トレーナーウマ娘がミスターシービーを無敵にした話 作:幸い辛い
「頼むシービー! あたしとレースしてくれ!」
カツラギエースは友人であるミスターシービーに深々と頭を下げた。
「今のあたしじゃあんたに敵わないのはわかってる! それでも、あたしはあんたとレースがしたい!」
シービーが菊花賞を最後にレースに出なくなった。
レース復帰を望む周囲の声はのらりくらりと躱していたが、本当の理由をエースは知っていた。レースに出走した他のウマ娘たちがシービーの走りについていけなくなったからだ。
いや、正確にはついていく気がなくなったという言い方が正しい。皐月賞、ダービーを経て、他のウマ娘たちはシービーには最初から勝てるわけがないと諦めてしまっている。心が折れてしまったのだ。
競い合う相手がいない。だからシービーはもう、レースが前ほど楽しめないのだろう。
エースにはそれがわかっていた。そしてこのままではいけないと、そう思ってもいる。
相手が速い? 強い? 無敵? そんなものは戦わない理由にはならない。ここで手を伸ばさなければ、“エース”ではない。
それに――このまま1人で走らせてしまったら、シービーの心は絶対に手の届かない場所まで行ってしまう。それを友人として見過ごすわけにはいかない。
シービーは目を丸くした。
「エースはアタシとレースしてくれるんだ」
「そうだ。あんたと“レース”がしたい」
「敵わないのに?」
「ああ、“今は”な」
シービーはどこか遠くを見るように目を細め、少し間を置いて頷いた。
「いいよ、どこでやる?」
「……秋の天皇賞。そこで勝負してくれ」
「わかった。楽しみにしてる」
約束は取り付けた。だが喜ぶにはまだ早かった。
今のエースの実力では、とてもではないがシービーには勝てない。レースに引っ張り出しました、でも負けましたじゃ話にならないのだ。勝つために強力な逆転の札を手に入れる必要がある。
そしてエースにはそのためにずっと考えていた秘策があった。
「よし、それじゃシービー、手始めに紹介してくれよ」
「……誰を?」
「決まってんだろ、あんたのトレーナーさんをさ」
「それで連れてきたんだ」
「ごめんダスク……だめだった?」
「いや、シービーがいいならそれでいいよ」
放課後、エースはシービーに連れられて、学園外のとあるコースを訪れていた。
一見すると寂れた場所に見えたが、よく見れば丁寧に整備がされている。大切に使っているのだろう。
シービーは普段からここで練習をしているそうだ。シービーが学園内で練習をしない理由がわかった。
コースで先に待っていたシービーのトレーナー――レディダスクが、頭痛を堪えた様子でこめかみを指先で揉んだ。
「それで私に指導してほしい、と」
「ああ、今のあたしじゃどう足掻いてもシービーには勝てねえ。だから勝つための手札が少しでもいいから欲しい」
「……考えはわかるけど、それにしたってこう、なんかあるでしょ。わざわざ対戦相手のほうに来なくても……」
「いや、他に方法なんてない。あたしはそう確信してる」
シービーはこちらが地を走っている間に空の彼方まで駆けていく。だから勝つためには走る速度を上げるだけでは足りない。こちらも空を駆けるための翼を手に入れなければならない。
「今のトレーナーはなんて言ってるの?」
「なにも言われてないぜ。名前だけ借りてるようなもんだからな」
「あなたほどのウマ娘が?」
「田舎出身だから舐められてたんだよ。同年代には他に優秀な奴らもいたし。まあ……ここ最近はだいぶ見る目も変わってきたけどさ」
「シービーの時から思ってたけど、中央のトレーナーの見る目はどうなってるの……?」
ダスクは呆れてモノが言えないとばかりに天を仰いだ。どうやら彼女のエースへの評価は高いようだ。少しむずがゆい気持ちになる。
腕を組んだダスクは、しばらく考え込みため息を吐いた。
「あのね、カツラギエース。こんな言い方をしたくないけど、あなたが今から練習してもシービーに追いつくのは難しいよ」
「わかってるさ。でも少しでも進まなきゃ絶対に届かねえ。そうだろ?」
「……なるほど、あなたはそう言える人なんだ」
ダスクはその言葉が琴線に触れたようで、顎に指を当てて考え始めた。
