逃げようとしても周囲がそうさせてくれない。
それでも必死に試行錯誤するのは立派ではあるかも知れません。
残念ながら、彼の努力の範囲で、事態が解決することはありませんが……
顔を上げる。
リッテンハイムは、また負けた事を悟った。もう何度目だったか。思い出す事も困難になってきていた。
とにかく、オストマルクから逃げるしかない。
だがどうやって。どこに。
キフォイザー星域に到達した直後は駄目だ。多分リッテンハイムの様子がおかしいと、副官に察知されている。
何で死んでも死んでもこの時間に戻ってくるかはどうでもいい。
それは不思議ではあるのだが、それについてはもう正直なんでもいいのだ。
とにかく、此処を逃げ出すのが最初の一歩だろう。
こうなったら、副官が警戒する前に、逃げ出すしかない。
そう、リッテンハイムは結論していた。
「散歩に行ってくる」
「はっ。 お好みの茶葉と、茶菓子を用意しておきます」
「そうしておけ」
まだ副官は警戒していない。
とりえあえず、脱出艇に出向く。そして、脱出艇に、そのまま乗り込んだ。
すぐに発進させる。
脱出艇と言っても、それはシャトルだ。小型のシャトル。内部は無骨極まりなく、狭苦しくて仕方がなかった。
オストマルクには脱出艇が最低限しか装備されていない。
つまり大破し爆発する時には、大半の兵士は艦と運命を共にするしかない。
こんな作りにしたのはリッテンハイム自身だ。
オストマルクを作った時、脱出艇をたくさんぶら下げていると敗北主義者に見えると言って。
設計時の段階から、脱出艇をほとんど外させたのである。
それについては、リッテンハイムも覚えていたが。
別に平民なんてどれだけ死のうが知った事では無いので。
今でも、それを後悔はしていなかった。
シャトルがそのまま行く。
さて、何処に逃げるか。
シャトルは一応遭難したときに備えて、恒星間航行の能力を持っている。ならば、このままキフォイザー星域に向かって、キルヒアイスに降伏するか。
キフォイザー星域に、行く先を四苦八苦しながらセットする。
そうして、セットが終わって満足した瞬間。
リッテンハイムは、此方に迫ってくる光を見た。
立ち上がろうとして、頭を天井にぶつける。それくらい脱出艇は狭いのだ。
顔を庇って、手を。
だが、そんなものでどうにかなるはずがない。
逃げた事を察して、副官が撃たせたのだ。
そう悟って、リッテンハイムは絶叫していた。
また、同じ時間に戻った。
どうやらいつ死んでも、それは同じであるらしい。
全身の冷や汗が凄まじい。意識が飛びそうになる程の恐怖が、リッテンハイムの全身を鷲づかみにしていた。
何度か呼吸をあらくついて整えると。副官の方をちらりと見た。
シャトルで脱出したことに気付いて、即座に撃つ事を指示したのだろう。
そしてオストマルクの艦長もそれに従った。
ひょっとして此奴。
側に従っているだけで、リッテンハイムよりも、リッテンハイム侯爵家の人間を管理しているのではないのか。
部下達も、掌握しているのでは無いのか。
そして、その歪んだ忠誠心で、リッテンハイム侯爵家の栄誉だけを考えていて。
必要とあれば、当主であるリッテンハイムを殺す事を何とも思っていないのではあるまいか。
そう思うと、こいつも赤髪の死神なみに怖いと思えてきた。
ど、どうすればいい。
どうすれば、二人の死神から逃れられる。
この時、リッテンハイムは死神に対して誤解をしている。
死神というのは相手を殺しに来る神ではない。
命が尽きた人間を迎えに来る神だ。
だが、そんな勘違いなどリッテンハイムにはどうでも良かったし。何よりも、自分が助かることが最優先だった。
そうだ。
今まで試していないことがある。
今、帝国でも同盟でも主流となっているのはブラスターと呼ばれる銃だ。
これは高出力のレーザを発射するもので、対人には充分な殺傷能力を持っている。
