壁の時計は9時58分を表示していた。ラブライブ!高知県予選の開始まで、あと少し。高知県最大規模の室内ホールであるオレンジホールは、県内各地から集まったスクールアイドルとその関係者、そしてファンたちで賑わっていた。
乃々羽は深夜と須藤先生と並んで、1階席後方ブロックの最前列に座っている。見渡す限り周囲に空席はほとんどなく、上からも時折声が降り注いでくるので、2階席にもかなりの観客が詰めかけているようだった。振り返れば1階席は最後列まで観客で埋め尽くされていた。後しろの方には各務やみことなど見知った顔もちらほらと見える。開場前に二人とは少しだけ話をしたのだが「大会前は部活でまとまっていたほうがいいだろう」と各務が気を使ってくれて、あえて離れた席に座ることにしたのだった。
約1500席あるこのホールのほとんどが、開始前の段階ですでに埋まっている。その光景に、乃々羽は少し驚きを感じる。セン学の定期公演でも全ス選予選でも、ここまで多くの観客は入っていなかった。これがスクールアイドル最大の大会──ラブライブ!の力というものなのだろう。
大きなブザーの音がホール内に響き渡る。時計はちょうど10時を示している。
「ただいまより、第31回ラブライブ!高知県予選開会式を始めます。皆様、ご着席をお願いします」
スピーカーからの案内が響くと、それまでのざわめきがピタリと止まった。
「はじめに大会長の日向こずえ先生より開会のご挨拶をいただきます」
ステージ袖から、ハイヒールの音を響かせながら一人の女性が歩み出てくる。年齢は50代か60代くらいだろうか。天井から糸で吊られたかのような美しい立ち姿に、乃々羽は思わず目を奪われた。黒のシックなワンピースがステージライトに照らされ、彼女の上品さを一層際立たせている。重野先生に少し似ている、と乃々羽は思った。
日向先生は舞台中央に置かれていたスタンドマイクの前に立ち、深々と一礼する。
「みなさん、おはようございます!」
決して大きな声ではないが、体の芯に響くような凛とした声。
「「「「おはようございます!!」」」」
会場にいるスクールアイドルたちの声が重なり、ホール全体に響き渡る。
その瞬間、ラブライブ!がいよいよ始まったという実感が乃々羽の中に湧き上がってきた。
「みなさん、元気で良いですね。今日大会長を務める、ラブライブ!協会理事の日向こずえです。大会を始めるにあたって、簡単ではありますが注意事項などをお話します。みなさん、ステージに立ちたくてうずうずしていること思いますが、最後までちゃんと聞いてくださいね」
「「「「「はい!」」」」」
「まずみなさんにお伝えしたいのは、今日このホールに来れたこと自体が大変素晴らしいということです。今年の高知県予選はここ10年では一番多い14校が参加することになりました。毎年欠かさず参加している学校、一度参加をしなくなっていたけれど再び参加する学校、今回はじめて参加する学校。学校ごとに背景は様々です。そして、みなさんひとりひとりにもここまでくるのに様々な物語があったでしょう。中には、今日ステージに立つことが叶わない人もいるかもしれません。それでも、スクールアイドルを続け、スクールアイドル部の一員として今日ラブライブ!に臨んだという事実には、何一つ違いはありません。舞台に立つ人も立たない人も、みなさん本当によく頑張ってきましたね」
そう言って、日向先生はゆっくりと会場内を見渡した。
「本当は頑張ってきたみなさん全員を地方大会へ進ませてあげたいのですが、残念ながら今日ここから地方大会にいける学校は2校だけです。ですが、重要なのは勝ち抜くことではありません。自分たちがここまで作り上げてきた、自分たちなりのスクールアイドルをステージで表現することです。もちろん、思い通りのパフォーマンスできない学校もあることでしょう。それでも結果に関わらず、悔いがないように最後の一瞬まで全身全霊でパフォーマンスに臨んでください」
