乃々羽は送信ボタンをクリックした。
「できたー!」
作曲開始から一月半。苦しみの末、ついに完成した「ラブライブ!用オリジナル曲」を前に、乃々羽は喜びを爆発させる。ラブライブ_20240805_完成版と名付けられたファイルが、乃々羽の目には輝いて映っていた。同じフォルダ内には、日付とverが違うファイルが数え切れないほど入っており、乃々羽がこの一月半、どれほど苦労したのかがわかる。
乃々羽は、リビングテーブルの前で小さくガッツポーズをする。何度も何度も試行錯誤を繰り返し、時には睡眠時間を削ってまで取り組んだ成果が、ようやく形になったのだ。苦しい日々が報われた瞬間、胸の中に湧き上がる感情が言葉にならなかった。
「やった、やった……!」
乃々羽はつぶやき、心の中で何度もその言葉を繰り返す。もちろん作曲完了はゴールではなく、スタートだ。これからはこの曲に歌詞と振りをつけ、パフォーマンスを磨き上げなければならない。
しかし、今はただ、この達成感をかみしめていたかった。
「あー、アスカ先輩のおかげだよー」
リビングのテーブルに突っ伏しながら、乃々羽はここにはいないアスカに感謝する。セン学との合同練習や全ス選セミナーで「有識者からのアドバイス」の重要性を説かれた乃々羽に、深夜が紹介してくれたのが2年生の西アスカだった。アスカは同級生たちと「Re-Arise」というバンドを組んでいて、文化祭のステージ関連で深夜と知り合ったらしい。
乃々羽はアスカとの出会いを思い出す。帯屋町のスタバにギターを担いでやってきたアスカは、ピンクのインナカラーを入れた派手な髪色と耳元にきらめくピアスが印象的で、正直なところ最初は「ちょっと怖そうな人」という印象だった。ただ少し話してみるとすぐに優しい人だということが乃々羽にはわかって、アスカがスクールアイドル曲についての造詣が深かったこともあり、二人はあっという間に打ち解けたのだった。
それからおよそ1週間。夏休み中にも関わらずアスカはリアルでもオンラインでもことあるごとに曲作りを強力にサポートしてくれた。アスカのおかげで今ここにこの曲があるといっても過言ではないと、乃々羽は思っている。
特に見返りもないのに親身になってくれる理由が気になって、乃々羽は一度アスカに尋ねたことがある。すると、アスカは少し頬を赤らめながら「後輩とか、できたことなかったから……頼られるの、ちょっと、嬉しくて……」と小さな声で返したのだ。普段のロックで少しすましたキャラクターと返答のかわいらしさのギャップに乃々羽は完全にやられてしまった。
そのシーンを思い出しつつ、アスカ先輩もスクールアイドルとしての素質ありだな、と乃々羽は心の中で思う。しかし残念ながら、本人はバンドに夢中でスクールアイドルをやる気は全くなさそうだった。
「結局どんな曲になったの?」
冷蔵庫からチーズケーキを取り出しながら、乃々羽の母が声をかけてくる。
「こんな感じ」
乃々羽はノートPCから出来上がったばかりの楽曲を流す。
「へー、良いね。すっごくいい。乃々羽が好きなスクールアイドル曲って感じの仕上がりだね」
「でしょー。すっごくこだわったもん」
「東京行く前に完成して良かったね」
「ホントだよー。ぎりぎり間に合って良かった……」
乃々羽はカレンダーに目をやる。今日から8月12日までスクールアイドル部の練習は完全に休みにすることになっている。できることなら一日でも多く練習したかったが、須藤先生が夏休み返上で支えてくれている現状を考慮して、一週間の休みを取ることに深夜と相談して決めたのだ。
この一週間の過ごし方を考えていた時、セン学との合同練習で櫻木先生に言われた言葉が乃々羽の頭に浮かんできた。
──ノノハがちゃんとスクールアイドルとして進みたいなら一回ちゃんと重野先生と向き合ってみるのはいいかもね
重野先生。
そして、瑠璃先輩。
東京とスクールアイドルを捨てて高知に来る決断をしたことで、向き合わずに逃げてきた二つのこと。これらに向き合わなければ、かがみ川女子高校スクールアイドル部の沢渡乃々羽としてラブライブ!予選のステージに立つことはできない。そう、乃々羽は思ったのだ。
だから、ちょうど東京で打ち合わせのある母に同行する──重野先生と瑠璃先輩に会いに行くことにしたのだ。
「重野先生とオダルリちゃんと会う件、上手くいきそう?」
「うん。重野先生も瑠璃先輩も会いたいってさ」
「じゃあ、ちゃんとお土産もっていかないとね」
「なんか空港で買うよ」
「重野先生は日本酒好きだから、ママが良いの選んであげる」
「高校生が恩師に日本酒持って行くのってヤバくない?」
