推しの子『日本国民からの認知度50%』トロフィー獲得RTA 作:朝日と夕陽
当時、僕が劇団ララライに入ったのは10歳の頃だった。
そして僕の入団から一週間くらい経った後、一人の女の子がまた新しく入団してきた。それが僕とあやかちゃんの初めての出会いだった。
「本元あやか。この劇団に入った理由はとりあえず芸能界の頂点に立ち、それからとにかく有名になること。私は比類なき天才だけど、凡人の貴方たちが私を恐れる必要はないわ。だって、私のライバルになり得る存在は内閣総理大臣くらいだもの」
あやかちゃんの入団直後の挨拶は皆に受けた。あれで年長の先輩方の多くは『生意気なガキが入って来た』とすっかりあやかちゃんのことがお気に入りになったのを覚えている。
「貴方は?」
「僕はカミキヒカル、よろしくね」
先輩方だけでなく、僕もあやかちゃんのことが好きになった。あやかちゃんは面白いだけでなく、真面目で努力家で僕と同い年で魅力的な女の子だったから。
「ヒカル、貴方もあの子が気になる?私みたいな人妻よりも若くて可愛い子の方が良いのかしら」
「いえ、愛梨さんの方が綺麗ですから」
「ふふ、ありがと。でもね、あのガキはやめておきなさい。貴方も知っているでしょう?あのガキは────」
そしてそのことが愛梨さんには気に入らなかったらしい。僕と寝るたびに愛梨さんはあやかちゃんへ恨み言を並べていた。それを聴きながら眠るのがたまらなく苦痛だったのを覚えている。
それから昼間の楽しい時間と夜中の苦しい時間が交互に訪れる日々がしばらく続いて、ついにその瞬間が唐突にやってきた。それはある夕方、稽古が終わって僕とあやかちゃん以外誰もいなくなったレッスン室でのことだった。
「ねえ、ヒカル。ふと思ったんだけど、内閣総理大臣よりも有名になるってかなり難しいわよね?」
「そりゃそうでしょ。だってあやかちゃんが芸能界の頂点に立ったところで、相手は日本の頂点なんだから」
「やっぱりそうよね。よし、私のセカンドキャリアは決まったわ。芸能界の頂点に立った後は政界の頂点にでも────」
「本当に楽しそうね、ヒカル?」
僕とあやかちゃんが会話しているところに愛梨さんが割って入ってきたのはあれが初めてだった。あの時の恐怖は今でも忘れられない。もう何年も過ぎたというのに、未だに思い出すだけでワイングラスを持つ手が震えてくる。
愛梨さんがどんな顔をして話しかけて来たのかは知らない。表面上だけは笑顔だったのか、あるいは最初から恐ろしい表情だったのか。僕は見られなかったから分からない。
それを知っているのはあやかちゃんだけだ。
「本元あやか。ヒカルに近づくのをやめなさい」
「今では劇団のみんなは一人残らず知っているのよ?」
「貴女がスポンサーの中年オヤジに身体を売って仕事をもらってるってことを」
「皆に知られてどう思うのかしら?生きていて恥ずかしいとか思わないの?」
「今すぐヒカルの前から消えなさい。若さしか取り柄のない、生きる価値のない女」
僕はただ無言で立っていた。
愛梨さんに恐怖を感じていることを悟られないように、呼吸を殺し存在感を消し目立たないよう、ただ無表情で立ち竦んでいた。そのような嘘をついていたはず。
一方のあやかちゃんもただ無言で立っていた。
その表情は横目で見たからよく覚えている。僕と同じように全くの無表情。実は、その時までの僕が知っていたあやかちゃんの表情は三通り。
いつも浮かべている薄い笑みか、先輩に生意気なことを言う時の小馬鹿にした顔か、周りに揶揄われてそれを受け流す時の飄々とした表情のどれかだった。
全くの無表情のあやかちゃんは、僕が初めて見た表情だった。
「ふぅん?」
かと思ったら、あやかちゃんの顔はいつも通りの何もかもを見透かすかのような笑みに戻っていた。それから突然こっちを向いたあやかちゃんは、おもむろに僕の手を取る。
そして愛梨さんに見せつけるように手汗をびっしょりとかいた僕の手に指を絡めていき、それから僕の頬にキスをした。
キスを終えた後にあやかちゃんは一言、愛梨さんに言い放った。
「おばさん☆」
それが引き金となった。
