ロアナプラより愛をこめて   作:ヤン・デ・レェ

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導入なので短いです。


never better
Welcome to YELLOW FLAG


 

 

 

発展著しいロアナプラ。物、金、人が入れ替わり立ち代わりするこの場所。高層建築物や住み心地の良い集合住宅や歓楽街が建てられる一方で、誰もその資本の出所も、その資本投下の根拠も理解できてはいなかった。華やかな歓楽街から少し外に向かえば、そこは世界中の日向からはじき出された日陰者たちが跳梁跋扈する治外法権。力だけが物を言う、そんな魔窟。

 

さて、そんな魔窟の片隅も片隅。喧騒と発展から追い返されたような一軒の古い酒場がある。酒場の名前は『イエロー・フラッグ』。ロアナプラで色々な意味で一番の酒場として、地元の住人たちからはその名を知られている。

 

具体的に言うと、この街で一番物騒で小汚くて下品な酒場である。それがイエロー・フラッグだ。

 

あとついでに一番古い酒場でもあるが、誰も歴史の講義に興味なんぞなかった。…一人を除いては。

 

もう一つこの酒場についての補足がある。それは、この街で一番古い酒場に歴史の趣を見出したことがきっかけで、一人の男が女の帰りを待つ場所として入り浸るようになったことである。まったく。ご愁傷さまである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イエロー・フラッグの店主であるバオは、一言で済ませると味のある男である。

 

彼にも歴史があり、酒場にも歴史があった。南ベトナムの敗残兵が始めた店は、脛に傷のある人間ばかりを相手にしていた結果、ずぶずぶずぶとこの街に染まり、またこの街の現身のような酒場になった。禄でも無い場所だが、これでもとびきり物騒な客層からの厚い支持を獲得している。流れ弾にでもあたって死なない限り、バオの商売は干上がらずに続いていくだろう。

 

そんなバオだが。当然ながらホワイトではない。浅黒い肌のことを言っているのではないことは言うまでもない。イエロー・フラッグは二階を連れ込み宿のように貸し出しているのだが、そこで致そうものならば、翌日には安価なポルノテープとしてプライベートな熱い夜が二束三文で街中に吐き出されることになる。街の道理を知らない余所者や、単純に鈍い輩を相手に、なんとも阿漕な小遣い稼ぎに精を出しているのであった。

 

酸いも甘いも経験してきたバオは、使い込まれた革財布のように味がある。人情と言えばいいのか、汚いが見苦しくないのソレである。そんなバオを、ここの御客たちは嫌っていないという訳だ。

 

はてさて、そんな店主バオは、常のしかめっ面が嘘のように機嫌が良かった。ミルクを出せと言われても、何の不満もなくグラスに注いで出してやれるほどに。

 

というのも、今日も今日とてカウンター席に入り浸る男の存在が、巡り巡ってバオの上機嫌に繋がっていた。

 

「なあ、レイジ。お前さん、今日は誰を待ってるんだ?」

 

グラスを布巾できゅっきゅしながら、なんともセクハラ親父染みた口調でバオが聞くと、相手の男はニコニコしながら答えた。

 

「レヴィさ。今日はお仕事の日だからね。家までは歩いて帰るんだ」

 

「へぇ~…あの二挺拳銃(トゥーハンド)がねぇ…殊勝なこった」

 

バオは今日初めてあったわけでもない男を、何時も我が目を疑うようにぐりぐり見つめた。信じられないことに、目の前の男は『あの』レヴィを待っているらしい。その関係性を聞く気はなかった。バオも命は惜しい。だが、少なくとも夜道を一緒に帰っても不安がない…いざとなったらレヴィから守られる程度には親しい仲だと想像もできる。信じがたいことだが。

 

毎度毎度、信じられなくて聴いてしまうバオは悪くなかった。レヴィ、そして二挺拳銃(トゥーハンド)と聞けば、泣く子も黙る銭亡者で粗暴でとにかく辛辣で、育ちの悪さを天下に知らしめるが如き振る舞いである。だが、それだけならばこの街で生き残ることなどできはしない。要するに、文句も付けられない程度には強いのだ。

 

腕が立つせいで、誰も彼女に手が付けられない。仕事もきっちりこなすし、今なんかはまだマシな方なのだ。なにせ最近はもっぱら昼間は海の上だからだ。助っ人扱いで飛び入り参加して暫くになる、ここいらじゃ名の通った海賊『ラグーン商会』という運び屋に。

 

