昼ご飯は軽めにした方が良いという乃々羽のアドバイスに従って、おにぎり一つだけで済ませたので、少しだけ物足りない感じを残しつつ、深夜は舞台袖に立っていた。それでも、満腹のせいで衣装がきつくて本番動けなくなるよりは百倍マシだと深夜は思う。
この衣装にステージで袖を通すのは3度目だったが、楽屋までついてきて最後の最後まで微調整をしてくれた雅のおかげで、着心地は抜群だった。頭につけたベレー帽も髪にしっかりと固定されていて、本番中に落ちるようなアクシデントは起きないだろうという安心感がある。その雅が少し離れたところで不安そうな顔をしてこちら見ていたので、深夜は小さく手を振って、大丈夫だよと合図を送る。
かが女の出番は昼休憩明け一発目ということもあり、舞台袖にはまだホールから昼休憩のざわめきが伝わってくる。その何気ない日常の音が深夜の心を落ち着かせてくれるのか、出番前だというのに、緊張はほとんど感じていいなかった。
「ノノちゃん」
先ほどからご機嫌そうに
「どうしました?」
「楽しそうやなぁって思って」
「すっごく楽しいです! みゃー先輩はどうですか?」
「うちも正直……」
「正直?」
「めっちゃ楽しい」
「ですよね!」
ふたりで向き合って笑い合う。
正直なところ、緊張感がまったくないわけではない。しかし、それよりも今は自信と楽しさの方が勝っていると深夜は断言できた。これまでの練習への自信、素晴らしい衣装をはじめとする多くの人のサポート。そして何より、ラブライブ!高知県予選の素晴らしい空気感がその楽しさを支えてくれている。
深夜は午前中のことを思い出す。
セン学の素晴らしいパフォーマンスで幕を開けた前半の7校のパフォーマンスは、いずれも素晴らしいものだった。もちろんセン学以外の学校のレベルはお世辞にもセン学には到底及ばない。しかし、上手いとか下手とかではなく、会場内を満たすクラップや声援、輝くサイリウムやペンライトの中で、全身全霊でパフォーマンスする彼女たちの姿は、ただただ尊く感じられたのだ。
だからこそ、その素晴らしい空間で自分たちもパフォーマンスできることが、今はただただ楽しみで仕方がない。
昼休憩の終了を告げるブザーが鳴り響いた。
「ただいまより大会を再会します。会場内にいらっしゃる方はすみやかにご着席ください」
ステージと会場の灯りが一斉に消え、舞台袖のスタッフが照らすLEDライトの小さな光がちらちらと動く。そのうちの一人からハンドマイクを手渡され、「かがみ川女子高校スクールアイドル部さん、舞台へ進んでください」と静かな声で指示された。
「ノノちゃん、行こうか」
ほの暗い舞台袖でも、すぐ側にいる乃々羽の姿ははっきりととらえることができた。深夜は彼女の顔の近くに右手を差し出す。その手を乃々羽は、ためらうことなくぎゅっと握り返してくれた。
「行きましょう、みゃー先輩」
深夜と乃々羽は息を合わせて、舞台中央へと歩を進める。
ゼロポジションを示す蓄光テープの場所にたどり着くと、手をつないだまま観客席の方へと向き直った。照明が落ちていても、前方の座席にいる人たちの輪郭はは微かに見えている。深夜の視線の先には、ピンクと青のサイリウムが不規則に揺らめいていて、まるでな光の海のようだった。
その幻想的な光景に、一瞬だけ、我を忘れそうになる。
「8番、かがみ川女子高校スクールアイドル部。曲は
つないでいた手を離し、それぞれのポジションへと向かう。深夜は軽く目を閉じ、視線を下に落とした。
ほんの一瞬の静寂。
次の瞬間、ステージライトが一斉に点灯し、まぶしい光と熱気が彼女を包み込んだ。だが、動じることはない。テレストでの合同合宿でこの感覚は何度も経験してきた。
イントロが流れ始めると同時に、深夜は目を開き、メロディにあわせて流れるように身体を動かし始めた。今や、振り付けを意識することすら必要ない。練習の日々と積み重ねた経験が、自然と深夜の身体をリズムに載せていく。
振り付けの合間、ちらいと視線を観客席へ向ける。前方4列の関係者席はほぼ満席で、その最前列中央にはママたちが陣取っていた。一生懸命リズムに合わせてペンライトを振ってくれている姿が、なんだか無性に嬉しかった。
「「「ハイッ! ハイッ!」」」
リズムに合わせた少し高い声が耳に届く。前方席では、かが女生たちが一生懸命に声を出し、ペンライトを振っている姿が視界の端に映り込んだ。
「未来ミラー 未来描いて 笑顔で進もう」
「「「進もう!」」」
深夜の歌声に続いて、間髪入れずにコールが返ってくる。
「キラキラ光る 今をつかんで」
乃々羽の歌声が耳に届き、
「「一緒に世界 追いかけよう」」
乃々羽とばっちり目が合う。その瞳はキラキラ輝いていて、胸元のリボンがまるで喜んでいるかのように踊っていた。深夜は乃々羽の動きに合わせるように手を伸ばし、重なった手を、ふたりで息を合わせて観客席へとまっすぐ手を突き出す。
「「鏡の先の 最高の未来」」
心の底からの声をマイクにのせて、ホールいっぱいに響かせる。
(最っっっ高に気持ちがええ!)
