肩で大きく呼吸をしながら、乃々羽の横に深夜が腰を下ろした。
拭っても拭ってもその額からは汗が吹き出している。
荒い息をなんとか整えながら、「しんどいねぇ」と深夜は声を漏らした。
時計を見ると午後2時を少しすぎたところだった。午後練習もラスト1時間。清学の全国一厳しいと言われるトレーニングに慣れ親しんだ乃々羽でも、正直なところだいぶ疲労がたまっている。それくらいセン学の練習は濃かった。
午前中は3時間がっつりと基礎練習。1時間の体力練、1時間のダンス練、1時間の歌唱練。ダンスやボイトレも、本当に細かいところまで基礎を突き詰める、地味だけど一番きついタイプの練習だった。正直午前が終わった時点で今のかが女の練習3回分くらいの密度はあったと、乃々羽は思う。
1時間の昼休憩をはさんで午後はパフォーマンス練。最初の1時間は全体でフォーメーションの確認などを徹底して行っていく。乃々羽と深夜も&GAIN!!!の二人での動きをけーちゃん先生に直接見てもらえて、とてもためになる時間だった。
前半戦で一旦完全に体力切れになったみゃー先輩は、フォーメーション練はなんとか根性だけで踏ん張ってついていってた感じだったけど。
とはいえ、あの強度の練習に本格的に練習を始めてまだ半月そこらの深夜が、根性だけでなんとかくらいついていっているのは普通にすごいことだと乃々羽は思う。今日の練習で、また深夜の強さを一つ知れたかもしれない。
逆にいうと、みゃー先輩のこと、普段の練習でもっと追い込んでもいいのかも。
「みゃーちゃん、大丈夫?」
御代が心配そうに深夜の顔をのぞき込む。さすがセン学の部長だ。汗はかいているけど、まだまだ体力には余裕がありそうだった。
「なんとか、生きてるー」
「あとちょっとで練習終わりだから、最後あと少し、がんばろ」
そう言いながら御代は少し脱水気味の深夜をウォーターサーバーの方へと連れて行く。
ふらふらと歩いていく深夜を少し心配しながら見送っていると、
「こんちはー」
乃々羽の頭の上から陽気な声がふってきた。
声の主は練習中一年生で一番目立ってた子だった。この前の定期公演でも一年生だけのパフォーマンスでセンターを務めていたのを覚えてる。
「沢渡さんよね。同じ1年の
「沢渡乃々羽です。よろしく」
立ち上がって向かい合う。背丈は乃々羽とほとんど一緒。茶色の髪を高めのポニーテールにまとめていて、日焼けで少し黒くなった肌と合わせて活発な印象を受ける子だった。
「きりんのことはみんなきりんちゃんって呼んじゅうき、沢渡ちゃんもきりんちゃんって呼んでな」
「きりんちゃんって可愛い呼び方だね」
「えへへー、ありがと。きりんやのに背が低いって言うのが挨拶セットながよ」
「アイドルっぽくていいね」
「うちは沢渡ちゃんのことののっちって呼んでもいい?」
「いいよ!」
きりんちゃんは結構ぐいぐいくるタイプの子らしい。
「そういえばきりんちゃん、この前の定期公演、1年生パートでセンターやってなかった?」
「よう覚えちゅうね。セン学の1年生エース、未来のセンターきりんちゃんやきね!」
またきりんがなんかえらそうなこといっちゅうねぇ、と通りすがりの先輩が笑いながらきりんちゃんの頭をポンポンする。きりんはエースよりマスコットやろ、と他の先輩が言うとどっと笑いが起きた。
実力はさておき、きりんちゃんはどうやらセン学ではいじられキャラらしい。
「それにしてもののっち、うちの練習に普通についてこれちゅうのすごいねぇ。うちの練習ってかなりきつい方やき、初めてでついて来れる子ってほとんどおらんって先輩たちも言いよったがよ。うちは最初から普通についていけよったけど、他の1年生たちは最近ようやく練習ついてこれるようになったくらい激しいきね。もしかして、中学でなんかやりよったが?」
「まあ、色々。こう見えて元々体力ある方なんだ」
「りんは中学まではダンスやっちょって、全国も行ったことがるがよね」
「ダンスは続けなかったの?」
「りんがダンスやってたのは、全部セン学でスクールアイドルするためやったきね。りん、ちっちゃい頃に行ったセン学の定期公園で完全にセン学に沼ったがよ。それからずっと、セン学のスクールアイドルになるの目標に行動しよったからね。中学でダンスやっちょったのも、その一環」
きりんはいったん話し始めると話が止まらなくなる性格のようで、聞いてもないのに次々と情報がでてくる。セン学のスクールアイドル部として初めて活動した日のこと、セン学の1年生たちの話……
どんどん展開されていく話に、乃々羽は途中から適当に相づちをうちながら半分聞き流していた。
「セン学は先輩もすごいきねぇ。特に部長がすごいがよね。1年生からずっとレギュラーでステージ立ち続けちゅうし、部長としても気配りとかもすごいし、ほんとパーフェクトながよ。ののっちのとこは、先輩はいい人そうやしビジュもいいけど、パフォがダメダメだから苦労しそうやね」
ぼーっと聞いていた乃々羽の頭が一瞬でクリアになる。
あれ、もしかして今、みゃー先輩のことナチュラルに馬鹿にした?