ひとつひとつの言葉に力があって、乃々羽の心に響いてくる。隣に座る深夜もまっすぐステージを見つめていて、その真剣なまなざしからは、ひと言も聞き漏らすまいという熱い気持ちが伝わってきた。
「では、ここからは今日の大会運営について、重要な部分を改めて説明していきます。聞き漏らさないようにしてくださいね。まず、進行についてお話しします。各校の出番と出番の間にはアナウンスがありますが、少なくとも自校の出演の2つ前の学校のパフォーマンスが始めるまでには、舞台袖の控え室に集まってください。出演番号1番・2番の学校は開会式が終わり次第、控え室へ移動をお願いします。昼休憩後の8番・9番の学校は、昼休憩終了15分前までには控え室に集合してください」
かが女は昼休憩明け最初のパフォーマンスなので、12時45分には控え室に集まる必要がある。あらかじめ確認していたことだが、乃々羽は今一度頭の中にたたき込んでおく。
「次に鑑賞についてお話します。客席の1列目から4列目は、パフォーマンス校関係者のための関係者席となっていますので、その他の方は座らないようにお願いします。また、各校の出番と出番の間は5分程度と大変短くなっていますので、出番が終了した学校の関係者は速やかに関係者席から移動し、次の学校の関係者に席を譲ってください」
最前4列はすでに全席が埋まっている。おそらく、一番手であるセン学の関係者たちなのだろう。
「パフォーマンス中のケミカルライトを含むコンサートライトの使用、声出しは可能ですが、必ず入場時にお配りした注意事項に記載されているルールの範囲内で行ってください。ルール外の行為があった場合には、退席していただきます。なお、立ち上がっての鑑賞は禁止されていますので、着席での鑑賞をお願いしますまた、事前に許可された方以外の公演中の撮影・録音は禁止されています。許可を受けた方は、事前にお配りしている許可証を必ず首から提げるようにしてください」
乃々羽は入場時にもらったルールの記載された用紙をざっと眺める。そこには、「強く発光するコンサートライトの使用」、「25cm以上のコンサートライトの使用」、「周りの方のご迷惑となるような大声・奇声」、「公演の妨げとなる大きな音を鳴らす等の行為」、「両手を左右に激しく振る、腕を振り回す、上半身を反らすなどの過激な応援行為」、「ジャンプ行為」などが禁止事項として列挙されていた。
「続いて採点についてお話しします。みなさんもご存知の通り、ラブライブ!ではみなさんの採点をもとにプログラムによって点数処理を行って、最終的な順位を決定します。各校の参加者は事前登録しているラブライブ!公式アプリから、5点満点で採点を行ってください。なお、採点対象は自校のパファーマンスの前2校と後1校を除く学校ですので、忘れずに採点してくださいね。電波状況が悪い場合は会場Wi-Fiが使用できますので、事前に通達しているパスワードを使用しての接続をお願いします。また、公演中は携帯電話はマナーモードにするようにしてください」
スマホを見ると、電波のアンテナがほとんど立っていなかった。乃々羽は事前配布されていたパスワードでWi-Fiに接続して、ラブライブ!公式アプリを立ち上げる。ログイン認証が終わると高知県予選の採点ページがポップアップしたので、すぐにタップした。すると、採点方法や注意点などが表示されたので、もう一度目を通しておく。
「採点では、仲の良い学校には良い点数を、そうでない学校やライバル校には悪い点数をつけたくなるかもしれません。その気持ちはよくわかりますが、みなさんには公平な採点が求められています。明らかに不適切な採点が行われた場合、不正の疑いがかかり、処分の対象となる可能性があります。みなさんもご存じの通り、かつてここ高知では県大会予選で集団不正が行われました。その結果、不正に関わった学校は3年間のラブライブ!出場停止となり、その年のすべての成績が無効とされました。ただし、不正採点をしてはいけない理由は罰則を受けるからではありません。みなさんは同じスクールアイドルの仲間です。仲間に対して不正をするべきではありません。好きなパフォーマンスには、正直に『好き』を伝えてあげてください」