愛梨さんに即座に殴り飛ばされ、地面に転がるあやかちゃん。そこに襲いかかる一切加減のない蹴りの追い討ち。
「死ね!死ね死ね死ねッ!!誰がおばさんだ!その顔潰してやる、クソガキィッ!!」
執拗に顔を狙って蹴り飛ばす愛梨さんと、顔だけは腕で覆って守るあやかちゃんを、僕はただ立って見ていた。
「死ねよ、泥棒猫!私のヒカルを奪うなッ!!」
でもあやかちゃんが頭をガンガン蹴られ続けるところを見て、後頭部が何度も壁に打ちつけられてるのを見て、愛梨さんが本気であやかちゃんを殺そうとしていて、僕はただ傍観者でいることもできなくなって────
その後に自分が何をしたのかは覚えていない。
覚えているのは自分が泣いていたことと、僕を自室に連れ込んだ後の愛梨さんの鬼のような形相。
「フ、フフフ……!」
それと僕が愛梨さんに引きずられて部屋から出される直前に聞いた、あやかちゃんの小さな笑い声だけ。
それから数ヶ月後、僕は夜中にあやかちゃんを誰もいない公園に呼び出して久しぶりに話した。もちろん誰にも尾けられていないことを確認してから。
あやかちゃんは特に大きな怪我をしたわけでもなく、あの日のことを引きずっている様子もなく、まずは安心した。それから僕は身体を売ることへの嫌悪感と愛梨さんへの恐怖をあやかちゃんに話した。
今まで誰にも打ち明けたことのなかったこと。ずっと誰かに打ち明けたかったこと。こんなことを話すためにあやかちゃんを呼んだわけじゃない。それでも当時の僕は抱えていた心の闇をあやかちゃんに明かした。
その理由は多分、あやかちゃんに共感して欲しかったから。
僕とあやかちゃんは非常に境遇が似ていた。お互いに大人に身体を売っているし、お互いに愛梨さんの恐ろしさを知った。だからあやかちゃんなら共感してくれると思ったし、僕は一人だけじゃないと言ってくれるとも思った。
なんにも分かっていない純粋の少年という嘘をやめて、僕は初めて本当の自分をあやかちゃんに曝け出した。
「身体を売ることへの嫌悪感と姫川愛梨への恐怖。どちらもごく普通の凡人の考えるようなことね」
そしてあやかちゃんは顔色一つ変えず、つまらなそうに僕の言葉を総評した。
「貴方は姫川愛梨に無理やり抱かれるのを嫌がっているだけじゃない。相手が誰であろうと、行為が優しくても、無理やり身体を売らされるのは嫌。そうでしょう?」
「そうだよ。だってそれが普通でしょ?肉体関係を無理やり強要するのは悪いことだよ」
「その通り、それが普通。肉体関係の強要は悪。世の中の大部分の人間が口を揃えていう事。だからこそ退屈そのもの。共感できないわ」
僕の言葉を退屈だと吐き捨て、あやかちゃんは問いかけてきた。
「ヒカル、貴方は何故人を殺してはいけないのかを考えた事はある?」
その問いかけに僕はすぐ答えることができた。嘘で作り上げた純粋な少年も、本心の僕も同じ意見だった。
「それは悪い事だからだよ」
「いいえ、違うわ。それを許すと社会が成り立たないからよ」
そして僕の言葉をあやかちゃんはすぐに否定する。
「好き勝手に人を殺していい社会なんて存続できずに必ず崩壊する。だから昔の統治者は殺人を禁止した。殺人を犯したものを社会から追放した。殺人は悪いことだと言いふらした。愚民はその理由を特に考えることなく、ただ悪いことだと思うようになった」
あやかちゃんは「同族で殺し合う動物なんていくらでもいるのに、何が悪なのかしらね」と皮肉めいた口調で『殺人は悪』という一般論を馬鹿にする。
その時には、僕はあやかちゃんの横顔に目が離せなくなっていた。ただあやかちゃんの語る言葉に夢中になり、次は何を言うんだろうと心待ちにするだけだった。
「貴方の性行為への強制に対する嫌悪感も同じよ。周囲がそれを悪で不快なことだと刷り込まれた結果の反応だと私は見る。殺人は悪だと思う理屈と同じ。どちらも悪ではないわ。どちらの行為も社会の秩序を維持するために法の裁きが待っているというだけよ」
殺人は、悪ではない。愛梨さんの僕に対する行為も、悪ではない。
ただ今までそのように周囲が言っていただけ。僕が勝手に思ってきただけ。
