ロアナプラに住みついて数年来の平穏。
ロアナプラ一番地一号を愛の巣にして、レイジと共にこれと言って特別なこともせずに暮らしていた女たちは、ふと同じことを考えた。少し、平和すぎるのではないかと。
人間。同じようなことが続きすぎると、どうにもこうにも物の有難みを忘れてしまう。そういうもので、それはそれで幸せなことに違いなかった。
だがしかし、彼女たちにとってみれば、平穏こそが異常事態だった。だからその味わいを、少しでも大事にしたいのだ。初心忘れること勿れ。その言葉通りに、彼女たちは魂の贅肉を適度に落としつつ、甘い物と辛い物を交互に食べる様に、刺激と平穏の両立を思いついた。思いついてしまったのだ。
一度思いつけば話は早い。もとより、エダやバラライカなんかはロアナプラの実質的な
懐の余裕があれば、そっくりそのまま心と体に余裕が生まれる。買えないものは無かった。唯一金では手に入らないものも、唯一死んでも欲しかったものも、今では腕の中で可愛らしく体を丸めて眠っている。満たされた心が、日々のマンネリ化によってその色を奪われることだけは我慢がならなかった。
ある晩のこと。レイジを寝かしつけてから、不寝番のロザリタだけを残して女達が集まった。
女死会の開催である
選ばれたのはレイジの家のリビング。殺風景で家具が少ない。この家の中で唯一マトモに金が掛けられているのは風呂場とベッドルームだけだった。今の彼女たちにしても、レイジ本人にしても、彼らの物欲の根底には金銭的価値ではなく、寧ろどれだけの非金銭的な価値を感じ取れるかに傾倒していた。父親の形見の靴を捨てられないレイジ然り、レヴィの名前を書いた百ドル札や、バラライカの不発だった14発目のマカロフ弾然りだ。
そんなわけで、あるものは布製のソファに、あるものは木椅子に、あるものはパイプ椅子に腰かけて木製ダイニングテーブルを囲んだ。
「ちょっと平和すぎるよな」
冷蔵庫から冷やしておいたグラスを出してくると、バカルディを手酌で注いで駆けつけ一杯。テーブルにグラスを叩きつける軽快な澄んだ音が響いた。ついさっきまでかいていた汗を、シャワーで流してきたレヴィが口火を切った。今の姿はパンツを除けば、首から下げたタオルが辛うじて胸の頂を隠しているだけである。だが、女しかいないから誰も気にしない。見れる人間はレイジか、或いは死人だけだろう。
「おいレヴィ、手前が言うことじゃねえだろ?またイエロー・フラッグで喧嘩したそうじゃねえか。あたしゃアンタの悪い噂しか聞いてないんでね。アンタの周りがどれだけ平和だったのか想像もつきゃしないよ」
マルボロの煙を吐き出してから、暴力協会のシスター服に身を包んだエダが鼻で笑いながら言った。
「うるせえ!あたしはあたしで考えながら、そりゃーもう、しっかりと考えた上で動いてんだよ!」
レヴィはなみなみに注いだショットグラスをエダに押し付けた。
「へえ~…そーかい、で?どんなことをお考え遊ばされたんで?大学も院もピッチリ出てる浅学なあたいにもお教え下さいませんかね」
水でも
レヴィ曰く最近の自分の行動は、レイジの優越感を煽るに丁度いいカモを見つけて、惚れ惚れするような鮮やかな誘い受けで相手から手を出させ、その上で向こうを軽々とあしらってしまうという内容だった。理屈は単純で、至極簡単で、要するにレイジに好い顔をしたいわけだ。カッコイイ所を見せて、褒めて欲しかったわけだ。相手も何もバカじゃない。荒くれもの相手によくやる、という感が強かった。
悪びれもしないレヴィに対して、エダはエダで、教会が街の中心地にあるこの家から遠いからか、レイジとの時間を想うように取れない鬱憤を抱えている所為で、持ち前の口の上手さと辛辣さでレヴィへの口撃の手を緩めない。
これでお互いに楽しくじゃれ合っているだけなのだから恐ろしい。キャットファイトと言うには、猫だと言い張るには二人とも大型で狂暴すぎる。犬にしたってステロイドを打たれたチベタンマスティフとシェパードの皮を被ったピットブルの類なのだ。
