空には雲一つなく、澄み渡った秋空が広がっていた。屋上庭園をそよぐ風は心地よく、文化祭の時に残っていた夏の名残は、もう完全に消えている。昨日よりも一段と冷え込んだ空気に、厚手の衣装がちょうどよく馴染んでいた。衣装に新たに施されたスパンコールが、秋の日差しを浴びて深い青色の光を反射する。
ステージから見渡す限り、人、人、人。
屋上庭園だけでなく、旧校舎と新校舎の廊下にも多くの人が詰めかけていた。いつも練習している場所と同じはずなのに、まったく違う空間に変わっている。
ステージに足を踏み入れるまで「昼休みミニライブや文化祭と同じ場所だから、目新しさはないかも」と考えていた自分を、深夜は恥じた。準備会のみんながラブライブ!中四国地方大会のために設営してくれた一段高い円形ステージから見る景色は、これまでのどんなステージとも違っていた。
準備会のメンバーやテレビ局の中継スタッフが「お静かに」と書かれたボードを掲げているのが目に入る。深夜がステージに立った瞬間には、耳をつんざくような黄色い声援が沸き上がっていたが、今は観客たちも注意を守り、静かにステージを見つめていた。
耳元のイヤモニを軽く触って位置を調整する。イヤモニを使うのは初めてだった。その圧迫感とノイズキャンセリングイヤホンをつけたかのような静寂に、まだ完全には慣れない。上空を旋回しているドローンのプロペラ音すら、ほとんど聞こえなかった。
イヤモニから「中継開始1分前」と指示が流れる。
少し遅れて、会場のスピーカーからも同じアナウンスが流れたのが微かに耳に届いた。
スポットライトも暗幕もないオープンな舞台。でも、県予選のオレンジホールに立ったときよりもずっと良い。ステージだけではなく客席も明るくて、4階の廊下にいる人の顔までよく見える。
窓から吊り下げられた垂れ幕や横断幕が色とりどりに揺れていた。
「30秒前」
中継が始まると、簡単な学校・曲紹介をはさんで、あっという間にパフォーマンスが始まる。
最後にもう一度、乃々羽の顔を確認しようと振り返る。ちょうどその瞬間、乃々羽も振り返り、二人の視線がぶつかった。さっきまで部室で真っ白な顔をしていた乃々羽だったが、今はその目に強い炎を宿している。緊張は完全に解けているようだ。
お互い何も言わず、ただ小さくうなずき合い、背中を合わせる形で深夜は新校舎側に、乃々羽は旧校舎側に向きなおった。
ステージのすぐ近くには観客が詰めかけている。最前列の生徒と目が合い、その子が「手を振って」と書かれたうちわを掲げているのが見えた。そっと手を振ると、その子はぱっと顔を輝かせ、小刻みにうちわを振り返してくれる。
「10秒前。9、8……」
イヤモニがカウントダウンを刻む。手に握ったマイクに少しだけ力が入る。
深夜が待ち望んできた舞台の幕が、いよいよ上がる。
「1」
あらかじめ指定されていた正面のカメラを、深夜はまっすぐに見つめた。
『曲が始まるまで正面のカメラを見ておいてくれたら、あとはカメラは一切気にしなくても大丈夫。カメラなんて意識せず、存分にスクールアイドルしちゃってね』
本番前、ディレクターがくれたその言葉が頭をよぎる。
イヤモニ越しに聞こえるのはスタジオのアナウンサーの声。中継映像がどう見えているのか確認することはできない。けれど、映像研とテレビ局のスタッフが最高の見せ方をしてくれると深夜は信じている。
学校と部活の紹介は、あっという間に終わった。
「では、10番、かがみ川女子高校スクールアイドル部によるパフォーマンスです。曲は
イヤモニからイントロが流れると同時に、観客たちが一斉に手を振り上げる。青とピンクのサイリウム、うちわ、タオル。それらがそれぞれの手の中でリズムに合わせて踊り出す。湧き上がった歓声はイヤモニ越しでもはっきりと耳に届いた。
「未来ミラー 未来描いて 笑顔で進もう」
「「「「「進もう!」」」」」
返ってくるコールは、県予選や文化祭とは比べものにならない。イヤモニをつけている状態でこれなら、もし外したらどれほど大きく聞こえるのかは深夜には想像もつかない。
「キラキラ光る 今をつかんで」
イヤモニ越しに聞こえる乃々羽の歌声は、弾むような明るさに満ちている。
「「一緒に世界 追いかけよう」」