そう言われると確かにそうだと思った。それが正しいと思えた。
「覚えておきなさい、ヒカル。善か、悪か。なんて判断基準で生き方を決めるのは馬鹿馬鹿しいことよ。それは社会が決めたことであって本質ではないわ。そう、生きる上で最も本質的な判断基準はただ一つ────」
そこで言葉を一つ切ったあやかちゃん。一方の僕は言葉を失っていた。
あやかちゃんが生み出す雰囲気に完全に溺れていた。
「それは
「生命の根源的な衝動。性別、年齢、性格、立場、運命。あらゆる違いを越えて人を魅了する力、それが輝き」
「人はやがて死ぬ。私とて例外じゃないわ。だからこそ私が消え去る前に、私は私の輝きを証明する」
「そうだ。あの瞬間、僕はあやかちゃんに惚れたんだ」
グラスの中のワインを飲み干す。そして思った。やはりワインというのはあまり美味しくない。
僕はまだ19歳。もっと歳を取れば味覚も変わるのだろうか。
「あの後、あやかちゃんは何て言ってたかな?」
正直よく覚えていない。それまでの会話の印象が強くて、後の記憶が薄い。
ああ、そうか。身体を売るのが嫌って話がそこで終わったんだ。だから順番的に────
「……えっと、何の話をしてたんだっけ?ああ、そうそう。ヒカル、貴方が普通の凡人で退屈という話か」
「姫川愛梨への恐怖も当たり前の話。これもまた、退屈極まりないこと。ごく普通の凡人の考えね」
「でも、私はそれには共感できる」
「確かに、あの時の姫川愛梨は恐ろしかった。私もあの女に恐怖した」
「ねえ、ヒカル。一つ聞かせて」
「
こんな感じだったはずだ。その言葉に僕は頷いて、それから────
あやかちゃんに告白された。
どんな言葉で告白されたのかは、もう覚えてない。ありきたりなものだったはずだ。だけど当時の僕は喜びで舞い上がって、それでも愛梨さんが怖いから付き合うのに躊躇って、返事は数日後にした。
「今思えば、あやかちゃんへの返事を迷っていた数日間が一番幸せだったか」
結局、僕はあやかちゃんがまた酷い目に遭うかもしれないと思いながらも付き合った。あやかちゃんならどうにかするかもしれないと甘えて。
しかし、あやかちゃんは本当にどうにかした。あえて劇団の皆に交際の事実を明らかにした。そして僕とあやかちゃんの二人きりの時間は無くし、劇団の皆も含んだ三人以上の時間を常に作っていた。そうして愛梨さんから身を守った。
そして僕とあやかちゃんがキスをするタイミングは、決まって愛梨さんが目の前にいて複数人の劇団員が僕たちを見ている時だった。
愛梨さんの様子は日に日におかしくなっていった。目に見えて憔悴し、錯乱し、皆が見ている前でもあやかちゃんに暴力を振るい始め────
最後には夫の上原清十郎さんと心中した。残ったのは愛梨さんと
僕と朝食を食べている時にテレビの速報でそれを初めて知ったあやかちゃんの反応は、明らかにこの結果を意図したものではなかった。驚き、悲しみ、後悔していた。
一方の僕はそのニュースを見て安堵したのを覚えている。これで愛梨さんに怯えなくて済む。その程度にしか思わなかった。
だけど、これが僕とあやかちゃんの関係の終わりの始まりとなった。
それ以降、あやかちゃんは明らかに僕への関心を無くしていき、僕は何とかあやかちゃんの関心を惹こうとしたが全て上手くいかず。
そんな時にやって来たのはあの女、アイだった。
その後のことは、あまり思い出したくない。
「あれから4年。明日はとうとうドームか」
美味しくもないワインを飲みながら手元のパンフレットを見る。
グループ名はB小町。ここ数年で一気に有名になったアイドルユニットで、明日は初のドーム公演。
キャッチコピーは『
「………………」
僕はパンフレットを置き、今度は小さな紙を手に取る。
「公演は夕方から。あやかちゃんは当日も早朝からドラマとCM撮影で大忙しだ」
つまり、当日この家にいるのは
「もしこれが上手くいったら、あやかちゃんはどうするんだろう?いや、愚問か」
この程度のこと、容易く乗り越えてみせるのだろう。
あやかちゃんは嘘で作り上がっているアイとは違う。
「ふふ、楽しみだ」
次回も明日の夜7時に投稿したい…!