トレーナーウマ娘がミスターシービーを無敵にした話 作:幸い辛い
皐月賞。ウマ娘たちが中山レース場の最終コーナーを駆けていく。
「おっと! ここでミスターシービー外に膨らんだ! 体勢を崩したようだが大丈夫か!」
前評判が悪く3番人気になっていたミスターシービーが、最終コーナー出口でバランスを崩しコース外側へ大きく膨らんでいく。
なにかアクシデントが起こったのだろう。残念ながら彼女はここまでだ。シービーに注目していた観客たちの誰もがそう思った。
だが違った。シービーは一瞬だけ失速したように見えたが、次の瞬間から凄まじい加速を始めた。
「いや違う! ミスターシービーがそのまま外から上がってくる! ミスターシービー! ミスターシービーだ!」
バランスを崩しただなんてとんでもない。生命力にあふれ躍動するようなその走りは、お手本としてレースの教本に乗せたくなるほどに完成されていた。
「とんでもない末脚だミスターシービー! 先を走るウマ娘たちをひとり、またひとりと抜き去って1着でゴール! 」
レース場は大歓声だった。その時、シービーの走りに誰もが魅せられていた。
始まりはミスターシービーがトレセン学園に入学してから数週間が経ったころ、気の赴くままに深夜の散歩へ繰り出していた時のことだ。
そのころシービーは周囲から寄せられる期待に辟易としていた。
自分の両親が有名なウマ娘とトレーナーであることは認める。そしてその子供である自分に大きな才能があるのも認める。
だがそれに比例して大きくなりすぎた期待がシービーにとって問題だった。
あなたには今よりもっと良い走り方がある。私ならそれを教えることができる。だから走り方を変えるべきだ。
これだけの才能があるのならば、三冠ウマ娘になるのも夢ではない。だから三冠路線で走るべきだ。
期待するだけなら勝手にすればいいと思っている。どうせそれには応えられないし、応える気もない。だがそれを押し付けられるのは我慢ならない。
シービーが求めているのは己が心のままに自由に走った結果であって、そうあれと決められて走った勝利ではない。
もちろん勝てば嬉しいし負ければ悔しい。だが、そこに至るまでの過程が悪ければレースそのものが台無しだ。
その日もそうだった。同期だけを集めた模擬レースがあったのだが、そこで2着を大きく引き離してゴールをしたシービーのもとには何人ものトレーナーがスカウトに集っていた。
そして口々に同じことを言うのだ。三冠も夢じゃない。走り方を変えればもっと勝てる。
けれどそうじゃない。シービーにとってレースの栄誉には価値がなく、自由でない走りには意味がない。
トレーナーがいなければトゥインクル・シリーズを走ることはできないのだし、本来ならどこかで妥協して契約すべきなのだろう。
でも両者が妥協しなければならないような契約をしたくなかったし、するべきではないと思っていた。頭が固いとは思うが、生まれ持っての性分は変えられない。
どうしたものかと一瞬だけ頭を悩ませたものの、まあ悩んでも仕方がないかとすぐに気持ちを切り替え、なんとなく歩きたい気分だったので深夜の散歩へ出かけた。
そして日の出が近づいてきた頃に、ふらりと入った小道の先に小さなレースコースを見つけた。あまり管理が行き届いていないようでターフはボロボロだったが、最低限走れそうではあった。
走ったら気持ちいいだろうなと考えがよぎった次の瞬間には駆けだしていた。なにも考えずに走るのは気持ちがよかった。思えばトレセン学園に入学してから、こうして思うままにターフを走ったことはなかった。
やっぱり走るのはいい。この瞬間は誰よりも自由だ。その日は結局、日が昇るまで小さな子供のころのように好きなだけ走った。
いい場所を見つけちゃったな。これから使わせてもらおっと。
遅刻確定の時間まで存分に走り、満足したシービーは弾む足取りでコースを後にしようとして、その時になって朝日に照らされた看板が目に入った。
私有地につき関係者以外立ち入り禁止。
そう書かれていた。どうやら公共の施設ではなかったらしい。
黙って退散するのも手だったが、なんとなくそれはいけないと思い、コースのそばにあった小屋に書置きを残すことにした。
勝手に走ってごめんなさい。
せめて謝意だけは伝えたいと思ったがゆえの行動だったが、後にこの一筆が功を奏した。
