ怪しい所ですが……


2、恐怖の回転木馬

まただ。

 

また同じ時間にリッテンハイムは戻って来た。

 

ガイエスブルグ要塞を出た直後。既に五万の貴族が主に率いる艦隊……既にそんな上等なものではないことがリッテンハイムにも分かっているが。

 

ともかくそれに対して、リッテンハイムはゴミの山とまっとうな評価を下せるようになっていた。

 

問題はリッテンハイム自身は、自分は絶対に正しいと考え続けていた事だ。

 

ゴールデンバウム王朝銀河帝国の始祖ルドルフ大帝は、元々そういう男だった。

 

ルドルフの時代、人類文明は宇宙進出したにもかかわらず。経済を筆頭にあらゆる社会が停滞していた。

 

其処にあらゆる問題を強引に解決するルドルフ大帝が現れた事で民衆は熱狂。

 

権利をどんどん手放し、思考すらも放棄して、何もかもルドルフ大帝にゆだねた。

 

ルドルフ大帝はやがて即位して専制主義国家を作り。極悪非道な政策と、自己神聖化を行っていくようになるのだが。

 

それはリッテンハイム達門閥貴族にとっては、「偉大なる大帝」の業績としてすり込まれており。

 

どんな大貴族でも例外では無かった。

 

銀河帝国は内乱が絶えない国家で、リッテンハイムの時代にも大貴族主導で数回の内乱が発生している。

 

そんな内乱ですらも、皇帝に対する忠義を貴族達が忘れたことは無く。

 

結局の所、権力のメインストリームにいる貴族に対する反発でしかなく。

 

皇帝へは絶対忠義を忘れない。もしくは、ルドルフ大帝の血脈は絶対と考える。

 

どれだけ陰湿な陰謀合戦を繰り返して来ていても。

 

それが、帝国貴族というものだった。

 

ある意味、ルドルフ大帝は自分に忠実な部下を作る事にだけは成功していたのかも知れない。

 

ルドルフ大帝が生きた時代だけは、強引に秩序を作る事にも成功しただろう。

 

だが、全盛期に三千億を数えた人間は、現在は四百億にまで減っている。

 

これは地球時代の五倍程度の数であり。

 

銀河系オリオン腕に拡がった人類の文明圏の広さから考えると、あまりにも少なすぎる数なのだった。

 

そういった客観的な事を一切考える事が出来ない。

 

それが自己正当化の文化であり、そもそも「周囲が空気を読んで行動してくれる」文化の結実。

 

リッテンハイムは、決して知能が劣悪だった訳ではない。これはブラウンシュバイクも同じである。

 

それは対抗しているラインハルトやキルヒアイスと比べれば路傍の小石に等しい代物だが。

 

それでも、一応平均的な知能程度はあったのだ。

 

だが、あくまで其処止まり。

 

更に、「優秀な教育」などというものも受けていない。

 

成績は貴族としての格と金で買うものであったし。

 

教育を受けるとしても、それはあくまで貴族同士の力関係についてや、自分の家の歴史について。

 

たまに軍事的な才能を持つものが産まれる事があり。それが同盟との戦争では、それなりの地位にまで昇ることがあったが。

 

それはあくまで例外であり。

 

特に、数世代前の同盟の驍将、ブルース=アッシュビーによって一度帝国軍首脳部が半壊するほどの打撃が与えられてからは。

 

それは絶滅同然の状態に陥ったのだった。

 

いずれにしても、リッテンハイムは典型的な貴族であり。

 

それであるが故に、客観性を持たず。

 

自分が正しい事を、全く疑う事が出来なかった。

 

それがリッテンハイムの限界であり。

 

この時代の門閥貴族の限界であったとも言える。

 

この時代の門閥貴族では、ただ一人だけラインハルトに認められた人物も存在はするのだが。

 

それはまた、別の話である。

 

 

 

またしても、同じ時間に戻ったリッテンハイムは、半狂乱に陥った。しばらくは、恐怖で口も利けない程だった。

 

心配した副官が声を掛けるが。

 

それが却ってリッテンハイムの恐怖を煽った。

 

ただ忠実なだけのボンクラ。

 

そう思っていたのに、まさか土壇場であんな行動に出るなんて。初めて、リッテンハイムは明確に見下していた筈の相手に、恐怖を抱いていた。

 

