2025/02/01:卒業式
「そろそろ教室でるき」と乃々羽にLINEを送ると、すぐに「10分後くらいに屋上庭園でお願いします!」と返信が返ってきた。
「みゃー、どこいくの?」
スマホを覗き込みながら羽南が話しかけてくる。その手には、文化祭実行委員会の後輩たちから贈られたという花束が握られていた。
「ノノちゃんたちんとこ。このあとちょっとした卒業パーティやってくれるがやって」
「いいじゃん。でも、楽しみすぎて、夜の打ち上げ遅れないでよ」
夜は羽南、きらり、それぞれの家族が集まって卒業祝いの食事会をすることになっている。
羽南は共通テストでかなり良い成績だったらしく、すでに合格がほぼ確定した状態らしい。
一方、きらりは二次試験に向けて猛勉強中。とはいえ、今日は卒業式。さすがにこの日くらいは息抜きだと高らかに宣言し、久しぶりに手にしたカメラを手に、卒業式関連の動画を撮りまくると息巻いてきらりはずっと前に教室を出て行っていた。
かがみ川女子高校は私立の進学校であり、県内では名門とされている。だからなのか、伝統として卒業式は二次試験前の1月最終週か2月最初の土曜日に行われる。
この時期に卒業式をすることに批判的な意見もあるらしいが、「明確に落ちてしまった子」がまだいないタイミングであるため、先に合格が決まっている深夜にとっては、周囲に気を使う必要がないのがありがたかった。
羽南やきらりは、そんな気遣いをしなくてもいい親友だとは思っている。けれど、もしこれが3月で、誰かが不合格になった後だったら──さすがの深夜でも、祝賀会を楽しむ気にはなれなかっただろう。
「7時やっけ?」
「そだよ。じゃ、またあとで」
そう言うと、羽南は花束を掲げて教室を出て行った。
羽南だけではない。教室からは三々五々、生徒たちが去っていく。
担任の原ちゃんが黒板に描いてくれたクラス全員の似顔絵を眺めながら、この中には、これからの人生で一度も会わない子もいるのかもしれない──そんな考えがふと深夜の頭をよぎって、少しだけ寂しさがこみ上げてくる。
そんな考えを振り払うように、深夜は机の上の卒業アルバムを手に取った。ほかの荷物は先に家族が持って帰ってくれていたのだが、友だちにメッセージを書いてもらうためにこれだけは残していたのだ。
(あとでノノちゃんにもメッセージ書いてもらわんとね)
クラスメートたちからたくさんのメッセージをもらった卒業アルバムを胸に抱え、深夜は教室をあとにした。
暖房の効いた教室に比べると、廊下の空気はひんやりとしていた。空は一面雲に覆われ、冬らしい重苦しさが漂っている。予報では午後から雨が降ると言っていたが、なんとか天気はもっているようだ。
廊下には卒業生や保護者が小さな集団を作り、卒業を祝う晴れやかな空気と、別れを惜しむ名残惜しさが絶妙に混ざり合っていた。
その間を縫うように歩いていた深夜は、ふと乃々羽の「10分後に屋上庭園」という返信を思い出し、足を止める。
もともと卒業パーティは、乃々羽と雅、空、そして千絵ちゃん先生が家庭科室で準備してくれると聞いていた。それなのに、わざわざ屋上庭園に呼び出すということは──。
(何か、見せたいものがあるがやろうね)
その「何か」は、なんとなく想像がついていた。
──深夜の卒業を祝うスクールアイドルパフォーマンス
もしこの予想が当たっているなら、乃々羽にも準備があるはずだ。
ちゃんと約束の時間に向かったほうがいいだろう。
(まだ少し時間あるき、ちらっと部室でも見に行こうか)
そう思い立ち、旧校舎のはずれにある部室へと歩き出す。
足を進めるたびに、ざわめきがどんどん遠のいていく。
部室には、ラブライブ!決勝大会後、一度荷物を取りに来たことがあった。だから特に用事があるわけではない。ただ、かがみ川女子高校生の東雲深夜として、最後にもう一度見ておきたい。
そんな想いがわき上がってきたのだ。
(鍵返しちゅうき、中には入れんがやけどね)
階段を昇ると、この一年、何度も通った部室が目の前に現れる。
文化祭の頃からは家庭科室が第二の部室のようになり、活動の大半をそちらで行うようになった。そのせいで、ここは単なる着替え場所になってしまったのだが──それでも、深夜にとって「部室」と言えば、やっぱりこの部屋だった。
「スクールアイドル部」と書かれた張り紙。深夜が描いた二人をデフォルメしたキャラクターは、すっかり日に焼け、色あせてしまっていた。
それだけの時間が、あの日から流れたのだ。
張り紙にそっと手を触れると、その瞬間、これを貼ったときの高揚感が鮮やかに蘇る。
(ほこりだらけやったし、かび臭かったがよねぇ)
最初の印象は、単なる使われなくなった物置。
