みすぼらしい男が両手に子供の手を引いて歩いていた。
清潔だがみすぼらしい恰好は、何時何処で野垂れ死んでもいい様にと繕ったものだ。ボロボロの革靴も、流石にそろそろ底が抜けそうだった。
男の両脇を歩くのは、双子の子供だった。
喪服のような黒い上品な服を着ていて、髪は夕日を反射して銀色に輝いていた。そろそろ子供は家に帰る時間だ。
子供用の小ぶりな革靴が、アスファルトを叩く音が響く。女物が一足と、男物の一足がコツコツと音を立てた。長い銀髪と、耳より少し下に整えられた短髪が、歩を進めるたびに揺れた。
双子は何も言わずに、男の大きくて薄い手の平を、力いっぱい離すまいとギュッと握っていた。
ロアナプラでは滅多に見ない、子連れの姿は注目の的だったが、彼も、子供たちも悪びれる様子もなく大通りの真ん中を真っ直ぐに通り抜けていった。
住宅街の少し手前に住宅予定地の小さな空き地を見つけて、彼は何かを思いついた。
子供の手の平は温かくて柔らかい。自分にもこんな時分があったと思うと不思議な気持ちになってくる。大人になってから小学生を見た時の、あの小ささ。とても同じように生きてきた様には思えないような儚さを感じる。弱弱しいと言うよりも、今にも壊れてしまうんじゃないかと、その脆さが恐ろしい。乱暴に触れることさえ憚られる。そんな存在だ。
相手のことを大事にするのも、相手に甘くするのも、元を辿れば自分も大事にして欲しいから、自分に甘くしてほしいからだ。都合の好い現実に溺れていられれば、僕もうんと心穏やかだ。でも、そうそう、そんなことも起きないのだ。だから何か、それに心穏やかでいられるものを手に入れた時は、その手から零れ落ちてしまわないようにしないといけない。大事に大事に、自分の中に閉じ込めてしまわないと。もしかしたら誰かに盗られてしまうかもしれないから。
僕は、その日、ふらふらと一人で街へ向かった。以前なら考えられなかったことだ。何かが欲しかったわけではなかった。何かが足りなかったわけではなかった。ただ、何となく、どこかに行きたかった。怖いもの見たさなのか、好奇心だったのか。僕にも分からない。ただ、今自分のいるここが、どうしようもなく寒かったのだ。凍えそうになった。理由はなくて、何か、辛いことや嫌なことがあったわけでも無かった。ただ何となくだった。些細な何かがきっかけで、凧の糸が切れただけだ。ここに居ることが悪いことではなくて、嫌なのではなくて、何処か別の場所に身を置くことのほうが魅力的に思えただけなんだ。気分でしかなかった。
向かった街で、今日に限って僕の知らないボーイに引っ掛かり、まんまと用もない売春窟で部屋を取る羽目になった。強引に引っ張られてしまって仕方なかった。こういった経験はなかったし、こういう店に入ったことも無かった。だから、何をすればいいのかも知らなかった。ホテルや店にある広いベッドは苦手だ。自分と他人との隙間が嫌に広く感じてしまうから。ウチのベッドも、だから広くてもダブルのものしかない。電話も持たずに出てきたのだ。払える金も無かったので、諦めて広いベッドに一人で眠っていると、扉を叩かれた。
扉が開かれてさっきのボーイと、ボーイの後ろに続く様に二人の子供が入ってきた。
「音は漏れない。金は払ったんだ。仕事をしろ」
それだけ言って、大荷物を抱えた子供二人を残してボーイは部屋を出た。僕が何かを言う前に、ガチャリと鍵のかかる音がした。
「「ねえお兄さん、
そう言われた。
遊ぶ…。久しく、聞いて居なかった言葉だった。そうか、そう言えば遊んだことが無かったかもしれない。うまく言えないけれど、遊ぶということを、余りしたことが無かったかもしれない。僕も、遊びたかったのかもしれない。この時、僕は何を思ったんだろうか。遊ぶってなんだ…でも、遊ぶか…。これが遊ぶってことだとは、誰も教えてくれなかったもんな。いつの間にか、遊ぶってこういうことだって思い込むようになっていくのかな。フツウなら、そういうもんなのかな。
…遊ぶか。遊んでみるか。
