アキバドームは昨晩と変わらぬ姿でそこにあったが、深夜には昨日よりもずっとキラキラと輝いて見えた。それは、夢のような一日を経験したからだろうか。
ラブライブ!全国決勝大会が終了して、すでに三時間近くが経過していた。深夜がドームをあとにしたのはほんの少し前のことだ。規制退場が終わった後、ステージで記念撮影をしたり、控室で着替えをしていたら、時間はあっという間に過ぎていった。
(今日も泊まりにしちょって良かった)
深夜のスマホには、母から最終便に乗るために泣く泣く終演前にドームをあとにしたというメッセージが届いていた。もし夜行バスで帰ることにしていたら、母と同じように後ろ髪を引かれる思いで足早にアキバドームをあとにすることになっていたに違いない。
深夜は広場の一角で、衣装をしまった大きなスーツケースを椅子代わりにしながら、止むことのないLINEやインスタの通知に返信を続けていた。ふと目を上げれば、行き交う人々の姿が見える。アキバドーム前の広場には、まだ多くの出場校の関係者たちが残っていた。寒空の下だというのに、その場の熱気は冷める気配がない。
広場では出場校ごとに自然とグループができていて、ミーティングをしている学校もあれば、興奮した様子で撮影やおしゃべりを楽しむ学校、そして涙にくれる学校もある。そんな賑やかな空間の中、他校の生徒たちと楽しそうに話す乃々羽の姿があった。「次期部長として、いろんな学校とコネクション作ってきます!」と意気込んで駆け出していった彼女を見送ったのは、ほんの数分前のことだ。
その近くでは、先生たちが集まり、何やら楽しそうに話し込んでいる。その中に、オープニングアクトが終わった直後、号泣しながら深夜たちを迎えてくれた千絵ちゃん先生の姿もあった。「最高だった!」と人目もはばからず涙を流しながら繰り返していた千絵ちゃん先生の姿を思い浮かべると、今日のステージの記憶が一緒になって蘇ってくる。
あの広大なアキバドームを埋め尽くした観客たち。
そして、無数のペンライトが織りなす光の海。
「コーレスとか振り付けとかも完璧やったねぇ」
その光景を思い浮かべながら、深夜はつぶやいた。
サビに合わせて、5万人近くの観客が一斉に踊り、声を揃えてコールを叫ぶその姿──ただただ圧巻だった。あれほどまでに一体感を感じた瞬間は、深夜にとって人生で間違いなく初めての出来事だった。
あの成功は、映像研が年末年始を使って作った「コール・振り付け練習動画」のおかげだと深夜は思う。SNSを通じて瞬く間に広まったその動画を、今日の観客たちはしっかり予習してきてくれたのだろう。
観客とともに作り上げたステージ──それが、今日のステージをより特別なものにした。
映像研、そして来てくれたすべての人たちに、深夜は心の中で感謝の気持ちを述べる。
そして、生で観戦した全国決勝大会。
ゲスト解説としての役割があるせいで、緊張して楽しめないかもしれない──そんな不安は杞憂に終わった。決勝に進んだ14校のパフォーマンスは、どれも全国大会に相応しいものばかり。いちスクールアイドルファンとして、深夜の心は完全に掴まれてしまった。途中で解説席にいることすら忘れてしまって、手元のペンライトをぶんぶん振ってしまうくらいだった。
そんな14校の素晴らしいパフォーマンスが終わり。結果発表を兼ねた、閉会式。
2024年度ラブライブ!全国決勝大会は、東京代表・日成女学園高校の優勝で幕を閉じた。
準優勝は、乃々羽が通っていた清澄白河女学院。つまり、東京勢がワンツーフィニッシュという結果になった。東京だけがひとつの地方ブロックとして扱われることには批判もある──乃々羽からそんな話を聞いたことがある。しかし、こうして結果を見れば、東京がブロックに値する激戦区であることは疑いようがなかった。
非東京勢での最上位、つまり全体3位に入ったのはテレスト学院だった。知り合いが上位に食い込んだことが、深夜にはどこか誇らしかった。久しぶりに目にしたSaku x Saku(はじめと櫻子)のパフォーマンスは、9月の合同合宿時とは比べものにならないほど洗練されていた。圧倒的な歌唱力を誇るはじめと、空間と視線を自在に操る櫻子。彼女たちのパフォーマンスは、会場が大きくなるほどその魅力を増すように深夜の目には映った。元プロで大ステージの経験が豊富だということも、関係しているのかもしれない。
閉幕後に二人と話をしたとき、彼女たちの表情はどこか晴れやかだった。優勝を逃した悔しさを口にしながらも、全ス選四国地方大会でセン学に敗れたときの絶望の表情とはまるで違う。それは、彼女たちなりに納得のいくパフォーマンスを成し遂げられたということを意味しているのだろう。