どんなに換気しても、じめっとしたかび臭さがなかなか取れなかった。それが、月日を重ねるうちに、いつの間にか気にならなくなっていた。二人で色々と小物を家から持ち寄って、少しでも過ごしやすい環境を整えていった。
そうして、気づけば殺風景だったこの部屋は、ちゃんとかがみ川女子高校スクールアイドル部の「部室」になったのだ。
深夜は思い出を閉じ込めるように、扉の前で何枚か写真を撮る。
(ちょうど良い時間やね)
スマホをポケットにしまうと、深夜は足早に屋上庭園へと向かった。
***
屋上庭園への扉を開けると、冬の空気が深夜を包み込んだ。
コートを着ていても、冷たさがじんわりと体に染み込んでくる。
遠くに、乃々羽がひとりベンチに腰掛けているのが見えた。
「ごめんごめん、遅くなったがよ」
深夜は大きな声で謝りながら、足早に乃々羽の元へ向かう。
立ち上がろうとする乃々羽を制して、その隣に腰を下ろした。
「今来たところなので全然大丈夫です!」
乃々羽は朗らかにそう言ったが、その頬は寒さのせいか、うっすらと朱が差していた。
「みゃー先輩、卒業パーティの前にちょっとだけお時間いただいていいですか?」
「全然ええよ」
「ありがとうございます。じゃあ、みゃー先輩の卒業祝いに、1曲だけパフォーマンスさせてもらえますか?」
「もちろん!」
「ホントは清学みたいに送別公演とかしたかったんですけど、そこまではちょっとできなくて……」
「うちは1曲だけで十分嬉しいき。それに、こんな寒い中で何曲もやったら風邪ひくきねぇ」
「それもそうですね」
乃々羽はくすっと笑い、立ち上がると準備を始めた。
普段の練習で使っているワイヤレススピーカーの電源を入れる。スマホを少し操作した後、「合図したら再生を押してもらえますか」と深夜に差し出してきた。
深夜はうなずきながらそれを受け取る。
1メートルほど離れたところに、乃々羽はすっと立った。
コートを脱ぐと、制服があらわになる。眼鏡はかけたまま。手にマイクはない。
ばっちり決めたステージ上の沢渡乃々羽とは違う、いつもの乃々羽。
その姿に、少しだけ違和感を覚える。
でも、乃々羽のことだ。この出で立ちを選んだ理由が、きっと何かあるのだろう。
深夜はそう考える。
すっと乃々羽が手を挙げた。
その合図を見て、深夜はスマホの画面にちらっと目を落として、再生ボタンを押した。
「聞いて下さい。&GAIN!!!」
乃々羽の透き通るような声に続いて、スピーカーから聞き慣れたイントロが流れ始める。
「だからもう一度、またねを伝えたい」
乃々羽の声が、息づかいが、直接耳に届く。
「わたしとあなた、みんなでつむぐ」
深夜は、ふと気づく。
こうして観客として乃々羽のソロパフォーマンスをちゃんと見るのは、スクールアイドル部として初めて練習したとき以来かもしれない。
あのときは、初めて間近で見る「ホンモノのスクールアイドル」にただただ圧倒された。
乃々羽がどんな過去を背負っているのかも知らずに、ただそのパフォーマンスの輝きに息を呑んだ。
それから練習でパフォーマンスを見ることは何回もあった。ただ、それはあくまでも「お手本」や「チェック」としてだった。
今、改めて「観客」として乃々羽のステージを見る──その新鮮さが、じわじわと胸に広がる。
(ああ、うちはもうスクールアイドルやないがやね)
自分が引退したのだという、確かな実感が押し寄せてくる。
「この歌は&GAIN!!!」
間奏に入ると、乃々羽はキレのあるダンスを始めた。
本来は二人でパフォーマンスする「&GAIN!!!」を、乃々羽は見事にソロアレンジしていた。
ラブライブ!決勝大会が終わってから、ほんの短い期間でこのパフォーマンスを作り上げたのだろうか。
自然とメロディに合わせて踊り出しそうになるのを、深夜はぐっとこらえる。
これは、第2代かがみ川女子高校スクールアイドル部のパフォーマンス。
自分はそこには属していない。
深夜は観客として、リズムに合わせて小さく手を振るにとどめた。
目の前で歌って踊る乃々羽は、キラキラと輝いている。
これぞ、スクールアイドル。
(やっぱノノちゃんは、全国レベルやね)
倫、御代、はじめ、櫻子、瑠璃──
全国トップクラスのスクールアイドルたちと比べても、決して見劣りしない。
指先まで込められた感情。
見ているだけで楽しくなる笑顔。
心を揺さぶる歌声。
深夜は、完全にスクールアイドル沢渡乃々羽のパフォーマンスに魅了されていた。
(うち、こんな子と一緒にスクールアイドルやってたがやね)
この横に立っていた自分も、観客の目には同じように映っていたのだろうか。
そんな心配が一瞬、胸をかすめたが──