いや、違う。

 

その前には、赤毛の死神にも。

 

少しずつ、リッテンハイムの。挫折などない人生に、影が刻まれていく。

 

何もかもが、信じられなくなりはじめていた。

 

やはり、一度ガイエスブルグに戻るしかない。

 

そう判断する。

 

何か、戻ってから適当に言い訳を考えるしかない。勿論連れてきた貴族達は反発するだろうが、知るか。

 

ただ一人だけでも、戻るだけである。

 

しばらく呼吸を整えた後に、顔を見るのも怖くなった副官に言う。

 

「体調を崩した」

 

「はあ。 医師を呼びましょう」

 

「いや、どうにも気分が優れないというか、体のあらゆる場所がおかしい。 すまないが、辺境宙域の奪還作戦は、他の大貴族に頼む他ない」

 

「?」

 

副官が小首を傾げる。

 

兎に角戻れ。そう、恐怖のままに絶叫すると。副官が、艦隊を指揮している貴族達を呼ぶと言う。

 

今回、そもそも貴族達をリッテンハイムが説得して回って。この「壮挙」(だったと最初は思っていた行為)を始めたのである。

 

ガイエスブルグでの根回しは大変だった。

 

それを、今更掌返し。

 

確かに、それは自身でやらないと筋が通らないだろう。副官の言う事なんぞ、誰も聞くはずがない。

 

青ざめているリッテンハイムの前に、血の気が多い貴族達が来る。

 

こいつらが、何の役にも立たない事は、もう何度も何度も死んで理解した。平民の提督の方が、何倍も役に立つ。

 

情けない話だが、嫌でもそれは理解する。

 

ただし、それでもリッテンハイムは自分が正しいと考えていた。

 

負け続けるのは、此奴らと、提督達のせいだと。

 

何しろリッテンハイム家は名門中の名門。

 

ルドルフ皇帝が選んだ血脈の末裔だ。

 

だから優秀に決まっている。

 

戦争に負けるのは、部下達が無能だからだ。

 

奇しくもそれは、地球時代に存在していたブラック企業と呼ばれる代物の経営者と、同じ思考だった。

 

金持ちは優秀。社会上層の人間は優秀。

 

会社の業績が下がるのは部下のせい。

 

部下は全てイエスマンで固めて置けば良い。

 

リッテンハイムはその思想が人型になったものだともいえ。だから、自分は絶対に正しいと考えていたし。

 

これだけの失敗を繰り返しても、自分の優秀性を疑う事はなかったのである。

 

ともかく、リッテンハイムは青ざめていて、咳き込んでも見せる。

 

流石にたった数日前にあったばかりのリッテンハイムが、あまりにも窶れているのを見て、貴族達も驚愕したようだった。

 

「リッテンハイム侯、いったい何が起きたのか」

 

「私にもわからん。 しかしあらゆる体の不調が一辺に来てしまってな。 悔しいが、一度戻る。 この艦隊の指揮は、他のものに任せるしかあるまい」

 

「他のもの?」

 

「ばかな。 我等は卿に誘われたからここに来たのだ! そもそもルドルフ大帝に光栄たる家名をいただいた者が、ちょっとやそっとのことで病気などと言うものになるか! そんなものは気合いで治せば良いのだ!」

 

リッテンハイムはぞくりとする。

 

此奴らの目は尋常では無い。

 

そして、気付けない。

 

自分も、此奴らと同じ目をしていたという事に。

 

もう一度、激しく咳き込んでみせる。

 

「卿らの気持ちは大いにわかる。 だが、本当に体調が悪いのだ。 とにかく、一度ガイエスブルグ要塞に戻って……」

 

「断る!」

 

「ならば艦隊指揮は我等が共同で執る! そもそもブラウンシュバイク公の派閥に先んじる好機だからここに来ているのだ! 戻るなどと言う選択肢は無い!」

 

お前ら如きが。

 

あの赤い死神に勝てるか。

 

そう絶叫したくなったが、とにかく今は哀れな病人を装うしかない。

 

だがそれは、人間力を神聖視する銀河帝国の貴族に対しては悪手そのものだった。

 

弱者は好きなように踏みにじっていい。

 

それがルドルフ大帝の思想であり。

 

