夜の帳が下りた港湾地区。
ずっしりとした空気が漂う。
煌びやかなネオンサインとは裏腹に、ひっそりと佇む黒塗りの高級車。
ピカピカと反射する色。
その車から降り立ったのは、漆黒のスーツに身を包んだ男、ローだった。
その途端、ピリリとした重苦しいものが走る。
鋭い眼光、鍛え上げられた肉体。
一目でただ者ではないとわかるその風格は、この街の裏社会を牛耳るボスのそれだった。
周りも緊張に息を呑む。
片や、一方。
物騒な世界とはかけ離れた、明るく朗らかな女性のミホロは、最近どうにも落ち着かない日々を送っていた。
「まさか、本当にあの世界だったなんて!」
彼女の心の中は、驚きと興奮でいっぱいだった。
驚いて飛び上がった瞬間である。
(しかも、経費として雇ってもらえた)
数週間前、ひょんなことからこの組織の経理として採用されたのだが、その本拠地で、見覚えのある紋章。
これだ。
(もぐりこめたっ)
聞き覚えのある名前を耳にするにつれ、確信に近い思いが募っていったのだ。
(だって、あの特徴的なタトゥー!冷酷そうな眼差しなのに、たまに見せる優しさは、まさに私が夢中になったアプリゲームのトラファルガー・ローそのもの!)
この世界に気づいたきっかけは、組織内での何気ない会話だった。
「今回の取引は、ハートの海賊団の連中が」
その瞬間、彼女の心臓は跳ね上がった。
(その名前って)
ハートの海賊団。
彼女が寝食を忘れてプレイした航海シミュレーションゲーム、『グランド・フロンティア』に登場する、カリスマ的な船長トラファルガー・ロー率いる海賊団の名前だったのだ。
(まさか、ローが本当に実在するなんて!しかも、裏社会のボスだなんて、ゲームの設定とは全然違うけど、それでも!)
彼女が経理の仕事に応募したのは、ただの偶然ではなかった。
(絶対に近くでみたいんだよねえ)
ゲームの中で、一番好きだったキャラクター、トラファルガー・ロー。
(それが、近くで見られるとなれば募集を見た途端、入るよね?)
彼のそばにいたい、少しでも彼のことを知りたいという、隠しきれない想いが彼女を突き動かしたのだ。
(近くで見られる〜)
ガッツあるのみ。
もちろん、そんな突飛な理由を知る由もない周囲の人間は、彼女の明るさと数字に対する几帳面さを評価して採用を決めたのだが。
(経理に強くてよかったよかった)
そんなことは関係ない。
経理の仕事は、想像以上にハードだった。
「よ、予想よりキツい」
複雑な資金の流れ、怪しげな取引の数々。
「ミホロ!これ、どう?」
それでも、ミホロは持ち前の明るさと、ゲームで培った(?)洞察力で、なんとか日々を乗り切っていた。
「ミホロ」
「は、はい」
時折、書類の確認でローの執務室に呼ばれると、緊張しながらも、その端正な横顔に見惚れてしまう。
(近くで見ると、やっぱりかっこいい。ゲームの中のドット絵とは全然違う、生きた迫力がある!)
ローは、そんなミホロの存在をどう思っているのだろうか?
「認識されたいけど、されなくていいや」
真面目に仕事に取り組む彼女を、ただの有能な経理担当として認識しているだけ、かもしれない。
「くっ、でも、推しを近くで見たい欲が」
それでも、ほんの些細なことで、ミホロは胸をときめかせていた。
「うー、かっこいい!」
例えば、書類の不備を指摘された時。
「次は気をつけろ」
という低い声の中に、ほんの少しの労りの色が感じられたような気がしたのだ。
(気のせいかな?でも、もしかしたら。少しは私のこと、意識してくれてるのかも!)
