PERSONA3×Blue Archive~Re:Tales Of Our Youth Days 作:花極四季
アニメ開始に便乗してチラ裏を便乗して投稿してしまった。
1話
月は闇に包まれた下界を緻密に照らす神秘の象徴である。
日が沈むと共に昇り始めるその光は、かつては生物たちにとって暗闇を照らす導きであり、希有な神秘の表れでもあった。
しかし、文明の発達とともに闇を克服した人類にとって、その神秘性はかつてとは比較にもならないほどに陳腐化して久しいものであった。
太陽が昇る時間に活動し、月が昇るときには休息するのが人々の生活リズムであり、太陽と比べて月の影響力は日々を生きる大半の人間にとって薄く、必然として人々の殆どにとって月はただそこに在る物、視界の端に映る添え物でしかなくなっていた。
しかし、この瞬間においてその常識は覆えされる。
秒単位の精度を持つ機械時計は、全てが同じ0時を指し示し、静寂を保っている。
時計だけではない。ありとあらゆる文明の利器が機能を停止し、機械によって生まれた光源もまた鈍色のオブジェに成り下がっている。
変化は機械だけに留まらない。
星明りは薄緑色の雲に隠れ、僅かな隙間からもその輝きを見ることができない。
唯一の光源である月は、世界の変容に関与せずにその輝きを保ち続けている。
今にも地上に墜ちてきそうな不気味さを見る者の心に植え付けていくそれは、ただあるがままに世界を俯瞰するのみ。
光を失った世界で、何においても縋るしかない存在さえも諸手を挙げて受け入れることの出来ない。そんな空想における地獄のような光景が確かに今現実を侵食していた。
そんな地獄の中を走る影が三つあった。
月明かりが照らす先には、同年代であろう年若い少女の姿が浮かび上がる。
不規則に鳴る無数の足音に乱れた呼吸、時折背後を振り返りながらも決して足を止めることなく走るその姿はまるで何かから逃げているようであった。
彼女達以外無機物しか存在しなかった世界に、新たな影が現れる。
それは先の少女達への比喩のそれではなく、言葉通りの"影"だった。
コールタールの塊に手足を生やし感情の乗らない仮面を張り付けたような、まさしく化け物というに相応しい存在。
無数に生えた手には剣のようなものが握られており、残った部位は足となって蜘蛛のように地面を這い少女達に迫る。
「――来る、戦闘準備!」
逃げ切れないと悟ったのか、白髪獣耳の少女――砂狼シロコは瞬時に身を翻し影の化け物――《シャドウ》に相対する。
そして、脚部のホルスターからコンバットナイフを抜き、逆手に構える。
「大丈夫、怖くない……怖くない……!!」
ベージュの髪を後ろで二つ結びに纏めた少女――阿慈谷ヒフミは、自らを鼓舞するようにそう呟く。そして、お気に入りのキャラクターであるペロロを模したリュックサックから、同じくペロロの絵柄が側面に描かれたヨーヨーを両手に二つ持ち、覚悟を決めた表情を浮かべる。
「慣れないものね、あの化け物と戦うのは」
面倒そうに目を細める白髪ウェーブで矮躯の少女――空崎ヒナは、身の丈に近い長さの槍を背中の固定具から外し、軽々と片手で持ち上げる。
三人が臨戦態勢に入ったその瞬間、突如として彼女たちの装着するイヤーデバイスからノイズにまみれた声が響く。
『――お三方、警戒を厳に!今までにない強力な反応が観測されました!!』
発声者の普段の穏やかな声からは想像もつかない、焦燥感を孕んだ警告。
それにより、彼女たちに待ち受ける異常事態の深刻さが一気に伝わった。
瞬間、視界が暗転する。
反射的に視線を上げると、月を遮るほどに巨大な影が落下してくる光景が広がっていた。
三人は言葉を交わさず、その場から瞬時に逃れる。その場所には轟音と破壊が残るだけに終わるも、決して警戒は緩めない。
飛散するコンクリートの粒子で視界が一瞬遮られた後、その巨大なシャドウが姿を現す。
それは、先ほどのシャドウがそのまま巨大化したような存在だった。体躯だけでなく、腕の数や剣の数も増えており、これが親玉であることが明らかだった。
少女たちは程度こそ違えど巨大な敵との戦いにも慣れているのだが、この世界ではその経験はほとんど役に立たない。
