乃々羽の視線の先を、着物姿の深夜が歩いている。夕暮れ時の
軽快に話しながら歩く深夜の後ろ姿に、乃々羽の視線は釘付けだった。
着物の裾を乱さぬよう、小さく足を運ぶその所作は美しく、赤い帯締めが歩みに合わせて微かに揺れるたび、深夜の背中から静かな華やかさがあふれ出す。
対照的に、慣れない着物と狭い歩幅に四苦八苦している自分のぎこちなさが、乃々羽は少し恥ずかしくなる。
「浴衣の時も思ったんですけど、みゃー先輩、着物、すごく着慣れてますよね」
乃々羽の言葉に、深夜がするりと振り返る。切れ長の目元に仕上げたメイクが、普段の垂れ目で柔らかい印象とは違った大人びた雰囲気を醸し出していた。
着物を纏った深夜からは、育ちの良さのようなものが滲み出ているように乃々羽は感じる。
「小さいときからお茶とか日本舞踊とか習いよったきね」
「大和撫子じゃないですか」
「そんなんじゃないがよ。姉ちゃんたちが習いよったき、真似したくて習わせてもらっただけなが」
深夜の言葉に、小学生くらいの彼女が年の離れた姉たちのあとをついて習い事に通う姿が思い浮かんで、乃々羽は思わずそのかわいさに笑みをこぼした。
「でも、うちの性格的にじっとするのとかあんま向いてなかったきね。結局、小学生の途中でどっちもやめたがよね。まあ、それでも着物着たり、着物で動いたりするがは十分覚えられたきよかったがよね。こうやって、ガワだけでも大和撫子できるき」
そう言うとその場でくるりと回る。アイドル現場でありがちな「回って」とはひと味違った、腰を中心とした柔らかで流れるような動きだった。もしかしたら、これが深夜が習っていたという日本舞踊の所作なのかもしれない。
「あのお姉さんたちに憧れるのはなんとなく分かります」
さっき東雲家で出迎えてくれた二人の姉の姿を、乃々羽は思い出す。
初めて会った長女の
一方、以前東雲家を訪れた際に会っていた次女の真昼さんは、相変わらずふんわりとした柔らかい雰囲気を纏い、深夜とはまた違ったガーリーでかわいい系の雰囲気を醸し出していた。「大学でめちゃくちゃモテている」と深夜が話していたのもうなずける、美しさと愛らしさが同居した人という印象だった。
そんなふたりの中に深夜も加われば、まさに美人三姉妹。乃々羽は「東雲家の遺伝子、どうなってるんだろう……」という考えが頭をよぎったことを思い出す。
「あき姉もひる姉もノノちゃんのこと猫かわいがりしよったけんど、大丈夫やった?」
「一人っ子なんで、むしろ嬉しかったです。うちの子になりなさいって言われましたけど」
乃々羽が着ている橙色の着物は、暁さんから借りたものだ。姉妹に囲まれ、メイクや着付けなど着せ替え人形のようにされるがままにしてもらった時間を思い出して、乃々羽は笑みをこぼす。
「ふたりとも、年下とみるとペットみたいにかわいがるきね。まあ、ノノちゃんは可愛いき、かわいがりたくなる気持ちはわからんでもないけど」
「みゃー先輩も、お姉さんたちと話してると末っ子感でてて、可愛かったですよ」
「姉ちゃんたち、うちのことまだ幼稚園児かなんかやと思っちゅう節があるきねぇ」
「普段の先輩とは違う感じで新鮮でした」
からかうように言う乃々羽に、深夜は少しだけ頬を赤らめ、「他の人には内緒やきね」と囁いた。その仕草がまた可愛らしくて、乃々羽は「こういうみゃー先輩もありだな」と心の中でかみしめる。
そうこうしているうちに参道を通り抜け、鳥居の前にたどり着く。
手前にある手水舎に立寄って、深夜の所作を真似しながら、乃々羽も着物を濡らさないように気をつけつつ、さっと手と口を清めた。冬の冷たさが指先からしみこんでくるようで、一瞬身震いする。
「ノノちゃんは年末年始どうしよったが?」
手をハンカチで丁寧に拭きながら、深夜が問いかけてくる。
「大晦日はアイドル紅白のオンライン配信見ながら大掃除してましたね。それで元旦は早起きして、初日の出を見に五台山までランニングしてきました」
巾着からスマホを取り出し、乃々羽は深夜に初日の出ランニングの時に撮った写真を見せる。
画面には、山と海を背景にほんのりと空が明るくなりはじめた風景が映っている。想像していたようなバチッとした日の出ではなかったものの、高知らしい景色に囲まれた日の出は乃々羽の脳裏に美しい思い出となって刻み込まれていた。
「ノノちゃんらしさ全開やねぇ。寒うなかった?」
「寒かったです! ジャージだけじゃ死ぬんで、さすがにめちゃくちゃ厚着して行きました! みゃー先輩はどうしてたんですか?」