そのテレスト学院に全ス選で勝利したセン学は、8位入賞という結果に終わった。とはいえ、彼女たちのパフォーマンスがこれまで深夜が見たセン学のパフォーマンスの中で最高のものであったことに、疑いの余地はなかった。20人という上限いっぱいの人数を使い、アキバドームの広大なステージを駆け回る彼女たち。その姿は「栴檀学園高等学校スクールアイドル部ここにあり」という存在感を、観客に強烈に印象づけたに違いない。それでも全国大会の壁は厚かった。今年度は名門校の決勝進出が多く、多人数パフォーマンスの学校が結果的に多くなってしまったことも、セン学にとっては少し不利に働いたのかもしれない。
その他の初めて見るスクールアイドルたりも、それぞれがそれぞれの輝きを放つ、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。
ラブライブ!が、そしてスクールアイドルが好きになる──そんな3時間だったと、深夜は思い返す。
「おつかれさまっす」
そんなことを考えていた矢先、不意に背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには長い黒髪をなびかせた長身の女性が立っていた。ジャージにダウンというラフな装いにもかかわらず、視線を奪われるような圧倒的なオーラをまとっている。
深夜は一目で彼女が誰なのか分かった。
日成女学園高校2年、
ソロアイドルとして初のラブライブ!連覇を成し遂げた、日本で、いや、世界でも一番有名なスクールアイドル。今やその名を知らない者はいないだろう。
そして、清澄白河女学院時代に乃々羽を可愛がっていた先輩でもあると深夜は聞いている。
後輩相手とはいえ、初対面だ。座ったままでは失礼だと思い、深夜は慌てて立ち上がった。
向き合うと、瑠璃は深夜より少しだけ背が高いことに気づく。
(うちより背の高いスクールアイドルに会うのは初めてやね)
あのオダルリを前にしてそんなどうでも良いことを考えている自分に気づいて、深夜は内心苦笑する。
「かがみ川女子の東雲さんっすよね」
「そうやけど。日成のオダルリちゃんよね。うちのノノちゃんが昔お世話になったって聞いちゅうよ」
「うちの
「うちのノノちゃんは良い子やきね。迷惑なんか全然」
お互いなぜか不思議な乃々羽マウントを取り合った後、先に瑠璃が吹き出して笑い出した。深夜もつられて笑う。瑠璃に対して深夜が抱いていた「高潔な絶対的女王」のイメージが音を立てて崩れ落ちる。
なんとなく彼女とは気が合いそうだ──この短いやりとりだけでそんな予感が深夜の中に芽生えていた。
「ちょっとあっちで話しません?」
瑠璃に促され、二人は並んで少し離れたベンチへ歩き出した。
「ルリちゃんって呼んでもええ?」
「ご自由に。オレもミヤさんって呼んでいいっすか?」
「ええよー。ルリちゃん、今日のパフォーマンスすごかったねぇ」
「ありがとうございます。かがみ川女子のパフォーマンスも良かったっすよ。オレ、ああいう王道スクールアイドルパフォーマンス大好物なんですよね」
「見てくれたが?」
「リアルタイムはモニター越しでしか見れなかったんで、終わった後にそっこー配信で見ました。
「ノノちゃんのこと気にかけよったがや」
「まあ、あれでも、唯一オレが可愛いがってた後輩なんで」
「愛されちゅうねぇ、ノノちゃんは」
「愛でいったら、ミヤさんの方がちびすけのこと大切に扱ってるんじゃないっすか? ドキュメンタリーとか今日のステージとか、見てるとそういうのが伝わってきたんすよね」
「まあ、かわいいかわいいたった一人の後輩やきね。それに、ここに連れてきてくれたがはノノちゃんやき。ノノちゃんと出会ってなかったら、たぶんうちスクールアイドルやってなかったがよ」
「ミヤさん、三年になってからスクールアイドル始めたんですよね」
「そうそう。スクールアイドルやりたいってなった時にたまたまノノちゃんと出会って、それでここまで二人で走ってきたって感じ」
「マジでスクールアイドル経験8ヶ月であそこまでやったんすか。すげー」
「ノノちゃんとか周りの子たちが助けてくれたおかげでやけどね」
「いや、それでも普通はあそこまで出来ないっすよ。絶対アイドルの才能ありますって。このオレが保証します」
「ルリちゃんに言われると心強いね」
「卒業してもアイドル続けるんですか?」
「そのつもり。大学は栴檀学園の部長の子と一緒に上智に決まっちゅうがやけど、その子と一緒にカレッジアイドルやろうって約束しちゅうがよ」
「あー、小椋御代っすか。あの人も良いスクールアイドルっすよね」
「知っちゅうが?」
「オレ、スクールアイドルマニアなんすよね。まあ、ちびすけほどじゃないっすけど。全国の有名どこのスクールアイドルは基本おさえてます」
そういうと、きししと瑠璃は笑った。そこにいるのは巷で言われているような「史上最強のスクールアイドル」ではなく、スクールアイドル好きのちょっと背の高い一人の女子高生だった。
「じゃあ、カレッジアイドルはじめたら、うちにも遊びに来て下さいよ」