それをもっとも色濃く受け継いでいるのが、リッテンハイムやブラウンシュバイクをはじめとした大貴族だ。

 

いずれにしても、貴族達は戻る事を拒否。

 

リッテンハイムは、副官に言う。

 

「お、オストマルクを回頭させろ。 我が艦だけでも、ガイエスブルグに戻る!」

 

「リッテンハイム侯爵を拘束せよ」

 

「な、なにっ! 貴様ら!」

 

副官が言うと同時に、平民の兵士達がさっと周囲を囲み。リッテンハイムを取り押さえた。

 

とても抵抗できる力では無かった。

 

この時点で、自分が優秀などでは無い事に気付ければ、リッテンハイムはまだ幸せだったかも知れない。

 

だが、それは出来なかった。

 

リッテンハイムは、最初の出発点から間違えていた。

 

だから、どうしても思考を変える事が出来なかったのである。

 

そのまま、自室にリッテンハイムは軟禁される。

 

副官はベッドにリッテンハイムを拘束させると、そのまま言う。

 

「リッテンハイム侯爵家の名を汚すことだけは許されません。 少なくとも、この艦隊の指揮を執る事をご自身で決めた以上、最後まで責務は全うしてください」

 

「こ、この無能が……!」

 

「無能ですが、貴方への忠義を欠かした事はありません。 リッテンハイム侯爵家の名を守る事も。 此処で、しばらく大人しくしていてください」

 

「……!」

 

何も、それ以降はできなかった。

 

排泄についても、まさかのおむつをはかされて。更に点滴を打たれた。

 

ベッドの拘束は強烈で、身動き一つ出来ず。

 

リッテンハイムは悲鳴を上げながらもがき続けたが、何一つする事は出来なかった。その上、冷徹な目の兵士達が常時見張っていた。

 

途中から、医師が麻酔薬を入れたらしく、意識がもうろうとし始めた。

 

そして、その時が来る。

 

爆発が起きたのだ。

 

何度も何度も経験した。だから分かる。今のは、多分オストマルクへの直撃弾だとみて良い。

 

恐らく、キフォイザー星域で、貴族達が勝手に戦闘を開始。

 

司令官も抜き。更には提督達の意思も無視で、無茶な突撃を開始したのだろう。

 

当然、そんな軍が。

 

あの赤髪の死神が率いる艦隊に勝てる訳がない。

 

短時間で、壊滅に進んでいるのだろう。恐らく戦闘を開始した貴族達は、文字通り一瞬で蒸発させられ。

 

指揮系統を失った艦隊は、壊滅へと向かっていると見て良さそうだ。

 

副官が部屋に来る。

 

ひっと、小さな悲鳴が漏れていた。

 

「リッテンハイム侯爵閣下。 最後の時が来たようです。 味方は壊滅し、包囲されました」

 

「な、何をするつもりだ!」

 

「敵将キルヒアイス提督は降伏勧告を行ってきています。 リッテンハイム侯爵閣下は、そのような恥をさらすことなく、リッテンハイム侯爵家の名誉をお守りになられるよう」

 

「ま、待てっ!」

 

銃を抜く副官。

 

兵士達も見ている中、銃をリッテンハイムに向ける。

 

誰か、その乱心者を止めろ。

 

そうリッテンハイムは叫んだが、兵士達はむしろせせら笑う程だった。

 

何故だ。

 

大貴族が指示しているのだ。平民がどうして従わない。優秀なのだぞ。大貴族というだけで平民などより優秀なのだ。

 

従うのは、ルドルフ大帝が決めて以来の世界のルールではないか。

 

そう絶叫したが。

 

次の瞬間には、意識が消えていた。

 

副官に撃ち抜かれ。

 

即死したのは確実だった。

 

 

 

そして、もう何度目かも分からない。

 

リッテンハイムは、戦艦オストマルクの定座についていた。

 

プライドを捨てて戻ると宣言しても、誰も従うどころか。副官さえも、リッテンハイムを拘束した。

 

冷や汗を流しながら、リッテンハイムは必死に考える。

 

どうすればいい。

 

どうすれば赤い死神と。

 

それと、ちらりと見る。

 

副官は無言のまま定座の側にいて、命令を待っている。此奴は死ねと命じれば、死ぬのだろうか。

 

いや、駄目だ。

 