「手前ッなぁ~…まぁ、いいよ。教えてやるよ。知識だけのお行儀がおよろしいイディスお嬢ちゃんと違って、あたしは実地が長いんでね」
レヴィが胸を張ると、重たいものがのっそり揺れて、瑞々しい肌を水滴が伝った。
「…おいレヴィ、アンタ言っていいことと悪い事があるよ。アメリカから尻尾巻いて逃げた先で運よく同道してここまで来れたからって調子に乗るんじゃないよ。あたしには仕事があったんだよ。それだって神の思し召しさ、今日の所は浄財するなら許してやらんこともないが」
エダが親指と人差し指で輪っかを作ってちらつかせた。人のことをイラつかせる生臭でいやらしい顔である。
「アメリカ一の富豪がみみっちいこと言ってんじゃねえぞ?」
レヴィが体を前に倒した。タオルが揺れて、見え隠れした。
「アンタこそ、どうせならもっとドデカい舞台で踊ってみせな?そのほうが、あたしの
エダも負けじとずいっと顔を前に突き出した。口元は堪え切れずにニヤけて笑顔だ。目元をひくひくさせて、沸点の低いコミュニケーションを楽しんでいるようだ。
「あ"ぁ"?」「え"ぇ"?」
次第に熱が高まってきたところで、ようやく第三者が仲介に入った。
「話終わりか?おバカとクソ尼の暇に付き合うは時間進むが早いね」
爪を磨いていたシェンホアが、爪の先を吹きながら言った。ぎろりとレヴィが睨んで見せるが、全く意に介した様子もない。
「なんだ、シェンホア、一丁前に皮肉なんか垂れやがって。イギリス人にしちゃあ英語が下手くそで気が付かなかったぜ」
「私も巻き込むよくないね。大声ダメよ、彼が起きるね。メイドを見習うのがよいよ」
シェンホアは手元から目を離さずに、レヴィの皮肉を相手にすることなく小さな声で答えた。全員の頭に、枕元で鎧の置物のごとく微動だにしていないであろうメイドの姿が思い浮かんだ。
「…まぁ、そうだな…」
「ようやく落ち着いたかしら?クールに行きましょ二人とも。そもそも、エダじゃなくてイディスでいいじゃない。悪友同士で仲がおよろしいこと。別にいいけれど」
先ほどの熱が嘘のように、落ち着き払った二人を見て、頃合いだと司会進行役のバラライカが本題を切り出した。
「それで姐御、あたしらに何させようって魂胆なんだ?とうの昔に準備は終わってたんだろ?」
レヴィの疑問はもっともで、ここ数年間何もしないで来たのは、ロアナプラの安定と情勢把握の為であったはずだ。しかし、実際は最初の二年で島全体の把握もパイの切り分けも終えており、実質的に米露が共同で芝生を育てた中庭のようなものなのだ。動かない理由があるとすれば、常識外のことに違いなかった。
「あら、簡単よ。私もエダも種蒔きに忙しくってそれどころじゃなかったのよ」
細身の葉巻から濃密な紫煙を燻らせながら答えたバラライカの目は笑っている。そこには憎しみも悲しみもない。あるのは新婚旅行の計画を立てるような無邪気な喜びや期待だけだった。
「おい、エダ。どういうことだ。知ってたなら教えてくれてもよかったじゃねえか」
レヴィの突っ込みにシェンホアが噴き出した。
「ニャハハハ!」
「何が可笑しいんだよ?」
「手前の金庫の鍵を、泥棒に渡す人いるの見たことないよ」
「ぁあッ!?あたしが手柄横取りするって言いてえのか?」
シェンホアの辛辣な例えにレヴィは流石にイラっとしたが。当のエダは何も言わない。何を言っても凶と出るからだ。
「はいはい。それで、ね?まぁ、そろそろ種が芽吹きそうだから…抗争の類なんかはまだ先なのだけれど、それでも少しずつ温度を上げて行こうと思って」
「…街の温度か?」
「えぇ、そうよ。それ以外の何があるのかしら?」
「加減がわからないなんて抜かすなよ?アイツ泣かせるよっかな、あたしは、手前が小物のままでも構いやしないんだよ」
「…そう言いつつ、貴女だってアルバイトしてるじゃない」
「うぐ…ラグーンの仕事はダッチに誘われたからってのもあるが…」
「それだけじゃないでしょ?」
「そうだよ好きでやってんだよ!帰りを待ってもらったことが無かったんだよ!手ぇ繋いで帰れるとか憧れンだろ!」