返ってくる残響に、深夜の中に楽しさが一気に押し寄せてくる。それでも、次の歌詞に向けて、一息いれる。あふれ出しそうになるトキメキを、いったん心の中で静かに落ち着かせる。
「鏡に映る いつかの姿」
曲調とテンポが落ち着くのにあわせて、深夜は語りかけるような歌い方に切り替え、ステージ下手の方にゆっくり歩いていく。先ほどの激しい振り付けの時とくらべて、よりしっかりと観客席を目に焼きつけることができた。下手側には深夜の知り合いが集まっている。羽南をはじめとしたクラスメートたちや文実の子たち。担任の原ちゃんの姿まであった。みんながこちらを見つめながら、サイリウムを振って一生懸命応援してくれている。
「乙女の願い 輝く」
乃々羽の声がスピーカーごしに響く。その声を聞きながら、ふと舞台袖に目をやると、緞帳の端をぎゅっとつんで真剣なまなざしを向けている雅の姿が目に入った。その後ろには、腕を組んで見守っている千絵ちゃん先生の姿もある。
「未来の扉開けて 今」
「一歩ずつ進もう 明日へ」
短いAメロが終わり、曲が一気に華やかさを帯びていく。
「「未来ミラー!」」
「未来描いて」
「笑顔で進もう」
「「「進もう!!」」」
最初よりもずっと大きなコールが返ってくる。前方ブロックの後ろの方に陣取っているセン学の面々が、ぶんぶんと青とピンクのペンライトを振りながら、大きな声でコールしてくれている姿が見えた。
(お、御代はちゃんとうちの青色やねぇ)
サビの激しいパフォーマンスの最中にも関わらず、そんなどうでもいい感想がふと頭をよぎる。それくらい冷静に俯瞰できている自分に気づいて、深夜は少しだけ驚いた。
「「キラキラ光る 今をつかんで」」
それでも遅れることなく、集中して歌声をマイクにのせる。
冷静と熱狂。
相反する二つの感情が、驚くほど綺麗に深夜の中で溶け合い、パフォーマンスを普段以上のレベルに引き上げてくれる。
「一緒に」
再び舞台中央で向かい合った乃々羽に向けて深夜は左手を突き出す。
「世界」
そこに乃々羽の右手が重なって。
「「追いかけよう」」
合わせたてを観客席へと突き出しながら、歌を届ける。
「「鏡の先の 最強の未来」」
楽しい。
乃々羽の手からもそんな感情が伝わってくる気がした。
「風に乗せて 響く歌声」
「乙女の想い 強く」
「「あの空に向かって 今」」
「「未来への地図 描き進もう」」
深夜は少し落ち着いた二番の歌詞を歌いながら、今度は上手側に歩き始める。こちら側には、生徒会長をはじめとする生徒会のメンバーや乃々羽の友人たち、Re-Ariseなど下級生が多くいるようだ。ひとりひとりへの感謝の気持ちをこめながら、深夜は歌声を届ける。
ふと二階席に目をやると、最前の一番端でカメラを構えているきらりの姿が見えた。ドキュメンタリーのためにちゃんと実行委員会の許可を取ってくれたのだ。
自分たちを応援するために、これだけの人たちが今日、このオレンジホールに集まってくれている──その事実が深夜にさらなる勢いを与えてくれて、自然とサビへの弾みがつく。
「「未来ミラー!」」
「未来描いて」
「笑顔で進もう」
「「「進もう!!」」」
「「キラキラ光る 今をつかんで」」
「一緒に」
「世界」
「「追いかけよう」」
深夜たちのポーズにあわせて、観客たちの一部が同じようにこちらにむけて手をまっすぐに突き出していた。
「「鏡の先の 最強の未来」」
間奏に入ると同時に、乃々羽と立ち位置を入れ替えて、元通りの下手側へと戻る。二人で「「ハイッ! ハイッ!」」と大きな声を上げながら拳を突き上げて、観客席を煽ると、ホール全体を揺らすような大きな声援が返ってきた。関係者たちだけじゃない、会場中からコールが湧き上がっているのを、深夜は全身で感じていた。