日向先生の言葉には、セン学の「ライバルだけど仲間」という部訓に通じるものがある。10年前、ラブライブ!高知県予選で起きた集団不正。そのターゲットがセン学だったことを乃々羽が知ったのはつい最近のことだった。セン学が乃々羽たちのような他校の人間にも、同じスクールアイドルの仲間として親切に接してくれるのは、こうした背景があるからかもしれない。
「繰り返しになりますが、みなさんはラブライブ!の勝ち抜きを目指すライバルであると同時に、スクールアイドルの仲間でもあります。皆さんは演者であり、観客です。仲間たちが最高のパフォーマンスをできるように、今日一日、ラブライブ!高知県予選が世界中で一番素晴らしい会場になるように、みなさんで空気作りをしてくださいね」
「「「「はい!」」」」
「注意事項は以上です。今日という一日が、みなさんの人生の思い出に残るような素敵な一日になることを心から願っています」
そう言って日向先生は一礼し、足早に舞台袖へと退場して。
「日向先生、ありがとうございました。続きまして、選手宣誓を行います。選手代表、栴檀学園高等学校スクールアイドル部部長、小椋御代さん」
御代が舞台袖の階段からステージに上がり、深々とお辞儀をしてスタンドマイクの前に立つ。開会式前に会ったとき、セン学の他のメンバーはすでにステージ衣装に着替えていたが、御代だけは制服のままだった。乃々羽は不思議に思っていたのだが、選手宣誓のためだったのだと納得する。
「宣誓。我々スクールアイドル一同は、日ごろの練習の成果を思う存分発揮し、スクールアイドルシップにのっとって正々堂々とパフォーマンスすることを誓います! 令和6年10月6日。選手代表、栴檀学園高等学校スクールアイドル部部長、小椋御代」
淀みのない口上に、会場から拍手が沸き起こる。御代は一礼してステージを降りた。
その風格すら感じる堂々とした仕草に、乃々羽は「さすが御代先輩だ」と心の中で感心した。
「以上をもちまして、開会式を終わります。連絡事項です。出演番号1番の栴檀学園高等学校スクールアイドル部、2番の県西三校スクールアイドル連合の皆さんは、控え室への移動をお願いします。繰り返します……」
アナウンスと同時に、ホール全体が一気にざわめきに包まれる。前方ブロック最後列に陣取っていたセン学のメンバーが席を立ち、控え室へと移動を開始した。改めてセン学の衣装を間近で見ると、その完成度の高さに驚かされる。倫によると、セン学では毎年ラブライブ!のために衣装を新調しているという。1年間という時間があるとは言え、この衣装を20着揃えられる体制が整っているのは、セン学の強さを象徴していると乃々羽は感じた。
ふと倫と目があったので、乃々羽は軽く手をあげて挨拶する。すると、倫はぱっと顔を輝かせて、両手をぶんぶんと振って返してきた。本番直前だというのに、いつも通りの倫に乃々羽は思わず笑みがこぼれる。
(きりんちゃんは変わらないなぁ)
この変わらないメンタリティが倫の魅力であり、強さなのだろう。
周りの先輩たちに軽くたしなめられながら会場から出て行く倫の後ろ姿を眺めつつ、乃々羽はそう思った。
「いよいよ、はじまるね」
隣の席の深夜が声をかける。その声は、緊張以上に楽しさがあふれているように乃々羽には聞こえた。
「そうですね。まずは、セン学の応援ですよ!」
乃々羽はセン学の定期公演で購入した校章入りのペンライトを2本取り出し、深夜に手渡した。ふたりで見つめ合い、頷き合う。そして、これから始まるステージに備え、心を落ち着けるように一度大きく深呼吸する。
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第31回ラブライブ!高知県予選、開幕。