2025年4月10日15時。
乃々羽は、ひとり屋上庭園で新入生がやってくるのを待っていた。
みゃー先輩がいないひとりきりの屋上庭園も、いつの間にか日常になっていた。
ラブライブ!全国決勝大会が終わり、みゃー先輩が引退したあの日から──乃々羽は、来年の決勝大会に実力で立つことを夢見て、変わらず黙々と練習を重ねている。
とはいえ、いつだって完全なひとりぼっち、というわけではない。
練習をしていれば、誰かがふらりと見に来てくれたり、声をかけてくれたりすることも多い。
それに、千絵ちゃん先生や服飾部、Re-Arise、その他の委員会の人たちも。何か困ったことがあるときは、いろんな人がスクールアイドル部に手を貸してくれる。
「今年からは晴れて部費も出るようになったし」と、乃々羽はひとりごちる。
金額は一万円。それでも、遠征費や備品の足しにはなるし、何よりも部として正式に認められたようで、嬉しかった。
学校代表として、学内イベントや地域の催しに出演する機会も増えた。
こうして改めて俯瞰してみると、今のスク部はちゃんとかがみ川女子高校に「スクールアイドル」として定着しつつある。そんな実感が、乃々羽にはあった。
学外の繋がりも増えている。
セン学とは変わらず仲良くさせてもらっているし、ラブライブ!の後は市内のほかのスクールアイドル部からもたくさん声をかけてもらえた。
三学期は積極的に他校の練習に参加させてもらって、春休みには市内のスクールアイドル部の一年生たちと一緒に遊びにも出かけた。ちょっとした横のつながりができたことも、嬉しかった。
応援してくれる人も、仲間も、着実に増えている。
だけど、スクールアイドルを一緒にやってくれる部員は、いなかった。
(このままじゃ、ソロスクールアイドル一直線だよ)
ストイックに練習を積み重ねるのは、乃々羽の性に合っている。だから、ひとりでやること自体に不満はない。
でも、スクールアイドルは「始める」ことと同じくらい、「続ける」ことが大切なのだ。
自分が卒業しても、その先もかがみ川女子高校スクールアイドル部が続いていかなければ。
あの一年。みゃー先輩と過ごした、奇跡みたいな時間も──きっと、どこかで忘れ去られてしまう。なかったことに、されてしまう。
だから今日、始業式後に行われた新入生向けの部活紹介では、本気で頑張った。
短いパフォーマンス時間でも、しっかりとスクールアイドルとして魅せられた自信はある。
けれど。
廊下で耳にした、新入生の会話を思い出す。
「ノノちゃん先輩、めっちゃ可愛かったけど、あのレベルはうちらには無理だよねー」
そんな言葉が胸がちくりと刺した。
(初心者歓迎なんだけどなぁ。ちょっと張り切りすぎちゃったかも)
部活紹介の最後には、「15時から屋上庭園で練習見学会をやります!」とちゃんと伝えたのだが。
待ち受け画面が15時を表示しても、屋上庭園に新入生の姿はなかった。
(完全初心者のみゃー先輩を一年であそこまでのスクールアイドルに仕上げた実績はあるんだけどな)
そんな風に考えつつも、あれができたのはみゃー先輩に天賦の才があったからだというのは、誰よりも乃々羽が理解していた。
正直なところ、今となっては技術や表現力の細かな部分でさえ、みゃー先輩の方が乃々羽の上をいっていると思うことも少なくない。
自信を持って勝ってると言えるのは、体力と筋力くらい。
(あっという間に追いつかれて、追い越されちゃったなぁ)
みゃー先輩は三月から御代先輩とルームシェアしていて、大学ではふたりでカレッジアイドルを始めると聞いている。
つい先日も、瑠璃先輩と一緒に練習していたらしく、その様子がインスタに上がっていた。