それきりそのコースとの縁は切れたと思っていたのだが、その日のうちにそう言っていられない状況になった。
「あちゃー、やっちゃった」
帰宅しシャワーを浴びようとしたところで、いつも耳につけている耳飾りが無いことに気がついた。どうやら散歩の間に落としたらしい。
心当たりといえば全力疾走をしたあのコースしかないが、日の出ている間に行ってあの土地の持ち主と鉢合わせるのも気まずい。
そんなわけで落とした耳飾りを探すべく、シービーは再び深夜にあのコースへと向かった。
とはいえ深夜だ。小さな耳飾りなんて早々に見つかるはずがない。そう思いシービーは徹夜を覚悟して捜索に挑んだのだが、意外なことに耳飾りは呆気なく見つかった。
耳飾りはコースのそばにあった小屋の机の上にタオルに乗せられた状態で置かれていた。
耳飾りを手に取り確認する。破損はしていないようだ。
そして安堵と同時にバツが悪くなった。ここにコレがあるということは、私有地に無断侵入して走り回った挙句、なくした耳飾りを見つけてもらったということだからだ。
「どうしよう、流石に会って謝ったほうがいいのかな……それともありがとうって感謝したほうが……?」
どうしたものかと悩んでいると、タオルの上に紙が一枚置かれていることに気がついた。
使ったら洗濯して返すこと。
紙には美しい字でそう書かれていた。
ふわふわの白いタオルが置かれていて、“使ったら”返しに来いということは、それはつまり。
「これって……もしかしてそういうこと?」
どうしてここの持ち主がシービーにとって都合のいいことを言ってくれているのかはわからないが、折角だしここは甘えておこう。
シービーは机の上にあったペンを手に取った。
耳飾りを見つけてくれてありがとうございます。タオルは綺麗にして返します。
紙の裏面にそう書くとシービーは笑みを浮かべ、そして思いっきりタオルを胸に抱きしめた。タオルからはふわりと甘い香りがした。
そして明日からはもっと走りやすい恰好で来ることを誓い、コースに向かって駆けだした。
それからシービーと“彼女”の、姿を交わさない交流が始まった。
最初は相手のことをただの管理人か何かだと思っていたのだが、小屋の中に置かれている私物を見るに、あのメモの差出人はどうやらウマ娘で、しかもシービーの同級生であるらしかった。
彼女が走るのは放課後から夜。シービーが走るのは深夜から朝。相談して決めたわけではないが、自然とそうなっていた。
それがひと月ほど続き小屋の中にシービーの私物が増え始めたころ、シービーは彼女に思い焦がれるようになっていた。
彼女はいったいどんなウマ娘なんだろう。気になる、とても気になる。
言葉どころか姿さえも知らない相手だったが、それでも毎日交流を続けていた彼女にシービーは親愛の念を抱いていた。彼女も同じ気持ちで居てくれるだろうか。
大きくなった気持ちを抑えきれず、洗濯したタオルの上に紙片を置いた。
キミと一緒に走ってみたい。
翌日、小屋を訪れるとタオルの上に新しい紙片が置かれていた。
明日、日が沈むころに。
相変わらずの美しい字でそう書かれていた。
放課後、シービーは弾むような足取りでコースへと向かった。ついに彼女とのご対面だ。
最初はなんて声をかけようか。どんな走りをする子なんだろう。一緒に走れたらきっと楽しいだろうな。
まだ見ぬ彼女に思いをはせながら、このひと月で慣れた小道を進み――そしてミスターシービーは運命と出会った。
「――きれい」
ひとりのウマ娘がコースを駆けている。それだけで心を奪われた。あまりに美しかった。
夕日に照らされ輝く金色の長髪も美しかったが、何よりも目を離せなくなったのが、その走りだ。
姿勢が、腕の振りが、地面の蹴り方が、ありとあらゆる要素が調和して生まれた機能美がそこにあった。
我慢ができなかった。気づけば走り出していた。全力で地面を蹴り飛ばし、コースを駆ける彼女を追いかけた。
もっと近くで、もっとそばで。
どうにか彼女の後ろにつけると、尚の事その美しさがわかる。流麗なフォームに走りながら見惚れてしまった。頬が熱くなり、走り始めたばかりだというのに鼓動がうるさいくらいに鳴っている。
影を踏むくらいに近づくと、一瞬だけ彼女がシービーのことを気にしたのがわかった。振り向かれたわけではなかったが、なんとなくそう感じた。
私についてこられる?