僕はお金を払っていない。でも、ボーイは金を払ったと言った。ならば、これは彼の奢りと言うことでいいのだろう。彼には感謝したい。もしかすると、僕はこの子たちから、遊ぶということがどういうことなのか、教えて貰うことが出来るかもしれない。子供には子供の頃しかいられないから。大人の論理で、子供の社会から無理矢理に追い出されてしまうから。子供の頃の世界を取り上げられてしまうから。壊されてしまうから。だから子供のままではいられない。
僕は自分がちっとも大人だとは思えないけど、子供だとは口が裂けても言えなかった。
「うん。いいよ。遊ぼうか…まずは、何をしようか」
床に膝をついて、目線を合わせてそう言うと、子供たちはにっこりと微笑んだ。僕も頑張って笑ってみた。怖いと思われていないと好いな。なんて思った。
よく見なくても、瓜二つの双子だった。銀髪が眩しい。レヴィ辺りならクリソツと形容するだろう。
「お兄さんみたいな人は初めてだよ。ねえ、姉様?」
「そうね、兄様…どうしましょうか?」
「そうだね…いいよ、お兄さんと遊んであげる…優しそうだし」
「ふふふ…ちょっとだけよ?貰った分は働かないと。だからこれは特別なの。楽しみましょうね、お兄さん♪」
本業の子供と会ったのは久しぶりだ。あの少年は子供と言う感じじゃなかった。子供は、もっと大切に守られていて、だからそういう生き物だ。そうそう、こういう感じだ。僕は変に納得して、双子に手を引かれて立ち上がった。
そう言えば名前を聞いてなかったな…ねえ、お名前を教えてくれる?僕はレイジって言うんだ。
「僕はヘンゼルだよ。よろしくね、お兄さん」
「私はグレーテルよ。よろしくね、お兄さん」
「うん。今日はよろしくお願いします」
「「あははははは!変なお兄さん!」」
二人に導かれてベッドに上がると、押し倒されて両脇にヘンゼルとグレーテルがピットリと密着した。挟まれた状態で遊ぶことって何だろう…。
疑問に思っていると、両耳に息を吹きかけられて体が震えた。
「びくびくしてるね…こういうのは初めてなのかな?」
「可愛らしい反応ね…されたことが無いのかしら?」
右を見ても左を見ても同じ顔がそこにあった。顔が小さいのか、瞳が大きいのか。
「綺麗だ」
「「ぷふッ!あはははははは!」」
僕の呟きに、双子は噴き出してしまった。
「『綺麗だ』だって、姉様」
「面白いお兄さんね、兄様」
「「これから何をされるのか、想像もつかないんだね」」
「「可哀そうなお兄さん」」
クスクスと小悪魔のように笑う二人の手が、そろりそろりと太ももから鼠径部を這い、段々と体の中心に向けて近づいてくる感覚に背筋がゾワゾワとした。不安になったけど、興奮していたりもする。でも、これが遊ぶこととどう関係があるのだろう…そういえば、あの荷物は何に使うのかな。
「ねえ、あの鞄には何が入ってるの?玩具かい?」
「ああ、そうだよお兄さん。お兄さんで遊ぶための玩具が入ってるんだ」
「ええ、そうよお兄さん。お兄さんと遊ぶための玩具が入っているの」
「ふーん…そっか」
やっぱり玩具だった。なんだ、でも、まだ玩具は使わないのかな。
「玩具は使わなくていいの?今は玩具を使わずに遊ぶのかな?」
「ふ…ふふ…ねえ、本気で言ってるの?お兄さん」
「玩具を使って欲しいなんて、変な人だわ。ねえ、兄様?」
「そうだね、変な人だね、姉様。…まだ、玩具は使わないよ」
「そうね、まだ使わないの。だって勿体ないもの」
玩具を使わない遊びが何なのか想像もつかなかった。けれど、教えを乞う立場だから素直に従うことにしよう。遊ぶってどういうことなんだ?僕にはわからない。どうか教えて欲しい。知らないことに気付いてしまった所為で、きっとこのままだと夜も眠れない。些細なことだけど、僕にとっては大事なことだ。生活に支障が出る程度には。
「ねえ、ヘンゼル、グレーテル…僕はまず、何をすればいいのかな?何で遊ぶの?君たちの遊ぶって何?」
「じゃあ、すっぽんぽんになってよ」
「……え?すっぽんぽんになるの?」
ヘンゼルの言葉に僕は思考がフリーズしてしまった。ど、どう言うことなんだ?遊ぶんじゃないのか?水遊びするのか?