「うちは親戚の子らとだらだら遊びよったね。途中でリビングのテレビで、うちらのドキュメンタリー流されて、みんなで見るとかいうめっちゃ恥ずかしいイベントもあったがやけど」
「それ、めちゃくちゃみゃー先輩らしいですね」
お互い笑い合いながら、境内へと歩みを進める。
土佐神社には三が日で四万人近くが訪れるとニュースで見ていたので混雑を覚悟してきたが、もう三日だからだろうか、意外にもそこまでの人混みではなかった。東京の有名神社での初詣のような「人・人・人」のイメージとは異なり、このまったりとした雰囲気が乃々羽には心地よかった。
鳥居の近くでは屋台が軒を連ね、しなね祭の時に食べた玉子焼の屋台も出店している。ふんわり漂ってくる甘い香りに、乃々羽は少しだけお腹がすくのを感じた。
「ノノちゃん、玉子焼、気になるが?」
「帰りに買って行きます?」
「うーん、今日は我慢。年末年始、がんばって食欲セーブしたがけど、それでもちょっと食べ過ぎたがよね。太って、衣装はいらんなったら嫌やきね」
「さっき食べさせてもらったおせち美味しかったです。あれは、ついつい食べちゃうの分かります」
「そうながよ。ママが料理好きやきねぇ。普段仕事で忙しくてあんまり手間暇かけられん分、年末年始はがっつり全力投球するがよ」
「そうなんですね。どれもこれも美味しかったですけど、特に数の子が絶品でした!」
絶妙な甘辛さに、プチプチとした食感。そして、ふんわりと漂う鰹節の風味。
これまで食べたどの数の子よりも美味しかったあの味を、乃々羽は思い出し、心の中で反芻する。
先に鳥居の前に立った深夜が軽く一礼し、静かにその下をくぐった。乃々羽もそれに続き、心を正すように頭を下げてくぐる。
屋台の前を通り過ぎると、砂利道の感触が足の裏から伝わってくる。ざくざくと音を立てるその感覚が、心地よい。
「ノノちゃんとこはおせちどうしちゅうが?」
「うちはママの仕事が年末だいたい修羅場になるんで、東京にいたときからおせちは注文ですね」
「おせちって、三が日に台所たたんために作るって言うても、準備自体はかなり大変やきねぇ」
「だから、みゃー先輩んちみたいに手作りのおせちってめちゃくちゃ憧れだったんです」
「喜んでもらえたみたいで良かったがよ」
「うちでも、お雑煮とかはママが準備してくれます」
「ノノちゃんとこのお雑煮はどんなんなん?」
「うちは基本、東京の角餅おすましです。高知も角餅なんですよね?」
「そうやね。やき、東京のとあんまかわらんと思う。ただ、うちはお餅は家でついちゅうきね」
「そうなんですか!? それってあの、杵とか臼とかでやるやつってことですよね?」
「昔はちゃんとぺったんぺったんやりよっけど、パパが腰やってからは自動餅つき機で作っちゅうがやけどね。それでも、やっぱつきたては全然違うがよ。美味しすぎて、うち毎年お餅二桁はペロリといくくらいやきね。まあ、今年はセーブしてまだ一個しか食べてないけんど」
「へえ……聞いてるだけで美味しそうです」
「そんなノノちゃんに朗報です。いまママたちが仕込んちゅうき、家帰ったらなんとつきたてのお餅が食べれます!」
「やったー!」
そんなたわいないやりとりをしていると、あっという間に二人の初詣の番が回ってきた。
乃々羽はお賽銭をそっと投げ入れ、深夜と一緒に鈴をがらんがらんと鳴らす。
二人でそろって二礼二拍手一礼。
乃々羽は手を合わせて、静かに目を閉じた。
──ちゃんと元気にオープニングアクトの舞台に立てますように
「ノノちゃんは何をお願いしたが?」
「ちゃんと元気にオープニングアクトの舞台に立てますようにってお願いしました」
「うちもおんなじ。インフルエンザはやっちゅうき、絶対かかりませんようにってお願いしたがよ」
「仲良しですね」
「仲良しやね」
二人で顔を見合わせて、笑い合う。
「もう、あと10日でアキバドームなんですよね」
「早いねぇ」
深夜がしみじみとつぶやく。その声には、オープニングアクト決定から年末までの慌ただしい準備の日々を思い返すような響きが込められているように聞こえる。
「ホテルとれて良かったねぇ」
「連休だからか全然とれなかったですよね」
「けーちゃん先生に感謝やね」
アキバドーム近くのホテルは、連休の影響もあってか空き部屋がほとんど見つからない状況だった。たまに空いている部屋があっても、ビジネスホテルですら一泊数万円にまで跳ね上がっていて、とても二人には手を出せる金額ではなかった。
困り果てた乃々羽たちを救ってくれたのはセン学だった。千絵ちゃん先生がけーちゃん先生に相談してくれて、最終的にセン学が手配していた宿泊施設に特別に二部屋を追加してもらえることになったのだ。
