「ノノちゃん、今何時?」
「11時50分です。さっき確認してから、まだ5分も経ってないですよ」
乃々羽が笑いながら答えた。その手は淡々と折り紙で輪っか飾りを作り続けている。
家庭科室のホワイトボードには、オープニングアクト投票結果発表ページが映し出されていた。千絵ちゃん先生のノートパソコンの画面をプロジェクターで投影したものだ。
11時過ぎに家庭科室へ集まったときから変わらず、「集計中」の三文字が表示されたままだった。
深夜はここに来てから何度もページを更新してみたが、当然ながら表示は何も変わらなかった。あまりに何度も無駄に更新を繰り返すので、最終的に千絵ちゃん先生から「お触り禁止令」を言い渡されてしまったほどだ。
今は、パソコンの前には生徒会長が座っていて、深夜の監視兼この会の管理役を担っている。
「ノノちゃんは緊張せんが?」
「うーん、あんまりしてないですね」
「メンタルつよつよやない?」
「むしろ、みゃー先輩が緊張しすぎじゃないですか?」
「これ、一人で待ちよったら緊張で叫びよったかもしれん」
「そんなにですか」と乃々羽が笑ったので、深夜は「そんなにながよ」と肩をすくめて返した。
「まあ、たしかにこのゆるさのおかげで緊張してないのかもです」
深夜は、家庭科室を見渡した。
教室の雰囲気は、地方大会の結果発表を待っていたあのときの緊張感とはまるで違うものだった。今日はクリスマス。集まったメンバーたちは、クリスマスパーティの準備に余念がない。そのおかげで、部屋には和やかな空気が漂っていた。
部屋の隅では、生徒会が持ち込んだクリスマスツリーに雅と空が飾り付けをしている。服飾部で余った端切れをリサイクルして二人が作ったオーナメントが、ツリーを次々と彩っていく。なんの変哲もない布切れが、彼女たちの手にかかると、あっという間にオーナメントに形を変えた。そのクオリティの高さに、深夜は思わず感嘆する。
窓や壁には、みんなで作ったの飾りが文化祭実行委員会と生徒会の手で華やかに飾られていた。光を反射する紙細工やリボンがキラキラと輝き、いつもの家庭科室とはまるで別の空間になっている。
「フォンダンショコラ、焼けたわよー」
千絵ちゃん先生がオーブンを開くと、チョコレートの甘い香りが室内にふわりと広がった。Re-Ariseのアスカたちが真っ先に駆け寄り、「いい匂い!」と先生を囲んで、きゃっきゃと騒いでいる。
オーブンから取り出されたフォンダンショコラを千絵ちゃん先生が皿に盛り付けていくと、部屋中に漂うチョコレートの香りがいっそう濃厚になった。
テーブルには、買ってきたフライドチキンやポテトがすでに綺麗に盛り付けられている。コーラやオレンジジュースのペットボトルに紙コップ、おしゃれな紅茶ポットとマグカップも並び、パーティーらしい華やかさを添えている。
教室の後ろから、ひときわ賑やかな声が聞こえてきた。
深夜が視線を向けると、空がいつの間にかジャグリングを始めていた。文化祭実行委員会や生徒会の下級生たちがその周りを取り囲み、楽しそうに盛り上がっている。
その賑やかな光景を、映像研の面々がスマホやカメラで撮影している。
深夜はふと、1ヶ月前の文化祭や地方大会の準備風景を思い出した。あの頃の忙しさや活気が、今こうして少しだけ戻ってきたような気がして、なんだか懐かしい気持ちになる。
深夜の視線に気づいたのか、きらりがこちらに近づいてきた。手に持っているのは、小さなジンバルカメラだ。バズったドキュメンタリーの成功を受けて、学校が追加予算を出して購入してくれた新しい機材だと嬉しそうに話していたのを思い出す。
「どうですかー?」
「ふつうに緊張しちゅうよ」
「みやちが緊張とかウケる」
「合格発表の時より全然緊張しちゅう」
「ウケるー」
きらりはケタケタと笑った。冬休み前と違って、きらりの爪には派手なネイルはなく、髪色も完全に黒に戻っている。きらりらしからぬその姿に、深夜は「あぁ、受験が近いんだな」と実感する。
「きらり、受験勉強大丈夫なが?」