リッテンハイムは、無言でブラスターを手にすると。
副官が邪魔する前に口に咥え、引き金を引いていた。
また、同じ時間に戻った。
駄目か。自死しても駄目だとすると、どうすればこの無限の地獄から脱出する事が出来る。
いや、まて。
既にこの身はバルハラにあるのではないのか。
ゴールデンバウム王朝では、北欧神話を採用している。信仰対象であるオーディンは、首都星の名前に採用されているし。
既に自由惑星同盟……叛徒と貴族は呼んでいるが。ともかく自由惑星同盟に奪われたイゼルローン要塞に搭載していた主砲はトゥールハンマーと、北欧神話最強の武神の最強の武器である。何故ミヨニヨルと本来の名前にしなかったのかは分からない。
北欧神話の天国はバルハラといい、戦って死んだ者は其処へ行くのだが。
其処は楽園というよりも。
永遠に戦いを続ける修羅の世界だ。
世界には様々な天国信仰があるが、その中でももっとも苛烈で。死んでも即座に生き返る者達が、永遠にスポーツとして戦争を楽しむ場所。まあ永遠では無く北欧神話における世界の最後。
いわゆるラグナロクの時まで、なのだが。
そこに、既にリッテンハイムはいるのではないのか。
そうリッテンハイムは想像し。
乾いた笑いを漏らしていた。
だとすれば、全てに説明がついてしまう。
この永遠に繰り返される地獄絵図も。
何よりも、どれだけ苦しんでもいつの間にか同じ時間に戻っていることも。
頭を抱えて、しばし無言でいる。
副官がじっと見ている。
此奴を、先に殺せば。或いは、活路が見いだせるのでは無いのか。理由なんてどうでもいい。
リッテンハイムは殺人で捕まるような地位では無い。
思うように平民なんて殺しても許されるし。
ずっとリッテンハイム侯爵家に仕えてきた犬である此奴に、怯え続けるのも不愉快でならなかった。
無言でブラスターを取りだすと、副官に向ける。
眉をひそめた副官を。そのままリッテンハイムは撃っていた。
そのまま崩れ落ち、倒れる副官。
兵士達が、あわてて駆け寄ってくる。
「如何なさいましたか!」
「この者が乱心して、私を襲おうとしたのだ! 長く養ってやってきたというのに、恩知らずにもだ!」
「は、はあ……」
「この見苦しい死体を片付けろ! 今すぐにだ!」
兵士達に乱暴に告げ。
兵士達も、困惑しながら副官の死体を片付ける。
やった、やったぞ。
副官がいなくなって、そう思う。兵士達が副官の死体を片付ける間も、心臓がばくんばくん言っていた。
リッテンハイムも散々社交界やらなにやらに出て来て、貴族同士の陰惨な争いは経験している。
そんなリッテンハイムだが、部下を射殺したのは初めてだった。普段は機嫌を損ねた者は、処分するようにと副官に指示し。
そのまま消してしまっていたからだ。
実際に副官が殺していたかまでは分からない。
だが、少なくとも不愉快な存在は、リッテンハイムの周囲からはいなくなっていた。
今、初めてリッテンハイムは。不愉快な相手を、自分の手に掛けた事になる。それでリッテンハイムは。気が大きくなった。
「ワインを持て!」
喚くようにしてそう言うと。
困惑した様子で、兵士達が顔を見合わせる。
副官がその手のは全てやっていたからだ。
「恐れながら、全ての身の回りのお世話は先ほどリッテンハイム侯爵閣下が射殺なされた方がやっておられました。 我々は何も知りません。 侯爵閣下のお気に入りのワインも、その秘蔵場所もです」
「おのれ、役立たずの平民どもが!」
リッテンハイムは立ち上がると、大股で周囲を無意味に歩き回った。
自分でワインを探そうと思ったのだが、見つからない。
此処にあるかなあ。
そう思って、副官の部屋を覗こうとした時だった。
不意に、激痛が体を貫いていた。
そのまま、横に倒れる。力が出ない。何が起きた。視界が急速に薄れていくのが分かった。
自分を見下している奴がいる。
思い出した。此奴は確か、副官の娘だ。確か、次の世代の副官になるべく、教育を受けている筈。
