端的に言って、『空飛ぶスパゲティ・モンスターの福音書』は、私が求める究極の原典だった。
空飛ぶスパゲティ・モンスターの福音書は、2006年にアメリカのある無神論者が執筆した、非常に新しい「教典」だ。
当時のアメリカ、カンザス州では、進化論と並び、
これに反発したある無神論者は、こう主張した。
「そうだ!! 何らかの高次存在とは我々の崇める空飛ぶスパゲティ・モンスターのことである!! カンザス州は「空飛ぶスパゲティ・モンスターが人類を創造した」という理屈を学校で教えるべきだ!!」と。
誰も神を見たことがないのに、なぜ存在すると証明できる? 誰も見たことがないスパゲティ・モンスターが、なぜ存在しないと反証できる? 二つの存在は「同様に確からしい」のではないか?
これはおふざけではなく、「敵対する神を珍妙な悪魔に貶める」、十字教自体がかねてより行ってきた業そのもの。
十字教の神など、居なくても世界は説明できる。なんらかの高次存在が必要だとしても、珍妙なスパゲティミートボールの神で事足りる。
……魔術でさえも。
(これ、グノーシスに近い考え方じゃ……?)
それは、十字教最初の異端、「
グノーシズム、グノーシス主義は、形而下の人間が認識する程度の神様を偽の神デミウルゴスと見做す。
物質界における偽神の存在は、世界の説明のためには必ずしも必要ではない。
神を超えるための宗教と、神を愚弄するための宗教。非なるが似ている。
(でも。つまり。この原典が成立しているということは。
超能力が科学的に解明されてきた時代、魔術もまた、科学的な切り分けが、完全な意味で可能なのではないか?
魔力と言う単純なスカラー量から派生した相互作用に過ぎないのではないか?
「万物の理論だけじゃない。魔力という力の振る舞いを計算する物理方程式として。第五以降の方程式として、虚数に近い数値を導入した計算式を仮定する」
この世に存在する「力」は、たった4つに過ぎない。電磁気と重力、そして素粒子レベルで働く強い相互作用と弱い相互作用。それだけだ。
学園都市の外の世界でさえも、電磁気力と弱い力はワインバーグ・サラム理論によって統一されている。
学園都市の中においては、大統一理論を通り越して11次元M理論で既に統一されている。
だが、自然界に「第五以降の」力が存在するとすれば?
「学園都市の超能力は正直未解明の部分が多い。科学だけど、まだ科学しきれていない。だけど、この数理モデルなら?」
重力相互作用における重力場のように、魔術の源流となる「位相の力」を、場の量子論の概念で語れないか?
……うん。概論は計算できる。あとは、実証実験だ。
2.
魔術の深淵に至るに当たって、必要なものはいくつかあった。
魔術と科学の境を踏破しようとした、「プロデュース」の研究実験データ。
多くの数式を処理するのに必要な、
そして、それら以上に手に入れることが難しかったのが、実戦経験と言うものだ。
それは「実証実験」とも言い換えられる。得た理論を形にする行為。そのために、魔術戦に優れたサンドバッグが必要だった。
そしてそれは学園都市では得られないものだった。魔術師自体が少ないし、魔術師以外を相手にして実証実験をしようにも、あんな場所で強力な魔術を使えば必ずアレイスターに感づかれる。
「つまり、学園都市で戦うのは危険すぎる。私が強過ぎるが故に、もっと強いやつが殺しにくるから」
「んで、俺に果たし状なんて寄越してきたと」
カザフスタンとキルギスの国境近く、2000m級の山の、それなりに拓けた中腹。
ユーラシア到達困難極。地球上においてもっとも海から離れた大地に、2人の魔術師が立つ。
1人の名を、木原刹那。刹那にて魔術を極める、叡智の究極のひとつ。科学的思考のみで魔術の深遠に到達する、超絶の科学者。
1人の名を、トール。神の名を冠し、単騎にて戦争を引き起こす、「戦争代理人」と呼ばれる超絶の魔術師。
血塗られた奇妙な白衣に蛸足を模したロザリオの奇妙な少女と、黄色の髪をたなびかせた、少年らしいとも少女らしいとも呼べる少年。
「まあ、願ってもないことだけどさぁ。最近は俺に経験値を与えてくれる強敵もいないし、居たとしても周りを巻き込んじまうから迂闊に戦えない。だけど、アンタは『強くて』『人のいない場所で』戦ってくれるんだろ?」