「これ、うちらは数人やからまだええけど、大所帯のとこやと宿泊とか交通費とかすごいことにならん?」
「応援席枠参加の生徒とかの分までまかなうとなると、かなりの出費になるらしいですよ。クラファンとかOG寄付とかでなんとかやりくりしてるって聞いたことがあります」
出場校には各校、数百席規模の応援席が割り当てられる。席自体は格安ではあるが、大勢の生徒を団体で応援に連れて行くとなれば、交通費や宿泊費が莫大に膨れ上がる。こうした費用負担の問題はスクールアイドル界隈ではよく知られた話だ。そのため、クラウドファンディングや寄付を募る学校も少なくないが、初出場校ではそれがうまくいかず、応援席が空席だらけになることも珍しくない。応援席の空席問題が話題になっているのを、目にしたことは一度や二度ではない。
「オープニングアクト校には応援席枠なかったのは逆に良かったかもねぇ」
「予算ないですし、みんな自腹で来てもらうことになっちゃいますもんね」
「応援席以外は一般販売なんよね?」
「そうですね。ラブライブ!決勝はここ数年プラチナチケット化してますから、一般枠でとるのはかなり難しいんですよ。アキバドームは座席数多いんですけど、それでも抽選は凄い倍率になるみたいです。抽選のあとの先着販売も、開始一分以内に売り切れるって話です」
「それをうちのママたちはとったがよね」
「すごい強運ですよね」
オープニングアクト投票結果発表後、残されたチケット取得方法は先着販売のみだった。乃々羽の母は見事にその先着販売で二席を確保してみせたのだ。「昔からコンサートチケット争奪戦には慣れてるからね」と胸を張り、嬉しそうに話していた母の姿が印象的だった。
その奇跡のプラチナチケットを手に、深夜の母と一緒に日帰りで観戦に来てくれる予定になっている。
「うちらもママたちの運にならって、運試しにおみくじひいていかん?」
「いいですね」
むんと念じながら、乃々羽はおみくじを一つ手に取る。
ゆっくりとノリを剥がしながら開くと「大吉」の二文字が目に入った。
「大吉です!」
「うちも大吉! 二人して幸先ええねぇ」
「
「うちも旅行よしやね」
「じゃあ、どこか旅行いきますか一緒に。みゃー先輩はラブライブ!が終わったらどんな予定なんですか?」
乃々羽は少し前のめりになって尋ねる。
「三学期は自由登校期間やき、ラブライブ!終わったら卒業式まで学校には行かんね。その期間使って、御代と一月中に免許とろうって計画しちゅう」
「2月以降はどうなんですか?」
「家族で旅行する計画あったり、他の子らの受験おわったらみんなで卒業旅行いく計画立てたりしちゅうがよね。それで三月入ったら早めに
「じゃあ、ラブライブ!が終わったらもうほとんど会う機会ないんですね」
「そうやねぇ。まあ、会えんって言うてもLINEでもなんでもすぐ連絡取れるし」
「でも、この半年、授業以外ほとんどみゃー先輩と一緒だったから、やっぱり寂しいですよ」
「まあねぇ。じゃあ、姉ちゃんが言いよったみたいに、うちの子になる?」
「なっちゃいます?」
冗談っぽく二人で笑い合う。そこに湿っぽさは無かった。「終わってもいない未来の寂しさを先取りするのは違うな」と、乃々羽は思い直す。
「先輩が大学に入ったあとでいいので、やっぱり旅行に行きませんか? わたし、まだまだ高知で行ってないとこ行きたいところ沢山あるんです」
「ホエールウォッチングとかね」
「ホエールウォッチング?」
「砂浜美術館に行ったときに、次はホエールウォッチング行こうって話したやんか」
「ああ、そういえばそうでしたね!」
「忘れちょったがじゃない、ノノちゃん?」
いぶかしむ深夜に「覚えてましたって」と乃々羽はごまかしながら答えた。
「じゃあ、夏休みに帰ってきたら二人で色々ドライブに行こうか」
深夜の提案に、乃々羽はぱっと顔を輝かせた。
「約束ですよ、みゃー先輩!」
「約束やね」
ふたりで軽く指切りを交わして、乃々羽は弾むような足取りで砂利道を踏みしめながら歩き出した。
深夜とスクールアイドルでいられる時間は、あとわずか。
その事実をしっかり意識しながらも、乃々羽は残された今を全力で楽しもうとしていた。
(まずはお餅とお泊まりを楽しまないとね)
先を行く深夜の背中を見つめながら、乃々羽はこれから広がる未来に思いを馳せる。
スクールアイドルとしてではない、自分と深夜の新しい関係──その形を、ぼんやりと想像しながら、乃々羽は深夜のあとをゆっくりと歩くのだった。