何でも平民の娘を養子にしたとかで。恐らく普段から手でも出しているのだろうと、他の貴族と嘲笑っていたのだが。
その娘の目は、灼熱の怒りにたぎっていた。
もう一発、撃ち込まれる。
抵抗など、出来もしなかった。
再び、目を覚ます。
ひっと、思わず声が漏れていた。
副官を始末したとき、やったと思った。だが、まさか此処でも逆恨みをされるとは思わなかった。
貴族が手を下したのだ。
それは正当な行動に決まっている。
それに対して、恐れを抱くのでは無く。恐縮して平伏するでもなく。どうして殺されなければならない。
平民の命など家畜の命と同じだ。
それを高貴な血筋の貴族であるリッテンハイムがどうしようと勝手なのである。
それが。
あの副官の養子だか何だか知らないが、恩知らずにもリッテンハイムに手を掛けようなどとは。
だが、今は怒りよりも。
恐怖が先に立っていた。
前に何度か顔を見たことがあるが。そういえば、基本的に平民の顔など見たくもないとか告げていたし。
娘も、平民などに世話をされるのは耐えられないと、何度か訴えてきていたっけ。
やはり、平民などは皆殺しにしてしまうべきなのではないか。この内戦が終わったら、そうしよう。
あの赤毛の死神といい、ろくなものではないからだ。
当然生きている副官を横目に見る。
会話するのももう嫌だったが。一応話を聞いてみる。
「そういえば貴様の娘は元気にしているか」
「は。 今は私の仕事を継ぐために仕事を教えている途中にございます」
「ふん、平民の養子など無能で仕方がないだろう」
「士官学校をかなり良い成績で突破しております。 また、私の仕事に関しても、殆ど既に覚えており、下手な兵士よりも強いでしょう。 恐らく、存分にリッテンハイム侯爵を守る事が可能かと思います」
何が優秀だ。
貴族に牙を剥く平民が優秀であっていいものか。
此奴を殺したのは正当な理由からであって。
それに対して逆恨みするような低脳なのだぞ。
そう叫んでやりたかったが、喉から言葉が出なかった。明らかに、リッテンハイムは既に状況を恐れ始めていた。
赤毛の死神も。
この副官も。
更には副官の娘という新たなる死因まで加わったのだ。周り中、死神だらけではないか。こんな恐ろしい事が、他にあるだろうか。
「時に暗号通信を送ることが出来るか」
「はあ……何処へ、どのような暗号をでしょうか」
「そのような事は、貴様の知った事では無い!」
「リッテンハイム侯爵閣下。 暗号を送るにしても、暗号の知識をお持ちでしょうか」
うっと声が詰まる。
確かにそんなものはない。
今、リッテンハイムはいっそのこと、キルヒアイスに救援を求めようと思っていた。彼奴の方が、まだ話が分かると思ったからだ。
だが、まずどうやって暗号を送る。
更には、どうやって返事を受け取る。
それらの全てが確かに分からない。
或いは、士官学校を真面目に卒業していれば、それは分かっていたことだったのだろうか。
士官学校なんて二三回行っただけ。
それで成績を地位と金で買って卒業した。
本来士官学校に通うべき期間中、リッテンハイムは先代に言われて、社交界に毎日出て人脈作りに没頭していたっけ。
近年では士官学校は平民も来る事が多く、大貴族のサロンではなくなっている。故に、大貴族の将官は、殆ど士官学校の成績は金で買うのが常だった。リッテンハイムもその一人。
だが貴族にとって一番大事なのは人脈だ。
だから、正しい事をしていたに過ぎない。
やはり、周りが悪いのだ。リッテンハイムは優秀なのに、全てで足を引っ張られている。
そう考えて、リッテンハイムは何度もため息をついた。もう少し、まともな部下がほしいと。
そもそも反省などと言う概念はリッテンハイムにも、他の貴族の大半にも存在していない。
常に正しいのが大貴族だからで。
常に正しいから、高貴な血統だからである。