「まだあるでしょ?」
「う、も、もういいだろ?それともあたしにも教えてくれんのか?」
実際レヴィの思惑はもっと色々あった。レイジのことを考えた時に、彼が感じる色々が、レヴィにとっても美味しい結果に繋がると考えたのだ。二人してぼんやり過ごしてるよりも、女にだけ働かせて昼間から酒をかっ食らう方がヒモとしてのバイタリティが上がるし。何より、既に言ったように酒場で帰りを待っていてくれるし、そのあとはメイドを先に行かせて二人きりで一緒に帰れるし、夜道を歩けば不安になったレイジと手が繋げるのだ。そもそも、である。レヴィは思うのだ。レイジから貰った一億ドルからレイジの小遣いを払うことは怠慢だと。それも悪くは無いし、レイジはそもそも気にしない。だが、ゼロよりはプラスの方がお得な気がするのだ。だからレヴィはアルバイト感覚で海賊稼業に勤しんでいる。仕事自体も刺激的でそこそこ楽しい。仕事終わりの夜道一つとっても苦労の甲斐がある。自分が汗水たらして稼いだ金でレイジにお小遣いを貢ぐのは言うまでもなく楽しい。レイジがその金で自分に物を買ってきたときなど、例えそれが悪趣味なアロハであっても嬉しい。考えてもみろ。ペットのオモチャをペットの金で買う飼い主はいないのだ。ペットに生産能力はないのだから。
最後に付け加えれば、カトラスをぶん回して鉄火場を乗り越えた話をすると、その、なんだ、レイジが凄く優しいのだ。目も顔も口元も。だからレヴィとレイジがスるときは正常位ばかりだ。特に心を鷲掴んで離さないのが、レイジの瞳だ。それがレヴィは堪らない。寝ても覚めても思い出されるのは彼の瞳と、その瞳に映る快楽に歪んだ自分の顔だ。自分に憧れと尊敬の眼差しを向けつつも、優越感と独占欲と自己嫌悪で曇るレイジの顔が、レヴィは狂おしいほど好きなのだ。あの顔が見れただけでイケるほどに。強くて優しくて美しくて金のある女としての自覚が、レイジと言う鏡を介してレヴィに揺るぎない自己肯定感と自尊心を与える。それは翻ってレイジへの愛情に換わり…とにかく、そう言う訳で、レイジと自分にとって一番気持ち好くて楽しい選択の結果が、今のアルバイトだった。
刹那的な欲求に見えるレヴィの行動だが、その裏にはロアナプラの統括者としての自覚があるバラライカとエダによる、衛星からの保護と監視の目がついて回っている。だからといって、何でも出来るわけでも無いが。それでも、レイジにとって不利益を齎さないというレヴィへの、またレヴィから自分たちへの信頼感をベースに、物騒な街を平穏無事に回していた。今日までは。
「レヴィ、貴女に教えるのは、彼の街に火を灯すことになる、記念すべき最初の仕事の内容。でも、これを聞いたら貴女、依頼を受けて貰うことになるけど…ダッチを説得できるのかしら?私の方からも依頼はしておくけど」
「んなもん理解できるところだけ話せば万事問題ナシだ。そもそも、あたしらの『理屈』で物を考えることが出来るヤツなんざ、それこそここに居るので全部じゃねえか?」
「今のところは、ね」
「…それで、何すればいいんだよ。アイツにとっても、あたしらにとっても、もっと楽しいコトが待ってるんだろ?」
「そうね。私たちのプレゼントを彼が喜んでくれたら…だけれど」
バラライカの目に一瞬浮かんだ不安の色を、レヴィは目ざとく見つけて口角を上げた。
犬歯を剥き出しにした、狂暴な笑みの中には、鉄を溶かすような情念の熱が唸りを上げていた。
「姐御、そんなんじゃあまだまださ。足りない。全然足りないのさ。レイジはな、喜んでくれるんだよ。自分の為に誰かがしてくれたことに、とことん免疫も偏見も無いのさ。常識もないのさ。だから心の底から喜んでくれるのさ。手前の命を勝手にベットされようが、身勝手なエゴで命を助けられようが、そのことを恩着せがましく押し付けられようが…素直に純粋に、本気で無邪気に喜んじまうんだよッ…アイツはさ…」
「レヴィ…私、彼のことが心配になって来たわ」
バラライカの言葉にレヴィは腹を抱えてゲラゲラ笑った。