「えー、そうかしら。じゃあ、何かおつまみ系にしよっか」
「そうしよ」
「オダルリちゃんは?」
「瑠璃先輩は変なTシャツ好きだから、なんか適当に買ってく」
「そういえばあの子、いっつも不思議なTシャツ着て練習してたわね」
「瑠璃先輩は変わり者だからね。みんな部活T着てるのに、1人だけマグロ一筋Tシャツとか着てたし」
乃々羽は瑠璃のことを思い出す。圧倒的なパフォーマンスと輝きと同じくらい、圧倒的にチームプレイが苦手だった瑠璃。何故か気に入ってくれていた乃々羽に対しては優しかったのだが、重野先生や他の先輩たちとは全く相容れず、最終的には清学を飛び出してしまった。
「あー、ちょっと気が重いな」
「重野先生と会うこと? それともオダルリちゃん?」
「どっちも。家族で高知に引っ越すって理由で清学辞めたけど、実際はマネージャーやるの拒否して辞めたっていうのを重野先生はわかってるだろうから会いにくいんだよね」
「そう? 重野先生、そういうの気にしない人だと思うけど」
「ママは練習の時の威厳マックスの重野先生知らないからそう言えるんだよ」
重野先生は感情的に言葉を投げかけたりするような人ではなかったが、正論を淡々と説いてくるタイプの人だった。正論で冷静に理詰めで追い詰めてくる時の重野先生の怖さは、体験した人以外にはわからないだろうと乃々羽は思う。理不尽なことで怒らないというのは聞こえはいいが、怒られる時に逃げ場がないということ同義だということを乃々羽は清学時代にいやというほど学んだ。
「オダルリちゃんは?」
「瑠璃先輩はあの時より、さらに実力離されちゃったから。なんか、今の私を見てがっかりされそうなのが嫌なんだよね」
「たしかにオダルリちゃん、最近毎月ライブパフォーマンス配信してるけど前よりさらにすごくなってるわよね。ラブライブ!優勝してさらに自信をつけたのかしら」
「ママもしかして配信見てるの?」
「もちろん。だってママはオダルリちゃんのファンだし。むしろ乃々羽は見てないの?」
「見てない、というかなんか見れないというか」
「こじらせてるわね。そのあたりのもやもや、オダルリちゃんと会って解消できたらいいわね」
「はー、気が重いなー」
「じゃあ行くのやめる?」
「行くよー。というか、行かなきゃだよ。ここちゃんとしておかないと、ラブライブ!に向き合えない気がするから。きちんと二人と会って、過去にちゃんと向き合って、それで帰ってきてみゃー先輩とよさこい楽しむんだー」
週末の連休によさこい祭りが開催される。東京から帰ってきたら、深夜と一緒に見に行くことを約束していた。東京にいたことは特にどこかの夏祭りに出かけるようなことはしたことがなかったので、乃々羽は今から楽しみで仕方が無かった。
「東京から帰ってきたら、すぐにテレストとの合同合宿に行くの?」
「まだ決まってないんだけど19の週だって。今、須藤先生が向こうの先生と日程の最終調整してくれてる」
「須藤先生が車で連れて行ってくれるのよね?」
「うん。私知らなかったけど、高知と徳島って電車で直通じゃないんだね」
「そうなのよ。四国以外の人はあんまり知らないわよね。高知は陸の孤島だから」
「須藤先生が車出してくれなかったら、めっちゃ時間かかるところだった」
「ちゃんと須藤先生にはお礼をしておかないとね。あと、東京のお土産も買っていくこと」
「わかってるよー」
「須藤先生、いい先生よね」
母の言葉に乃々羽は深くうなずく。
テレストとの合同合宿のことを伝えた際も、嫌な顔一つせず須藤先生は了承してくれた。その上、学校や向こうの先生との交渉も全部やってくれて、しかも行き帰りの車まで出すと先生自ら言ってくれたのだ。
スクールアイドル部のためにいつも全力でサポートしてくれる須藤先生には、本当に頭が上がらない。
「先生の期待にも応えたいんだよね」
セン学の子たちが「櫻木先生のためにラブライブ!決勝にすすみたい」という強い思いを持っているという話を倫から聞いた時には乃々羽はあまりピンと来なかった。でも、今ならその気持ちが少し理解が出来る。
須藤先生、アスカ先輩、雅先輩……
乃々羽の中にも、支えてくれている人たちのためにもラブライブ!予選で最高のかがみ川女子高校スクールアイドル部を見せたいという想いが芽生えてきたからだった。その想いは、乃々羽が感じていた「重野先生や瑠璃先輩との再会を怖がる気持ち」を薄れさせる。むしろ今は、東京での再会が自分にもたらすであろう変化を乃々羽は少し楽しみにしていた。
ちゃんと向き合って、そして前に進むんだ。胸を張ってみゃー先輩とラブライブ!の舞台に立つんだ。
乃々羽はそう強く心の中で誓った。