今日もまた、ミホロは事務所で数字と格闘している。
パチパチ。
電卓を叩く音だけが響く静かな空間で、彼女は密かに決意を新たにする。
「いつか、ローさんの役に立てるように、もっともっと頑張ろう。そして、できれば。少しでも近づきたいな」
裏社会という危険な世界に身を置きながらも。
ミホロの心は、好きなキャラクターを追いかける一途な想いと、この奇妙な状況を楽しむ好奇心で、明るく輝いているのだった。
彼女の存在が、ローの冷たい心にどんな変化をもたらすのか、それはまだ誰にもわからない。
しかし、少なくとも今のところ、この予想外の展開を、ミホロは心底楽しんでいるのだ。
裏社会のボス、ロー。
普段は冷徹な彼の隣で、ミホロは信じられない光景を目の当たりにしていた。
「ほら、ローさん!あともう少しで、あのペンギンのぬいぐるみ、取れそうですよ!」
目を輝かせる女に、ローは小さく息をつきながらも、クレーンゲームのレバーを握っていた。普段の威圧感はどこへやら、集中した横顔は意外なほど真剣だ。
(まさか、ローさんとクレーンゲームをする日が来るなんて。ゲームの世界じゃ考えられなかった!)
数度のトライの後、ぎこちない操作ながらも、ペンギンのぬいぐるみは見事アームに掴まれ、ミホロの歓声が上がった。
「やったー!ありがとうございます、ローさん!」
満面の笑みでぬいぐるみを受け取る女に、ローは一瞬、戸惑ったような表情を見せたものの、すぐにいつもの冷静さを取り戻した。
「別に、お前が欲しがっていたからだ」
クレーンゲームの熱気が冷めやらぬまま、二人は近くの喫茶店に移動した。
ミホロがメニューを眺めながら「わあ、美味しそう!やっぱりここは特大パフェですよね!」と目を輝かせると。
ローは特に反対することもなく「好きにしろ」とだけ言った。
運ばれてきたのは、想像をはるかに超えるボリュームのチョコレートパフェ。
生クリームやフルーツが山のように盛られ、ミホロは目を丸くしている。
「すごい!ローさんも一緒に食べませんか?」
ミホロがそう言うと、ローは少し考えてから、「少しだけなら、付き合ってやる」と答えた。
スプーンを手に取り、二人でパフェを堪能する。
甘いチョコレートの味、冷たいアイスクリームの感触。
普段はピリピリとした緊張感が漂う二人の間に、ほんのりと甘く、穏やかな時間が流れていた。
時折見せる、ローの意外な一面に、ますます惹かれていくのを感じていた。
(クレーンゲームも、パフェを食べるのも、全部夢みたい。この世界に来て、本当に良かった!)
パフェを食べ終え、店を出ると、夜の帳がすっかり下りていた。
帰り道、ミホロは今日あった出来事を思い出し、頬を赤らめている。隣を歩くローは、相変わらず多くを語らないが、その表情は、心なしか柔らかいように見えた。
ローの執務室には、いつも張り詰めた空気が漂っている。
今日もまた、難しい顔で書類に目を通すローの姿があった。
そんな彼の様子を心配そうに見つめていたミホロは、そっと一冊の写真集を彼のデスクに置いた。
「ローさん、少し疲れていませんか?よかったら、これを見てください」
差し出したのは、『世界のもふもふ動物たち』というタイトルの、可愛らしい動物たちの写真集だった。
表紙には、丸くてふわふわした子猫が、無邪気にこちらを見つめている。
ローは、ミホロが差し出した写真集を訝しげに見下ろした。
普段、このような可愛らしいものとは無縁の生活を送っている彼にとって、それは全く予想外の贈り物だっただろう。
しかし、こちらの優しい眼差しに促されるまま、彼はゆっくりと写真集を手に取った。
ページをめくると、そこには信じられないほど愛らしい動物たちの姿が広がっていた。
丸々とした子犬、毛並みの美しい猫、つぶらな瞳のウサギ、そして、どこか間の抜けた表情のアルパカ。普段、冷徹な表情を崩さないローの顔に、ほんのわずかな変化が見られたような気がした。
眉間の皺がほんの少し緩み、固く結ばれていた口元が、かすかに緩んだのだ。
(よかった。少しはローさんの気持ちが和らいだみたい)
ミホロは、ローの隣にそっと腰掛け、一緒に写真集を眺め始めた。ページをめくるたびに「この子、すごく可愛いですね!」「ローさんは、どんな動物が好きですか?」と、穏やかな声で話しかける。