トールという魔術師を一言で表すならば「バトルジャンキー」だ。
強くなるために強い敵と戦う。その過程で助けられる命は助ける。人並みの善性と人並外れた破壊力を持つ怪物。
あまりに強くなってしまったが故、本気で戦えば周囲を巻き込んでしまう。しかし、それを良しとしないだけの善性がトールにあった。
そして私は、そんな彼の善性に
「いいやつだな、アンタ」
「合理的なだけだよ。優しいことなどない」
事実、ここに至るまでの数日間で、私は魔術の実験のために152人の
この到達困難極を戦場に選んだのも、アレイスターやコロンゾンなどの各種危険因子に対し、科学的にも魔術的にも極めて観測・干渉されづらい土地だからに過ぎない。
「まあとにかく、先に仕掛けてきていいz」
トールの肉体が、ひしゃげた。それはまるで上から何百tの力で押さえつけられたかのような動きだった。
「『神弄』」
空飛ぶスパゲティモンスター教曰く。「古代人の背が低いのはスパゲティ・モンスターが上から押さえつけていたためで、現代人の背が高いのは人口爆発によりヌードル触手が足りなくなったためである」。曰く、「恐竜の骨が地面に埋まっているのもヌードル触手の圧力のためである」。
ありえない妄言だ。それでも、これに限らず神話など妄言に過ぎない。
それを現実に変えるのが魔術。
「圧力……いや、不可視の触手か」
トールもまた、肉体の2/3を地に埋めながら考察する。
彼の脳内にある「触手の神」の候補は、クトゥルフ神話に偏っている。
ハワイの蛸神カナロアまでは想定しても、現代に作られたパロディ宗教まで辿り着ける魔術師など、
相手の既知から外れた性質を有するのは、これに限らず現代新興宗教基盤の魔術の強みだ。
「付け加えて。『仮想英雄譚:ブラフォード』『
原典:「千の顔を持つ英雄」より、英雄のテンプレートを組み合わせた仮想英雄の作成と再現。今回は「剛力」「呪詛」「魔力の髪」をセレクトした。
原典:「金枝篇」より、森の王を殺す聖なるヤドリギの一撃を再現した、へし折った木片が神秘殺しの魔弾となる魔術。
原典:「法の書」より、世界一有名な呪詛の一つ、アブラカダブラ。
更に畳みかけるような、原典の記述を用いた魔術の飽和攻撃。
一撃一撃が必殺の、連撃による嵌め技だ。
だが。
トールは、その五指から延びるアーク溶断ブレード―霊装、ヤールングレイプル―でヤドリギの一撃を削り取った。
トールは、その剛力―霊装、メギンギョルズがもたらすそれだ―で、仮想英雄の身体能力による拳を真正面から受け止めた。
トールは、その呪詛を身一つで乗り越えた。―霊装は何も使っていない、ただ彼の持つ単純な根性だ―
「では次」
……それだけだ。
「『海賊が減り、そして竜巻が起きる』、『
「おいおいおいおい!!!」
だが。おかしくはないか? 金枝篇と千の顔を持つ英雄はまだいい。同質の原典であれば、肉体を調整すれば同時に用いることもできるだろう。
だが。ほか二つは明確に異なる機序の魔術書だ。
トールが「北欧神話のトール」になぞらえて術式を組んでいるのも同じだ。異なる魔術体系を同時に扱うなど、出力的にも技術的にも正気の沙汰ではない。足の指で原子炉の燃料棒をペン回しするような愚行。
「明らかに消費する魔力、生命力の帳尻が合ってねえだろ!!」
聖人とまではいかないまでも、明らかに、生身の魔術師の魔力回転量を超過している。
魔力の扱いもつい先日覚えたばかりのように稚拙であるのに、量と質ではトールを超えている。
「免疫抑制剤を活用した『神の子の血』の輸血と、神の子の肉、神の子の瞳の移植」
タネは簡単だった。
……もし。そんなものが現代で作れるというのならば。
「……おい、まさか、『科学』ってのはそんなことまでやらかすのか!?」
「パンとワインによる聖餐ですら神秘足りえるなら、本物の遺伝子から作り上げた血肉なら?」
その術式の名を、『
十字教において、パンを主の肉、ワインを主の血として偶像崇拝の理論によって神秘性を与え、ミサを介して信徒に神の子の力の一部を与える。宗教的にも魔術的にも非常に大きい意味を持つ儀式。
魔術の効果は非常にシンプル、かつ低出力の、平凡な身体強化術式。
……だが、ほんとうにパンとワインでやる必要があるのか? 人肉と人の血でやった方が、「神の子の血肉」の偶像には近いのでは?