「たまには息抜きくらいしたっていいじゃんかー。久々の映像研で忘れてたのにー。はなー、みやちが合格者マウントかましてくるんだけどー」
きらりの呼びかけに、文化祭実行委員会の面々と空のジャグリングを見ていた羽南が近寄ってきた。
「推薦合格者さんは余裕で羨ましいな。私と瀬尾は受験勉強受験勉強の冬休みなのにさ」
「なんなが、その呼び方」
「
今、SNS上の一部界隈で深夜のことは「イケ女ンスクールアイドル」と呼ばれているらしい。かっこいい系にカテゴライズされるのは嫌ではないが、面と向かって言われるとさすがにちょっと恥ずかしい。
「それ言うがやったら、うちも『美人過ぎる文化祭実行委員』って呼ぶで」
「お、喧嘩か?」
「先に喧嘩売ってきたがは羽南やろー」
「おふたりさん、どうどう。クリスマスですぞー」
きらりがニヤニヤしながらカメラを構えている。その視線に気づいた羽南が「この映像撮るのが目的だったわけね」と呆れた感じできらり声をかけた。
「バレたかー」ときらりはあっさり認めると、すかさずその場から逃げ出そうとする。だが、それを見越していた羽南が素早く先回りし、きらりの手からカメラをするりと奪い取った。
「たまには瀬尾も撮られる側に回った方がいいんじゃない?」
羽南はそう言いながらカメラをきらりに向ける。
「ちょっと、返してよー!」
きらりは抗議の声を上げるが、身長差で分が悪い。羽南はカメラを頭上に掲げたまま、からかうような笑顔を浮かべて教室内を走り出す。
「こらー!」
楽しそうにはしゃぎながら、きらりがその後を追いかける。その小学生のような追いかけっこは、すぐに千絵ちゃん先生の注意を受けることになる。
「教室内で走らない!」
千絵ちゃん先生にたしなめられ、二人は揃って「はーい!」と元気よく返事をした。その表情はどことなく嬉しそうだ。
委員会や部活を引退して先輩らしく振る舞う必要がなくなったからなのか、それとも受験の息抜きなのか。はしゃぐ二人の姿は、どこか幼さが残っていて、深夜は思わず口元をほころばせた。
「先輩たち、相変わらず仲良しですね」
「腐れ縁やきねぇ。ノノちゃんも仲良し三人組じゃない? 各務ちゃんとか、午前練終わってすぐ来てくれたがやろ?」
今日は、いつも顔を出す映像研の桐ヶ谷に加えて、たまにしか顔を見せない陸上部の各務も来ていた。彼女は午前練が終わってすぐに駆けつけたようで、練習着のまま桐ヶ谷が撮影しているスマホの画面をのぞき込んでいる。
乃々羽の仲良し三人組がここに揃うのは、なかなかレアな光景な気がする。
「たしかに、あの二人とはなんか波長があうんですよね。最初はスクールアイドルとか運動部とか、共通の話題があったから話すようになったんですけど、今はもうそういうの抜きに一緒にいて楽って感じるんです」
「その感じ、分かるなぁ」
「今週末は各務の家でお泊まり会するんですよ」
「えー、ええなー。うちは周りみんな受験生やき、さすがにお泊まり会はできんがよねぇ……高3最後の冬休みやのに。そだ、ノノちゃんとこは年末年始どんな感じなが?」
「うーん、お泊まり会除いたら、特に予定ないですね。ママとおばあちゃんとゆっくり過ごすくらいですかね」
「じゃあ、どっかでうちでお泊まり会せん?」
「え、さすがに年末年始はご迷惑じゃないですか?」
「うちはいっつも年越しは親戚とか近所の人が入れ替わり立ち替わりで来てわちゃわちゃしちゅうき、一人くらい増えても全然問題ないがよね。それに一番上の姉ちゃんが帰ってくるがやけど、ずーっとノノちゃんと会いたい会いたいってうるさいがよ。やき、ノノちゃんが嫌じゃなかったら、来ん?」
「ホントにご迷惑じゃないなら、行ってもいいです?」
「よっしゃ、決まりやね。それで、一緒にしなねさんに初詣いかん?」
「良いですね!」
そんな話をしていると、「1分前でーす」という生徒会長の声が教室に響いた。その声に賑やかだった教室が一瞬静まりかえる。
束の間の静寂の後、すぐにまた賑やかさが戻り、みんなぞろぞろとホワイトボードの前に集まり始めた。深夜も視線をホワイトボードに向ける。画面には、いつの間にかタイマーアプリも表示されていて、その数字がどんどんと減っていく。
