トレーナーウマ娘がミスターシービーを無敵にした話   作:幸い辛い

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憧れのカケラに出会った日

 シンボリルドルフの在り方に憧れた。

 けれどもうひとり、その走りに憧れたウマ娘がいる。

 それはトゥインクル・シリーズにて無敗を誇る、天衣無縫の走りをする三冠ウマ娘。その名は――

 

 

 

「スタートから一気に飛び出したミスターシービー! 独走状態!」

 

 日本ダービーの舞台で、ミスターシービーが後続を大きく引き離して先頭を駆けている。

 ただそれだけのはずなのに、観客の誰もが声を上げることができなかった。声を上げられているのは、職務を遂行せねばと気力を振り絞る実況だけだ。

 

「美しい! 美しい走りだミスターシービー!」

 

 美しい。

 シービーの走りを表現するのに、それ以外の言葉は必要なかった。姿勢、腕の振り、地面への蹴り。その全てがウマ娘としての理想だ。

 

「最終コーナーを回って直線……おっとミスターシービー、バランスを崩したか!?」

 

 シービーの走りが崩れた。普通のウマ娘なら失速して垂れていただろう。だがシービーは違う。皐月賞でそれは証明されている。

 

「持ち直したミスターシービー! 加速を始めた! まだ先があるのか!」

 

 まさに天衣無縫の走り。

 ウマ娘の走りとしての、一種の到達点がそこにあった。

 

「まだまだ加速していくミスターシービー! 後続に目もくれず! 堂々とゴールイン!」

 

 そしてシービーがゴールしてから数秒後、爆発のような歓声がレース場に響いた。

 

 

 

「見ると脚が速くなる幽霊?」

「そう! クラスの子が話してるのを聞いたんだけどね、門限ギリギリに学園を歩いてると出るんだって!」

 

 その夜、トウカイテイオーは学園の寮で、同室のマヤノトップガンから実に胡散臭い話を聞いていた。

 

「それ門限ギリギリにウマ娘が自主練してるだけじゃないの?」

 

 マヤノがちっちっちと人差し指を振る。

 

「それだけじゃないのテイオーちゃん。その幽霊を見るとね、脚が速くなる代わりに魂を抜かれちゃうんだよ!」

「魂が?」

「そう! その幽霊に見入ったが最後、魂を抜かれて……」

「……抜かれて?」

「いつの間にか門限を過ぎちゃうの!」

 

 テイオーは話のオチにガクリと肩を落とした。

 

「それってどうせ、門限破りの言い訳でしょ?」

 

 冷めたテイオーの態度に、マヤノが頬を膨らませる。

 

「むー、テイオーちゃんってばツレないんだから」

「はいはい。わかったから寝るよ」

「わかってないー!」

 

 マヤノを適当にあしらってベッドに入る。見るだけで脚が速くなるなんて、そんな都合のいい話があるはずがない。

 もしかしたら何か噂の元になった話があるのかもしれないが、どうせ尾ひれがくっついているだけだ。

 テイオーはそう思っていた。この時はまだ。

 

 

 

 数日後のことだった。

 その日は自主練習に思ったよりも熱が入り、気づけば門限ギリギリの時間になってしまっていた。

 そのため早く寮に帰るべく学園内を急いで走っていると、練習コースで誰かが走っていることに気が付いた。

 

「もう門限なのに……」

 

 時間を忘れるほど練習に熱が入っているのだろうか。だとしたらもう門限だと教えてあげたほうがいいだろう。

 そんな親切心でコースに向かい、走るウマ娘に向かって声を張り上げようとして――できなかった。

 

「……あ」

 

 金色の髪をなびかせるそのウマ娘を見た瞬間、息が止まった。

 

「きれい……」

 

 見惚れるほどに美しい走りだった。

 テイオーは荷物を放り投げると、そのウマ娘を全力で追いかけた。もっと近くで彼女の走りを見たい、その一心だった。

 全速力で追いつき、彼女の走りを近くで感じ取る。

 今までの人生で学んできた走りはなんだったのかと問いたくなるほど、その走りは“理想”だった。

 もし彼女と同じように走れたのなら、間違いなくひとつ上のステージへと行けるという確信がある。

 

 姿勢はこう正して、腕の振りはこうで……歩幅はもう少し大きくすればいいのかな?

 

 真似をして走りを変えてみる。普段使っていない筋肉が小さく悲鳴を上げたが、自分の走りがスムーズになったのがわかった。

 ふとテイオーは数日前にマヤノから聞いた、見るだけで脚が速くなる幽霊の話を思い出す。

 噂の出所はこのウマ娘だ。間違いない。こんなお手本を見せられたら、速くなっても不思議じゃない。

 魂を抜かれると言われるのも納得だ。この芸術のような走りを見てしまっては、そうなるのも無理はない。時間を忘れて魅入ってしまうだろう。

 そう、時間を忘れて。

 そこに思い至ったところでテイオーは正気に戻った。あの話のオチは確か――テイオーはサッと表情を青ざめさせると、思わず叫んだ。当初の目的を忘れていた。

 

「門限過ぎちゃってるよ!」

 

 叫びを聞いた彼女は走る速度を少しずつ緩め、そして完全に止まったところで振り返った。

 

「あれ、もうそんな時間?」

 