フォロワー数も、気づけば数十万人に届いていて、まるで雲の上の存在のように感じることもある。
みゃー先輩がすごいのは、パフォーマーとしての才能だけじゃない。
誰とでもすぐに打ち解けられるコミュニケーション力。決めたことに一直線に突き進める行動力。
アイドルに必要なものを、自然と身につけている人だった。
今でもLINEを送ればすぐに返信がくるし、言葉のひとつひとつに変わらない優しさがある。
だけど、どこか近くて──どこか遠い。
乃々羽の中にあるその感覚は、じわじわと濃くなっている。
たった数ヶ月前までは、横並びで走っていたはずなのに。
気づけば、みゃー先輩だけがはるか彼方を走っている。
みゃー先輩と一緒に走って、一緒に叶えたふたつの夢。
──スクールアイドルになる夢
──アキバドームに立つ夢
それは乃々羽がずっと憧れてきたものであり、みゃー先輩が叶えてくれた大切な夢だった。
けれど、今はもうその先を見据えないといけない。いつまでも叶った夢にすがりついてはいられない。
みゃー先輩に置いていかれないように。
かがみ川女子高校スクールアイドル部の二代目部長として、その夢の続きを、自分の手で紡がなければならないのだ。
──かがみ川女子高校スクールアイドル部を次の世代に繋いでいく夢
──そして、今度こそ、ラブライブ!全国決勝大会の出場校としてアキバドームに立つ夢
スクールアイドル部の裾野を広げたいという想いと、ラブライブ!で勝ちたいという願い。
一見すれば、矛盾するふたつの目標。
それでも乃々羽は、どちらも追いかけたいと思っている。
──欲張りすぎ、かな
そんな疑問が、胸の奥で顔を出しかけた──そのときだった。
きりんちゃんの顔が、不意に思い浮かぶ。
今年、セン学には10人以上の新入部員が入ったと、きりんちゃんは誇らしげに語っていた。
決勝大会への久々の進出。彼女たちがつかみとったその輝かしい実績が、スクールアイドルとしてアキバドームに立つことを目指す子たちを引きつけたのだろう。県外からの越境入部も例年以上に多く、それは実力者が入ってきていることを意味していた。
ラブライブ!全国決勝大会二年連続出場。その夢に向かって、彼女たちはすでに現実的な一歩を踏み出している。
そのセン学のセンターにいるのが、間違いなく、きりんちゃんだった。
去年の「最優秀新人スクールアイドル賞」受賞者。
これからのセン学を引っ張っていくのは彼女なのだと、誰もが疑わない。
四月の定期公演でも、センターを任されることが決まっているらしい。
この前の合同練習で見た彼女のパフォーマンスは、出会った頃の比じゃないくらい磨かれていて──ただただ、まぶしかった。
乃々羽が叶えたい夢。
それらをきりんちゃんは、自分の手で掴もうとしている。
「ののっちはうちのライバルやき!」
会うたびにそう明るく言ってくれるのは、素直に嬉しかった。
だけど──どこか胸の奥に、小さなざらつきのような感覚が残るのも、事実だった。
──今の自分では、もうライバルとしては力不足かもしれない
口に出せばすぐに崩れてしまいそうなその気持ちを、乃々羽は黙って飲み込む。
みゃー先輩にも、きりんちゃんにも。
そして、全国で走り続けているスクールアイドルたちにも。
──わたしだけが置いていかれてしまったみたい
そんな焦りが、ゆっくりと胸の奥を掠めていった。
ふと、LINEの通知音が鳴った。
スマホに目を向けると、みゃー先輩からのメッセージが届いていた。
──カレッジアイドル同好会はいった!
添えられていたのは、御代先輩と見覚えのない金髪の女性と一緒に並んだ写真。
みゃー先輩の楽しそうな気持ちが、画面越しにも伝わってくる。
──ノノちゃんも勧誘ファイト!
