日曜の蔦屋書店は、多くの人々で賑わっていた。書店という名を冠してはいるものの、実際には書店だけでなくさまざまなショップが並ぶ
この予定は、実はずっと前から話していたものだ。きっかけは2回目のセン学との合同練習のあと、いつか遊びに行こうと倫と話した頃までさかのぼる。しかし、実際にはラブライブ!県予選が終わるまではお互い部活に追われ、なかなか時間を作ることができず、計画は棚上げされていた。そんな中、ようやく今日、かが女とセン学のテスト準備期間が重なり、「テスト勉強会」という名目での念願のお出かけが実現したのだ。
乃々羽は、数日前から今日が楽しみで仕方がなかった。久しぶりにちゃんとした休みの時間を過ごせることもそうなのだが、同じ学年の他校のスクールアイドルの子とお出かけするというのは、乃々羽にとって中学時代からずっと憧れていたシチュエーションの一つだったからだ。
午前中は図書館でしっかりと勉強をこなし、午後は蔦屋書店に移動して、ゆったりとした雰囲気の中でお茶をしながら勉強の続きをしようというのが今日の計画だった。予定通り図書館での勉強を終わらせて、バスで蔦屋書店に移動し、今に至る。
「あー、しみるー」
向かいの席に座った倫は、フラペチーノを一口頬張るとぱっと目を輝かせた。
「それ新作だっけ?」
「うん。金曜にでたやつ。ののっちも食べる?」
「じゃあ、ちょっとだけ」
乃々羽はスプーンでホイップをすくって口に運ぶ。ホイップの甘さと、焼きチョコのビターさが口いっぱいに広がり、冷たさが喉を潤した。美味しい。朝方はだいぶ涼しくなってきたとはいえ、昼になると30度近くまで気温があがった今日には、この冷たい甘さがぴったりだった。
乃々羽が念のため持ってきていたカーディガンは、鞄の中で縮こまったままで今日の出番はなさそうだ。倫も乃々羽と同じく半袖で、ワンピースの袖からは、真夏よりは少し薄くなったのものの健康的な小麦色の肌をのぞかせている。
私服姿の倫を見るのは、今日が初めてだった。普段の彼女からは、ボーイッシュなファッションを想像していたので、待ち合わせに現れた倫のギャップに、乃々羽は驚かされた。開口一番「きりんちゃんってスカートはくんだ」と思わずこぼしてしまい、倫には「普段制服でスカートはいちゅうろ?」と不思議な顔で返された。確かにそうなのだが、乃々羽が言いたかったのはそういうことじゃないのだ。
さらに今日の倫は眼鏡をかけている。倫曰く、勉強するときは眼鏡をかけるらしい。
乃々羽の知る、明るくてパワフルで一直線なスクールアイドルきりんちゃんとはまるで違う。目の前に座る倫は、少し知的で柔らかな雰囲気を漂わせていて、そのギャップに乃々羽は目が離せずじっと見つめてしまう。
「きりんの顔になんかついちゅう?」
「今日のきりんちゃん、可愛いなって思って」
「何いっちゅうが? きりんはいっつも可愛いろ?」
そう言って笑う倫の顔は、いつもの自信満々なスクールアイドルきりんちゃんだった。普通の人が言うと自意識過剰に感じてしまうようなセリフであっても、倫が言うと、何故か愛嬌を感じる。そういうところが倫の魅力だと、乃々羽は改めて認識する。
「可愛いきりんちゃんと、やっと遊びにこれて嬉しいよ」
「うちもようやくののっちと遊びにこれて嬉しい!」
「ラブライブ!が終わるまで、スクールアイドルは忙しいもんね」
「うんうん。今日も久々に部活がない休みやけんど、ちゃんとテスト勉強せないかんし、スクールアイドルはほんと全然休みないがよ。先輩たちはこれをずっと続けちゅうがよね。すごいなぁ」
「きりんちゃんは勉強できる方?」
「きりんはこう見えて成績優秀ながよ」
「意外~」
「よく言われる。まあ、うちはけーちゃん先生が『赤点は絶対ダメ!』って感じやき、正直みんな普通に成績ちゃんととっちゅうがよ。赤点とると、けーちゃん先生がめっちゃ怖いって話」
「けーちゃん先生が怒るの想像できないな」
「2年生の先輩が『静かな鬼』って言いよったよ」
「静かな鬼?」
「あのけーちゃん先生が、声色変えずに淡々と理詰めでお説教するがやって」