「ええが? うち、社交辞令とか通用せんき、そんなこと言うたら普通に押しかけるがよ」
「もちろんですよ。で、沢渡乃々羽を愛でる会しましょう」
二人そろって笑っていると、聞きなじみのある声に深夜は呼び止められた。
「なんか、面白そうな話してるじゃん」
「お、咲良はじめじゃん。久しぶりー」
「呼び捨てにすんなし」
「だって、今日もオレが勝っちゃたからなぁ」
「たしかにウチは負けたけど!」
「はじめ。ぎゃんぎゃん騒がない。また、小田桐さんにペース握られてますよ」
かみつきそうな勢いではしゃぐはじめを制するように、櫻子が静かに割り込んできた。
「ご無沙汰しています、小田桐さん、東雲さん」
「え、なに。ミヤさん、咲良はじめと片桐櫻子の知り合いなわけ?」
「つか、アンタは何でうちの東雲パイセンに馴れ馴れしくしてるわけ?」
「オレらは沢渡乃々羽という太いパイプがあるんだよ。で、おまえらはミヤさんとどういう関係なわけ?」
深夜は瑠璃に、テレストとのなれそめやラブライブ!予選前に合同合宿についてなどを簡単に説明する。
「へー。四国ってつながり強いんだ。つか、徳島と高知って近いの?」
「正直、全然近くないですね。下手したら東京の方が時間的には近いレベルです」
「それでも仲良いっていいな。オレはどっかと合同練習とか合宿とかしたことないから、そういう青春っぽいの、ちょっと憧れるなー」
「東京やと近くにいっぱい学校あるろ?」
「こいつ、性格悪いから避けられてるんすよ、たぶん」
「はぁ? オレは普通に性格良いし。ほら、ソロでディフェンディングチャンピオンで有名人だろ。だから、みんな遠慮するわけ」
「それを避けられてるって言うんじゃないの?」
「お、喧嘩か?」
はじめと瑠璃がぎゃんぎゃん騒ぎ立てるのを見て、櫻子がため息をついた。
「すいません、東雲さん。はじめ、小田桐さんと会うといっつもこんな感じになるんですよ。あの子、負けず嫌いだけど、小田桐さんのことは心の中で認めているというかなんというか……」
「はじめちゃんとルリちゃんはちょっと雰囲気似ちゅうし、ライバル視したくなる気持ちはなんとなくわかるがよ」
「ずいぶん、にぎやかですね」
また一つ、聞きなじみのある声が会話に加わってくる。
「あ、御代。ミーティング終わったが?」
「はい。部長の引き継ぎも無事終わりました」
「ご無沙汰しています、小椋さん」
「こんにちは、さくらこちゃん」
二人は合同練習などで面識があると深夜は聞いている。
櫻子の横に御代が並ぶ。二人とも柔らかいお嬢様という雰囲気で、横並びになると姉妹のように見えた。
「深夜せんぱーい!」
「みゃー先輩!」
御代に遅れてこちらに気づいた倫と乃々羽が、ぶんぶんと手を振りながら走ってきた。
「げ、瑠璃先輩」
乃々羽は深夜の向こうにいる瑠璃に気づいたようで、そうこぼした。
「おい、ちびすけ。今、オレの顔見て『げ』って言ったろ」
「気のせいじゃないですか?」
「げの前に、オレになんか言うことあるんじゃないの?」
「ラブライブ!優勝おめでとうございます、瑠璃先輩」
「うんうん」
乃々羽が深夜に普段見せる表情とは少し違う、ちょっと生意気な後輩らしい一面。瑠璃とのやりとりの中で垣間見えるそれが、妙に新鮮だった。
集まったみんなが楽しそうにくだらない会話を始めたのをみて、深夜は少しだけ、感慨深くなる。
瑠璃がいて、はじめがいて、櫻子がいて、御代がいて、倫がいて、乃々羽がいて、そして深夜がいる。
スクールアイドルにならなければ、繋がらなかった縁。
スクールアイドルをはじめて、続けてきたから繋がった縁。
深夜は今日、ここでスクールアイドルを引退する。
それでも、この繋がった縁が途切れることはない──そう確信していた。
だから、乃々羽と二人で作り上げたかがみ川女子高校スクールアイドル部の縁を、次の世代に引き継ぐ時間だ。
「ノノちゃん、あいさつ周りはもう大丈夫?」
「はい、ばっちしです!」
「じゃあ、これで今年度のかがみ川女子高校スクールアイドル部は終わりでかまん?」
なるべくさりげなく、日常の会話の延長のように伝える。
乃々羽がまっすぐ深夜を見つめ、きっぱりと答えた。
「大丈夫です、みゃー先輩。これからは私が部長として、かがみ川女子高校スクールアイドル部を引っ張っていくので。来年はたくさん新入部員を入れて、次は必ず実力でここに来てみせます!」
乃々羽の笑顔に、深夜も自然と微笑む。
もう乃々羽は一人でも大丈夫。
そう思わせる、揺るぎないその瞳。
次はきっと、後輩たちを引き連れて実力でこの舞台に立つ乃々羽の姿を見られるはずだ。
「楽しみにしてるがよ、かがみ川女子高校スクールアイドル部部長の沢渡乃々羽ちゃん」
「はい、任せてください!」
***
2025年1月13日21時30分、アキバドーム前広場。
2024年度かがみ川女子高校スクールアイドル部は、こうして静かに幕を下ろしたのだった。