続けて送られてきた応援のメッセージに、乃々羽はスタンプを一つ返した。
(そうだ。わたしだけがここに留まってなんていられない)
365日前のあの日、始業式のあと。
見ず知らずのわたしに声をかけて、スクールアイドルに導いてくれたみゃー先輩。
今度はわたしが、あのときのみゃー先輩になる番だ。
新入生と一緒に新しいかが女スク部で夢を叶える。
そのはじまりの日が、きっと今日だ。
そう思って、気合いを入れようと立ち上がった瞬間──
「あ、あのっ!」
背後から勢いのある声が降ってきた。
振り返ると、制服姿の女の子がふたり、ちょっとだけ緊張した面持ちで立っていた。
背の低いどこか愛嬌のあるツインテールの子と、背の高いちょっとクールな印象の長髪の子。
ネクタイの色からして、ふたりとも新入生らしい。
(……あれ、どこかで見たような)
既視感に引っかかりながら記憶を手繰った瞬間、ぱっと脳裏に一枚のイメージが浮かんだ。
──去年の秋のオープンスクール
「たしか、オープンスクールで声かけてくれた子たちだよね?」
「覚えてくださったんですか!」
小柄な子が、ぱっと顔を輝かせた。
「うん! 無事受かったんだ、おめでとう!」
「あ、ありがとうございます! あの日、先輩たちのパフォーマンス見て、絶対にかが女に行きたいって思って……受験勉強、頑張りました!」
「わざわざ挨拶に来てくれたの? ありがとう」
「はい! あ、じゃなくて……」
隣の長身の子が、肘でそっと小柄な子をつついた。
「しずか、まずは自己紹介でしょ」
「あ、そうだった。ごめんごめん、かのちゃん」
そう言って、彼女は慌てて姿勢を正す。
「宮本しずか、南中出身です」 「同じく、南中出身の辻かのとです」
ふたりそろって、ぺこりと頭を下げる。
「しずかちゃんとかのとちゃんだね。えっと、わたしのことは知ってるかもだけど、二年の沢渡乃々羽です。スクールアイドル部の部長をやってます。よろしくね!」
「もちろん知ってます! ラブライブ!決勝大会も未来ミラーのMVもドキュメンタリーも、めちゃくちゃく見ました!!」
「しーずーかー。本題、入ろ?」
「は、そうだった。ごめんごめん、かのちゃん。あの、沢渡先輩」
かのとに促されると、慌ててしずかは鞄をごそごそと探る。そうして、一枚の紙を取り出した。
そんなしずかを横目に、かのとも同じ用紙を取り出す。
「これ、受け取ってもらえますか!」
差し出された紙には「入部届」と書かれていた。
その三文字を目にした瞬間、乃々羽の胸が──トクン、と音を立てた気がした。
「わたしたち、かが女に入ったら絶対にスク部に入るって決めてたんです。未経験者で、先輩の足を引っ張っちゃうかもですけど……一生懸命頑張るので、一緒にスクールアイドルさせてください!」
先に口を開いたのは、しずかだった。
勢いに満ちたその声は、どこまでもまっすぐで。
続いて、かのとが小さく息を吸って、それから言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。
緊張しているのか、その声はほんの少しだけ震えていた。
「……私も最初はしずかに誘われただけだったんですけど、先輩たちのステージ見て、かっこいいなって思って。ちょっと無愛想なタイプなので、アイドルなんて上手くできるか自信がないんですけど……それでもよければ、スクールアイドル部に入れてもらえると嬉しいです」
ふたりの言葉が、春風に乗って乃々羽の胸に届く。
まっすぐすぎて、まぶしいくらいのその想いが、胸を打つ。
嬉しさのあまり、思わず涙をこぼしそうになるのをぐっとこらえて。
乃々羽はアキバドームのステージで見せた以上の笑顔を、ふたりに向けた。
あの日、みゃー先輩が手を引いて、夢に導いてくれたように。
今日、同じ場所で、ふたりが乃々羽を次の夢へと後押ししてくれている。
でも、今はもう、ただ背中を押してもらうだけの存在じゃない。
次は、わたしが引っ張っていく側だ。
勇気を出してここに来てくれたふたりを──
今度は、わたしがスクールアイドルにしてあげたい。
かがみ川女子高校スクールアイドル部、第二章のはじまり。
乃々羽はまっすぐにふたりを見つめて、晴れやかに言った。
「──ようこそ、かがみ川女子高校スクールアイドル部へ!」
沢渡乃々羽の2024年度のスクールアイドル活動を、そして初代かがみ川女子高校スクールアイドル部の活動を、最後まで応援していただきありがとうございました!