トレーナーウマ娘がミスターシービーを無敵にした話 作:幸い辛い
菊花賞、最終コーナー。
「三冠に王手をかけたミスターシービー! しかし囲まれている! はたして抜け出せるのか!」
ミスターシービーはバ群に囲まれ身動きが取れないでいた。このままでは先頭から離され、そのまま沈みかねない。
シービーの無敗神話もさすがにここまでなのか。それともここから逆転の目があるのか。観客たちが固唾を呑む中、それは起こった。
「ウマ娘たちが最終コーナーから直線へ! おっとここで何かあったのか! バ群が外へ膨らんだ!」
シービーを囲んでいたウマ娘たちの走りが急に乱れ、失速していく。
失速していくウマ娘たちは何が起こったのかわからない様子で、苦悶の表情を浮かべていた。
そして空いた内側を貫くように、シービーが凄まじい末脚でスパートをかけた。
「きた! きたぞミスターシービー! 内からミスターシービーだ!」
シービーが最終直線を駆けていく。最早誰も追いつけない、その先まで。
レディダスクにとってそれは夢のような時間だった。
いつもの放課後、いつものコースで、ミスターシービーが脇目も振らず自分だけを追いかけてくる。
彼女ほどのウマ娘と一緒に走れている。自分の走りがまだ通用する。それだけで喜びを感じてしまう。
そのままコースを周回してゴール地点に到達すると、後ろを走っていたシービーが体をターフに投げ出した。
「やっぱりダスクは速いなぁ……追いつけないや」
「そんなことないよ。あなたは最初に走ったころより、ずっと速くなってる」
最初は一方的に離していくだけだった2人の距離は、今や1バ身ほどにまで縮まっていた。
いや縮まっているどころか、それ以上に――
「そうなの? あんまり実感ないなぁ」
ダスクは呆れた様子で、寝転がるシービーを見下ろした。
「……授業でもタイムくらい計るでしょ?」
「最近は流して走ることが多くてさ……学園で走るの、あんまり気持ちよくないし……ここで走れるしいいかなって」
シービーはバツが悪そうに目をそらした。どうやら周囲の声に嫌気がさして、自分の実力を誤魔化すようになり始めたらしい。
「どのみち応える気はないんだけど……やっぱり完全に無視もできないじゃない?」
「……うーん、人付き合いって大変だなぁ」
トレセン学園のコミュニティを完全に逸脱し、授業などは完全にサボっているダスクにはわからない話だった。
ダスクは表情を曇らせるシービーの隣に腰を下ろすと、あっけらかんと言った。
「そんな雑音、振り切っちゃいなよ」
「えー?」
それができれば苦労しないというシービーの声に、ダスクは小さく首を横に振った。シービーのやり方は甘っちょろいのだ。
「これが私の走りだって、これがミスターシービーなんだって、見せつけてやればいい。それで黙らせるの。あなたならできるでしょ?」
ダスクの暴論にシービーは目を丸くした。
「あはは、そんなこと考えたことなかった」
彼女の良さは自由にターフを駆けているその姿にあるというのに、それがわからないなんてトレーナー連中はずいぶん見る目がないのだなとダスクは思う。
シービーはミスターシービーらしく走っている瞬間が一番輝く。そんなことは簡単にわかるはずなのに。
そんなことをダスクが考えていると、シービーが芝の上をゴロゴロと転がりながら言った。
「あーあ、ダスクがアタシのトレーナーだったらなあ」
「私がトレーナー?」
「うん、だったらきっと楽しいんだろうなって」
トレーナー。トレーナーか。
もしも自分がシービーのトレーナーだったのなら――
シービーがダスクと出会い、夏が過ぎたころ。
いつものコースを走るシービーをダスクが呼び止めた。微かな笑みを浮かべた、いつもと同じ調子だった。
「ねえシービー、勝負しようよ」
「勝負って……一緒に走るんじゃなくて?」
「うん、併走じゃなくて……本気の勝負がしたい」