「ひーっひっひっひッ!だからあたしらがいるんじゃねえか!そうだろ?なら、喜ばせちまえばいいんだよ。過程なんてふっ飛ばせばいいのさ。最後にアレが笑えば勝ち。笑わなくても泣かせても負けだ。シンプルだろ?怒ったり悩んだりしてる時の顰めっツラは小皺が増えるぜ?悪党は常に笑顔が一番なのさ!血管がブチ切れるまで怒るなんざあ自称正義に任せとけ。あたしはレイジと笑ってたい。常識も正義も金と銃がないと始まらないのは一緒だろ?あたしらと信じる神が違うだけさ」
「だからよ姐御。まずはレイジを信じること、だろ?」
レヴィは言いたいことを言い切ると、満足して煙草に火を点けた。薄暗い室内で小さな炎の穏やかな灯りがレヴィの顔を浮かび上がらせた。牙を剥くような狂相に相応しくない、優しくて穏やかな目をしていた。そして、この場の全員が同じような瞳をしていた。
「…レヴィの言う通りね。自分の年に引け目を感じてたのかしら…弛んでるわ。鍛え直さなきゃ。…仕事、ダッチによろしくね。ディスクの回収と、誰でもいいから人質でも獲ってきて頂戴。人質の理由付けなんだけど、貴女に一任するわね。稀代の名演を期待してるわ。ハードでもソフトでも、この際だから過剰反応してくれると嬉しいわね。向こうの動き次第で途中までは簡単だけど…まぁ、過程なんてどうでもいいコトよね?」
バラライカが片目を細め小首を傾げて問うと、レヴィはにやりと笑った。
「それでいいのさ。アイツには特等席で観て貰うよ。全部終わったら、細かいことは全部ふっ飛ばして、アイツに聞くんだ。プレゼントは喜んでくれたかしらんってね?死ぬ思いしても、アイツのことだ、自分の為に用意されたってだけで小躍りするほど喜ぶぞ?いいねぇ、ハッピーになれる沸点が低いと、あたしらも喜ばせ甲斐があるってもんだよなあ?」
ラッキーストライクの煙を目一杯吸い込んで、肺から一気に吐き出した。浮き輪から空気を押し出すみたいに吐いて、それから深呼吸をした。脱力し、ソファに沈むと天井が見えて、さっきの情事がレヴィの頭をよぎった。耳の後ろに熱が籠る様な気がした。悪くない夜だ。
「それじゃあ解散と言うことで。追加情報とかは、随時更新するから電話には必ず出て頂戴。さぁ、早いとこ帰りましょ。私、明日は忙しいのよ」
バラライカはそっと寝室をドアの隙間から覗くと、足早に家を後にした。
「おう、姐御。気を付けて帰れよ。エダ、手前もまたな。教会のババアと経でも上げてよろしくやってな」
ここが我が家であるレヴィは勝ち誇った笑みでソファに踏ん反り返った。両手を頭の後ろに持っていくと、顎をしゃくり爽やかな声で、リップオフ教会に戻らなくてはならないエダの背中に声を掛けた。
「うるさいよエテ公が。あたしら来るまで犬みたいに盛りやがって。アンタが海の上にいる間に寝取ってやるから覚悟しな」
「はん!てめえの聖書にベッドん中でのハウトゥーが載っててもあたしは驚かねえぞ」
「悪魔並みの減らず口だね。流石のイエスもアンタのド頭にだけは匙を投げるよ。精々命を大事にしな。手前が死んでショックでインポにでもなってみな、墓を暴いてもっかい殺してやるよ。
「うるせえクソ尼、余計なお世話だ。手前こそ、胸にパッド代わりにポケットバイブルでも突っ込んどけってんだ!地獄に堕ちたくなきゃ、そいつに弾を止めて貰いな。死んだら死んだで一足先に弁護士でも用意して待ってるんだな。どうせ死ぬなら地獄でもレイジと一緒のがイイだろ?」
エダとレヴィの言葉の応酬に、やはりとどめを刺したのはシェンホアだった。
「バカも尼も素直ないね」
「「うるせえ!手前は引っ込んでろ!」」
「やっぱり仲良しクラブね。こんな下品の淑女協定見たことナシよ」
シェンホアは呆れながらも、その場にふにゃりと欠伸を一つ残すと、自分の寝室に向かってさっさと寝た。
レヴィはエダを見送ると、不寝番のロザリタに一言「悪いな」と伝えてからレイジの隣に体を滑り込ませた。ロザリタに体を拭かれ、服を着せられたレイジの安らかな顔をぼうっと見つめながら。レヴィの意識は闇に溶けて沈んでいった。
今日もぐっすり眠れることだろう。