「ふふ…恥ずかしいのかしら?」
「あ、いや…変かなって」
僕はそう言いつつも、考えてみた。先入観や偏見はダメだよな…だから、ここはちゃんと最後までこの子たちの言うことを素直に受け入れよう。うん、そうしよう。
「ちぇっ…つまんないや。どうしようかな、もう玩具で遊ぼうか?」
「あ、ちょっと待って!玩具を使わない遊びも知りたいんだ!脱ぐよ!今すぐ脱ぐから!」
ヘンゼルがそう言うと、鞄の方に行ってしまいそうだったから、彼の腰に縋りついて服を脱ぐと宣言した。そうだよね、やっぱり、純真な子供の言うことを否定しちゃダメなんだ。素直に生きているんだから…。
「うふふ…あらあら、残念ね、兄様」
「ふふ…そうだね、でも、変な人だね」
「そうね…不思議なお兄さんね」
僕が服を脱ぐ横で、二人は顔を寄せ合ってこそこそ話をしていた。聞き耳を立てては失礼だと思いつつ、気持ち悪い奴だと思われていたら潔く帰ろうと思って耳を澄ませていたら、そんなことを言っていた。不思議な奴、変な奴…子供からもそう思われてるなんて。好いコトなのか悪いことなのか分からなかった。
「脱いだよ!ほら!」
ロザリタがボロボロにしちゃうから痕が凄いことになってるけど…双子は何も言わなかった。じーっと僕のカラダを見つめていた。
「凄いね!お兄さんのカラダ…丈夫そうで安心したよ」
「そうね、これなら長く楽しめそうね」
「僕たちも脱ごうか」
「私たちも脱いでしまいましょう」
そう言って双子は何の躊躇もなく服を脱ぎ捨てた。
何時までも遊びが始まらないまま、今度は三人で素っ裸の状態でベッドに寝転んだ。団子みたいにくっついて、双子に全身をぺたぺたと触られる時間が続いた。二人は何故だか、僕のカラダに興味津々だった。こんな貧相なカラダの何が楽しいのか僕にはわからなかった。けど、二人には全身に遺る傷痕の一つ一つが面白いことのようだった。
「兄様、これは刺し傷みたい…ふふ、かなり深く刺されたみたい…ねえねえ、痛かった?痛かったの?私とっても気になるわ」
「ねえねえ、これは誰に刺されたの?どうして刺されたの?」
「あら?今度は…兄様見てみて、これは銃創かしら?たくさんあるわ。お腹を撃たれたのに生きていられるなんて…お兄さんは運が好いのかしら?」
「あはは!ホントだ!誰に撃たれたの?どうして撃たれたの?僕たちに教えてよ!」
教えてと言われたから、僕は一つ一つについて教えた。誰に、何処で、どうやって。ベッドの上でのことはぼかしたけれど、女の子に噛まれたのは本当だし。嘘は言っていない。聴かれるがままに。尋ねられるがままに。
一通り聞かれたことに答えてから、僕も気になっていたことを聞いた。
「ご家族は何処にいるの」
「こんなところに子供が来てはいけないよ」
「満足するまで遊んだら、ちゃんとお家に帰るんだよ」
「迷子なら、誰かに頼んで送ってもらうから困っているなら教えておくれ」
言ってはみたものの、説得力なんかないことくらい僕だって理解してる。けど、言わないのと言うのでは全く違うだろう。万が一、迷子だったら大変だ。日向の人間は日向に帰さないと、でなけりゃ僕の気分が悪い。
家族のこと、家のこと。僕もそういう話題はあんまり好きくない。けど、万が一がある。この子たちは後戻りできる人間なのかもしれない。手違いがあるのかもしれない。勘違いがあるのかもしれない。だから聴いておこう。知らないままは、知って苦しむことよりもうんと辛い。恥ずかしい。我慢ならないから。
触れてはいけないタブーの意味を、触れて初めて理解できる。触れればわかる。触れなきゃ一生理解できない。だから教えてくれ。忘れないようにするから。抱えて生きていくから。その方がうんと心も穏やかだ。今日はレヴィの胸に縋って泣こう。
「お兄さん…僕たちのことが知りたいの?」
「教えてくれるなら。知りたいんだ」
ヘンゼルが首を傾げた。可愛らしい仕草だが、あまり自分の話には興味がなさそうだ。無理に聞き出す気はなかった。それでも、教えて欲しいと言葉に出さなくちゃ誰も教えてくれないから。
「ふ~ん…教えてあげてもいいけど。…姉様、どうしようか?」
ヘンゼルがグレーテルに流し目を送った。トロっとした目つきで、年不相応の色気があった。僕はなんだか無性に胸がむかむかした。
「兄様はどうしたいのかしら?」
「姉様はどうしたいの?」
暫し見つめ合ってから、双子が声を合わせて言った。
「「
僕は頷いた。そんなことでいいなら。