此奴の狂信は筋金入りだと、リッテンハイムは思った。それが自分も共通しているかも知れないとは、思えなかった。

 

多分死ねと命じても、リッテンハイム侯爵家のために今は残念ながら死ねませんとでも言うだろう。

 

恐怖で身が竦む。

 

何もかも、分からない事だらけだ。

 

あの赤髪の死神。

 

それに、いざとなると自分に牙を剥く副官。この二人が、明らかにリッテンハイムを殺そうとしている。

 

だったら。手は一つしかない。

 

手元の端末を操作して、オストマルクの脱出艇を探す。自分では脱出艇の乗り方すらも、リッテンハイムは分からない。だから調べるしかない。

 

場所は分かった。後は使い方だが、どうにも複雑で、すぐには理解出来そうになかった。

 

「散歩してくる」

 

「は、散歩にございますか」

 

「そうだ、散歩だ。 気分転換だ」

 

「分かりました。 散歩の後には、お好きな茶葉と茶菓子を用意しておきまする」

 

前だったら、副官のその言葉に満足していただろう。

 

だが今は、毒でも盛られかねないとさえ思っていた。

 

急いでオストマルクの中を行く。

 

旗艦級戦艦の中でも、特に巨大に作られたオストマルクは、全長千メートル近くもあるほどだ。

 

中はちょっとした街ほどもあり。

 

脱出艇まで辿りつくまで、散々彼方此方をうろうろしなければならなかった。

 

巡回中の兵士達が不可思議そうにリッテンハイムに敬礼する。

 

その内、オストマルクにつれてきていた侍女を見つけたが。兵士の一人と親しげに話をしていた。

 

別にどうでも良い。

 

そもそも平民の女なんか、豚と同じだとリッテンハイムは考えている。

 

豚が豚と乳繰り合おうと知った事では無い。

 

むしろ勝手に増えるのだから、家畜としては良い方だろうとも思っていた。

 

そのまま、なんとか脱出艇を見つける。

 

嘆息して、それから何とかマニュアルを思い出しながら、四苦八苦して動かそうと試みる。

 

兵士の一人が声を掛けて来る。

 

少佐の階級章をつけていた。

 

「リッテンハイム侯爵閣下、如何なさいましたか?」

 

「な、なんだ貴様は!」

 

「戦艦オストマルクの副艦長にございます。 何かありましたのなら、申しつけていただければ」

 

「だ、大丈夫だ。 気にするな」

 

しっしっと追い払う。

 

そして、そのまま脱出艇を四苦八苦しながら調べて、どうにか動かせるようにした。嘆息する。

 

ガイエスブルグ要塞にこれで戻るか。

 

いや、それだとすぐにオストマルクに送り返されるだろう。ブラウンシュバイクだって、リッテンハイムが出るのを苦々しそうに見ていた。

 

言ったことはしっかり果たせ。

 

そう言って、オストマルクに戻すはず。

 

それに、あの副官が絶対に変な事を言うだろう。

 

それがブラウンシュバイクを利するのは確実だった。

 

だとすると、どうすればいい。

 

何処に逃げれば助かる。いつ逃げれば助かる。

 

そう思って、唸っていると。

 

いつの間にか、側に副官が立っていた。

 

「どうなさいましたか、リッテンハイム侯爵閣下」

 

「い、いつの間にそこにいた!」

 

「だいぶ前からにございます。 散歩が長引いているようですので、探しに参りました」

 

「も、もしもだ。 戦闘中にこのオストマルクが被弾し、破壊されるようなことがあった時に備えていたのだ!」

 

そう言うと、明確に副官は眉をひそめた。

 

この特徴のない家来が。今のリッテンハイムには、赤髪の死神と並ぶ、恐怖の対象となっていた。

 

「今から負けたときの備えですか。 リッテンハイム侯爵閣下とも思えない行動にございますな」

 

「む、昔の名将は、常に退路を確保してから戦ったと言うことだ! それを真似しているだけのことだ!」

 

「無益なことにございます。 常に必勝の覚悟を持たなければ、勝利の女神が微笑むことはないでしょう」

 

「そ、そんな事は私が決める! 勝利の女神だって、私が微笑ませるのだ!」

 

そう言い張ったのが最後の見栄だった。

 

兵士達に囲まれて、定座に連れ戻される。

 

