「かがみ川女子高校は楽屋へ移動してください」
アナウンスが会場に響く。
「みゃー先輩、いきましょう」
「うん」
深夜は入れ替えをしている舞台を尻目に会場をあとにする。静かな緊張感に包まれていた会場とは異なり、ロビーの空気は少しだけ穏やかで、少しだけ気が緩む。ロビーを足早に抜けて、深夜は乃々羽と楽屋に向かう。
楽屋に入るとついさっきまで舞台でパフォーマンスをしていた学校とこれから舞台に向かう学校が、楽屋の中にいた。終わったあとの安堵感とこれから舞台に向かう緊張感が交わって、しずかなざわめきが部屋を満たしている。
2人は「よろしくお願いします」と静かに挨拶して、空いている鏡台の前に腰を下ろした。鞄から衣装である制服やカーディガン、リボンなどを取り出して、着替えを始める。深夜は鏡に映る自分の姿が、なんだか自分のようで自分じゃないような不思議な感覚に襲われる。ひどく周りの景色がぼやけていて、現実感のないふわふわとした気持ちだった。
「みゃー先輩、大丈夫ですか?」
隣の席に座っている乃々羽が心配そうにこちらを見てる。
「大丈夫」
「ホントですか?」
「うん」
深夜はそう答えるものの、自分でも自分が大丈夫なのかどうかよく分からない。
深夜が気づいた時には、鏡にはいつの間にか衣装に着替えてメイクも終わった自分の姿が映っていた。
「リハーサルの時間、なさそうですね」
「そうだね」
「かがみ川女子高校さん、次になりますので、そろそろ舞台袖に移動をお願いします」
楽屋の扉を開けて、係員に呼び出された。
深夜と乃々羽は慌てて立ち上がって、鞄に荷物をまとめる。
「貴重品は私が預かっておくよ」
いつの間にか楽屋内にいた須藤先生に声をかけられる。深夜は鞄から財布とスマホを取り出して、須藤先生に手渡す。
「緊張すると思うけど、悔いがないように楽しんできて」
深夜はうなずいて返したものの、須藤先生の声自体は耳から耳へと通り抜けていくような感じがする。
楽屋を出て、待機していた係員の誘導で舞台袖まで案内される。
あっという間に舞台袖にたどりつく。暗い舞台袖から見ると、まぶしい光に照らされた舞台はより現実感のない世界のように見えた。
ちょうど前の学校の講評が終わったところのようで、衣装に身を包んだスクールアイドルたちが舞台上で深々とお辞儀をして、反対側の舞台袖へとはけていった。
「では、かがみ川女子高校さん、どうぞ」
係員からマイクを手渡される。
「みゃー先輩、楽しみましょうね」
横に立った乃々羽がマイクを持っていない右手をぎゅっと握ってくる。
乃々羽の暖かい体温を感じるとともに、自分の手がびっくりするくらい冷たくなっていることに今さらながら深夜は気づいた。
ステージに足を踏み入れる。
まぶしいライトに、一瞬だけ視界がぼやける。
ライトに照らされたステージの上は、舞台袖より明らかに暑かった。
リハーサルの時にはがらんとしていた客席には、参加校の生徒たちがずらりとならんでいる。空席は多いモノの、100人近い人たちの目が一気に自分たちに注がれるのを深夜は感じた。
昼休みミニライブでも同じような経験はしたはずなのに、あのときとは何かが明らかに違っていた。
会場内はひどくしんとしていて、深夜と乃々羽の足音や息づかいがやけに響いて聞こえる気がする。
「みゃー先輩、1番です」
乃々羽が耳元でささやいて、深夜ははじめて自分が0番の位置まで進んでしまっていたことに気づく。あわてて1番にもどると、乃々羽が小さくうなずいた。
「かがみ川女子高校スクールアイドル部です。よろしくお願いします!」
「よ、よろしくお願いします!」
最初に挨拶をすることをすっかり忘れていて、乃々羽に少しだけ遅れて、深夜も客席に向かって頭をさげた。
「5番、かがみ川女子高校スクールアイドル部さん。初参加ですね。緊張すると思いますけど、楽しんでください」
審査員席の真ん中に座っているシルバーグレイの髪の毛が印象的な初老の女性が、優しく微笑んだ。
開会式で挨拶をしていた県スクールアイドル協会のお偉いさんだったのを深夜は思い出す。
ステージ全体の照明が消えて、スポットライトが2人を照らす。そのまばゆい光に、深夜はうっとなる。
深夜のマイクを持つ手が小刻みに震え始める。
ぎゅっと握ってその震えを落ち着かせようとしてみるが、むしろ震えはだんだんと大きくなる。
怖い。
あれだけ楽しみにしていた舞台が今は怖くて仕方が無かった。
イントロが会場に流れはじめる。
何度も、何度も、何度も聞いてきたはずのイントロなのに、何故か初めて聞いたような感覚が深夜を襲う。
あれ、歌い出しってどこだっけ。最初の振り付けなんやったっけ。
頭の中が真っ白になる。
自分がどこにいるのか、一瞬わからなくなる。