ローは、最初は戸惑っていたものの、ミホロの明るい声と、写真集に写る動物たちの無邪気な姿に、次第に心を解きほぐされていくようだった。
普段は聞くことのない、ローの静かな声が聞こえた。
「猫は、嫌いじゃない」
その一言に、ミホロの心は温かくなった。
多くを語らない彼が、ほんの少しでも自分の気持ちを打ち明けてくれたことが、何よりも嬉しかった。
写真集を見終えた男の表情は、こちらへ来た時よりも、明らかに穏やかになっていた。
完全に疲れが取れたわけではないだろうが、その目に、ほんの少しの安らぎの色が灯っているように見えた。
「少し、気が紛れた」
ローのその言葉は、女にとって、何よりも嬉しいものだった。
裏社会のボスという重責を背負い、常に気を張っている彼だからこそ、たまにはこうして、優しいものに触れて、心を癒してほしい。
ミホロは、心の中でそっとそう願った。
そして、いつかローが、心から安らげるような、そんな温かい居場所を作ってあげられたら、と静かに誓うのだった。
春の陽気に誘われ、そわそわしていた。
「ローさん、せっかく桜が満開なんです。少しだけ、お花見に行きませんか?」
いつものように書類の山に埋もれていたローは、ミホロの突然の誘いに、一瞬、訝しげな表情を浮かべた。
「花見、だと?」
裏社会のボスにとって、そんな浮かれた行事は縁遠いものだったに違いない。
しかし、キラキラとした瞳と、どこか楽しそうな雰囲気に、ローは根負けしたように小さく頷いた。
「はぁ。少しだけなら、付き合ってやる」
こうして、二人は人目を避けるように、ひっそりとした桜並木へと足を運んだ。
満開の桜は、まるで淡いピンク色のヴェールのように空を覆い、風が吹くたびに、花びらが雪のように舞い散る。普段は物騒な空気に包まれている二人にとって、この穏やかで美しい光景は、どこか非現実的にすら感じられた。
持ってきたお弁当を広げながら、「わあ、綺麗!ローさん、お団子もありますよ」と、嬉しそうに声を上げた。
ローは、そんなミホロの様子を、少し離れた場所から静かに眺めていた。
桜の花びらが、彼の漆黒の髪に舞い降りる。
そのコントラストが、自身の目に焼き付いた。
(ローさんが、こんな風に桜を見ているなんて。なんだか、すごく不思議)
普段は多くを語らないローも、この美しい景色には心を動かされたのだろうか。
時折、空を見上げたり、舞い散る花びらに手を伸ばしたりする様子が見られた。
そんな彼の横顔をそっと見つめながら、穏やかな時間を共有できる喜びを噛み締めていた。
お弁当を食べ終え、二人は桜並木をゆっくりと散歩した。
ミホロは、道端に咲く小さな花を見つけてはしゃぎ、ローにその名前を教えてあげた。
ローは、興味なさそうにしながらも、こちらの言葉に耳を傾けているようだった。
ふと、強い風が吹き、あたり一面に桜吹雪が舞い上がった。
思わず目を閉じ、その幻想的な光景に息をのんだ。
ゆっくりと目を開けると、ローが、舞い散る花びらの中に佇んでいるのが見えた。
その姿は、まるで絵画のように美しかった。
「綺麗だな」
ローの口から、ぽつりと漏れたその言葉は、心に深く響いた。
普段、感情を表に出さない彼が、素直に美しいと感じた瞬間。
その一言が、二人の間に流れる穏やかな時間を、より特別なものにした。
夕暮れが近づき、空が茜色に染まり始めた頃、二人は桜並木を後にした。
帰り道、今日見た美しい桜の光景と、彼の意外な一面を思い出し、心が温かくなっていた。
裏社会のボスと、その世界に迷い込んだゲーム好きの女性。
満開の桜の下で過ごした時間は、二人の間に、これまでとは違う、柔らかな繋がりを確かに育んでいた。来年の春も、また二人でこうして花見をできるだろうか。ミホロは、そんなささやかな願いを胸に、夜の街へと歩き出した。
春の日の淡い記憶を胸に、ミホロはいつもの日常へと戻っていた。
しかし、あの日の花見以来、ローの態度に微妙な変化を感じ始めていた。
以前よりも、ほんの少しだけ話しかけてくるようになったり、書類の確認の際に、以前はなかったような、優しい眼差しを向けてくることがあったりするのだ。
(気のせいかな?でも、もしかしたら、ローさんも少しは私のことを?なんてね)
そんな淡い期待を抱きながら、ミホロは日々の仕事に精を出していた。
(これは、あれかなぁ?)