そして、それから監視がきつくなった。一度、トイレに行くといって脱出艇を見にいったが。

 

なんと封鎖されていて。使えないようになっていた。

 

完全に青ざめたリッテンハイムは、副官のことを狂人だと思った。

 

そもそもリッテンハイムが所属している集団や国家が狂っている事を、微塵も思いつかなかった。

 

キフォイザー星域に到達する。

 

そうだ、もし次があるのなら。

 

このタイミングで脱出すれば、きっと大丈夫なのではないか。すぐにキルヒアイスに脱出艇で投降するのだ。

 

そうだ、娘もくれてやろう。

 

平民に対して、リッテンハイムの娘をだ。

 

ルドルフ大帝の直系子孫との婚姻。これほど嬉しい事はないはずだ。そうすれば、命どころか、リッテンハイム侯爵家はこの後も繁栄できる。

 

ぼんやりと考えている内に、戦闘が開始される。

 

味方が文字通り蹴散らされる。

 

五万隻のでくの坊の群れが蹂躙されていく中で、リッテンハイムは定座で身動き一つ出来ず。

 

そのまま、戦艦オストマルクは吹き飛ばされていた。

 

吹き飛ばされる一瞬。

 

リッテンハイムは、笑みを浮かべていたかも知れない。

 

 

 

また、同じ時間に戻った。やはり同じだ。

 

このままだと、何をやっても死ぬ。

 

だったら脱出するしかない。

 

だが、下手に動けば怪しまれる。リッテンハイムは、何も動きを見せず。キフォイザー星域に到達するまで冷や汗を全身から流しながら待った。

 

敵艦隊が見える。

 

戦闘開始の直前に、リッテンハイムはトイレに行くと言って席を外す。副官が、お待ちくださいと言って。思わず恐怖で背筋が伸びていた。

 

「これより戦闘が開始されます。 トイレであったら携行式のものを持ってまいりますので、それで用をお足しください。 周囲には見えないようにもいたします」

 

「わ、私にそのような恥をさらせというか! トイレくらい自分でいけるわ!」

 

「今はお控えください。 これより戦闘が開始されます。 総司令官であるリッテンハイム侯爵閣下がいなければ、戦いになりません」

 

「この規模の艦隊決戦だ! 戦闘は長引くことが予想される! トイレにくらい行かせろ!」

 

喚いた瞬間、副官が指をならす。

 

兵士達が周囲を囲んで、威圧してくる。

 

リッテンハイムが蒼白になる中、副官は言う。

 

何の声のトーンも変えずに。

 

「少し前から様子がおかしいことは見抜いておりました。 まさか、臆病風に吹かれて逃げるつもりではありますまいな」

 

「き、貴様、無礼であるぞ!」

 

「無礼に対するとがめは後で幾らでもお受けいたします。 しかしながら、今はリッテンハイム侯爵家が未来を得るかの瀬戸際なのです。 さあ、指揮をおとりください」

 

椅子になつくリッテンハイム。

 

まさか、見抜かれていたのか。

 

この時点で、リッテンハイムは気付くべきだっただろう。この副官が、あらゆる意味で自分より優秀である事を。

 

どうしても、それが出来なかった。

 

呼吸を乱しながらも、リッテンハイムは呆然と戦況を見やる。

 

やはり無謀な突撃をした貴族達が瞬殺され。圧倒的な火力の前に、でくの坊に過ぎない味方艦隊が文字通り蒸発していく。

 

集団戦を心得ていて、それも徹底的に訓練を受けている敵と。

 

立派な見てくれと装備は持っているが、素人集団に過ぎない味方。

 

勝負など、最初から見えている。数が多少多くてもだ。

 

見る間に爆発がオストマルクに迫ってくる。

 

逃げろと、命じる気にもなれなかった。あの赤髪の死神から、逃げ切れるわけがないとリッテンハイムは敗北主義に捕らわれていた。

 

いや、それは敗北主義では無い。

 

このおろかな男が、やっと自分で理解出来た客観的事実だったのだが。

 

それにも、リッテンハイムは気付けなかった。

 

程なく、オストマルクに直撃弾が炸裂。何度目かの直撃で、ついにオストマルクの防御能力を貫通された。

 

リッテンハイムは再び爆発に巻き込まれ。

 

そして死んだ。

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