「……いいよ。私の走り、あなたに教えてあげる」
「ホントか!?」
「うん、シービー以外の子に教えてみたいと思ってたしね」
あとで知った話だが、シービーとダスクでは脚質が違うらしい。
だから脚質が比較的似ているエースを育ててみたくなったのだと聞いた。もちろんそれが理由の全てではなかったのだが。
「それじゃウチにおいで。明日からでもトレーニングをはじめるよ、時間がないからね」
「ああ! これからよろしく頼むよ、トレーナーさん!」
「……うん、よろしくエース」
カツラギエースの戦いが始まった。
そうしてシービーたちのコースに、エースが新しく加わることになった。
練習は併走に始まり併走に終わった。というのも、ダスクは併走の天才だったからだ。その後ろを走っているだけで自らのフォームが改善されていくのがわかるほどに。
思えばダービーの時のシービーらしくない走りは、ダスクのものだったのだろう。どんな意図があったのかはわからないが、おそらく教わった走りを自分の中で昇華させるのではなく、あえてそのままターフに叩きつけたのではないだろうか。
「なるほど、どうりでシービーのフォームが綺麗なはずだぜ。こんなのを常日頃から見てたんじゃ、ああなるのも頷ける話だ」
「エースもそう思う? まるで芸術品を見てるみたいだよね」
ダスクの話題になると、シービーは本当に嬉しそうだ。心からの親愛と信頼を向けているようだった。
「一緒にトゥインクル・シリーズを走れなかったのが惜しいな……」
「エースもそう思ってくれるんだ、ダスクと一緒に走りたかったって」
「そりゃ……あんなの見せられたら競い合ってみたくなるもんだろ?」
「あははっ」
シービーが声をあげて笑った。
「やっぱりエースはいいね」
「なにがだよ」
「いろいろ、かな」
季節が過ぎるのは早いもので、あっという間に秋の天皇賞はやってきた。
エースは深呼吸をしながら集中を高める。
あのダービーで見せた大逃げは速かったが、シービーが一番強いのは追込みだ。だから本気のシービーは必ず追込みでくる。
それに対抗するためにダスクから叩き込まれたのは、逃げだ。横並びで末脚の勝負になっては競り合うことすらできずに負ける。これはエースとダスクの共通認識だった。
だから逃げて最終直線までにリードを作る。エースがシービーに勝つためにはこの方法しかない。
誘導されゲートに入り、スタートを待つ。
スタートが肝心だ。バ群に飲まれたら終わりだと思え。飛び出して一歩でも前へ行くんだ。
ぐっと身を低くする。そしてゲートが開き、秋の天皇賞がスタートした。
スタートは上々!
上手く飛び出せた。そのまま加速し、後続から3バ身ほど先行したところで距離をキープする。
この動きを見れば、後続のウマ娘たちはエースをペースメーカーとみるだろう。そしてエースの狙いはそれだ。
エースは走行フォームはそのままにして、速度だけを落とした。最前からバ群をコントロールし、レースをスローペースにするためだ。
ひとつ後ろは先行が得意なウマ娘だ。あいつが引っかかってくれりゃ、他の連中もペースを落とすはず。
目論見通り、後ろのウマ娘たちのペースが遅くなっていく。
このままゆっくりとレースを進めて最終直線まで脚を温存する。そして逃げで得たリードを使い潰しながらスパートする。
この作戦ではシービーも脚が残るが、それは考えるだけ無駄だ。レースの展開がどう転んでも、天を駆けるような末脚をくりだすだけのスタミナがシービーにはあるからだ。
何をしても同じように飛んでくるのなら、少しでも自分が有利な状態で迎え撃つ。それがエースの選択だった。幸い巡航速度に限って言えばこちらに僅かばかりの分がある。
そしてレースが進み後半に到達。幸いなことに序盤と中盤でリードは稼げている。
ここまでは想定どおり……でも本番はこっからだ。
コーナーを抜けて、最終直線。ゴールまでのスパート。
エースは走法をダスクの末脚に切り替える。切り替えるためのステップで一瞬だけ体勢が崩れるが、そこから一歩踏み出せば体がぐんと加速した。
加速して、加速して。それに比例するように今まで温存していた体力がゴッソリと削れていく。
やっぱきついなこの走り方……! 全身が軋んでるみてえだ……!