経理としての仕事は相変わらず忙しいけれど、ローの近くにいられるだけで、彼女にとってはかけがえのない時間だった。
(楽しいな〜)
ある日のこと、組織内で小さな騒動が起きた。
敵対組織との間で、些細な行き違いから小競り合いが発生したのだ。
事務所内にも緊張が走り、普段は冷静な幹部たちも、慌ただしく動き回っていた。
(い、忙しいんだけどっ!)
経理の書類を整理しながら、事の成り行きを心配そうに見守っていた。
そんな中、ローはいつもと変わらず、冷静に指示を出し、事態の収拾に当たっていた。
「うう、猫の手も借りたい」
その姿は、まさに組織のトップとしての威厳に満ち溢れており、ミホロは、改めて彼の存在の大きさを感じていた。
騒動が一段落し、事務所にようやく落ち着きが戻ってきた頃、ミホロはローの執務室に呼ばれる。
心臓がドキドキと高鳴るのを感じながら、彼女は扉をノック。
「入れ」
低い声に促され、部屋に入ると、ローは疲れた表情でデスクに座っていた。
(かっこいい。今日も)
しかし、その顔には、いつものような冷酷さはなく、どこか安堵の色が浮かんでいるようにも見えた。
「ご苦労だったな、ミホロ。お前も、少しは怖い思いをしただろう」
ローのその言葉に、驚きで目を丸くした。
(褒められた!?)
彼が、自分のことを気遣ってくれるなんて、想像もしていなかったからだ。
「いえ、私は大丈夫です。それよりも、ローさんはお疲れではありませんか?」
が心配そうに尋ねると、ローは小さく首を横に振った。
「大したことはない。それよりも、お前に頼みたいことがある」
そう言うと自分は背筋を伸ばした。
「はい、なんでしょうか?」
「近々、重要な取引がある。そのための資金の流れを確認しておいてほしい。特に、海外の口座とのやり取りは、慎重に行うように」
ローの言葉に、真剣な表情で頷いた。
「承知いたしました。すぐに確認いたします」
それから数日間、ローから託された重要な任務に没頭した。
複雑な資金の流れを追い、過去の取引記録と照らし合わせながら、慎重に数字をチェックしていく。
徹夜続きで、さすがに疲労も感じ始めた頃、ローが執務室に顔を出した。
「進捗はどうだ?」
ミホロは、分厚い書類の束から顔を上げ、少しばかり隈のできた笑顔で答えた。
「はい、ほぼ目処は立っています。明日には、最終的な報告ができると思います」
ローは疲れた様子を見て、珍しく労いの言葉をかけた。
「無理をするな。体調が優れないなら、今日はもう休んでもいい」
その優しい言葉に、ミホロの胸は熱くなった。
「ありがとうございます、ローさん。でも、最後までやり遂げたいんです。ローさんの役に立ちたいですから」
その言葉に、ローは何も言わずに、ただじっと彼女を見つめていた。
(すごい見られてる?)