全ての文明の利器が機能しないこの世界で、銃火器は鈍器程度の価値しか持たない。本来取るべき戦闘スタイルを彼女たちは取ることができないのである。
しかしそれ以上に、彼女たちにとって見逃せない致命的な要素が存在した。
「言うまでもないと思うけれど、あの巨大なものと直接戦うのは避けるべき。小さいのを蹴散らして包囲を抜ける。今の私たちだと、破片に当たっただけでも致命的だってことを忘れないで」
「それもこれも、ヘイローがなくなってるのが原因なんでしょうか」
ヒフミはそう呟き、頭上の空間を手で払うように動かす。
キヴォトスの学園都市に所属する少女たちが持つヘイローと呼ばれる光る物体。その形状は多様で、なぜそんなものが生まれながらに存在しているかは誰も知らない。
彼女たちを結びつけるのは、ヘイローが命と同等の価値があるという共通の認識だけだ。
意識の消失以外では常に頭上に浮かんでいたはずのヘイローが、この世界ではなぜか意識があるにも関わらず消失している。
その事実はヘイローの謎に触れるきっかけとなり、だからこそこの危険と知りながらもこの世界に飛び込んでいる理由のひとつである。
「考察は後。まずはここを切り抜けないと」
シロコの提言に二人も無言で意識を切り替える。
瞬間、小型のシャドウが不気味な咆哮と共に群れとなって三人に迫る。
「遅いッ!」
シロコは軽快なステップで軌道を読ませないように動き回り、隙をついてナイフの刃や柄、時には蹴りを入れて仮面を破壊していく。
原理は不明だが、影の化け物は仮面を破壊されると消滅する。他の部位を欠損させても倒せるが、仮面の破壊に比べて労力が必要だ。
多勢に無勢の状況では、そんな時間をかける余裕はない。
効率的かつ迅速に撃破しなければ、無限に現れるシャドウに圧倒されるしかない。
「こ、来ないでくださいッ!!」
狙ってかそうでないか、飛びかかってきたシャドウの仮面を慣れたスナップで飛ばしたヨーヨーが直撃する。
声こそ焦燥と混乱を孕んでいるものの、的確に最適解でシャドウを攻撃していく姿は、この場に似つかわしくない凡庸な雰囲気とは真逆。
しかし、そんなヒフミの隙を突いて背後から無数のシャドウの刃が振り下ろされる。
「――させない」
刹那、暴風の如き一閃がシャドウの群れを横薙ぎで両断する。
そこには、ヒフミの背後を庇うように悠然と佇むヒナの姿があった。
その細腕から放たれたとは思えない強烈な一撃は、仮面という弱点すら無意味であると言わんばかりの結果をもたらすに至る。
「あ、ありがとうございます!」
「問題ないわ」
簡潔な言葉のやり取りの後、再びシャドウとの戦いに身を投じる。
彼女たちの個々の力は高いが、圧倒的な数に対して次第に消耗していく。
少しずつ活路が見えてきているが、油断するとシャドウに飲み込まれるのは明らかだ。
確かに彼女たちは強い。しかし、この無限の数を圧倒する決定的な力がまだ足りない。
「――ヒマリ、何か対策は?」
その問いに、イヤーデバイスからヒマリの声が返ってくる。
『対策はともかく、小型シャドウの最適ルートを探している最中よ。《影時間》対応の特別デバイスとはいえ、やはり単純なスペックでいえばミレニアムのものと比べれば劣るのがネックですわね』
「その劣る部分を補うための貴方よ。【全知】を冠する天才ハッカー、明星ヒマリ」
『光栄に思うけど、それは鉄を金に変えるようなものよ。私が《新雪の反照》と呼ばれるに相応しいとしても、能力には限界があるわ。ヒナさん』
明星ヒマリは機械類の操作において類い稀なる才能を持つ少女である。
彼女は影時間内で唯一機能する機械を操作し、遠隔からシロコ達のバックアップを担当している。
しかし、如何に彼女が天才ハッカーと謡われようとも、その能力も限界がある。
どうあがいても機械のスペックを超える以上の結果を生み出すことはできない。
意図的ではなく、偶然の産物で手に入ったその機械は、その貴重性から下手に解析や改造を施すことが出来ず、仕方なく低いスペックで使い続けているに過ぎないのだ。
『――ッ、巨大シャドウに動きあり!』
ヒマリの焦った声に導かれるように巨大シャドウへと目を向ける。
巨大シャドウがその体躯に相応しい大きさの剣を無造作に振りかぶると、周囲のシャドウ諸共此方を巻き込まんとして襲い掛かる。