 茜色の瞳をしたウマ娘だった。

 テイオーがトレセン学園に入学してしばらく経つが、見たことのないウマ娘だ。少なくとも同学年ではない。

 

「ならあなたは早く帰らないと、叱られちゃうよ」

 

 テイオーに帰るよう促す彼女には、どうやら帰る意思はなさそうだった。

 

「ボクだけじゃなくてキミも帰るんだよ」

「……私は別に帰らなくても構わないけど」

「ダメに決まってるじゃんか」

「どうして?」

 

 テイオーはため息をついた。どうにも問題児の気配がする。

 

「いいから、クールダウンして帰ろうよ。あんまり遅くなると罰だけじゃすまなくなるかもしれないし」

 

 後ろに回って背中を押すと、彼女は諦めたように両手を上に挙げた。

 

「仕方ないなー、今日は退散することにしよう」

「今日はって……いつもこんな時間まで練習してるの?」

「ううん、違うよ。いつも使っている場所が使えないから仕方なくこの時間に練習してたの」

 

 雑談をしつつクールダウンをする。さっきはどれくらい走っただろうか。あまり記憶がないが、2000mくらいは走ったような気がする。

 放り出した荷物を取りに戻り、彼女を半ば連行するようにして寮までの道をのんびり歩く。門限はもう破ってしまったのだし、ここまできたら多少は誤差だろう。

 

「ボクはトウカイテイオー。キミは?」

「……トウカイテイオー? あのシンボリルドルフの秘蔵っ子の?」

「ボクってそんな呼ばれ方してるんだ」

「学内だとそれなりに有名だよ。特別に目をかけてるって」

 

 そして彼女は首を少しだけ傾けた。なにやら思案しているようだった。

 

「そうだなぁ……名乗ってもいいけど……」

 

 彼女は口元で人差し指を立てた。

 

「やっぱり秘密」

「えー……」

 

 テイオーが口を尖らせると、彼女がくすりと笑う。

 

「いつもなら教えてあげるけど……シンボリルドルフに近いとなると話は別かな」

「どうして?」

「私がここで練習してたことが生徒会にバレると面倒なの。だから秘密」

「……もしかして結構な問題児だったりする?」

「そんなことないよ。昔は問題児だったけど、今は大人しいもんだから」

「大人しかったらこんなに堂々と門限は破らないと思うけど」

「ふふ」

「そこは笑うところじゃないと思うな」

 

 そうこう言っている間に、寮の近くにつく。これから寮長のお叱りが待っていると思うと、足が重たくなる。

 

「それでキミはどっちの寮なの? ボクは栗東だけど」

「どっちでもないよ」

 

 彼女はそう言って、寮とは見当違いの方向へと歩みを向けた。

 

「ちょっとどこ行くのさ!」

「私、寮生じゃないの。自宅からの通いなんだ」

「えぇ!?」

 

 はしごを外された気分だった。叱られ仲間だと思って仲間意識を抱いていたのに。

 

「寮生じゃないから余裕だったんだ……! 寮長から叱られないから……!」

「そうじゃないけど……そんなに恨みがましく見られても困るなー」

 

 彼女はテイオーから数歩離れると、ヒラヒラと手を振った。

 

「それじゃさよなら、トウカイテイオー。また会うかはわからないけど」

「あ……」

 

 彼女が踵を返す。このまま別れれば彼女との縁が完全に切れる。なぜだかわからないがテイオーにはその予感があった。

 

「待って!」

「……どうしたの?」

 

 思いのほか大きくなったテイオーの声に、振り向いた彼女は目を丸くしている。

 

「どうやったらキミにまた会える?」

 

 この縁をどうしても手放したくないと思ってしまった。

 

「ボク、またキミと走りたい」

「……どうして?」

「走るキミが綺麗だったから。キミみたいに走ってみたいと思ったから」

 

 身勝手な理由だと思う。自分の走りを高めるためだけに、一緒に走ってほしいと頼むだなんて。

 けれどこの気持ちを抑えることができなかった。どうしようもなくあの走りに憧れてしまった。

 彼女が目をつむって考え込む。それがテイオーにはとても長い時間のように感じた。

 そして彼女は茜色の瞳を開くと、口元を少しだけ緩めた。

 

「私のことを秘密にできるなら、いいよ」

「秘密に?」

「さっきも言ったけど、あそこで練習してたのがバレると色々と面倒でさ。だから私がココにいること自体が内緒なんだよね」

 

 秘密ということは、尊敬するシンボリルドルフにさえ告げられないということだ。この明らかに学園のルールを意に介していないウマ娘のことを、はたして秘密にしていいものなのか。

 少しだけ悩んだ末、テイオーの心の天秤はウマ娘としての本能に傾いた。

 

「わかった、秘密にする!」

「よし、じゃあ私がここで練習してる間……あと3週間くらいだけど、一緒に走ろっか」

 

 たった3週間。けれどテイオーにとっては望外の時間だった。

 

「やった! それじゃあまた明日!」

「うん、また明日……明日?」

「あそこで待ってるから来てよね!」

「……連日走るつもりはなかったけど……まあいいか」

 

 そうして手を振って彼女と別れたテイオーは、門限のことなどすっかり忘れて上機嫌に栗東寮の玄関をくぐり、そこで待ち構えていた寮長のフジキセキからこっぴどく叱られることになった。

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