「ののっちも高知でスクールアイドルやるがやったら、かが女じゃなくてうちにきちょったらよかったのに」
きりんちゃんに悪気はないんだろう、と乃々羽は思う。普通にセン学スク部が大好きで、セン学スク部の先輩たちが大大好きなだけな子なのだ。それに、深夜のパフォーマンスレベルについても嘘を言ってるわけじゃない。
でも、何も知らないくせにみゃー先輩とかが女のことを馬鹿にするのは違うんじゃない?
思わず口に出しそうになるのを乃々羽はぐっと堪える。
その間もセン学のここがいいとかすごいとか、きりんは話をつづけている。
「へー、セン学ってそんなにすごいんだね」
我ながらいやらしい言い方だと乃々羽は思ったけど、きりんちゃんには通じてないのか嬉しそうに笑って返される。
うーん、これは一回、ちゃんと見せないとダメかな?
乃々羽は心の中でひそかに、一つの決意をした。
***
「じゃあ、最後はニーナパート。誰か前でやってくれる?」
けーちゃん先生がそう声かけするとセン学の面々は勢いよく手を挙げた。乃々羽の隣に座っているきりんも自信満々に手を挙げている。
ニーナは&GAIN!!!のオリジナルメンバーの一人だ。背が高いイズミと背の低いニーナ。かが女では身長通り、乃々羽がニーナパートを担当している。同じく身長の低いきりんも、セン学ではニーナパートに振り分けられているのだろう。
手を挙げたきりんを見ていると、さっきのやりとりが乃々羽の脳裏に浮かんでくる。
セン学にもきりんちゃんにも別に恨みはないけど、みゃー先輩とかが女がばかにされたままで帰る訳にはいかないよね。
乃々羽が手を挙げると、けーちゃん先生と目があった。にやりと先生は笑う。
「じゃあ、リンとノノハ、前に出てきて」
指名された乃々羽は前に出て、鏡の前に立った。
鏡越しにきりんが「負けんからねー」と笑っている。
「負けない? 私が勝つよ?」
「りん、そういうばちばちな勝負、大好物なが!」
「はーい、二人とも、騒がない。1年同士、正々堂々、全力でやろうか」
乃々羽はうなずいて、ポジションにつく。
デュオ曲をソロでパフォーマンスする時にわかりやすく魅せる方法は「いないはずの相方をどう見ている人に想像させるか」だ。横でパフォーマンスしているはずの相方がその瞬間そこで何をしているのかを、見ている人たちに印象づける。それはとても難しい技術だけど、乃々羽に出来ないことじゃない。
乃々羽は大きく深呼吸して、目を閉じる。
想像する。何度も見たあの映像を。想像する。何度も一緒に踊った「あの人」を。
うん、いける。
指先・足先まで集中して。声に、動きに思いを乗せる。
私はニーナで、その先にイズミがいる。閉校前、最後のパフォーマンス。目の前には一丸となる同級生たちの姿が。浮かんでくる。そして重なる。鏡越しにこちらを見ている、セン学の面々の顔が、須藤先生が、そしてみゃー先輩。みゃー先輩と目が合う。みゃー先輩はきりんちゃんじゃなくて、まっすぐ私を見ていた。
いつの間にか負けたくない・勝ちたいという気持ちは消えていた。
みゃー先輩に全力の私を見てもらいたい。
みゃー先輩に全力のスクールアイドル「沢渡乃々羽」を届けたい。
その想いが強くなればなるほど、イメージは明確になり、体が声が自分が持っている以上の力を発揮し始める。
ああ、そうだった。長いこと忘れていたこの感覚。
気づいた時には、曲はアウトロに入っていた。
あっという間の2分30秒。
もっと、もっとパフォーマンスを続けたいとい想いを最後の1秒まで指先にのせる。
ああ。
最後の一音が鳴り終わり、一瞬静寂が訪れて。
拍手が湧き上がった。
鏡越しに、これでもかというくらい全力で手を叩いているみゃー先輩の姿を見て、乃々羽はようやく指先から力を抜いた。
「二人ともすごくよかったね」
けーちゃん先生が話し始めると拍手がピタリとやむ。
「特にノノハ。正直、びっくりしたよ。高知にここまでできる1年生がいるとは思わなかったね。正直、うちのどの1年生よりいいパフォーマンスだった。ううん、下手したら上級生たちでも敵わないかもしれない。パフォーマンスレベルが高かったし、何より解釈が良かったよ。ちゃんと横で踊るイズミを意識できていたね」
「ありがとうございます!」
「リンはそこが足りてなかったね。パフォーマンスは悪くなかったけど、ソロアイドルとしてのニーナであって、ニーナパートじゃなかった」
たった一曲のパフォーマンスだけで自分の意図が完全に見抜かれたことに、けーちゃん先生のすごさを乃々羽はひしひしと感じる。
「ノノハ、もしかしてどこかでスクールアイドルやってた?」
「はい、中学時代は清澄白河女学院のスクールアイドル部でした」
あちこちから清学!?と言うざわめきが起こる。
「なるほどねぇ。清学出身か。言われてみると重野先生の匂いがするパフォーマンスだったね」
「重野先生のこと、ご存知なんですか?」
「うん。昔すこしだけお話したことがあるよ。厳しいけど、愛のある先生だよね」
「……はい」
「さて、リンもこれで火がついたんじゃない? 最近ちょっと天狗になってたからね。全国レベルの1年生はこれくらいできるってのが分かって良かったね」
改めて乃々羽はきりんを見る。その顔は負けた悔しさではなく、むしろ何かを見つけたような楽しそうな笑顔で、その目にはギラギラとした光が灯っていた。
うーん、なんか思ってた感じと違うけど、楽しかったからまあいいか。
熱い視線を送ってくるきりんから、乃々羽は目をそらした。