数は力であり、質量もまた力である。影時間の外ならばいざ知らず、今の彼女達にとってはあの一撃がもたらす余波でさえ致命傷になりかねない。
結果、無様な姿勢で三人は回避を試みるも衝撃で吹き飛ばされてしまい、等しく地面に叩きつけられる。
「――ちょっと、マズい、かも?」
「悲観したくはないけど、そうかもね」
傷ついた体を押し上げ、三人は立ち上がる。。
受け身もままならず全身を強く打った痛みは筆舌に尽くしがたいものではあるが、それにかまけてその場に留まればそれ以上の地獄が待っている。
小型シャドウも薙ぎ倒してくれたおかげで障害は排除できたが、迅速な逃走をするにはダメージを受けすぎた。
小型シャドウも時間が経てば復活する。そうなれば、万に一つの勝機は無くなるだろう。
だが、どうすればいい?影時間が消失するまでの時間はまだ先。時間を稼ぐにも、この体たらくではどこまで出来るか。
運悪くメンバーが少ない状態での偵察だったのが運の尽き。影時間を認知して初めてのイレギュラーを前に、無惨にも全滅しようとしている。
何か、ないか。この状況を打破できる、起死回生の一手が。
そんな都合の良い、陳腐な奇跡に縋ることしかできないこの状況。
絶望に心を揺さぶられる中――ふと、背後から気配を感じた。
「誰――?」
三人は痛みで霞む視界を必死に開き、その姿を見やる。
片目を隠すように伸ばしたショートヘアに見慣れない学生服を着た人物が立っている。首には携帯用ヘッドフォンを掛け、少し猫背気味に歩く姿は独特の雰囲気を放っている。
そして、何より驚くべきは――
「男、の子?」
ヒフミの呟いたそれは、三人の疑問の総意であった。
キヴォトスではただの一度も見たことのない、自分達と同じ造型でありながら、しかし明確に異なる肉体。
男性というカテゴリの生物こそ存在してはいるが、巨大な動物だったりロボットだったりと、そもそも生命体としての定義が根本的に異なる者達が前例であり、それ故に目の前にある光景はあまりにも特異なものであった。
『皆さん、大丈夫ですか!?』
「ええ、それよりも新たなイレギュラー発生。一般人と思わしき人物が影時間にいる」
『それは……危険ですね』
最悪に最悪が重なってしまった。ここまで来ると呪われているとしか思えない。
ヒナは現状を打破するための解決策を模索するが、どう高く評価しても最善の選択には至らない。全員の安全を確保するのは不可能だ。
現実問題、時間を稼ぐための囮は必要で、それを実行することは決して避けられない。
少なくとも、選択肢の粗を精査する余裕はない。最適解を模索する余裕などありはしない。
しかし、その行動を取ったとしても、全員が無事に帰還する保証はない。
それでも、やらないという選択肢はない。
ならば、誰がその役を果たすべきか。
「――私、よね」
「……何か言いました?」
「何でもない」
隣にいたヒフミがヒナの無意識に零していた声に反応するが、すぐに誤魔化す。
シロコもヒフミも決して弱い訳ではない。しかし、個人の戦力という観点では弱体化してなおこの中ではヒナが頭一つ抜けている。
このチームにおいて名目上リーダーという役職は存在しないが、強さが序列を決めるならば自分が適任であるという自負があった。
だからこそ、その責任を負う覚悟も最初からしていた。
彼女が所属している【風紀委員会】でも、スタンドプレーによる制圧は何度もしてきたし、ヒナ自身の戦力が他の【風紀委員会】の役職持ちをかき集めたとしても凌駕するほどに強く、空崎ヒナの居ない【風紀委員会】に政治的価値はないと影で揶揄されていることも知っていた。
それ故に必要以上に背負うことになり勝手に培われていった責任感が、外とは条件の異なるこの場においても発揮されようとしている。
ある種の強迫観念に支配された思考で、1歩巨大シャドウへと踏み出そうとした時、それより先に状況が動いた。
少年はおもむろに懐から何かを取り出す。
それはキヴォトスでよく見られる、手の平で包める程度の大きさのありふれた形状の自動拳銃だった。
デザインは初めて見るものだが、特別な装飾も何も無い一見して凡庸なそれで対抗するつもりなのか?