そう伝えられた気がした次の瞬間、彼女がバランスを大きく崩したように見えた。それくらいに彼女の走りは破綻した。
だが違った。彼女はそのまま一気に走法を変えた。夜のように静謐な走りから一転、日の光のように目をくらませる走りに。
彼女が加速し、シービーを引き離しにかかる。シービーも慌てて強く地面を蹴ったが、彼女の背は離れていく。距離が縮まらない。
「待って!!」
シービーは叫びながら走った。完全に離された時点で彼女が走りを終えてしまうことが、なんとなくわかってしまったからだ。
コンマ1秒でもいい。少しでも長く彼女の後ろを走っていたかった。
だがそんな願いも虚しく彼女はさらに加速していき、完全にシービーを離したところで減速し、ついに立ち止まってしまった。
「はぁ……はぁ……!」
そんなに長く走ったつもりはなかったのに、シービーの息は肩が上下するほどに切れていた。
いや、何回かコーナーを回っていたような気もするし、自覚がないだけで結構な距離を走っていたのかもしれない。どれだけ走ったのかシービーにはわからなかった。
シービーがぺたんと地面に座り込んでうつむくと、彼女はその様子を茜色の瞳で見つめ、小さく口を開いた。
「どうしたの? そんなに悲しそうな顔をして」
心に染み渡るような声だった。荒くなった呼吸と心臓の鼓動が癒されていくように思えた。
「だって……走り終わっちゃったから」
あの美しい走りが終わってしまったから。
落ち込むシービーがおかしかったのか、彼女は唇に小さく弧を描いた。
「走り終わったのなら、また走ればいいだけじゃない」
シービーはうつむけていた顔を弾かれたように上げた。
「……また、走ってくれるの?」
「当たり前でしょ。私もあなたと一緒に走りたいと思ってたの。まさかたった一回で終わらせるつもり?」
そうか、彼女はまた一緒に走ってくれるのか。あの美しい姿をまた追うことができるのか。
「これから何度だって走れるよ。あなたが望むのなら」
「……よかったぁ」
シービーの体からどっと力が抜けた。心の底から安堵した。
「隣、失礼するね」
彼女がシービーの隣に腰を下ろす。あのタオルと同じ甘い香りがした。
「会いたかったよ、ミスターシービー」
「あれ、アタシのこと知ってるんだ」
「うん、耳飾りを見つけた時にすぐわかった。だってあなた有名人なんだもん。優秀なのはもちろんだけど、それ以上に問題児だって」
「あ、あはは……」
彼女は呆れた様子でシービーにジトっとした目を向け、やがてふっと頬を緩めた。
「まぁ、私も似たようなものだから、あなたのことはどうこう言えないんだけど」
「そうなんだ」
「うん、そうなの」
それきり2人の会話は止まった。けれどその沈黙は苦ではなく、むしろ穏やかですらあった。
先に口を開いたのはシービーだった。
「アタシさ、ずっとキミに会いたかった。一緒に走ってみたいと思ってた」
「私はあなたの期待に添えた?」
「充分……ううん、それ以上だった! あんなに綺麗に走るウマ娘がいるだなんて思ってもなかった!」
「そう、ならよかった」
彼女がほっと息を吐いた。シービーの期待に応えられたことが心底嬉しいようだった。
あれだけの走りをしておいて、期待もなにもあったものか。
むしろアタシの走りはどうだったのか。キミの期待に――そうキミの、あなたの、彼女の――えーっとなんだっけ。
「そうだ、まだ聞いてないや」
「どうしたの?」
「名前だよ名前。まだキミの名前を聞いてない」
「ああ……そうだったね」
そこで彼女も自分が自己紹介をしていないことを思い出したらしい。
「ごめんなさい。こっちが知っていたから、そっちも知っているものだと勝手に思ってた」
彼女はシービーの瞳を覗くと、その名を口にした。
「私の名前はレディダスク。ダスクって呼んでね」
そして花が綻ぶように笑った。
「これがアタシとあの子の出会い。アタシがあの子に夢を見た瞬間」
「シービーにはその走りがとても綺麗に見えたんだね」
「うん、とっても綺麗だった。今でも鮮明に思い出せるくらいに」
シービーは穏やかな表情で息を吐き、ソファの背もたれに体を預けた。
「それで……キミとあの子はどうやって出会ったの?」
ねぇ教えてよ、トウカイテイオー。