シービーは思い返した。そういえばダスクと真剣に勝負したことは今までなかった。
後ろについて走っているだけで満足していたこともあり、勝負をするということ自体に意識が向いていなかった。
「別にいいけど……どうしたの急に」
「うーん……少し思うところがあって」
「よくわからないけどいいよ。いつやる?」
「それじゃ来週の日曜日に」
「ずいぶん間を空けるんだね?」
「万全な状態でやりたいから。シービーもそのつもりで来てよ」
「わかった。じゃあ来週ね」
ダスクとの勝負、きっと楽しいだろうな。本気になったらどれほど速いのだろう。
そんな期待で胸を膨らませたシービーには気づけなかった。その時のダスクから笑みが剥がれ、思いつめた表情をしていたことに。
翌週、夕暮れ時にその戦いは始まった。
「シービー、準備はいい?」
「うん、いいよ」
「それじゃあ、投げたコインが地面に落ちたらスタートで」
ダスクが投げたコインが夕日に照らされながら宙を舞い、そして地面に落ちる。次の瞬間、ダスクがするりと前に出た。
スタートが速かったわけではない。一歩目から最高速に近いところまで一気に速度を上げただけだ。
前までのシービーならここで1バ身は離されていた。だが成長した今ならば一歩ほどの距離ですむ。
先を走るのはダスク。その後を追うのがシービー。
いつもの併走と同じ流れだが、今回はその速度が違う。どちらも“本気”だ。
シービーは内心で歓喜に震えていた。これほど心が躍る走りをしたのは初めてかもしれない。
誰よりも美しく、そして速い。そんなダスクを追いかけるだけでも楽しいのに、追い越して先にゴールしたとなればどれだけの快感を味わえるのだろうか。
いっそう脚に力が入り――そうになったところを抑える。力とはただ込めればいいわけではなく、適切な形で使わなければ充分な加速にならないことをシービーはここ数か月で学んだ。
まずはフォームを意識して、それに合わせて必要な力を必要なだけ注ぎ込む。
ダスクが言うには、体に合わせてフォームを変えるのは当たり前だが、理想とするフォームに合わせて体を鍛えることも同じくらいに大切なのだそうだ。
それを踏まえてダスクは美しかった。走りには個性が出るが、ダスクのフォームは個性があまり出ず、誰もが美しいと感じる理想的な走りだ。いや、むしろそれこそがダスクの個性なのかもしれない。
そしてそんな理想を毎日のように後ろから追っていたシービーの走りも急速に進化していった。その成長は数か月前の走りが児戯に思えるほどだ。
最終コーナーを回って直線。同じタイミングで同じスパートをかける。
走行中にフォームを変えるため、はたから見ると一瞬だけバランスが崩れたように見えるスパート。ダスクのとっておき。
前はこのまま離されて終わっていた。けれど今は違う。同じ翼を手に入れた今なら離されないし、むしろ追い抜くことだってできる。
「「はああああああ!!」」
二人して叫びながら直線を駆ける。
加速して、加速して、加速して。
最後の一瞬、より速かったのはシービーだった。
「やった……! 勝った……!」
立っているのすら億劫でターフに倒れこむ。ダスクも隣で同じように倒れこんでいた。
「やっぱり速くなったね、シービー」
そう言って息を荒くするダスクからは悔しさといった感情は一切感じられず、むしろ不思議なほど晴れ晴れとした表情をしていた。
「今回はアタシの勝ちだね」
「うん、あなたの勝ちだよ……ありがとうシービー、私と勝負してくれて」
「そんなお礼を言われることじゃないよ。ダスクと勝負するの、楽しかったし」
黙って茜色の空を見上げる。
心地のいい沈黙を破ったのは、ゆっくりと身を起こしたダスクだった。
「ねえ、シービー」
「んー?」
「私ね、学園を辞める」
「……え?」
思考がまっさらになった。勝利の喜びも達成感も、全てが吹き飛んだ。
学園をやめる? ダスクが?