ここでは銃が使えないことを知らないのか?そんな疑問がよぎるも、その次の行動で思考が停止する。
「なっ――!」
あろうことか、その自動拳銃を自らのこめかみに突き付けたのだ。
あまりにも飛躍した行動、彼我の距離の差、再び動き出す巨大シャドウ。あらゆる思考がまるで走馬灯のように浮かんでは消え、時間が永遠にさえ思えるほどに永く感じられる刹那の時。
少年の引き金に掛かる指に力が入る。スローモーションで流れる光景の中、彼の唇がゆっくりと動く。
何を言っているかは分からない。しかし、噛み締めるようにゆっくりと紡がれるそれは、四文字の言葉であったことは理解できた。
「待っ――」
シロコ達がそれを止めようと反射的に伸ばした腕。
それは決して届くはずはなく、それでもと足掻いた結果、虚空を泳がせるに終わる。
手と遠くの少年が重なり、視界からその姿が消えた瞬間、ガラスが砕けるような音が響く。再び視界に入った少年のこめかみから続く弾丸の軌跡からは、光の粒子が血液のように漂っている。
少年よりも二回り大きな白を基調とした人型の巨人が、銀の竪琴を背負い、少年の背後に静かに浮かんでいる。
その原因となった少年は、不気味な笑みを浮かべて銃を撃った姿勢のまま、静かに立っている。
全ての光景が絵画のように静止し、その光景を前に息を呑むとともに心がざわつく。
『急激なエネルギー反応の増大を確認!シャドウの反応?いえ違う、これは……』
イヤーデバイスからの報告に続き、ヒマリは慌てずに状況を把握しようとするが、目まぐるしく変わる現状に追いつくのが精一杯だった。
「う――ぐ、ぁああああ!!」
全身を震わせながら頭を抱える少年。その痛みに呼応して、竪琴の巨人も苦しみ始める。
突如、巨人の体が緊張し、膨張して弾けるように変化する。その跡地には、骸骨のような姿、黒に包まれた存在、背後に羽根のような棺桶が浮かぶ新たなシャドウが出現した。
この異形の存在を前に、三人は心の底から【恐怖】を抱く。
それは純粋な生存本能からくる感情で、身体を震わせるほどの強い震えとなって押し寄せる。
『先のエネルギー反応、爆発的上昇!これは――駄目、計器が――』
イヤーデバイスからの声がノイズとなり、耳障りな音を立てたと思えば、そこからは何も聞こえなくなってしまう。
目の前の大型シャドウをものともしない化け物を観測したことで、機械に異常が出たのだろう。そう確信出来るほどに、目の前の存在は規格外だった。
果たして、影時間の外で万全の体制で挑んでも勝てるかどうか分からない程度には。
『■■■■■■――!!』
地獄の底から這い出たような咆哮が棺桶の化け物から放たれると同時に、大気の振動が物理的な圧として襲い掛かる。
立っているのもやっとな程のそれを前に必死に耐えていると、化け物が弾丸のように飛び出してきた。
脳が危険信号を発しようとも、肉体がそれに追いつけない。
やられる――そんな諦観と共に目を瞑るも、一向に痛みが来ることはない。
しかし、弾丸となった化け物の余波が遅れてやってきたことで、限界だった足が崩れて一斉に尻もちをつく。
臀部の痛みと同時に、耳を劈く悲鳴が鼓膜を震わせる。
反射的に音の方へと視線を向ける。
「ヒッーー」
ヒフミの恐怖から漏れた悲鳴は、それ以上の暴威によって掻き消された。
そこで繰り広げられていたのは、蹂躙――否、玩弄だった。
弾丸を超え、砲弾と化した身体でコンクリートを引き摺る一方で、無数の巨大シャドウの腕を丁寧に一本ずつ手折り、その手に握られていた剣を奪い取り、乱暴に巨大シャドウを突き刺していく。
そそのたびに響く悲鳴は耐え難く、思わず耳を塞ぎたくなるが【恐怖】で竦ませた身体はそれを決して許さない。
目の前の残忍な光景から逃れる術は、彼女たちには存在しなかった。
果たして、どれ程の時間が流れたのか。ようやく閉幕の時は訪れることとなる。
棺桶の化け物が巨大シャドウの仮面に手をかけ、振り払うように腕を動かす。
その勢いで仮面が剥がれ、断末魔の叫びを残して小型シャドウとともに消失する。
すぐに訪れた静寂は、風さえもなく、耳が痛くなるほどの無音が永遠のように感じられた。