それが大貴族の常識であり。
常識などというものが如何に虚しいものであるのか、如実に示している事例でもあると言えた。
「そ、それではシャトルで文を送ることは可能だろうか」
「シャトルでですか? 可能ですが……わざわざ文を?」
「そうだ。 出来るか」
「そうでございますな。 艦長と相談して参ります」
副官が側を離れる。
すぐに、文を書き始めた。
文自体は書き慣れている。字の練習も、幼い頃にやらされた。
実は、リッテンハイムはもとは左利きだった。
それを右利きに矯正させられたことがある。
左利きは僅かな人間しかいない、つまり劣った遺伝子であると。そんなものを持っている事が知れたら、貴族の間で肩身が狭くなる。
そう先代である父は言って、リッテンハイムに苛烈な矯正教育を課したっけ。
事実社交界に出て見ると、殆どの貴族が右利きで。余程の権力の主流から外れた者くらいしか、左利きはいなかった。
父の言う事は正しかったと知ったし。
それにリッテンハイムは、右利きになるために受けた苦痛を、平民などは理解出来まいと、謎の自信を持ったのだった。
事実見苦しい左利きの平民は何度もリッテンハイムは見て来たし。
その度に失笑していたのだった。
文を書き終える。
ともかく、キルヒアイスの所に逃げ込み、戦勝の暁には娘をくれてやる事を明言する。これで相手は乗ってくるはずだ。
これほどの栄誉は存在していない筈。
いや、それを断られたような。
リッテンハイムは、全ての記憶を持ち越せている訳ではないことに、今更に気付く。そして、悲鳴を上げていた。
あわてて文を書き直す。
駄目だった文は焼却させた。兵士達は困惑しながら文を焼却している。それは、もうどうでもいい。
とにかく、キルヒアイスに、今身がとても危険であること。
降伏するから、身の安全を保証してほしいこと。
更には身の安全を保証してくれたら、今後は協力を惜しまないことを告げた文を書き上げる。
程なく、副官が戻ってきた。
リッテンハイムは、副官とともにシャトルの所に行く。シャトルは相変わらず狭苦しい造りだった。
「文を入れて、こうだな……」
「はい。 そのように」
「うむ、これでいい」
「それで、何故にキフォイザー星域にシャトルを飛ばされるのですか?」
ぞくりときた。
操作する様子は、副官に見せなかった筈だ。
青ざめていると、副官はシャトルの発進を停止させる。兵士達が、既に周囲に威圧的な壁を作っていた。
「そ、そのようなつもりはない!」
「リッテンハイム侯爵閣下。 シャトルが行く先は、安全と保安のために表示されているのです。 この座標は敵との交戦が想定されるキフォイザー星域ですな」
「……っ!」
なんでそんな座標とかが分かるのか。
此奴は、リッテンハイムが思っていたよりもずっと頭が良いのではないのか。ようやく、その事を確信する。
キルヒアイスを死神だと思い。
そして、この副官が第二の死神で。
これを殺しても第三の死神であるこいつの娘が来る。
それをリッテンハイムは悟って、呼吸困難に陥っていた。
兵士が文を取りだし、それを副官が読む。青ざめているリッテンハイムに、副官は冷たい目を向けてきていた。
「リッテンハイム侯爵家の最後のようですな。 このような臆病風に吹かれての背信行為、後の歴史に巨大な汚点を残すことでしょう」
「ま、待て! 話を聞け!」
「帝国万歳。 私もすぐに後を追います」
「やめ……」
その場で、リッテンハイムは兵士達に撃ち殺されたのを悟る。
もはや、手のうちようがあるとは、思えなかった。
また、同じ時間だ。
定座で意識を取り戻して、リッテンハイムは絶叫しそうになっていた。
まずい。まずい。まずい。
とにかく、まずい。
この無能なはずの副官は、リッテンハイムの全てを見越していると見ていい。暗号通信なんて使えないし、シャトルでの救援要請も封じられた。