その瞳の奥には、女には読み取れない、複雑な感情が渦巻いているようだった。
そして、約束通り、翌日、無事に資金の流れに関する最終報告を終えた。
ローは、彼女の作成した詳細な報告書に目を通し、満足そうに頷いた。「よくやった。助かった」
その短い言葉は、女にとって、何よりも嬉しいねぎらいだった。
(また、褒められたっ)
自分の仕事が、ローの役に立った。その事実が、彼女の心を満たしていた。
その日の夜、自室で一人、疲れた体を休めていると、コンコンとドアを叩く音が聞こえる。
こんな時間に誰だろうと思いながらドアを開けると、そこに立っていたのは、意外にもローだった。
「ローさん?どうされたんですか?」
ミホロが驚いて尋ねると、ローは手に持っていた小さな箱を、少し戸惑った様子で差し出した。
「これは、お前に」
差し出された箱を受け取ると、それは可愛らしいラッピングが施された、小さなチョコレートの詰め合わせだった。
「これは?」
不思議そうに尋ねると、ローは少し顔を赤らめながら、そっぽを向いて言った。
「礼だ。今回の件、本当によくやってくれたからな」
まさかローから、こんな個人的な贈り物を貰えるなんて、は夢にも思っていなかった。
驚きと喜びで、胸がいっぱいになる。
「ありがとうございます、ローさん!いただきます!」
ミホロが笑顔でチョコレートを受け取ると、ローは照れたように頷き、何も言わずに去っていった。
自室に戻り、ローからのチョコレートをそっと開けた。
「美味しいやつだ、これ」
色とりどりの美しいチョコレートが、大切そうに並んでいる。
その一つを口に運ぶと、甘くほろ苦い大人の味が、口いっぱいに広がった。
(ローさんが選んでくれたチョコレート。どんな気持ちで、これを選んでくれたんだろう?)
チョコレートの甘さと共に、胸の中にじんわりと広がる温かい感情を噛み締めていた。
それは、感謝の気持ちだけではない、もっと特別な、甘く切ない想い。
それからというもの、ローとミホロの間には、以前とは違う、微妙な空気が流れ始めた。
ローは、以前よりも女に優しく接するようになり、時折、業務とは関係のない、個人的な会話をすることもあった。
自分もまた、彼に対する憧れと、秘めた恋心を募らせていった。
ある雨の日、一人で残業をしていると、ローが傘を持って現れた。「送っていく」
その優しい言葉に、ドキリとした。二人で並んで歩く夜道。
雨の音だけが静かに響く中、ローの隣にいることが、まるで夢のようだった。
別れ際、ローは彼女を見つめ、低い声で言った。
「お前は、本当に面白い女だな」
その言葉の意味を測りかねながらも、ミホロの心臓は激しく鼓動していた。
それは、ただの興味なのか、それとも?
二人の関係は、少しずつ、けれど確実に変化していた。
裏社会のボスと、その世界に迷い込んだゲーム好きの女性。
危険な世界で育まれた、甘く切ない恋の芽は、果たしてどのような花を咲かせるのだろうか。
そんなある日、組織の幹部の一人が、意味深な言葉をかけてきた。
「お前、ボスに気に入られてるみたいだな。まあ、ボスもたまには、ああいう可愛らしいタイプに癒されたいんだろうよ」
その言葉に、複雑な気持ちになった。
自分は、ただの「癒し」なのだろうか?
ローは、自分のことを、一人の女性として見てくれているのだろうか?
不安と期待が入り混じる中、自分の気持ちを確かめたいという衝動に駆られた。
いつか、ローに自分の本当の気持ちを伝えたい。
そう強く思うようになっていた。
そして、ついにその日がやってきた。
ローの執務室に呼ばれたミホロは、意を決して口を開いた。「ローさん、あの、私」
しかし、言葉を続けようとしたその時、ローの携帯電話が鳴り響いた。険しい表情で電話に出たローは、そのやり取りの後、立ち上がった。
「急用だ。話はあとだ」
そう言って、ローは慌ただしく部屋を出て行ってしまった。
言いかけた言葉を飲み込み、一人、取り残された部屋で、切ない気持ちを抱きしめていた。
(また、タイミングが。どうして、いつもこうなんだろう
その夜、ローはなかなか戻ってこなかった。
「お、遅い」
自室で一人、ローのことを想いながら、眠りにつくことができなかった。
翌朝、ミホロが出勤すると、事務所の空気はいつもと違っていた。
(ん?なに?)
