家庭科室に響く喧騒の中に、雨音が混じり始めている。明るい室内とは対照的に、窓の外の空はどんよりとした雲に覆われ、窓には雨粒が静かに降り注いでいた。
ざわめきと雨音が入り交じる中、乃々羽は黙々と来場者向けのカードを織り込んでいる。向かいの席では深夜も同じく作業に集中していた。
文化祭前日。午前中で授業は終わり、午後は文化祭準備の時間にあてられている。学校全体にただよう高揚した空気と廊下から伝わってくる期待に満ちたざわめきが、乃々羽には心地よかった。
「雨やねぇ」
「雨ですねぇ」
ほとんど同時に同じことをつぶやいた二人に、思わず乃々羽は笑みをこぼした。
「明日もほぼ雨で確定みたいですね」
「どのサイトも降水確率100%って言いよるし、台風きちゅうがやろ? テレストとの合宿も台風で延期やったし、つくづくうちら台風と縁があるねぇ」
「でも今回は、文化祭自体が中止になる感じじゃなくて良かったです」
窓際には、みんなで作ったてるてる坊主がずらりとつるされている。思い思いのペイントで彩られた個性豊かなてるてる坊主を見ていると、自然と気持ちが和らいだ。
明日は効果を発揮しなさそうだが、せめて2日目は晴れてくるよう祈るしかない。
「天気予報的には、明後日は一応晴れるみたいですね」
「1日目と2日目で演者を分けないって会長ちゃんの判断は正解やったねぇ」
「分けてたら今頃大慌てでしたよね。屋外でイベントは、天気が悪くなる可能性をちゃんとあらかじめ考慮しておかないとダメなんですね……」
乃々羽の頭に、ラブライブ!地方大会のことが浮かぶ。
「地方大会も、雨のことはやっぱちゃんと考えとかなきゃですね。文化祭がおわったら、講堂での練習も何回かしておきたいです」
「せやねぇ。ステージだけは使えるよう千絵ちゃんが何日かおさえてくれちゅうって言いよったよ。まあ他の部活講堂を使っちゅう中でやらないかんき、なかなか本番さながらって感じにはできんけんど。そう考えたら、オープンスクールで
「会長さんに感謝ですね」
何の変哲も無い普通の講堂とはいえ、ステージの広さや声の響きなどは経験してみないとわからないことだ。地方大会は生配信なので、見せ方も含めてしっかり考えておく必要がある。映像研と一緒になって演出プランは考えている最中だが、たとえ屋上庭園とはまったく違う環境でパフォーマンスすることになったとしても、後悔しないように準備しておかなくてはならない。
「日曜も雨やったらここでやるがよね」
深夜の言葉に、乃々羽は改めて家庭科室をぐるっと見渡す。
所狭しとならぶ衣装、楽器、器材。物品だけで、家庭科室の大部分は埋め尽くされていた。家庭科室でパフォーマンスを行う場合、準備室や生徒会室、部室に一部の物品を移す予定だが、実際にはほとんどをここに残さざるを得ない。さらに観客が入るとなると、使えるスペースは限られてしまう。
家庭科室用のプランBは各パフォーマーごとに考えてあり、スクールアイドル部はフォーメーションの簡易化、Re-Ariseは音量の制限、空は高さの制限、服飾部はショーの大幅な簡略化など、それぞれがなんとか家庭科室でも魅せられるように工夫を凝らしていた。とはいえ、本音を言えば、屋上庭園で100%のパフォーマンスを多くの人に見てほしい。
「日曜は晴れてほしいですね」
「自分でコントロールできないことを考えてもしゃーないっしょ。準備はちゃんとしてきたんだし、あとはなるようになれじゃない?」
アスカが通りすがりにそう言った。Re-Ariseのメンバーは看板設置から戻ってきたようで、肩のあたりが少し湿っている。どうやら屋外にも看板を設置してきたらしい。彼女たちが着ているのは、今回のイベントに合わせて作った「屋上庭園ステージイベント班」Tシャツだ。胸元には「屋上庭園ステージイベント班」の文字とロゴ、背中にはメンバーの名前が配置されただけのシンプルな黒Tだが、雅がデザインしただけあって、普段使いにも問題ないほど洗練された仕上がりになっている。
乃々羽たちも全員が同じTシャツを身につけていた。
スクールアイドルのライブでも「Tシャツマストバイ」派の乃々羽にとって、こういうイベントTシャツは大好物だ。着ているとチームとしての一体感を感じられて、自然とテンションが上がってくる。
「それはそうですけど、アスカ先輩だって屋上庭園でやれた方がいいですよね?」
「まーね。つーか、うちらがって言うよりは雅のこと考えたら、あっちで出来た方がいいよなぁ」
アスカの言葉に、深夜もうなずいている。
今回の屋上庭園ステージイベントで最も力が入っているのは、間違いなく服飾部のファッションショーだ。雅が鬼神のごとく衣装を作り続けたことで、ステージイベントに関わる全員がモデルとして出演することになっている。既存服のリメイクが中心とはいえ、20人近い衣装をたった一ヶ月で仕上げた雅の情熱には、乃々羽も含めたステージイベント班全員が驚かされた。