振り返ると、乃々羽と視線が交わる。瞳を輝かせ、胸元のリボンを揺らしながら乃々羽はこちらへ向かってくる。
「「鏡の先の 最高の未来」」
すれ違いざまに、手のひらとひらをパンと合わせた。その乾いた音を背に、深夜は旧校舎側へとまっすぐ進む。
「鏡に映る いつかの姿」
「乙女の願い 輝く」
語りかけるようにAメロを歌いながら、深夜は見に来てくれているひとりひとりの顔をしっかりと焼き付けるように、客席の上を視線でなぞった。
屋上庭園の旧校舎側最後方に、生徒会メンバーたちが固まっているのが目に入った。先ほどまで軽快なトークで場をあたためてくれた会長は、はちまき・法被・タオル・Tシャツ・ペンライトとよくばりオタクセットフル装備に身を包んでいる。会長は左手を胸に当てて、右手のペンライトを下から上へとゆっくりと振っていた。
『私もスクールアイドル部ができるのを楽しみにしています! 何か困ったことがあればいつでも相談にものるので、気軽に生徒会室にきてくださいね!』
スクールアイドル部を作る相談で生徒会室を訪ねたときの笑顔と声が脳裏に蘇る。スクールアイドル部を立ち上げようとしていた頃、何をどう進めてよいのかも分からなかった深夜たちを導いてくれたのが生徒会長だった。あのときの彼女の言葉に偽りはなく、この半年間、彼女たち生徒会は昼休みミニライブや文化祭、そして今回の地方大会に至るまで、あらゆる場面で惜しみないサポートをしてくれた。
(会長ちゃんがおらんかったら、絶対にここには立てんかったねぇ)
スクールアイドル部の「ファン1号」を公言している生徒会長。実際に深夜も彼女が本当にファン1号だと思っている。深夜は心からの感謝を込めて、彼女にウインクを送る。それが届いたかどうかは分からなかったが、会長はペンライトを大きく振り返してくれた。
「未来の扉開けて 今」
「一歩ずつ進もう 明日へ」
視線を旧校舎の廊下へ移すと、そこに先生たちの姿を見つける。千絵ちゃん先生、校長先生、生徒会顧問の宮崎先生、担任の原先生……それだけではない。数えきれないほどの先生たちがペンライトを手に取り、こちらにエールを送ってくれている。
『スクールアイドルとして大成することじゃなくて、ラブライブ!で悔いを残さないことを目指すなら、ファンを増やして会場をホームにすることを重視しておいた方がいい』
全ス選のあと、千絵ちゃん先生が提案してくれた「ホームにしよう大作戦」。その言葉は、深夜と乃々羽にとって道標だった。その合い言葉を胸に少しずつ積み上げてきた結果が、いま目の前に広がっているこの光景だ。
いつも穏やかで、文句ひとつ言わずにスクールアイドル部を陰から支え続けてくれた千絵ちゃん先生。
深夜は、先生が学生時代に巻き込まれたスクールアイドル不正事件の詳細を知らない。ただ、それが人をスクールアイドルから遠ざけるほどの大きな傷を残したものだったことだけは知っている。それでも先生は、嫌な顔ひとつせず、深夜たちを応援し続けてくれた。
先生への感謝も含めて、最高のパフォーマンスを届けたい。
そして、先生が立ちたくても立てなかった舞台に、自分たちが連れて行ってあげたい。
その想いを胸に、深夜はさらに一歩ステージの端へと進み出た。
「「未来ミラー!」」
「未来描いて」
「笑顔で進もう」
「「「「「「進もう!!」」」」」」
サビに入ると、会場の熱気が一段と高まった。観客の楽しさや興奮が波となって押し寄せ、それが肌を通じて深夜にまで伝わってくる。
旧校舎の4階に、カメラを構えるきらりとみことの姿を見つけた。二人とも真剣なまなざしで、こちらに集中している。
『スク部の密着ドキュメンタリー撮らせてもらえん?』
あのときのきらりの提案を受けたのは、友だちとしての軽い気持ちからだった。正直なところ、最初は短い動画を作る程度のものだと考えていたのだ。だが実際には、すでに撮影された動画ファイルは数十時間にも及んでいるらしい。それほどの熱意で深夜たちの活動を記録してくれるきらりたちの姿勢は、被写体である深夜自身にも大きな刺激になった。
撮影だけではない。テレビ局との交渉や調整も、映像研がすべて引き受けてくれた。今日、自分たちがカメラの存在を一切気にせず、純粋にパフォーマンスと観客に集中できるのは、彼女たちの尽力のおかげだった。