レヴィが初めて店に来た頃、妙なところで心や懐に余裕が感じられて、海賊稼業でチマチマ稼ぐような玉にも見えなかったバオは、これまでの人生で培ってきた己の審美眼が外れて、胸騒ぎがしたものだ。

 

さて、目の前のカウンターで、ダニエルさん家のジャックをちびちび傾ける、どうにも頼りない男を見てみよう。

 

風体はフツウ。フツウに過ぎて、寧ろここいらでは珍しい。もう何年と通っていて、イエロー・フラッグの常連の一人だというハズなのに。バオは未だにこの男…レイジの本性とも、特徴とも言うべきものを掴めないでいた。服装はボロボロのスリーピースの時もあれば、横縞で半袖の寝巻か部屋着そのままの時もある。極めつけは、いい加減にしょたれてきた悪趣味なアロハシャツで、ピカソとマネとドラクロワを捏ねてから、麺棒で畳んでノして作ったフォーを食わされた時に見る悪夢みてぇな酷い柄だった。だって言うのに、この男はさも平然とした顔でソレを着ている。足元はこれまたいい加減に買い替えた方がイイ、そう一目でわかる革靴だった。靴磨きに差し出したら唾を吐かれてお終いである。ゴミ捨て場から拾ってきたのかと聞けば、親に貰ったベルルッティだと言われて驚いたものだ。けば立って傷つきまくった革靴を二度見して、尚もバオは信じられなかった。

 

服装に人は表れるというが、レイジは見ての通り、貰ったものとか、自分が気に入って買ったものとかを、被服としての機能が喪失するまで身に着ける性分だった。人にどう見られるかを頓着していないようだった。かと言って不潔ではなく、寧ろこの店に来る中でも最高級に上品で清潔感があり、時には高い香水の馥郁を振りまいている時もある。そんな一目でわかる外の情報に加えて、会話をしていると理解できるものだが、滲み出る育ちの良さ…丁寧な言葉遣いやテーブルマナーや礼儀正しさ…に対して、余りにもフランクで、不気味なくらい鼻につかない。それは良いことだが、同時に得体が知れないことに思えた。実は育ちが悪いのか、否、寧ろ良すぎるが故になのか、レイジは自分では計り知れないおめでたい生まれだったのかもしれないと、バオは考えていた。

 

一人の客にこれだけ思考の余地を割くというのも変な話であったが、バオにとって、レイジを知る事は文字通り死活問題だった。というのも…

 

「あー…っと、おい、そこの、突っ立ってねえで、座って何か頼んでくれ」

 

バオが声を掛けるも、それは微動だにしなかった。まるで機械のような、迷いがなく鋭利過ぎる動線が、彼女が本当にサイボーグなのでは?という疑惑をバオに抱かせる。

 

「……」

 

返答はナシ。

 

「ロザ、ロザ。バオが何か頼んで欲しいって」

 

見かねたレイジが声を掛けた、『ロザ』というのは女性だった。三つ編みと眼鏡。芋っぽさを前面に出しつつも、実に堂に入ったメイドっぷり。

 

…そう、メイド服を着た女が、レイジの背後で佇んでいた。

 

「ではミルクを」

 

レイジの言葉に間髪入れずに即答したロザに、バオはカラダをびくりと跳ね上げた。

 

「…お、おう…」

 

バオは黙ってミルクを差し出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

バオがレイジを気にするのは、一にも二にも、全てこのメイドの所為である。

 

メイドの異常さは、そのふざけた恰好と動きもそうだったが、その持ち物と気配にも問題があった。それも特大の。

 

「な、なぁレイジ」

 

バオは接客をこなしつつ、レイジに顔を近づけてさりげなく探りを入れた。その視線の先には、カウンターに立てかけられた、真夏のビーチで地面に突き立てるような特大サイズのパラソルかと見紛うばかりの傘があった。立てかけた時の音を再生すれば、ガシャン!である。布だけでそんな音が出るものか。

 

「なんだい?」

 

レイジはいつも通りで、その不自然の無さがバオの不安をあおった。

 

「おめえさん、いっつもソイツを持たせちゃいるが、毎晩ビーチで遊んでいたりはいねえよな?」

 

「しないしない!だって僕、泳げないし」

 

バオの視線を追ったレイジが、面白そうにそう言った。変なことを言うなぁ、バオは…そんな調子で。

 

「おう。だよな。うん…じゃあ、聞くけどよ、なんだってそんなパラソルみてえなデカい傘を持ち歩く必要があるんだ?」

 

「あ、え、それは、いや、僕も考えたことが無かったなぁ…」

 

バオは思わず口をついて飛び出した疑問を、自分で言ってから後悔した。

 