幹部たちが皆、深刻な表情で話し合っている。
「あ、あの」
何があったのか尋ねようとした女に、一人の幹部が小声で告げた。
「大変なことになった。ボスが」
その言葉に、ミホロの心臓は凍りついた。
「ローさんに、一体何があったんですか?」
ミホロが必死に問いかけると、幹部は重々しく口を開いた。
「敵対組織の罠に嵌められたらしい。昨日、病院に搬送されたそうだ」
その瞬間、ミホロの頭の中は真っ白になった。
信じられない。
「そ、んなっ!」
あの強く、タフなローが、そんなことになるなんて。
いてもたってもいられず、病院へと急ぐ。
「す、すみ、ませんっ」
受付でローの名前を告げると、看護師は困ったような表情を浮かべた。「トラファルガー・ロー様ですね。ただいま、手術中です」
手術中。
その言葉が、ミホロの胸に重くのしかかった。
廊下の椅子に座り、ただひたすら手術が終わるのを待つ時間。
(そうだ。ここは現実なんだ)
それは、女にとって、これまでで最も長く、そして苦しい時間だった。
どれくらいの時間が経っただろうか。
「はっ」
ようやく手術室のランプが消え、中から医者が出てきた。
(出てきた!)
ミホロは、恐怖と不安が入り混じる複雑な表情で医者に駆け寄った。
「先生、ローさんは。ローさんは、どうなったんですか?」
医師は深刻な面持ちで知りたい言葉を告げた。
「手術は成功しましたが。まだ、予断を許さない状況です」
その言葉に、ミホロの足はガクリと床に崩れ落ちた。
「嘘……」
予断を許さない。
それは、最悪の事態も覚悟しなければならないということだ。
「ローさん」
ローの病室の前で、ただひたすら、回復を祈っていた。
面会謝絶のため、直接会うことはできない。
(手につかない。なにも)
それでも、彼の近くにいたいという一心で、病院に通い続けた。
「え!」
数日が経ち、ようやくローの容体が安定したという知らせが届いた。ミホロは、すぐに病室へと駆けつけた。
(やっと会える!会える!)
ベッドに横たわるローは、以前の雰囲気はなく、どこか弱っているように見えた。
「ローさん!」
ミホロが声をかけると、ローはゆっくりと瞼を開け、しんどそうながらも彼女を見つめた。
「お前か」
その低い声を聞いただけで、ミホロの目にじわりと涙が溢れてきた。
「ご無事で。本当によかったです」
ローは、困惑をしながらも口元にいつもの、自信に満ちた笑みと表情を浮かべた。
「心配かけたな」
それからしばらくの間、ミホロは、毎日ローの病室に通い、みっちり看護をした。
食事の世話をしたり、本を読んで聞かせたり、そこにいるだけで、心が安らいだ。
ローもまた、ミホロの存在を当たり前のように、受け入れるようになっていた。
以前のような、上からの態度は影を潜め、時折、優しげな声で話しかけてくることもあった。
ある日のこと、ローの分のコーヒーを淹れてきた時、彼は静かに口を開いた。
「あの時、お前は、おれに何を言おうとしたんだ?」
ミホロは、ドキリとした。
あの時、言いかけた言葉。それは、自分のローに対する気持ちだった。
意を決して、ローのキリッとした顔を見つめ、ゆっくりと口を開く。「ローさん。私は。あなたのことが、好きなんです」
病室には、しばしの沈黙が流れた。
(へ、返事ない?)
ローは、驚きながらもミホロの言葉をじっくり聞いていた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「そうか」
そのゆったりとした返事に、胸が締め付けられるような思いがした。
やはり、自分の気持ちは、彼には届かなかったのだろうか。
しかし、ローは続けた。
「おれも、お前のことが、嫌いじゃない」
そのぶっきらぼうな言葉に、ミホロは眼を見開いた。
ローが、自分のことを、嫌いじゃない?
それは、どういう意味なのだろうか。
横にながらも、いつもの自信に満ちた笑みを浮かべた。
「お前は、いつも笑顔だ。最初に会った時から、そうだった」
そして、ゆっくりと手を伸ばし、ミホロの手を、強くて優しい力で握った。
「あわわ、ローさんの手がっ」
「もう少し、そばにいてくれ」
「えっ?」
その角ばった感触と、ローの優しい言葉に、ミホロの瞳は心と共に喜びで満たされた。
「はいっ」