「だからもう一度、またねを伝えたい」
ぼーっとした深夜の耳に、乃々羽の声が届いた。
はっと、現実に戻される。
「わ、たしとあなた、み、みんなでつむぐ」
「この歌はアゲイン」
「この歌は アゲイン」
声が、重ならない。
明らかな失敗。
やってしまった。
焦りが、深夜の中でぱっと膨れ上がる。
それからは、見るに無残なモノだった。
音はズレ、タイミングは外れ、振り付けはばらばらで、立ち位置も間違える。舞台上で乃々羽とあわやぶつかりそうになったことも一度や二度ではなかった。
なんとか立て直そうと深夜があがけばあがくほど、息は乱れ、ドツボにハマっていく。
一番の見せどころであるサビの「アゲイン」も結局、一度たりとも完璧にあわせることはできなかった。
なんで、どうして。
あんなに、頑張ったのに。
そんな気持ちがぐるぐると深夜の頭の中を駆け巡る。
残酷に時間は過ぎ、2分30秒の地獄がおわって、会場は静寂に戻った。
お情けのような拍手がステージにかえってくる。
ようやく緊張感がとけて、現実感が深夜の中に戻ってくる。それとともに、どうしようもない悔しさと悲しさが深夜の中に湧き上がってきた。
深夜はうつむいたまま、乃々羽の顔をまともに見ることができない。
「かがみ川女子高校さん、お疲れ様でした」
舞台に立つ2人に向けて、審査員の講評がはじまる。
「まず、今年創部で2ヶ月という短い練習時間の中で、今日この舞台に立ったことが素晴らしいと思います」
審査員の声は穏やかで、優しいモノだった。
「緊張したかな」
「……はい」
なんとか深夜は声を絞り出す。
「そりゃあ緊張するよね。練習とは会場も空気も全然違うもんね。たぶん、練習の時はもっと上手くできてたんじゃないかな。ふたりの実際の実力が今日のパフォーマンスではちゃんと評価することはできないので、技術的なことについては講評では細かく触れません。今日ふたりに伝えたいのは、これからへのアドバイスです」
「お願いします」
乃々羽の凜とした声がマイク越しに聞こえる。
「2人に今一番必要なことはステージに慣れることだね。どうしても新設部だと練習がメインになっちゃう気持ちは分かるんだけど、まずはどんどん舞台に立って場数を踏んでいこう。それもできたらアウェイの舞台が良いかもしれないね。探してみると案外パフォーマンスできる場所はあるから、そういうところに積極的に参加して、経験値を積もう」
「はい」
「あと、今日思ったようなパフォーマンスができなくて、今はたぶんすごく悔しいと思うし、恥ずかし気持ちもあるかもしれない。もしかしたら、もうスクールアイドルなんて辞めちゃいたいと思ってるかもしれない。でも、これはみんなが一度通る道だから、大丈夫。失敗したことがないスクールアイドルなんてどこにもいないよ。こういった怖さを乗り越えて今日初めてステージを踏んだことは、本当にすごいことだと思う。次のステージは絶対今日より良いステージになるよ。ラブライブ!県予選で、ふたりの本気のパフォーマンスをまた見れるのを楽しみにしています。以上です」
「「ありがとうございました」」
深夜は深々と頭を下げて、下手へと歩き始める。
退出する2人の背に拍手が送られる。
こぼれ落ちそうになる涙をぐっとこらえて、深夜は舞台袖にはけた。
係員にマイクを返して、暗い舞台裏を歩く。
「ノノちゃん、ごめんね」
隣を歩く乃々羽に、深夜は声をかけた。横を向くとその顔は深夜と同じく、ぐっと涙をこらえているように見えた。深夜は舞台に立ってから初めて、乃々羽の顔を見たことに気づく。
それくらい緊張して周りが見えていなかったことに、深夜は愕然とする。
「なんでみゃー先輩が謝るんですか? 謝るならわたしです。リハーサルの時に先輩が緊張してたのに気づいてたのに、全然何もしてあげられなかった。ずっとスクールアイドルやってきてたのに、何一つ力になれなかった。先輩の初舞台をこんな形で壊してしまって……わたし、わたし……」
乃々羽の大きな瞳からぼろぼろと涙がこぼれおちる。深夜もなんとかこらえていた涙が止まらなくなる。
声をあげることが出来ない中、ふたりは静かに涙を流し続ける。
「反省はそこまで」
上手側の舞台袖では須藤先生が待っていた。
「ふたりともよく頑張ったわね。ちゃんと最後まで舞台に立ち続けて、舞台上で泣かなくて偉かったわ」
「うち、あの……」
「反省は月曜日に改めてしましょう。今はすぐに着替えて、会場に戻って、他の学校のパフォーマンスをしっかり見て勉強。わかった?」
「「はい……」」
「じゃあ、着替える! 終わったことは忘れる。次に向かって動く。それがスクールアイドルだからね」
須藤先生の明るくて力強い声が、今は強く深夜の心に刺さった。