ピアノの音が3音入る。
Cメロに突入する合図だ。
バックミュージックが小さくなり、ステージライトが落ちてスポットライトが深夜をまっすぐ照らし出す。前日のリハーサルで照明さんにお願いした演出が、完璧にハマっていた。
ささやくように、語りかけるように深夜は声を絞り出す。
「鏡に映る 揺らぐ決意も」
「キミと一緒に 越えていこう」
ゆっくりと下から上へリズムを刻むペンライトやサイリウムが、ホール中でキラキラと輝いている。
「手を伸ばして」
「夢を掴もう」
「「アナタと未来を 映し続けて」」
ここからは終盤。一気に華やかになる曲にあわせて、深夜は心と身体のギアを一段上げた。
「未来ミラー! 未来描いて 笑顔で進もう」
「キラキラ光る 今をつかんで」
「未来ミラー 笑顔映して」
「未来の扉 開いて進もう」
「「鏡の向こう 輝く未来へ」」
最後の歌詞が終わる。残されたのはアウトロだけ。
これが最後のパフォーマンスになっても悔いのないように。曲が終わるその瞬間まで、深夜はすべてをパフォーマンスに注ぎこむ。
舞台の中央で深夜と乃々羽向かい合い、両手をあわせる。
アウトロが終わり、曲の余韻がステージから静かに抜け落ちていく。
乃々羽は大きく肩で息をしていた。その姿を見て、深夜は自分が肩で息をしていることに、今さらながら気づく。二人で小さくうなずき、観客席の方へゆっくりと向き直ると、手をつないだまま深々と一礼した。
その瞬間、割れんばかりの拍手が降り注ぐ。全身を包むような、あたたかい拍手の波に、深夜の胸がじんと熱くなる。
「8番、かがみ川女子高校スクールアイドル部によるMIrAI/I∀ɹIWのパフォーマンスでした」
鳴り止まない拍手を背に、二人は足早に上手側へとはける。
マイクを係員に手渡すと、突然どんと衝撃を受けた。雅に抱きつかれたのだと気づくのには、時間はかからなかった。どうやらいつの間にか、上手側の舞台袖に移動していたらしい。
「めっっっっちゃくちゃ良かったです!!!!!!!」
見たことがないような笑顔で、雅が見上げてくる。
その頭をポンポンと軽く叩いていると、千絵ちゃん先生が控えめに手を叩きながら近づいていてきた。
「ホントに素晴らしかったわ。出し切ったわね。おめでとう。お疲れさま」
舞台袖は少し暗かったせいで、先生の表情はよく見えなかったが、その目尻にはきらりと光るモノが浮かんでいるように見えた。
「スクールアイドルのみなさんは、アプリからの採点をお願いします。また、かがみ川女子高校スクールアイドル部の関係者の皆様はすみやかに関係者席からご移動ください。9番、南国高校スクールアイドル部の関係者の皆様は関係者席へのご移動をお願いします」
会場アナウンスが響き、ようやく終わったのだという実感がわいてきた。
「みゃー先輩」
横にいた乃々羽が深夜を呼ぶ。
「ノノちゃん」
深夜も乃々羽の名前を呼び返す。
二人はお互いに名前だけを呼び合って、それ以上は何も言葉を発さなかった。乃々羽の汗で濡れた顔は紅潮していて、そこにはやりきったという充足感がみなぎっているように見えた。きっと自分も、今、同じ表情を乃々羽に向けているのだろう。深夜はそう思った。
名前を交わすだけで、全てが通じ合った気がする。嬉しさも、達成感も。今の二人の間には言葉は必要ない。そんな確信が深夜にはあった。
ふと、会場のざわめきが耳に入る。
次の学校のパフォーマンスの準備が進む中、ホール全体が新たな緊張感に包まれ始めていた。それを感じながら、深夜は大きく息を吸い込んだ。全力を出し切った体に清々しい空気が染み渡り、心地よかった。
(最高のパフォーマンスができたき、結果がどうなっても悔いは一つもないね)
そう思いながら、深夜はゆっくりと控え室に向かって歩き始めた。