自らを《人類の王》と称した男を前にして少女は拳を作り、固く握った。本当に存在した《王》に対する驚愕と緊張故に。
恐らく追い立ててきた獣から自らを救ってくれたのだと直感する。そして血にまみれていたはずの足は綺麗になっている辺り、傷も治してくれたと理解した。
伝承でしか知ることのなかった《王》の存在に、頭が真っ白になり身体を固める少女。そんな彼女に改めて王は問いかけた。
「それで、あの品性の欠けらも無い畜生をこの俺の元まで連れて来た理由は?」
両親が教えてくれた《王》という存在らしかぬ疑問だった。語られた《王》は聞かずとも全てを見通す目
によって人類に起きていること、その全てを知っている。だからこそ、あっけらかんに疑問を口にした相手に少女はあんぐりと口を開けた。
所謂、理想と現実の乖離というものだ。
「何故間抜け面を晒す、俺の問いに応えないか」
「……母から教わりました、あなたは人の全てを知っている、と……」
「だから俺がお前に問うのは可笑しいと?」
湿度の高い視線を向けながら嫌味を含んでそう言う《王》に少女はたじろいだ。今更ながら、未熟な頭でもその発言が不敬にあたると理解して。
だが取り繕うことの出来る言葉が思いつかず、肩を震わせながら俯くしか無かった。
そんな中、《王》は少女の反応を見てか一度ため息を付きこう言った。
「確かにお前の言ったことは間違ってはいない、それが口伝として広まっていることに対して些か物申したさはあるが……そうだな、例えばお前は父親に初めて好いた男の事と初めての接吻についてを知られたいか?」
言うまでもなく最悪である。
しかし
実感が湧いた少女は必死に首を横に振った。
嫌である、断固拒否、と。
その様子に笑みを零しながら、そうだろう、と《王》は頷く。
「そもそもいくら超越した存在と言えど、寝起きて直ぐに民の私生活の覗き見など俺とてしたくはないぞ」
「愚かな事を言ってごめんなさい」
「分かれば良い」
伝承で聞いた《王》とは違い、実際の彼はとても人間臭かった。少なくとも彼の感性には納得がいく点が多い。むしろ心より共感できる。
だからこそ、少女は《王》の最初の問いに答えることにした。
「霊峰の麓にある村が、いきなりあの獣に襲われました。私は何とか逃がして貰えましたが、村の者は皆死にました……しかし、あの獣達は……」
「お前を何処までも追い立てた、と……そしてお前は俺が住むと聞かされていた霊峰に来たのか」
霊峰に来てしまったのは実際には偶然だった。だが、こうして救われたことを考えると、偶然でもありがたい限りだ。少女の話を聞いた《王》はふと考え込むように、遠くの方を見つめる。
遠くを見つめるその横顔の線は細く、酷く繊細だった。形のいい艶やかな唇と長い睫毛が妖艶さを際立てる。
伝説の存在でしかなかった《王》とはこうも美しい存在だったのか。少女はその横顔にぼんやりと見つめる。その視線に気づいたのだろう、《王》は不意に少女の方を見た。なので彼女は慌てて顔を背けた、まじまじ見るなど王が相手でなくとも失礼である。
しかし視界の端に見える《王》はその端正な顔を不思議そうにキョトンとさせていた。
だが、特に追求する気もなかったのか彼は口を開く。
「何か、音を聞いたか?」
「……音、ですか?」
そういえば、獣が少し前くらいに不思議な音を聞いた。天の蒼穹から腹の底に響くような不気味な音を。
生まれて一度も聞いた事のない、全く馴染めない音だった。心の底から不安感を掻き立てられさえした。
少女はその事について、嘘偽りなく語ると《王》はその涼しげな表情に影を落とす。
「
「……?あぽか……」
「そうか、そこまでは知らんか……終焉の鐘とはいわば予兆だ」
《王》は次のように語った。
天界は人界に危機が迫れば終焉の鐘と呼ばれる音を鳴らす。天界の
だが、《王》曰く元来その音は、実際に危機が訪れるまでに
しかし少女は一度しかその音を聞かなかった。にも関わらず正体不明の獣は、たった一度の鐘の音の後に襲ってきたのだ。
「何をしている天界の愚物共が……」
そう、忌々しそうに蒼穹を睨みつける《王》に少女は冷や汗を一筋流す。天界にいるのは確か神である、それを愚かと言うなんて……と。
「何にせよ、正直これはどうにも不可解がすぎる。話を聞くだけでは俺でも分からん」
そう言って《王》は少女の前に立つ。
「お前の村まで行くぞ」