自分が転生した身というのを自覚したのはいつ頃だろうか、少なくとも自我が生まれた後であった。
転生して前世の記憶とやらがあってもどうにも出来ない、変えられない事実というのは簡単に傍に転がっていた。
いつの間にか奴隷という身分になっていて、いつ間にかその奴隷でいる事が普通になっていた。
何も変わらない。
ただ目の前の主人がポツポツ変わるだけであったし、やる事等ボロ雑巾のように働くだけ。
花の乙女という年齢もそろそろ散り出した頃、また主人が変わった。
名前なんて覚えるのはとても面倒で嫌だったけれど、生きていくには必要な事だったので仕方なく覚えている。
今度のご主人様とやらはトラファルガー・ローという海賊の船長らしい。
情報などあってないようなものだ。
情報を耳にしたとして何が変わるのか、否、何も変わりはしない。
海賊の男はモブ子以外の奴隷も飼っていた。
買われる事に慣れた奴隷ばかりだ。
奴隷用の部屋に集められて暮らしをするよう命令されたので一応従う。
まあ、反乱を起こす気なんて塵にも有りはしないけれど。
何もない、面白味もない奴隷の一日が終わって、過ぎていく。
三六五日が一度終わろうという日、一人の奴隷がモブ子に打ち明けた。
「ローが好きなの」
その告白に「へえ」としか答えなかった。
本当にどうでもいい話しである。
その子は奴隷歴が短い新入りで教育を押し付けられて止む無く教育をしていた子であった。
「奴隷が主人に惚れるなんて一番のタブー」
均衡、ルールを破るのは一番ヤバい。
駄目だとかその程度の言葉では済まされない。
その子はモブ子の言葉に酷く傷つけられたとでも言いそうな顔で、怒りと嫉妬と何かに塗り固められた顔で睨み付けた。
睨みつけるなんて八つ当たりかよ、とは思ったり思わなかったり。
別に怒っても禁忌である事には変わりない。
彼女はそれ以来何かを打ち明ける事はしなくなり、更にこちらの言うことすら聞かなくなった。
バカな子だと思わなくもないが、別に死のうが好きに生きればいい、モブ子の関係無いところで。
「捨てられるだけっしょ」
奴隷で一番の情報通がこっそりそう言っていた。
そんな小さな言葉も既に耳から流れている。
ローを好きだと言った子はそれから一ヶ月も経たぬ内に船長の女となった。
ロー自身が奴隷と船員を集めてそう宣言したのでぼんやりと覚えている。
「やっぱ捨てられるんすよあの子」
情報通がそう言って笑っていた。
捨てられるのなら忘れても構わないかな、と思ったので彼女の名前は記憶の彼方へと流れる。
でも、その子が船長の女となってから廊下で出会う事となった。
部屋で会うことはなくなったから顔を思い出すのに苦労した。
(まだ生きてたんだ)
見た時はそう感じた。
女という枠に嵌まった彼女はこちらに気付くと奴隷であった時代とは真逆の顔でこちらを値踏みしては見下した口調で命令してきた。
馬鹿な子だ、主人はローと船員達だと言うのに、その子は何かを勘違いしている。
特にローや船員達からローの女も主人だから命令に従えなんてお達しは無かった。
だというのに、偉そうに「此処を掃除しなさい」と可笑しな事を言う。
首を傾げて「確認するから待ってて」と主人達に確認する為に言うと突然その子は切れた。
その子の名前を忘れたので『キレコ』と呼ぼう。
切れたからキレコだ。
その子は突然怒ってモブ子を平手でぶってきた。
ぶった力は全力だったので少し身体か反動で傾いて口の中も見事に切れる。
口内炎になるかもしれないと己の心配をしているとその子は髪の毛を掴んできて「私が主人よ。このクズ!」と罵ってきた。
「なにやってる!?」
