世界にはこんなに歌が上手い人がいるがやねぇ。
咲良はじめが歌い終わったあと、深夜は拍手することさえ忘れて、そんなことを考えていた。
その感想は他の生徒たちも同じだったようで、同じグループの子たちもポカンと口を開けてはじめのことを見ている。
音程があってるとか声質が良いとか、そういうレベルの話ではない。歌詞が直接頭に刺さってくるような、そんな圧倒的な歌声だった。
「咲良さん。素晴らしかったですね。皆さん、拍手」と講師が促し、その言葉で初めて拍手が湧き上がった。
隣の席に腰を下ろした咲良に、深夜は声をかけた。
「歌すごいね!」
「はぁ、どうも」
咲良はぶっきらぼうにそう返した。茶髪をまとめたポニーテールは、椅子に座ると床につきそうなくらいの長さだ。クールな見た目とクールな印象。深夜はどことなく羽南と似ている子だと思った。
「うち、かがみ川女子高校スクールアイドル3年の東雲深夜。よろしくね」
「テレスト学院2年の咲良はじめです」
「はじめちゃんかー。うちのことはみゃーとかなんか適当に呼んで」
「じゃあ、東雲先輩で」
深夜は、はじめとの間にガチっと距離を感じた。はじめは初対面で壁を作るタイプなのかもしれない。
「テレストって徳島やっけ?」
「です。てか、東雲先輩って、あんまアイドルとか詳しくない人やったりします?」
「え、もしかしてセン学みたいに知っちょらんといかん名門校やったりするが? ごめん、うちスクールアイドルはじめたばっかりやき、そのあたりの事情全然わかってないがよね」
「いえ、そういうんじゃないで大丈夫っすよ」
深夜ははじめの意図をつかめなかった。ただ、「分かってない」という深夜の言葉で、はじめのトゲトゲしさが少しだけ緩んだ気がした。
「ねえ、声かけなよ」
「えー、ミーハーみたいやん。てか、やめ四季とか別に興味ないがやけど」
「あんまり人気じゃなかったんだっけ」
「正直スクールアイドルになるまで名前も聞いたことなかったし」
後ろの席からコソコソと話し声が聞こえてくる。どうやらはじめのことを話しているようだ。「やめ四季」の意味はわからなかったが、会話の内容からはじめが芸能関係者であることを深夜は察する。
そういえば、ノノちゃんがテレストの子が元子役とか元アイドルだって言ってた気がするねぇ。
そう考えると先ほどの圧巻の歌唱力も納得できる。とはいえ、それは子役とかアイドルというよりは、歌手と言っても遜色ないクオリティだったのだが。
後ろの子たちは引き続き、はじめのことをいろいろと話していた。それはゴシップ的な内容で、部外者である深夜が聞いていてもあまり気持ちの良いものではなかった。本人たちは声をひそめているつもりなのかもしれないが、深夜の耳に届いている以上、はじめの耳にも当然届いているはずだ。
こういうの、好かんねぇ。
とはいえ、部外者の深夜が変に口出ししても状況はややこしくなるだけだ。
「ねえねえ、はじめちゃんって子役やったが?」
講師に気づかれないように、小さな声で深夜が問いかける。はじめは一瞬呆気に取られたような顔をしたあと、俯いた。
あれ、もしかして、地雷踏んだ?
何かを堪えるように、プルプルと机の上に置いた腕を震わせたあと、はじめは一呼吸おいて顔を上げる。その表情は、先ほどまでの固いものとは違い、少し緩んでいた。
「東雲パイセンめっちゃおもろいですね。元子役はうちの相方っすよ。うちは元プロアイドルです。四季組って聞いたことないです?」
突然のパイセン呼びに、深夜は少しひるんだ。はじめは、一気に距離を詰めてくるタイプなのかもしれない。
「さすがにうちでも知っちゅうよ」
四季組。スクールアイドル全盛期の現代において、なおプロアイドルとして燦然と輝く国民的アイドルグループだ。春・夏・秋・冬の季節を冠するサブグループに分かれていて、下部組織には十二ヶ月を冠したグループまである。総勢数百人のアイドルが所属しているという話は、芸能関連に疎い深夜でも流石に知っているほど有名だった。
いくつかの代表曲は中学のダンス授業で踊ったこともあったし、友達とTikTok向けの動画を撮ったこともある。それでも、グループそのものにはほとんど興味がなく、メンバーに誰がいるかなんて深夜は全く知らなかった。
「はじめちゃん、そこにいたが?」
「そうっすね。まあ、昔の話ですけどね」
はじめが最初にぶっきらぼうな態度をとっていた理由を、深夜はなんとなく理解した。たぶん、はじめは自分にすり寄ってくる四季組のファンじゃないかと深夜のことを警戒していたのだろう。
「そうやね。今はうちもはじめちゃんもスクールアイドル同士やきね」
「やっぱ東雲パイセンおもろいっすね」
壇上の講師に「じゃあ、次はかがみ川女子高校スクールアイドル部の東雲深夜さん、お願いします」と声をかけられ、会話はそこで中断した。深夜が立ち上がると、はじめがニヤニヤしながら「東雲パイセンのかっこいいとこ見せてもらえる感じですよね?」と挑発してきた。
「任せといて!」
ガッツポーズをして、深夜は壇上に上がった。
***
「どうやった?」
「やっぱ、東雲パイセンめっちゃおもろいっす」
「それ褒めちゅう?」
「最大限の褒め言葉っすよ」
はじめは、深夜が席に戻ってからずっと声も表情も明るかった。何がそんなに楽しかったのか深夜には分からない。ただ、人をからかうような類いのものではないことはなんとなく伝わってきた。純粋に深夜のパフォーマンスの何かが、はじめの心に響いたのだろう。
「東雲パイセンって、スクールアイドルはじめたばっかって言ってはりましたよね?」
「うん。今年の4月に1年生の子と一緒にスク部作ってはじめたがよ。それまでは全然アイドルとか興味なかったがやけど、ビビッときたがよね」
「通りで」
「通りで何?」
「素人感があるなって」
「やっぱり褒めちょらんやん」
「いや。めっちゃ褒めてますって。歌が特別上手いわけじゃないのに、フツーに目が離せへんかったもん。なんやろ、表情管理なんかな……」
そういうとはじめは一人ぶつぶつとつぶやきながら何か考え始めた。その真剣な横顔はまさに「これぞアイドル」という感じで、深夜は少しドキッとする。乃々羽、御代、倫。スクールアイドルを始めてから色々な子に会ってきたが、それぞれが魅力的なスクールアイドルだったことは間違いない。しかし、外見のアイドルらしさという観点だけで見ると、はじめに叶う子はいなかった。
だからこそ、そんなはじめですらプロの世界に残り続けられなかったという事実が、重くのしかかる。
やっぱ芸能界って、厳しい世界やねぇ。