かといってこのままではキルヒアイスとの決戦も避けられない。戦ったら瞬殺される。多分この艦隊では何をやっても勝てない。
これがメルカッツだったら話は違ったのだろうが。メルカッツはこの「正義派諸侯軍」を結成したとき。どんなに地位が高い人間でも戦闘時の作戦指揮にはしたがって貰うとかいう条件を生意気にも下級貴族出身のくせにつけ。それを破ったリッテンハイムには、今更従いなどしないだろう。
逃げようとすれば殺される。
降伏しようとしたら味方に撃たれる。
自分を殺そうとする副官を先に殺しておいても、此奴の娘が控えている。銃も満足に扱えないリッテンハイムが、戦闘訓練を本格的に受けている相手に勝てるとは、流石に思わなかった。
卑しい平民め。
そう思いながら、何度も頭をかきむしる。
リッテンハイムを平民や無能な下級貴族が追い込むのだ。
そう、何度も心中にて呟く。
だが、だからといって何が起きる訳でもない。奇蹟が発生するわけでもない。
そうだ、キルヒアイスを暗殺してしまえばどうか。
あの赤髪の死神がいなければ、奴の艦隊などデクも同じ。
いや、どう考えても無理だ。
出来るとしても、そう簡単では無いだろう。
キルヒアイスは確か、格闘戦技術においても射撃技術においても、少し前まで存命していたオフレッサー上級大将がいなくなった今。帝国最強の水準にあるとか聞いた事がある。前は聞き流して笑い飛ばしていたが。
今では、それが本当であり。
死神の恐怖の鎌となって、リッテンハイムを狙っているようにしか思えなかった。
ならば、他の相手を撃破して、ガイエスブルグに戻るのはどうか。
顔を上げる。
その手があった。
赤毛の死神はとにかく勝てない。
だが、他のラインハルトめの部下が、同じように強い訳でもないだろう。
だったら、勝ち目はある筈だ。
副官に告げる。
これぞ。勝機ではないか。
「皆に連絡しろ。 作戦行動を変更する」
「はい。 具体的にはどうなされるつもりですか」
「金髪の儒子めの背後を突く」
現在、ラインハルトの艦隊は占領地域を拡大しながら、ガイエスブルグ要塞に向かっている。
方向転換すれば、その一部を捕らえる事が可能な筈である。
これぞ、勝機だ。
しかも、同じように戦えるのだから、貴族達も文句をいうまい。
うきうきしながらリッテンハイムは、全軍に回頭を指示。そのまま、艦隊は混乱しながらも移動を開始。
数日して、その前に艦隊が姿を見せる。
一個艦隊程度の規模だ。
「あれは、ロイエンタール提督の艦隊ですな。 ローエングラム公の麾下では、双璧と名高いと聞いています」
「相手は一個艦隊だ。 全力で推し潰……」
「背後より敵襲です!」
え。
席から立ち上がりかけたリッテンハイムを、直撃弾だと分かる一撃が激しく揺らし、転倒させていた。
受け身も取れなかったリッテンハイムは、無様に床に顔面からぶつかり。歯数本と鼻を折っていた。
顔を血だらけにしながら立ち上がるリッテンハイムは、警報と悲鳴を聞く。
「な、何が起きた!」
「いつの間にか後方に敵艦隊が! 疾風の名で知られるミッターマイヤー提督の艦隊かと思われます!」
「前方のロイエンタール艦隊、攻撃を開始!」
「う、嘘だ……」
ミッターマイヤーとやらは、話に聞いているがただの平民だと聞いている。裕福な訳でもないという話だ。
ロイエンタールとやらは、いやしくも借金の肩代わりに放蕩者の門閥貴族の血脈から妻を娶り、門閥貴族に成り上がった父を持つ恥知らずの家系で。
もとは帝国騎士に過ぎない事を聞いている。
そんな連中が、キルヒアイスと同じように死神と化すと言うのか。
「我が軍の損耗、40パーセントを超えます!」
「艦隊運動が早すぎてついて行けません!」
「全軍が瓦解します!」
ひっと、悲鳴を上げたリッテンハイムが、また激しく揺動する戦艦オストマルクにて、すっころんでいた。
頭を抱えてふるえるリッテンハイムに、副官が歩み寄ってくる。