跳ね起きてダスクに視線を向ける。
何かの冗談ではないのかと思いたかったが、シービーはあまりに真剣なダスクの表情を見て、疑問の声を一言絞り出すだけで精一杯だった。
「どういうこと?」
「トゥインクル・シリーズを走らないってこと。ううん、正確には走れないって言ったほうが正しいかな」
「……どうして? 怪我じゃないだろうし、家庭の事情?」
「そういうのじゃなくて……」
ずっと一緒に走れると思っていた。同じレースに出られたらきっと楽しいだろうと夢見ていた。
けれどダスクは、それはできないのだと寂しそうに膝を抱く。
「今日の私の走り、どうだった?」
「どうって、いつもどおりに速かったけど」
「前の、あなたと会ったころの私と比べたら、どう?」
「前と比べたらそれは……それは」
言われて気がついた。おかしい。
確かにシービーは速くなった。だが一緒に走ってきたダスクもまた速くなっていなければおかしいのだ。
併走の時は流しているのだと思っていた。けれど今回の、シービーが追い抜いてしまった走りがダスクの本気なのだとしたら。
「変わってない……そうでしょ?」
「そんな、でも……」
ダスクは沈む夕日に目を細めながら静かに語り始めた。
「小学校の高学年になったくらいかな、本格化がきちゃって。身体能力がピークを迎えたのが6年生になったころで、トレセン学園に入学したころには衰え始めてた」
「え……じゃあ……」
「あなたと会ったあの頃が、私が本気で走れる最後の時間だった」
あの日出会ったあの瞬間。思わず追いかけていたあの走り。あれは燃え尽きる前の光だったのだとシービーは悟った。
「私がトレセン学園に入学したのは、最新鋭の設備が揃ってる学園の環境なら自分の体をなんとかできるかもしれないと思ったから」
だがダスクはその学園を去ろうとしている。それが結論だ。
「でもやっぱりダメだった。私の走りは衰えていくばかりで……調べれば調べるほど、鍛えれば鍛えるほど、もう限界なんだってことがわかった。今日勝負してもらったのはね、あなたに負ければ諦めがつくと思ったからなんだ。ごめんね、こんなことに付き合わせて」
心から絞り出したような、今まで聞いたことのない声色だった。
「あの日、あなたが耳飾りを落としたあの日ね、チャンスだと思った。燃え尽きていく私の走りを、ほんのカケラでもあなたに残せたなら……あなたを通して私の夢を少しでもレースに蹄跡として残せるんじゃないかって。だからあなたを誘って、走りを見せつけたの」
「……ダスクの夢って?」
「トゥインクル・シリーズの舞台で、自分の走りがどこまでやれるのか……それが知りたかった」
それきり会話が途切れた。今まで感じたことのない嫌な沈黙だった。
あの走りなら、トゥインクル・シリーズを席巻することもできただろう。それこそ三冠にすら手が届いたかもしれない。
けれどダスクにはその走りを引き出すための力がない。磨いてきた技が無に帰す悲嘆は、シービーには推し量れなかった。
口火を切ったのはシービーだった。
「これからどうするの?」
「とりあえず地元に帰って、その後のことは考えてないかな」
「……もう会えないってこと?」
「会えないってことはないけど……ああ、でも……一緒に走れるのは最後かも」
「走るの、やめるの?」
「やめないけど、趣味程度にするつもり」
力なく笑うダスクの茜色の瞳には夕日に照らされて光る雫があった。
シービーの胸の中で今までにない感情が渦を巻いていた。ダスクが居なくなることが嫌だし、一緒に走れなくなるのも嫌だ。そしてその走りがこのまま失われてしまうのが嫌だ。
せっかく見つけた親友を、場所を、走りを。“自由”を構成する要素が失われることがたまらなく悲しかった。
気づけばシービーの口は勝手に動いていた。
「さっきさ、アタシに走りのカケラを残せたらって言ったよね。それがカケラじゃなくなったら、どう?」
「……どうって……」
「アタシがキミの走りを受け継いで、その蹄跡をターフに刻みつけられたら?」
「それは……」
ダスクは驚いた様子で目を見開いた。ここしかないと、シービーはさらに言葉を続けた。
「だから、ちょうだい」
「え?」
「キミの蹄跡、残してくるよ。だからキミの夢、アタシにちょうだい」
そうすればきっと何も失わずにすむと、この時は思っていた。
「シービーが私の夢を?」
「うん」
「……あなた、夢とか期待とか、そういうのを背負うのは嫌なんじゃなかった?」
「嫌というか、応えられないというか、応えるつもりがないというか……」
「ダメじゃん……」
「あ、あはは……えーっと、なんて言ったらいいかな……」
シービーは自由に走りたい。だから他人のこうあれと望んだ夢には応えられないし、応えるつもりもない。
けれどダスクの夢はシービーの自由と競合しない。むしろシービーを自由という大空へ羽ばたかせる力になるだろう。
それに――親友が見る夢が、シービーが自由に走ることと重なって一緒に叶うのなら、きっとそれは素晴らしいことなのではないか。
「キミはアタシに夢を見てよ。そうすればきっと叶うから」
シービーが考えた末にそう言葉を選ぶと、ダスクの表情に笑みが戻った。
「とっても素敵だね、それ」
「じゃあOKってこと?」
「……うん、私が持ってる全部、あなたに教えてあげる。その代わり、私の夢が錘になっても知らないから」
「重さなんて感じるわけないよ。だってアタシがキミから貰うのは翼なんだから」
この時の選択が正しかったのか、今でもわからないとダスクは言う。
けれどシービーはこれで良かったのだと、正しかったのだと、当時のことを振り返るたびに思うのだ。
「あ、でも……」
「どうしたのシービー?」
「いや、トレーナーはどうしようかなって」
「……来年まで待って。そうしたら、あなたが好きに走れるようにしてみせる」
「なにか思いついたんだ?」
「うん――」
プロローグが終わらない……。