……そして、その血肉はクローニングによって量産可能な、「遺伝子レベルで本物と酷似した血肉」だとしたら?
偶像の理論では通常、オリジナルの0.00000数%の力しか宿せない。神話級の霊装であっても数パーセントが限界とされる。
……それでもなお、この「神の子の血肉」は、100グラム単価1万2800円で製造可能でありながら、神の子の0.08%もの力を出力できる。
「インチキも大概にしろや!!」
神の子(仮称)の血液型はAB、私はBだ。
ただ、血液型を無視して輸血可能にする技術というのは存在する。それも、学園都市ではなく「外」の技術水準でだ。万能血液技術といい、災害時や戦争時の輸血血液枯渇に備えた技術なのだという。循環血液量のほぼ100%を転換してなお、人体を機能させ得る技術だ。
学園都市のそれはさらに上をいく。他人の肉体を移植して適合させることすら可能とする。この間失った眼球と左手の指2本を、免疫寛容込みで、人種も性別も異なる「古代イスラエル人」の細胞で補填した。
故の無法。魔術世界が再現できぬ人工聖人を、科学世界は部分的とはいえ実現している。
トールは襲い来る竜巻を溶断ブレードで裂く。
試練として生み出された怪物を、拳で殴り飛ばす。
神喰らいの牙として投げられた「神の子の臼歯」の群れを、雷撃で弾き飛ばす。
空間に引かれる赤と黒の模様は、跳ねて避けた。
それでも、雷神トールにはこの連撃を捌き切れない。
だから。
「これ使うと『経験値』にならねぇから、あんまり使いたくねえんだけどなぁ……!」
転移により、全てを避ける。その魔術の名を。
「全能神トール!!」
トールという魔術師は、北欧の神トールを象徴している。
トールは、雷神として有名な神だ。だが、神話学的には、かつてはあらゆるすべてを象徴する全能の神だったのだそうだ。それはギリシャのゼウス、スラヴのペルーンにも似る、全能の神威としての雷だった。
そしてトールという魔術師の神髄は、この「全能の神」としてのトールを象徴する術式である。
その能力は「絶対に勝てる位置へのテレポート」。
その拳は、私の顎に綺麗に刺さった。
「硬ぇ!!」
ただし、刺さっただけだ。
自身が最も有利な位置から、自身が最も有利な一撃をクリーンヒットさせたとしても。端的に言ってこの術式は「単純な硬さ」に対して弱い。
そしてこの硬さについて、トールは知っている。魔術師であれば知らないはずもない。
「まさか、
魔術世界におけるもっとも高名な防御のひとつ。法王級の魔術防御。
ロンギヌスに貫かれた聖人を包んだトリノ聖骸布を正確にコピーした布地を、精巧に刺繡することで出来ている。
「魔術的にはあちらに及ぶべくもありません。完全再現には知識が足りなくて
……でもですね。素材の準備は科学の方が得意なんですよ」
通常、魔術世界では。トリノ聖骸布やロンギヌスの槍のように「現代ではすでに代用不可能な」聖遺物が幾つか存在するとされる。
……それは、魔術世界に限った話だ。少なくとも学園都市においては、トリノ聖骸布もロンギヌスの槍もゴルゴダの十字架さえも、モデルの一部が現存さえすれば科学的にほぼ同一の複製を量産できる。
古文書再生用の技術、と言うものがある。放射線、高濃度酸化ガスなどあらゆる手を尽くして対象を経年劣化させる技術。
例えば、古文書に新しい紙を継ぎ足せば見た目も悪く、そこから劣化が進むが、同じくらい古い、同質の紙を継ぎ足せばそういった問題は起きない。そうした、「意図的に古くする」「古いものを複製する」技術は考古学ではよく使われる。
つまるところ、分子測定器にかけようとも、炭素年代測定を使おうとも、このトリノ聖骸布は本物のトリノ聖骸布と見分けがつかない。