さっきまでのくだらない話で解けていた緊張が、またぶり返してきた。さきほどまであれほど時間の進みが遅く感じていたのに、今はカウンターの数字がみるみる減っていて、あっという間に残り10秒を示している。
「じゃあ、カウントダウンはじめまーす。10、9、8……」
「「7、6、5、4……」」
みんなで声を合わせてカウントする。
「「「3、2、1!!」」」
タイマーが0になる。ブラウザの更新ボタンが押されると、少しだけ読み込みに時間がかかって──
1位、かがみ川女子高等学校、456,305票
画面にはっきりとそう表示された。
「1位……」
わっと言う歓声が深夜の鼓膜を震わせる。誰かが深夜の肩を揺すり、拍手やおめでとうの言葉が次々と降り注いでくる。
得票数は、中間発表から40万票近くも上積みされている。その下には、「2位、聖リリア学園高等学校、275,510票」と表示されていた。もっと接戦になると思っていたが、結果は圧勝だった。
スカートのポケットが震える。スマホを取り出すと、画面には次々と通知が表示される。御代をはじめ、知り合いの名前が次々と流れていった。
その時、どこかで聞き覚えのある曲が深夜の耳に届いた。たしか、セン学のテーマ曲だったはずだ。音の出所を目で追うと、千絵ちゃん先生がスマホの着信を取ったところだった。
先生は「はい、はい」と何度か相手に応えながら軽く頭を下げ、すぐにスマホを置いた。
「ラブライブ!実行委員会から正式に『オープニングアクト内定』の連絡が来たわよ!」
再び歓声が教室を震わせたかと思うと、突然パーンという大きな音が響き、深夜は思わずビクッとする。振り向くと、空や各務たち1年生がクラッカーを鳴らしていた。
「みなさん!」
賑やかな空気を凜とした声が切り裂いた。いつの間にか乃々羽がホワイトボードの前に立っている。乃々羽のことだ、結果に大泣きしたり大喜びしたりしているのかと思いきや、その表情は晴れやかで、その立ち姿は堂々としたものだった。
「みなさんのおかげで、かがみ川女子高校スクールアイドル部、聖地アキバドームに立てます! ありがとうございます!!」
深夜も遅れて、乃々羽の横に立つ。
──生徒会、千絵ちゃん先生、服飾部、Re-Arise、映像研、文化祭実行委員会、各務ちゃん
集まってくれた、支えてくれたみんなの笑顔が目に焼き付く。最高のクリスマスプレゼントだと、深夜はかみしめた。
「みんな、うちの引退三週間伸ばしてくれてありがとうね」
そう冗談っぽく深夜が付け加えると、笑い声が広がり、教室の空気は和やかな祝賀ムードに切り替わる。
その様子を撮っていたきらりは、「すぐTikTok動画編集しなきゃ!」と慌てて教室の後ろへ駆けていく。続けて、「い、衣装、アップグレードしなきゃ!!」と、普段あまり声を張らない雅が珍しく大きな声を上げ、準備室に向かって走り出そうとする。
そんな二人の背中に向けて、
「みなさーん、気持ちは分かりますが、その前にクリスマスパーティー兼オープニングアクトお祝いパーティーを始めますよー! ドリンクを手にしてください!」
と生徒会長が呼びかけた。その言葉に、きらりも雅も足を止めて戻ってくる。思い思いのドリンクを手にする面々に深夜も混ざり、コーラを手にして乾杯の準備を整えた。
「メリークリスマス&スクールアイドル部オープニングアクト決定おめでとう! かんぱーい!」
「「「「かんぱーい!」」」」
パソコンのスピーカーからクリスマスソングが流れ始める。
その曲は、御代と一緒に乗った大観覧車で流れていたものと同じだった。あの日、頂上から見た大きなアキバドームの光景が頭に浮かぶ。
(あそこに、ノノちゃんと二人で立つがよね)
嬉しさが、実感として胸の奥から込み上げてくる。深夜は隣に立つ乃々羽をちらりと見る。視線に気づいた乃々羽もこちらを見て、柔らかく微笑んだ。
「アキバドームで最高のかがみ川女子高校スクールアイドル部を見せないとですね!」
乃々羽の言葉に深夜は力強く頷き、二人、静かに紙コップを交わした。