「いいよ。最後まで遊ぼう」
僕の返答に満足したのか、双子はベッドの上で跳びあがって僕の手を引いて立ち上がった。
「やった!じゃあじゃあ、場所を移そうよ!」
「それがいいわ!素敵な場所を知ってるの。汚しても怒られない場所を、ね」
いそいそと着替えた二人は、僕の背を押して急かすように扉に向かった。そう言えばドアには鍵が掛けられていたような…。
「ふふ…お兄さんに僕の玩具を見せてあげる」
そう言ってヘンゼルは、鞄の中から武骨なフランキスカを抜くと、蝶番を真っ二つに断ち切って見せた。こじ開けられたドアの向こうでボーイが口をポカンと開いて何かを言おうとしていた。銃も抜こうとしていたが、それより早く、何かを言う前にヘンゼルが胴体めがけて戦斧を袈裟に振り下ろした。
「じゃ、いこっか」
「うん」
ヘンゼルにそう言われて、僕は頷いた。怯える?いいや、別にそう言うのはなかったな。ビックリはしたけどね。
腸を床にぶちまけて死んだボーイの顔を無感情に流し見てから、双子に手を引かれて僕は売春窟を後にした。内臓が破れたせいで血と糞便の酷い匂いがした。子供たちの手は柔らかくて温かかった。外に出ると、生ぬるい風が吹いていた。僕の心は穏やかだ。
僕達は所詮、統計上の数字の1でしかない。誰にも顧みられることのない、世界の裏側の悲劇の被害者だ。悲劇?否、喜劇だ。まるでこれは喜劇じゃないか。泣いてる人間よりも、笑ってる奴らの方が多いんだ。誰かの泣き声よりも、下品で粗野で不愉快な笑い声のほうが頭に響くんだ。壊れているのは世界の方じゃないのか?それとも、やっぱり僕たちの方が壊れているのかな?どっちなんだい?誰か、誰でも好い。賢い人よ、どうか教えておくれ。納得できる答えをおくれ。自分で考えろだなんて、そんな言い逃れは止してくれ。そんなものはね、欲しくないんだ。そんなものを必要としているワケじゃないんだ。目に見える価値をくれよ。答えをくれよ。近道でもズルっこでも構わないよ。もう待てないんだ。これ以上、待たされるのは御免なんだ。幸福の待合室は貧者の列で一杯だ。持たざる者の悲鳴は、正しく鳴き声だ。犬猫豚牛鶏のそれと同じ、家畜の悲鳴に人間は耳を傾けない。自分たちが生き残る上で、家畜を殺して食らうことに疑問を抱いていては生活が成り立たないからだ。それは当然のことだ。必然で、フツウのことだ。でもね、思うんだ。その中に、実は僕達みたいな人間も……元、人間だって沢山たくさん含まれているんじゃないかって、ね。僕たちの涙は、ワニやカエルが流す涙と一緒なのかな?悲しくなくても流れる、体の仕組みの問題なのかい?冷血な動物の流す、感情の含まれていない涙なのかな?ただの塩水なのかな?それに、鳴き声が加わるだけなのかな?だから、誰も手を差し伸べてくれなかったのかな…。
神様は人間が食べるために動物を作ったんだって。人間には、悪い人も、いい人もいるよ。いるのに、神様は悪い人にも動物を食べていいよって言ったんだ。いい人だけが食べられるものだったら、そもそも僕達のことを食べたりなんかしないはずだよね。可哀そうな僕たちに、あんなに辛く当たる事なんかなかったはずだ。それとも…生まれた時から僕たちは悪い人だったのかな?悪い人なら、悪い人に食べられてしまっても仕方ないって、そう言う意味なのかな?僕には分かんないや…姉様は分かるのかな?…兄様、私もわからないわ。誰も教えてくれなかったんですもの。でも、もう悲しくもないの。辛くもないの。だってそうでしょう?痛くすることも、酷いことをするのだって、誰かを殺すことだって…全部全部、私たち以外の誰かに押し付けてしまえば、押し付けている間だけは、私も、兄様も痛い思いをしなくて済むんですもの。笑っていられるわ。おじ様たちみたいに。皆みんな、笑っていられるわ。笑うってことは、痛くないってこと。楽しくて幸せな事なのよ。辛くないことは素晴らしいこと。自分だけが辛くないこと、痛くないこと、泣かなくて済むことが大事なの。だってこの世界には自分か、それ以外しかいないんですもの。そうでしょう?そうじゃなきゃ、あんなに殴られたり蹴られることはなかったんですもの。ねえ兄様…私と兄様しかいないの。私と私しかいないの。だから、それ以外は何でもない物なの。傷つけることが生きることに直結するのよ。飛行機のチケットを買うことと同じで、息を吸ったり吐いたりすることと一緒なのよ。止めてしまえば、そこでおしまいなの。死んでしまうわ!なんてことなの!