それだけではない。地方大会専用に振り付けを再構成する際も、彼女たちの映像と的確なアドバイスが大いに役立った。
「「キラキラ光る 今をつかんで」」
「一緒に」
再びステージ中央で向かい合った乃々羽に向けて深夜は左手を突き出す。
「世界」
その手に乃々羽の右手が一瞬重なった。
「「追いかけよう 鏡の先の 最強の未来」」
手を離し、二人はポジションを入れ替える。360度ステージであることを最大限に活かした、地方大会専用の振り付け。これはまさにきらりが提案してくれたものだった。
間奏に切り替わると、深夜はマイクを観客に向けて突き出した。その動きに合わせるように、観客たちは拳やサイリウムを高々と振り上げる。湧き上がるエネルギーと熱気が、ステージ上の深夜にまでビシビシと伝わってきた。「ハイ! ハイ!」というお約束のコールは、波のようにさらに大きくなり、イヤモニ越しでもはっきりとその熱量を感じ取ることができた。
「風に乗せて 響く歌声」
「乙女の想い 強く」
「「あの空に向かって 今」」
「「未来への地図 描き進もう」」
サビから落ち着いた二番のパートに移行すると、今度は新校舎側の観客を目に焼き付けようと深夜はステージ端ぎりぎりを歩き始める。
屋上庭園の後ろの方に目を向けると、文化祭実行委員会の面々が陣取っているのを見つけた。生徒会長に負けず劣らず全力で楽しんでいる渋木の横で、羽南は穏やかな笑顔を浮かべながらサイリウムを振っていた。
『今までのは副実行委員長兼イベント班長としての話。友だちとしてなら、アイディアは出せなくはないかな』
羽南がそう言って屋上庭園ステージイベントの提案をしてくれた日のことが頭をよぎる。文化祭実行委員会の副委員長として、羽南が文化祭にどれだけの情熱を注いできたのかは、深夜には想像もつかない。結果としてあのイベントは大成功を収め、美談として語られることになった。
だが、もし失敗していたら──それは羽南の高校生活最大の晴れ舞台に汚点を残す結果になっていたかもしれない。それでも、羽南は友だちとして、自らのリスクを承知の上でそのアイディアを深夜に提案してくれたのだ。
あの舞台があったから雅やアスカの希望を叶えられた、と深夜は思う。そして、あの舞台がなければ、今日の地方大会を屋上庭園で開催するという発想はそもそも生まれなかったかもしれない。仮に浮かんでいたとしても、これほど多くの人が協力してくれるようなステージには決してならなかっただろう。
羽南のサイリウムがまるで「みゃーも出しきりな」と語りかけているように深夜には思えた。その小さな光が、深夜の胸に燃えていた火をさらに勢いよく燃え上がらせる。
「「未来ミラー!」」
「未来描いて」
「笑顔で進もう」
「「「「「「「進もう!!」」」」」」」
歓声が屋上に響き渡る。
ふと視線を上げると、新校舎4階廊下でRe-Ariseのメンバーがヘッドバンキングをしているのが目に入った。
(そういう曲じゃないきね、もう)
深夜は思わず笑いそうになるのをこらえて、アスカと初めて出会った日のことを思い出す。
まさかあの時は、こんなに手伝ってくれるような関係性になるとは思ってもみなかった。
「「キラキラ光る 今をつかんで」」
「一緒に」
「世界」
「「追いかけよう」」
深夜は視線を新校舎3階の廊下に落とす。そこでは雅と空が並んで応援してくれていた。空は右手に青、左手にピンクのサイリウムをバルログ持ちにして、小さな体を精一杯使って全力で振り回している。その隣で雅は控えめながらも胸元で小さくペンライトを振っていた。
『わ、わたしに衣装づくりさせてもらえませんか!』
初めて雅がクラスに顔を出した日のことを、深夜は思い出す。引っ込み思案で人見知りな雅が、3年生の教室に単身で乗り込み、自分の意志を示す。それがどれほどの勇気を必要としたか、深夜には想像もつかない。そして、その強い意志で雅はファッションショーを復活させた。それは雅の中にある芯の通った情熱と、服作りへの深い愛情の表れだった。
その想いが、今、深夜と乃々羽が身にまとうスクールアイドル衣装として形になり、二人をスクールアイドルとしてステージに立たせてくれている。
「「鏡の先の 最強の未来」」