ただ、家庭科室でやる場合にはその熱意が裏目に出てしまう。この限られたスペースでそれだけの人数の着付けやランウェイウォークを行うのは難しく、屋上庭園でやる場合に比べて大幅な簡略化が求められる。雅の努力を知っているからこそ、彼女に最高の舞台でその結果を万全の状態で披露させてあげたい。それが、ステージイベント班の総意だった。
肝心の雅は、衣装の最終調整でさきほどから準備室と家庭科室をせわしなく行き来している。今は「隠し球」の最終調整に専念するのため、準備室にこもっていた。
「明後日晴れるように晴れ乞いの儀式をしますか」
トルソーのかげからひょっこりと空が顔を出す。「てるてる坊主で儀式は完了済みだろ」とアスカが返すと、「とっておきのがありますよ」と空は怪しげな笑みを浮かべ、アスカに手招きをした。
一見まったく異なるタイプに見えるのだが何故か波長が合うらしく、いつの間にか学年の垣根を越えてアスカと空は仲良くなっている。
「当日やるかやらんかの判断って、10時でええがやっけ?」
「はい。準備に2時間くらいはかかっちゃいますからね。10時に最終判断して、校内放送でも流す予定です」
物品リストをチェックしていた会長がそう答える。生徒会メンバーたちは、ホワイトボードに貼られた舞台の見取り図や物品の移動手順と照らし合わせながら、最終確認を行っている。あれほど念入りに準備をしてきたのに、今になって足りないものが出てくるのが不思議だったが、彼女たちは慌てることなく、一つ一つ冷静に対処していた。会長いわく、こういうのは「イベントあるある」らしい。その姿を見て、乃々羽は密かに彼女たちの運営スキルの高さに感心していた。
「晴れる可能性はゼロじゃないですけど、明日は基本やらないってつもりで動くことになりそうですね」
「じゃあ、明日のうちに全力で文化祭の出し物を楽しんだかんといかんね。2日目は忙しくてそれどころじゃないやろうし。ノノちゃんのクラスは何やるが?」
「うちは、王道の喫茶店です」
衣装は制服、出すのは市販品という、王道にして定番の喫茶店。手抜きに聞こえるかもしれないが、飾り付けなど随所に工夫があふれていて、乃々羽は身の丈にあった良い出し物だと思っている。
こっちの準備が一段落したら、クラスの手伝いに戻る予定だ。
「謎解きゲ──ム」と言いながら、空が会話にカットインしてくる。「最高の謎解きゲームを見せてあげますよ」と宣誓すると、さっと空は持ち場に戻っていった。
「くらちゃんのクラスの出し物が謎解きゲームなが?」
「みたいです。くらちゃんがメインでつくったみたいで、自信作だって言ってました」
「じゃあ明日雨やったら、一緒に行こうか」
「はい! みゃー先輩たちのクラスは何するんですか?」
「3年は展示って決まっちゅうきね。すんごいあっさりよ。みんなで思い出の写真をチェキに印刷して、好きにデコって、ボードにはっただけ」
「皆さん受験勉強とかでお忙しいですもんね」
その中でも、文化部や文化祭実行委員会の3年生たちは精力的に文化祭に時間を割いていて、乃々羽は頭が下がる思いだった。
「クラス出し物は2年が華やきね。唯一、食べ物作る系もおっけーやき。うちらは去年ベビーカステラやったがよ。ノノちゃんもしなねさんで玉子焼食べたろ? あのオマージュ。西ちゃんたちはクラスは何するが?」
「映画っすよ。映像研のやつがすげー張り切って、特撮っぽいやつ作ったんですよ」
「へー、本格的やねぇ。みんなも出ちゅうが?」
「クラス行事なんで。一応、エキストラとしてちょっとだけ」
「何かっこつけてんの、アスカ。普通にノリノリで音楽とか提供したじゃん」
「そ、それは頼まれたからだし!」
照れ隠しなのか、アスカは頬を赤らめ、少し大きな声で反論する。一見クールで取っつきにくそうに見えるアスカだが、その実は優しくて面倒見が良い性格であることを、乃々羽はよく知っている。だから、アスカがクラスイベントに積極的に協力していると聞いても、特に驚きはしなかった。とはいえ、アスカなりに自己イメージもあるのだろう。
アスカがRe-Ariseのメンバーたちと仲むつまじくやりあっていると、雅が準備室から顔をだして「り、リアライズさん、最終調整お願いします」と呼びかけた。
わちゃわちゃと話ながら、Re-Ariseの五人は準備室の中に入っていく。
「さてと、こっちはだいたい終わりましたし、そろそろクラスの方を手伝ってきますね」
乃々羽は立ち上がる。
「行ってらっしゃい。うちはもうちょっとこっちの手伝いするわ。あとでノノちゃんのクラスがどんな感じか覗きに行くかも」
深夜の言葉に、乃々羽は「ぜひ来て下さい!」と笑顔で応えた。
廊下に出ると、文化祭を前にした高揚感が一層強くなる。にぎやかなかがみ川女子高校の文化祭の一部になっていく感覚に、心がふわりと弾んだ。喧騒の中を歩きながら、明日からの二日間への期待がさらに膨らんでいくのを、乃々羽感じていた。