負荷が全身に圧しかかる。これを涼しい顔でこなすシービーは途方もない練習を重ねたのだと改めて実感する。
こっからは気合だ! なにがなんでも最後までもたせる!
後ろからシービーのプレッシャーを感じる。フォームが崩れるため振り返りはしないが、迫ってきているというのは感覚的にわかる。
おそらく4バ身後ろ――いや、たった今3バ身になった。捕まったら終わりだ。だがシービーは一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
わかっていたことだ。基礎スペックで負けていることは。
でも! それが! 諦める理由にはならねえ! 前だ、前だけを見て走れ!
もう後ろは気にしない。姿勢、腕の振り、地面の蹴り方。走りに繋がる全ての動きを最適化すると、さらなる負荷と引き換えに体が加速したのがわかる。
後ろから猛追してくるライバルに勝てるならなんだっていい。今も悲鳴をあげるこの体が砕けたっていい。
だが――現実は非情だ。
速度が、上がらない……!
ダスクから受け取った走りは、間違いなくカツラギエースというウマ娘の理論値を叩き出している。
だからこそ、今が限界なのだと。これ以上自分の速度が上がらないのだということがわかってしまった。
進め! 進め! 進め! もっと動けよあたしの脚……!
「ああぁぁぁあああああ!!」
叫びながら駆ける。だが今の速度を維持するのが精いっぱいだ。
そしてついに背後から迫った影が隣に並ぶ。前だけを向いているはずなのにシービーの姿が視界に入る。
ありがとう、エース。
声には出ていなかったし、一瞥もされなかった。だがそう言われた気がした。
「シィィィビィィィ!!」
エースはゴール板を踏んだ。シービーから遅れること1バ身だった。
ゴール板を通過したエースは、疲労のあまりターフに体を仰向けに投げ出すと、心配した様子でこちらに駆け寄るシービーに見られないように手首で目元を隠した。
「エース、大丈夫?」
「はぁ……はぁ……大丈夫、だ」
エースは喋るのが億劫なほどに息が乱れているのに、シービーからはそんな様子は感じられなかった。もう呼吸が整っている。
「ごめんな、シービー……」
「どうしてエースが謝るの?」
「あんたに、届かなかった……!」
シービーとの差は1バ身。傍から見れば激闘だったかもしれない。だがエースにとってこの着差は絶望的な距離だった。
最終直線、シービーは本気でエースを差しにかかったが、全力ではなかった。シービーが全力ならあと1段階――いや、2段階は速かっただろう。着差は1バ身じゃすまなかったはずだ。
あまりに不甲斐ない結果だった。勝負にならなかった。
シービーが隣に座ったのが気配でわかった。
「ねえエース。アタシとレースをしてくれて、ありがとう。すっごく嬉しかった」
「でも、あたしじゃ全力で勝負できなかっただろ」
「……そうだね。確かに全力じゃなかった」
だけど、とシービーは言った。
「勝ちたいって……誰かを追い抜いて先頭に行きたいって思えた。それはエースじゃなきゃできなかった」
顔を覆っていた手首をどける。隣にいたシービーは澄み切った空のような、吹っ切れた表情をしていた。
「楽しかったよ、エース」
「……シービー」
それを見てエースは悟った。足りなかったのだと。
レースは終わってしまった。切り札をもってしても、天を駆ける自由には届かなかった。
「カツラギエースが逃げる! 美しく逃げる! 他のウマ娘たちも仕掛け始めるが、遥か後方! 間に合わない! これはもう間に合わない!」
ああ、願わくば。
「後ろを大きく引き離して、カツラギエースが華麗にゴール! 日本のウマ娘がついにジャパンカップを制しました!」
もう一度、あたしと――。
エース「勝負にならなかった」
カイチョー「勝負できなかった」
アンチヘイトに引っかかりそうなのはこれで出尽くしたと思います。後から生えてきたらごめんなさい。
書いてたら勝手に展開が変わる現象に遭遇してる方が思ったより多いのを感想で知ってビックリしました。
話のペースから察している方もいらっしゃると思いますが、あまり長くはならない予定です。
ここからは1~2週間に1話くらいのペースで書けたらいいな……。