息を飲む。物音ひとつ立てることさえ許されない時間が流れる。
ホラー映画の被害者のように、怯えて嵐が過ぎ去るのを待つことしかできない。
ひとたび目の前の怪物に標的にされようものならば、先の光景の焼き増しが自身の肉体で再現されてしまう。そんな末路を許容出来る者などいるはずも無い。
静寂を破ったのは、背後から聞こえた風を乗せた乾いた音だった。
反射的に振り返ると、先程の少年が前のめりで倒れていた。
それに呼応するように、棺桶の化け物も光の粒子となって消失していく。
恐怖で縛られていた身体が抑圧されたバネのように勢いよく跳ね上がり、皆が一斉に少年へと駆け出す。
心配はもちろん、あの化け物の近くにいたくないという恐怖からだったかもしれない。
少年の前に最初に辿り着いたのはシロコだった。
気道を確保するため、繊細な手付きでうつ伏せになっていた少年を仰向けにすると、その顔が露わになる。
近くで見ると、端正な顔立ちではあるが、女性とは異なる造形をしているのがわかる。
遅れてやってきた二人も少年の顔を覗き見ると、感嘆の声が漏れているのが聞こえる。子供に対する未知の感情というのは、程度の差こそあれ似たり寄ったりなのだろう。
「だ、大丈夫なんですか?」
「息はある。気絶しているだけ」
「良かったぁ......」
ヒフミが嬉しそうに胸を撫で下ろす姿に、ふと笑みが零れる。
一連の流れからして、この少年があの化け物を呼んだ張本人であることは明白で、その恐怖を味わっていたにも関わらずこの反応。
彼女との付き合いはまだ浅いが、その善性はもはや疑う余地はないほどにお人好しという言葉が似合っている。
「そろそろ影時間は終わるでしょうし、それまでは彼を安全な場所に確保しないと」
「ん、私が背負う」
2人に助けられながらも、少年を背中に乗せることに成功する。
腕力という点ではヒナなのだが、全体的に身体が小さいことから不都合もある。普段からロードバイクで鍛えており、背丈も平均以上のシコロが総合的には適していた。
影時間の外ならこんな手間を惜しむ必要などないのだが、シャドウが消失したとはいえいつ沸いてくるかも分からない以上、この場に留まるわけにもいかず、満身創痍かつ通信が途絶した現状ではたとえ1匹たりとも遭遇したくないのが本音だった。
「それにしても、この人は誰なんでしょう」
「色々と聞きたいことはあるけれど、まずは目覚めてもらわないことには始まらないわね」
「あと、悪いようにしないように言わないと。嘘は言えないけど、だからって過激な対応を取って彼に何かあったら」
「あの化け物がまた出てくるかもしれない、でしょ?」
謎しかない少年の行動から、トリガーとなるのは先の拳銃による自身への発砲であることは確かだが、それ以外が条件にならない保証はない。死に瀕することが条件ならば、尚更彼を傷つける行為は悪手でしかない。
そういえば、と。彼が気絶と共に手放した拳銃が足元に落ちていることに気付き、ヒナが拾い上げる。
見た目は普通、マガジンは空。遠目で見た通り、何の変哲もない拳銃の筈なのに。――何故か、すぐにでも投げ捨ててしまいたい衝動に駆られる。
心の底からせり上がってくる嫌悪感。汚物に触れる時のそれとは違う、もっと根源的なもの。
それこそ、棺桶の化け物を見た時に抱いた感情に近い。あちらに比べれば雲泥の差ではあるが、性質としてはそれが一番適切に説明できる。
だからと言って捨てるわけのもいかないと懐にしまい込むと、途端に嫌悪感は霧散する。
一瞬硬直するも、疑問を氷解させるべくもう一度握ってみると、予想通り再び湧き上がるそれに瞬時に手を放す。
「ヒナさん、顔色が……」
「大丈夫、流石に疲労が祟っただけだから」
この嫌悪感は今説明する必要はない。そもそも説明できるほどの理解もしていない以上、下手に口にすれば謎が加速するだけ。
すべては少年が目覚めてからでも遅くはないと、ヒフミの心配を尻目に先に歩き出していたシロコの後ろに続く。
良くも悪くもこの出会いが転機になることを予感しながら、影時間の終わりを待ち望んだ。