「
それは血塗られた白衣。
「……なるほど凄いな。だが、『絶対勝てる』ってのを嘗めちゃいねえか?」
「?」
ドゴォン、と音がした。バカみたいな形容だが、そうとしか表現できない。頭がバカになってしまった。
なんせ、
脳震盪とかいう領域ではない。もはや死んでいないのが奇跡的な、意識を刈り取る一撃。
「ここまでとは……!!」
強引に科学と魔術で意識をつなぎ、次の一手を打つ。
当然、私は全能神トールと言う「形態」を
歩く教会が貫通されることも想定はしていた。
それでも。
神を冒涜するFSMの教義と「全能神から雷神に失墜したトール」の逸話を組み合わせた『神墜』という術式があった。
原典:「千の顔を持つ英雄」から未来のトールの敗北譚を引っ張って再現した、『仮想英雄譚:上条当麻』があった。
金枝篇第九章「樹木崇拝」より、北欧神話「デンマーク人の事績」にてトール神を真っ二つにした『魔剣ミスティルテイン』を作り出した。
その全てが、全能神トールには及ばなかった。
「……流石に、魔術師としては負けですかねえ」
「ああ、俺の勝ちだ」
全能神トールは、最後に木原刹那に対して拳を振りぬいた。
その拳は、まるで
「
「テメェ……!!」
トールの目には、驚愕がある。反則だろ、と片眼で謳いながら、片眼はその科学に「ワクワク」を感じているように見える。
「研究のために必要だから取ってきただけの『借り物の科学』なんですけどね」
その肉体からは、白い翼が二本、黒い煙のような翼が二本噴き出ている。
眼球には椎茸に刻む切れ目のような光が浮かび、全身に紫電が迸っている。
「
ただし、
御坂美琴の
垣根提督の
そんなもの、近づいてしまえば
食蜂操折の
「おい待て、それ、テメェの能力じゃねえだろ……!?!? どうなってる!?!?」
「科学ってのは、万人に開かれたものなんですよ?」
トールは、科学と魔術にまたがるグレムリンと言う魔術結社のナンバー2だ。計画の都合、当然学園都市の
表向きに能力が開示されている第三位と第五位は当然として、学園都市最強であり「障害」になりうる第一位、そして
ベクトル変換、未知の素粒子の生成操作、電流操作、精神操作。
魔術を理解したものの演算する
雷神としてのレベルの攻撃は
「俺の負けか」
「そうですね」
この戦いの勝因と敗因を述べるならば、木原刹那は魔術に無知であり、トールは科学に無知であったが故と言えるだろう。
一歩間違えばどちらが勝っていても不思議ではなかったし、トールがミョルニルを持ち出していたり、また刹那が最初から「科学」を持ち出していても話が違っただろう。
「あなた、どうせ原典持ちでしょう?」
「……何でそう思った?」
「特別な才能を持たない単一の魔術師が生身で用いる魔術としては、全能神はあまりにも破格すぎますし。おおかたハーコン侯の『トール神頌歌』あたりですよね?」
私は原典を扱う魔術師だ。それが、特異な才能を持たない魔術師に魔術師として敗北するならば、相手もまた原典、ないしはそれに類する知識を持っているとみてもおかしくはないだろう。
「当たりだよ」
「それを貰う、と言うあたりで手打ちにしておいてあげます」
だから、その知識を
そのあとの物語において、グレムリン最大戦力であるトールが失われる影響はプランを歪める。
この時点でオティヌスを敵に回したくもない。
だから。
「お前、やっぱ優しいよ」
「そういうあなたはやはり、人を見る目がない」
私は、善人ではないのだが。
おそらく9月半ば、ていとくんが冷蔵庫になってからブリテンザハロウィンまでの出来事。
つまり45日程度でここまで魔術を極めてることになるが、一方通行も45日程度で白翼までマスターしてるし多少はね