それを目撃したらしきクルーの一人がキレコを拘束してどこかへ連れて行く。
「なにするの!?私はローの女なのよ!」
キレコはゼンマイを無くした暴走人形のように暴れてた。
後から聞いた話ではどこかの島へ下ろされたらしい。
違う船員がモブ子を医務室に連れて行ってくれた。
「ごめんな。痛かったろ」
そう言って手当してくれた人の手はとても暖かかった。
この船はどこもかしこも暖かい。
暴力も理不尽な命令もない、温かなご飯も無理矢理の労働もない世界。
涙は出なかったけれど、手当された後は怒りなんて湧かなかった。
ある日、何の予告も無く奴隷全員に開放宣言がなされる。
自由に外へ行ってもいい、此処から出ていってもいい。
そんな言葉だ。
意味が分からない。
周りを見ると情報通も居なくなっていた。
ああ、独りぼっちだ。
「お前はどこかに行く宛てはあんのか」
ローが目の前にきて聞いてきた。
「ない」
どこにも行くところなんて無い。
「でも、海に帰ろうと思う」
泡になる、そんな予定はあった。
「……それなら、おれの仲間になれ」
「仲間とは何ですか」
「奴隷じゃない、自由に生きる奴の事だ」
なにを言っているのかさっぱり分からない。
けれど、付いていく価値は有るような無いような。
取り敢えずお試しだ。
「宜しく、これから」
拙い言葉しか使えないのに彼は快く受けてくれた。
それから程なく月日は流れ、微かに人の感性とやらを知り始めていた。
「ロー、ご飯です」
「ん、分かった」
医学書を手にしたローは目を離さないまま返事を返す。
彼は一つに集中するとなかなか戻ってこない。
「ロー、ご飯です」
「先に食ってろ」
「無理です。そんな事をしようものなら切腹です」
奴隷時代の癖はなかなか抜けない。
「バーカ、切腹なんてやるな。勿体ねェ」
漸く本から目を離したローは悲しげにこちらを見た。
何故そんな目をするのか理解できない。
恐らくこれはあくまでモブ子の推測だが、モブ子が彼の悲しみを理解するのは不可能だ。
「切腹される前に食うか」
「では行きましょう」
「違ェ、食堂に行くって意味じゃねェよ」
「理解出来ません。説明を要求します」
彼は茶目っ気に笑う。
「お前も女として覚醒してもらおうって事だ」
「やはり理解が出来ません」
「好きや愛してるは分かるか?」
「人、奴隷以上の身分の者のみが抱く事の出来る権利」
「じゃあ、お前もその権利を持ってる」
「いえ、私はまだ人として半人前です」
彼は難しい事を言うのが多い。
凡そ理解の及ばない事ばかり。
ローはクスッと笑って唇を塞いだ。
「半人前ならおれと合わせて一人前。これでお前も権利は有るな」
ローは今日もモブ子の思考の速度よりも先を行く。
『捨てられるだけっしょ』
どこかに旅立った情報通の言葉が脳裏を掠めた、何故だろう。
関係ない言葉なのにリピートする。
「私は廃棄処分ですね」
「は?」
「私は生ゴミですか?家庭ゴミですか?燃えるゴミですか?」
「……人間がゴミ分け出来る訳あるか」
ローは疲れたという顔をしている。
「強いて言うならお前はおれの差し押さえ品だな」
「差し押さえ?私は借金の形ですか」
「ああ。ま、そんなもんか」
ローの差し押さえならば捨てられる可能性は低い。
モブ子は少しだけ胸につっかえているモヤモヤが晴れるのを感じた。
「お前は永遠におれのだ。勝手にゴミ袋ん中に入るなよ」
「そうですね、ゴミ袋代も私は持っていませんから」
「…………」
ローは冗談というか、軽く何かを言おうとそう発言したのだが、と頭を抱えた。
船員達にまた一つ「彼女にお小遣いは危険」と伝えねばならないとすっぱい気持ちでモブ子を抱き締めた。