「ご主人様が雨に濡れてしまわぬように。雨粒に撃たれてしまわれないようにするためでございます」

 

レイジが私見を述べるよりも早く、機械演算装置ばりの反応速度で隣の席のメイドが答えたからだ。

 

「う、打たれない…じゃなくて撃たれないように。そうか、なるほど。OK。理解したぜ。二度と聞かねえから安心しな」

 

HitでもStrikeでもなかった。メイドははっきりShootと言った。

 

バオはもう関わり合いに成りたくなかった。折角今日は好い日なのだ。この不安も一緒に担いできたレイジに対して、文句を言うのもお門違いと言う物だろう。バオは大人だった。

 

「にしても、バオ、今日は一段と機嫌がいいね」

 

「お、ようやく気が付きやがったか。実はな、ここんところ客入りが好くてな。大人しい客ばっかで嬉しい限りだ。何時もこうだといいんだがなぁ」

 

ここまでの大きな大きな胸騒ぎも、大きな大きな不安も。全部全部、ここ数年間は一度として店内での発砲が無かったというだけでバオは赦すことが出来た。

 

全部。そう。全部赦せた。

 

アメリカ合衆国(アンクルサム)も真っ青になる銃の所持率に、メキシコが可愛くなる殺人件数を叩き出すこの街の、まして最低最悪の治安の酒場である。一日だって流れ弾が店に当たらなかった試しは無く、店内で喧嘩沙汰が起きなかった日だって祝日よりもレアだった。それこそ目の前の男がメイドを引き連れて来店するまでは日常茶飯事だったのだ。

 

それがどうだ!とバオは心の底から叫びたかった。

 

それがどうだ、この人畜無害で小動物みてえな男がメイドを引き連れて来店したとたんに、ピタッとスコールが止んじまったみてえに静かになりやがった。お客は昔の連中に加えて、目つきの鋭いロシア人とアメリカ人が増えたから売上だって上々だ。レイジが言ってた二ホンの居酒屋よりも静かなくらいだ、きっとロアナプラで一番に平和な場所に違いなかった。

 

無論、バオも人間だ。古参の常連を迎え入れることに何の文句もないし、お行儀よく、金払いが好ければ殺し屋だろうとなんだろうと酒を売りつけてやる気概がある。当然、更なる利潤拡大の為に店を改装し、テーブルとイスの数を倍に増やした。結果、古参連中も元通り。売り上げに貢献してくれる口が増えたわけだ。多少揉め事も覚悟したが、誰かが武器を振りかざすと、途端にカウンターのメイドが椅子を回して黙らせやがる。カウンターの内側にいるバオからは見えないそのメイドの何かが、荒くれ連中に得物をしまわせたことだけはバオにも理解できた。呑み比べと素手での喧嘩だけになり、イギリス紳士が通うラウンジばりにお上品な溜まり場と化していた。バオはカクテルを提供したほうが好いかもしれない、とくだらないジョークを思い浮かべた。

 

鈍くないバオは理解した。このメイドはタダもんじゃねえ、と。

 

フツウならついでにレイジもマークするのだが、どうにもその気が起きなかった。この男、本当に隠し玉も何も持ち合わせちゃいない。バオの直感がそう言っているし、実際レイジは何も隠していない。持ってもいない。寸鉄帯びずにここに居た。

 

かくして、世界一お下品な酒場イエロー・フラッグの店主バオに、ようやくこの世の春が訪れたわけだ。殺し合い撃ち合いが騒がしくて楽しいのは観客だけである。どたばたの鉄火場に放り込まれる側は、心の底から平穏を願っているのだ。

 

当然、バオは上機嫌。この街に来てから初めてのフィーバータイムにホクホクだった。得体のしれない男とメイドのことも、寧ろ歓迎してやれるほどに心に余裕があった。殴り合いの騒動なんて、ガキの喧嘩と変わらない。歯が飛んで鼻血が吹きあがっても、骨の折れる音が聞こえても何の迷惑も感じない。寧ろ微笑ましさすら感じられた。バオは、今の自分は相手がキリストだろうがムハンマドだろうが、酒の一杯くらいは奢ってやれる度量があると感じていた。男の待ち人である女ガンマンと、その同僚のラグーンの連中がお行儀よく酒を飲み、汚れを落した新札で勘定を付ける様が眼に浮かぶようだった。

 

きっと今日もぐっすり眠れることだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






30年ローンで夢のマイホームを都心の一等地に建てたと思っていたら、そこが絶賛紛争の真っ最中で、しかも地雷原のど真ん中でしたとバラされる10秒前の状態です。


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