間奏に入るや否や、「ハイッ! ハイッ!」という熱いかけ声とともに深夜は拳を突き上げ、円形ステージの端を時計回りに駆ける。それに応えるような観客の熱いかけ声がステージを包み込む。その一瞬一瞬が、観客の熱狂とともに鮮やかに深夜の目に焼き付いていく。
先ほどの間奏よりもさらに大きな波となって押し寄せる声援。その熱気を肌で浴びながら、深夜はステージ中央へと足を進めた。
目の前には、同じようにこちらを向いている乃々羽の姿があった。
『一年の沢渡乃々羽です!』
あの日、この場所で、乃々羽と出会った。
あの
あの日を境に、深夜の世界は一変した。
その想いを。その感謝を。この瞬間に込める。
──このCメロだけは、ノノちゃんのためだけに歌おう
ピアノの音が三音、静かに空気を揺らした。
ささやくように、語りかけるように深夜は声を絞り出す。
「鏡に映る 揺らぐ決意も」
まっすぐに乃々羽に向かって手を伸ばす。
「キミと一緒に 越えていこう」
乃々羽もまた、深夜へと手を伸ばす。まるで自然に引き寄せられるように。指先が交わらない距離で止まるが、その間にある見えない絆を深夜は確かに感じ取っていた。
乃々羽の想いが、深夜の心にすっと流れ込んでくる。
「手を伸ばして」
「夢を掴もう」
「「アナタと未来を 映し続けて」」
目と目で想いを伝え合って、深夜はふたたび客席へと体を向ける。ここからは曲が終わるまで、もう乃々羽と視線を交わすことはない。ただ、それでも、深夜は確信している。最後まで二人の気持ちは離れることなく、かがみ川女子高校スクールアイドル部をみんなに届けられると。
Cメロが終わり、曲調が華やかさを増す。その瞬間、深夜はそっと右耳のイヤモニを外した。
──最後はみんなの声を直接聞きたい
イヤモニを外した途端、歓声と音の波が一気に脳を揺さぶる。
「未来ミラー! 未来描いて 笑顔で進もう」
「「「「「「「「進もう!!!」」」」」」」」
耳を突き抜ける音圧が鼓膜を震わせる。
深夜の振り付けに合わせて、観客たちが全身でその振りを返してくる。目の前に広がる光景は、深夜があの日憧れた「&GAIN!!!」の映像そのものだった。
観客とともに作り上げるスクールアイドルのステージ──それが今ここにある。
かがみ川女子高校が、スクールアイドルのステージを軸にひとつにまとまる。
──これがうちがやりたかったこと
深夜は胸の奥にこみあげてくる想いをしっかりとつかみ取る。
かがみ川女子高校を選んだのは、ただ姉たちの後を追っただけの気まぐれだった。
友人に恵まれた日々は想像していた以上に楽しくて。気づいたらこの学校のことが大好きになっていた。
でも、何かが物足りなかった。
この学校で何かを残したかった。
この学校に何かを返したかった。
スクールアイドルを始めたのは深夜と乃々羽。
二人をスクールアイドルとして支えてくれたのは友人たち、先生たち。
そして、そのすべてを育んできたのは、かがみ川女子高校そのものだった。
(うち、かが女に来てよかった)
最後は、学校への感謝を全力で伝えよう。
深夜は観客席をしっかりと見渡しながら、歌声にすべての思いを込めてつき進む。
「キラキラ光る 今をつかんで」
「未来ミラー 笑顔映して」
「未来の扉 開いて進もう」
「「鏡の向こう 輝く未来へ」」
アウトロが流れ始める。深夜はふたたび舞台の中央へ足を向ける。同じように戻ってきた乃々羽と、ステージ中央で両手を合わせた。乃々羽の表情には、全力を出し切った満足感が浮かんでいる。それを見て、深夜も自分の顔が同じような笑みを浮かべているのだと気づく。
やりきった。
伝えきった。
その想いが胸の中であふれていく。
音楽がふっとやみ、一瞬の静寂の後、大歓声が屋上庭園を包み込んだ。
深夜は旧校舎の方にゆっくりと向き直り、左耳のイヤモニを外した。そして、深々と一礼する。割れんばかりの拍手と歓声が、屋上庭園から空へと駆け上がっていく。
深夜は四方に礼を繰り返し、その歓声を、その表情を、その一瞬を、心にしっかりと刻みこんだ。
右耳にイヤモニを装着しなおすと、「〆の挨拶をお願いします」というディレクターの落ち着いた声がちょうど届いた。
深く息を吸い込む。透明な涼やかな空気が、火照った体の中に満ちていく感覚。
深夜はしっかりと前を向いて、マイクを力強く握りしめた。
「「以上、かがみ川女子高校でした!」」