乃々羽の脳裏に、けーちゃん先生が無表情でこちらを見ながら、淡々とした声で話す姿が浮かんだ。想像するだけで体が震える。
「まあ、けーちゃん先生のことは置いとても、うちらはラブライブ!全国決勝大会目指しちゅうき、みんな基本的に推薦とか付属大への進学を目指すがよ。やき、評点とるためにちゃんと定期試験で成績残さんといかんがよね」
ラブライブ!全国決勝大会は成人の日に行われる。つまり、そこまで進めば、センター試験直前まで受験勉強に集中できないということだ。全国決勝大会レベルの強豪校では、浪人を覚悟でスクールアイドルに全力を注ぎ続ける生徒も少なくない。もちろん、中には受験組であっても勉学もスクールアイドルも両立できるスーパーな人もいるのだが、一握りだ。
「今年の3年生は優秀で、みんな推薦とか進学の枠とれたって聞いちゅう」
「みゃー先輩も推薦の校内枠とったって言ってたよ。わたしたちの先輩、みんな優秀すぎだよね」
「きりんたちもはやいうちから進路考えんとね」
「きりんちゃんは文系、理系どっち?」
「理系! うち、数学大好きやき。ののっちは文系っぽい」
「たしかに文系かも。わたし、アイドルのコーチングとかマネジメントとかを大学でしっかり勉強したいんだよね。将来的にはアイドルのプロデューサーとか指導者とかになりたいんだ」
「なりたいものはっきりしちゅうの、すごいね。きりんはまだ全然夢がないがよね。今はスクールアイドルに全力やき、とりあえず大学いって、そこでやりたいこと見つかったらいいかなぁ」
「てっきり、きりんちゃんはキャンパスアイドルとかプロアイドルとか目指すんだと思ってた」
「きりんは『セン学のスクールアイドル』をやりたいだけやきね。スクールアイドルは高校できっぱり辞めるつもり。でも、その分セン学のスクールアイドルとしては、やれること全部やるがよ。全国決勝大会もいくし、ラブライブ!優勝もする!」
倫が力強く宣言したその瞬間、スマホのアラームが鳴った。今日開催されているラブライブ!徳島県予選の、テレストの出番にあわせて設定していたアラームだ。
「そろそろSaku x Sakuの出番だね」
乃々羽の言葉に、倫はうなずいて鞄からスマホを取り出した。鞄の取っ手には、ラブライブ!キーホルダーが揺れている。さっき店内のスクールアイドル特設コーナーで買った、乃々羽とおそろいのグッズだ。
倫は慣れた手つきでラブライブ!アプリを立ち上げ、徳島の配信画面を表示した。
「ラブライブ!もスクコネで配信してくれたらいいのに」
倫は不満げに頬を膨らませた。普段、スクールアイドルが配信をするときは「スクコネ」アプリを使うのが一般的なのだが、ラブライブ!に関しては現状ラブライブ!公式アプリのみでしか生配信されていない。少し面倒だと感じるのは、乃々羽も理解できる。
「来年からスクコネでも見れるようになるらしいよ。最終的にはアプリ統一されるっていう噂もあるし」
「そうながや。スクールアイドル系アプリ乱立しちゅうき、はよう統合してほしいよねー」
倫はそう言いながら、ワイヤレスイヤホンの片方を手渡してきた。自分のスマホで視聴することもできたが、倫と同じ画面を共有する方が特別な感じがして、彼女が差し出したイヤホンを素直に受け取る。耳にイヤホンを差し込むと、ちょうど画面上でステージの照明が落ち、「10番、テレスト学院高等学校スクールアイドル部」というアナウンスが聞こえてきた。
スポットライトが照らし出す中、ステージに立つはじめと櫻子の姿が浮かび上がる。画面越しでも二人のオーラが伝わってきた。むしろ画面を通してみるからこそ、彼女たちの持つ「ホンモノ感」が際立つ気すらする。
静かなイントロが流れ始め、二人のパフォーマンスが始まった。歌唱、ダンス、表情。そのひとつひとつが、合宿で見たときよりもさらに洗練されている。
気づけばパフォーマンスは終わっていた。乃々羽は、その圧倒的な完成度にただ舌を巻くしかなかった。こんなすごい人たちと一緒に合宿をしたという事実が、今さらながら胸の奥でじわじわと実感を伴ってわきあがってくる。
「全ス選の時と全然ちがうがよ」