乃々羽のパフォーマンスを見ているうちに、そんなことはどうでもよくなっていた。
あっという間に、曲はサビへと流れ込む。
「&GAIN!」を三回繰り返したあと、乃々羽は右手をマイクのようにして、ぐっとこちらに向けた。
深夜は観客として、「&GAIN!」と大きく返す。
その瞬間、乃々羽の「&GAIN!」が綺麗に重なった。
まるで、あの日と同じように。
(そっか、ノノちゃんと出会ったのはここやったねぇ)
ぱっと記憶が蘇る。
あの時と同じ眼鏡と制服、ポニーテール。
(ノノちゃんは、出会ったときとおんなじ感じで、うちを送り出したいがや)
その出で立ちの意味を理解する。
始業式の日の放課後。
羽南ときらりに「&GAIN!!!」を熱く語った勢いでなんとなくサビを歌い始めて。
ふいに乃々羽の声が重なった、あの瞬間。
まるでリプレイのように、記憶がよみがえる。
つづいて、走馬灯のようにこの一年の記憶が頭の中を駆け巡った。
──顧問探しに駆け回った日々
──圧倒的なパフォーマンスに度肝を抜かれたセン学定期公演
──二人でちゃんとスクールアイドルをやると誓った、夕暮れの汽車
──初めて人前でパフォーマンスした、昼休みのミニライブ
──ついていくだけで精一杯だった、セン学との合同練習
──ステージに呑まれてしまった、全ス選予選
──テレストと出会った、全ス選四国地方セミナー
──よさこい、しなねさん。練習の合間を縫って出かけた、夏休みの思い出
──体調を崩したり、台風に振り回されたり、それでもようやく実現した、テレストとの合同合宿
──全ス選予選のトラウマを乗り越え、会心のパフォーマンスができた、ラブライブ!高知県予選
──雅やアスカ、きらり。協力してくれる子たちと作り上げた、文化祭・ラブライブ!地方大会のステージ
──ドキュメンタリーがバズって、立つことができた、ラブライブ!全国決勝大会オープニングアクト
一緒に遊んで。
一緒にバイトして。
一緒に勉強して。
一緒に練習して。
そして、一緒にステージに立った。
歌詞に込められた「またね」「もう一度」というメッセージに乗って、思い出が浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。
アキバドームのセンターステージから見た、夢のような景色が脳裏をかすめて。
でも、最後に思い出したのは──乃々羽との出会いのあの日だった。
曲はラスサビに突入する。
あと四回の「&GAIN!」で、このパフォーマンスは終わりを迎える。
「&GAIN!」
なんとなく卒なくこなせるから、なんとなくどれもこれも中途半端で。
自分自身が誇れる「大好き」がないことが、ずっとコンプレックスだった。
「&GAIN!」
スクールアイドルを始めて。
たくさん失敗して、全力で努力して。
全国トップクラスのスクールアイドルにはなれなかったけれど、それでも、自分だけの「大好き」を見つけられた。
大好きな、かがみ川女子。
大好きな、スクールアイドル。
大好きな、仲間たち。
たくさんの「大好き」に出会えたのは、全部──あの日、乃々羽と、ここで、出会ったからだった。
「&GAIN!」
三回目の「&GAIN!」のあと、気づけば深夜は立ち上がっていた。
あの日と同じように、乃々羽に向かって右手を突き出す。
乃々羽もまた、鏡合わせのように右手を突き出していた。
「「&GAIN!」」
最後の「&GAIN!」は、二人の声が綺麗に重なった。
ほどなくして、アウトロが鳴り止む。
黒のセルフレームの眼鏡越しに、乃々羽の黒い瞳がキラキラと輝いていた。白く透き通った肌に、ほんのりと赤を混じらせた満面の笑顔を、乃々羽はまっすぐ深夜に向けている。
「みゃー先輩、ご卒業おめでとうございます!」
乃々羽が一歩前に出て、深夜の手をぎゅっと握った。
「ありがとう!」
"またね"──そう続けようとして、深夜はやめた。
それはもう、乃々羽のパフォーマンスから十分伝わってきたし、きっと深夜の気持ちも乃々羽に届いている。
「ノノちゃんと一緒にスクールアイドルできて、めちゃくちゃ楽しかったがよ!」
「わたしも最高に楽しかったです!!」
深夜も乃々羽の手をぎゅっと握り返す。
そのぬくもりを、胸に刻み込むように。
「じゃあ、そろそろ家庭科室行こっか。みんな待っちゅうろ」
「ですね!」
スピーカーとコートを回収し、二人並んで新校舎側の扉へ向かって歩き出す。
校舎に入る直前、深夜はふと足を止め、屋上庭園を振り返った。
ここで過ごした、数え切れないくらいの時間。
スクールアイドルとしての日々。
出会いと別れ。
青春をくれた、思い出の場所。
そのすべてをしっかりと目に焼き付け、深夜は静かに屋上庭園をあとにした。