「相手は神速を持って知られるミッターマイヤー提督。 恐らく逃げ切る事は不可能でしょう」
「ど、どうしてだ! どうして我が艦隊が察知された!」
「当然の話にございます。 これほどの規模の艦隊が行動していて、どうして察知されずにいられましょうや」
「更なる敵艦隊!」
もう、とっくにロイエンタールとミッターマイヤーの艦隊だけで、既にリッテンハイムの艦隊を数で凌いでいる。
そこに、更に二個艦隊が出現したという。
ラインハルトの麾下の提督によるものだ。
戦い方はキルヒアイスよりも更に荒っぽく、容赦がないようにすら思えた。
「せめて名誉の自害をなされませ」
「い、いやだ! 降伏の通信を送る! だから……」
「そうですか」
副官が、銃を取りだす。
手で顔を遮るまでもなく。またしてもリッテンハイムは、頭を撃ち抜かれたのだと察していた。
また、同じ時間、同じ場所。
もはや何度目かすらも分からない。
完全に体調を崩したリッテンハイムは、もうどうにでもしてくれと叫びだしそうになったが。
乱心したと見なされたら、副官に何をされるか分からない。
此奴を殺したら即座にもう一人の死神がすっ飛んでくる。
更に言うと、兵士達はリッテンハイムよりも副官に従っているのが何となく分かってきた。
これは、もうどうしようもない。
「酒を持て」
「分かりました。 すぐに用意いたします」
「出来るだけ多くだ」
この時。
既にリッテンハイムは、完全に諦めた。
間違ったことは何一つしていないと、この時点においてもリッテンハイムは考えていた。それが、客観性というものを持たない人間の思考だ。五百年続いたゴールデンバウム朝にて培われた選民意識。歪んだ優性思想の成れの果て。
貴族だから優れているに決まっている。
貴族だから何をしてもいい。
そう根本的な思考があるから、リッテンハイムはどうしても行動を変えることが出来なかった。
ワインを飲んで泥酔する。
どうせこの艦隊は暴走する牛の群れも同じだ。
前方に崖があろうと止まることは出来ず。仮に止まっても後ろから押し出されて崖に転落する。
あらゆる全てで詰んでいる。
リッテンハイムが助かる方法などない。だったら、せめて泥酔しながら、全ての終わりを見届けるしかない。
程なくキフォイザー星域に到着する。
キルヒアイスの艦隊は待ち構えていて。戦闘が開始される。
後は、いつもと同じだ。
圧倒的な密度の火力に、リッテンハイムの艦隊は文字通り一方的に蹂躙を許すことになり。
やがて壊滅する。
泥酔したままのリッテンハイムに、キルヒアイスが通信を入れてくる。
既にオストマルクは完全に囲まれているようだった。他の味方は。血の気が多く最初に突撃した貴族達とその私兵はとっくに全滅。
提督達は降伏したようである。
通信を受けろと、副官に指示。
副官も、この時点では素直に従った。
「リッテンハイム侯。 ……酒を入れているのですか」
「ああ。 どうにもならないからな」
「おろかな。 多くの兵士達の命を背負って戦場に出てきたというのに、何という為体ですか」
「貴様に何が分かる……」
此奴は死神だ。
何も悪くないリッテンハイムの命を理不尽に刈り取りに来る地獄からの使者だ。そうリッテンハイムは、まだ考えていた。
大きな溜息をキルヒアイスがつく。
そして、告げてくる。
「降伏しなさい。 既に完全に貴方を包囲しています。 少しでも良心があるのなら、旗艦オストマルクにいる将兵の命を思って行動しなさい。 そうすれば、命だけは助かるように、私からローエングラム公に取りなしましょう」
「……」
ぐいっと酒を飲み干す。
そして、リッテンハイムは口に銃を咥えると、そのまま引き金を引いていた。
副官は、最後までそれに対して干渉しなかった。
恐らくだが、自害することは理解出来ていたのだろう。
本当に不愉快な第二の死神だ。
そしてリッテンハイムは二度ともとの時間と場所に戻らなかった。