倫はイヤホンを外しながら、深いため息をついていた。その顔には、感心と畏敬の色が浮かんでいた。
「Saku x Saku完全復活だね」
乃々羽の言葉に、倫も深く頷いた。
「それなー。やっぱ、地方大会勝ち抜くにはこのレベルにならないかんがやね……油断しよった訳じゃないけど、全ス選でテレストに勝ったき、ちょっと軽く考えよったとこあったかもしれん」
「アキバドームに立つのって、やっぱ簡単じゃないよね」
「地方大会から進めるのは2校だけやきね。全力出し切るのは当然として、全力出し切っても行けるかわからんがよね。うちもここ2年はでれてないき。今の3年生は誰も全国行ったことがないがよ。やき、絶対今年こそはアキバドームに連れて行ってあげたいって思っちゅう」
倫の言葉には、強い決意とともに1年生らしからぬ責任感がにじんでいた。乃々羽はそんな倫の横顔を見つめる。
「セン学は地方大会どうするの?」
「ミーティングとかでみんなで話しあったがやけど、今年は『伝統と王道』でいくことになったがよ。この前一緒にパフォーマンスした大講堂って覚えちゅう?」
大講堂のことははっきりと覚えている。新しい建物が並び立つセン学において、唯一木造建ての伝統を感じる重厚感ある建物だった。
「
地方大会は自校でパフォーマンスを行うという自由度の高さから、奇をてらったパフォーマンスで注目を集めようとする学校も少なくない。特に無名校や実力的に苦戦を強いられる学校は、どう変化球を投げるかが戦術の一つとも言われている。ただ、変化球はあくまでも変化球。知名度と実力を兼ね備えた強豪校の投げる「ストレート」には叶わないのだ。
だからこそ、王道で戦うという今年のセン学の戦略は、乃々羽には納得のいく選択に思えた。奇をてらうのではなく、真っ向からスクールアイドルとしての実力を見せつける。この戦略は、セン学の強みを最大限に引き出すものだ。特に初代スク部から続く伝統の場所でのパフォーマンスを選んだことが、セン学らしさをさらに際立たせるだろうと乃々羽は感じていた。
「かが女は地方大会どうするが?」
「まだ決まってないんだよねぇ。一応パフォーマンス用に講堂はおさえてもらってるんだけど」
「講堂? なんで屋上庭園じゃないが?」
「どうして屋上庭園?」
「だって、ののっちたち普段そこで練習しゆうがやろ。パフォーマンスも何回もやったって言いよったし。それやったら、
倫の言葉に、乃々羽は目から鱗が落ちる気分だった。
「そっか、そっか……別に屋内にこだわらなくてもいいんだよね……」
「たまに校庭とかでやりゆう学校もあるし、ルールブックにも屋外がダメとは書いてなかったはず。ただ、屋外は雨の時のことも考えないかんがはちょっと難しいけどね。けんど、雨やったら雨でええ雰囲気になる気もするし……」
倫がぶつぶつとつぶやきながら考え込んでいる最中、乃々羽は身を乗り出してテーブルの向こうの倫の手を両手でがっしりと握りしめた。そして感謝の気持ちを伝えるように、その手をぶんぶんと上下に振る。
「屋上庭園! 屋上庭園だよ!! ありがとう、きりんちゃん!!!」
乃々羽の大きな声に、周りの人々が一斉に振り向いた。乃々羽は慌ててぺこぺこと頭を下げながら、再び席に腰を下ろす。
乃々羽の心は踊っていた。いつもの練習場所である屋上庭園でのパフォーマンスという選択肢が、これほど自然で、しかも魅力的なものだったとは、今まで気づかなかったのが少し悔しい。でもそれ以上に、地方大会に向けたビジョンがはっきりと見えてきたことが、何よりも嬉しかった。
「もしかして、きりん、ライバルに塩送ったがやない?」
倫の顔には、後悔の色など微塵もなかった。それどころか、ライバルが強くなることを心から喜んでいるようにさえ見える。むしろ、対決を心待ちにしているような眼差しだ。
「全力勝負だね、きりんちゃん!」
「ののっちには絶対負けんき!」
そう言うと、二人は笑い合った。互いに全力で戦うことができるライバルとして、また仲間として。全身全霊で倫たちと競い合える瞬間が、乃々羽には心の底から楽しみで仕方がなかった。