だから、殺すの。どうしてもこうしてもないわ。そうしたいからするの。そうするしかないの。呼吸を我慢して死んじゃうなんて、考えたことも無いでしょう?同じ。同じ。それと同じ。兄様、お兄さんは泣いていたわね。ねえ、そうでしょう?
うん、泣いていたよ。
でも、笑ってもいたわ。
あっあっあっあッ…ってね。
痛かったのかな?
辛かったのかしら?
…わかんないや。あ、でも抱きしめてくれたよ!
ええ、そうだわ!抱きしめてくれたの。笑いながら抱きしめてくれたわ。
でも、変だね。折角、僕たちが舐めてあげたのに…気持ちよくなかったのかな?
そんなことないわよ。おじ様たちだって、誰だって出すものは一緒だったわ。入れるところも一緒。
じゃあ、なんでだろうね…。お兄さんは出してくれなかった。
痛くされなくて、辛くされなくて、優しくしてくれた。お兄さんはいい人だったのよ。思った通りでしょう?
そっかぁ…姉様、もったいないね。なんだか、もったいないよ。
そうね、薬を使うまで、結局触らせてもくれなかったものね。
傷はあんなに触らせてくれたのにね、不思議だなぁ…。
でも、やっぱり、死んじゃうのは怖いものね。
うん、痛いのも、辛いのも嫌だよ。
じゃあ、殺しましょうか。
うん。殺してあげよう。
兄様、心配はいらないわ。お兄さんは優しい人だもの。きっと怒らないでいてくれるわよ。それにね、私たちは
僕はヘンゼルとグレーテルに連れられて、コーサ・ノストラの事務所の一室で遊ぶことになった。鍵が掛けられた部屋の中で、気づいた時にはベッドに縛り付けられていた。身包みを剥がされて、素っ裸だった。服を脱いだ双子が言っていた遊びがどんな遊びでも僕は構わなかった。けれど、話を聞いていくうちに、僕は気が変わった。彼女と彼がルーマニアの孤児だったことも、口に出せない酷い仕打ちを受けてきたことも、その所為で壊れてしまっていることも。全て教えて貰って、全てを知って、端っこだけ理解して。もうそれだけで十分だった。僕は何時か、刺された時のことを思い出した。ロアナプラに来る直前のことだ。
嗚呼…あの時もルーマニアで体験したんだっけ。僕は今、とても…愉快だった。僕は、心の底から穏やかな気持ちだった。
あっあっあっ…と変な笑い声が出た。喉が潰れて、掠れたような音がか細く漏れてきた。嗚呼、涙が出るよ。涙が出るほど笑えるよ。本当に、嗚呼、好かった!好かった!今日、君たちに会えて好かった!ヘンゼルとグレーテルと出会えて好かった!やっぱり神様はいないんだ!なんて最高の日だろう。これほどに素晴らしい日はなかった。神はいない。やっぱり神はいないんだ!いなかったんだ!ああ、有難う!ヘンゼル。グレーテル。君たちが不幸に堕ちて、壊れてしまって、それでもまだ生きていることが、その現実が僕の心を救ってくれたよ。ありがとう!好かった!好かったよ!神はいないんだ!正義はないんだ!イデオロギーも!理想も!全部全部まやかしだ!
君たちだけじゃないんだ。僕も君たちも、統計上の無数の数字の中の1でしかないことなんて知ってる。知ってるよ。でも、こうして実際に目の前に現れて、僕に教えてくれるのは君たちだ。君たちだったんだ。だから、君たちに、代わりに全身全霊を込めて感謝を伝えるよ。ありがとう。ありがとう。君たちのお陰で、僕の心は穏やかだ。この世界を否定してくれてありがとう。僕の柵を、僕を縛る全てを否定してくれてありがとう。君たちが救われなかったお陰で、僕は君たちに出会うことが出来たんだよ。このままだったら大変だった。とんだ勘違い野郎のまま、狂ったまま死ぬところだった。嗚呼、そうだよな、現実ってそうだよな…理由なんてないんだよな、したいからするんだよな。そうだよな…よし、なら、やっぱり遊べない。もう十分に遊んだよ。僕は遊ばなくていい。君たちは、遊んでいい。君たちが、遊んでくれ。
僕が遊ばないと、そう言うと、双子は何処からともなく薬を持ち出した。何の薬か分からないが、マフィアが扱うクスリを注射器一杯に打たれて、すぐさま意識が混濁した。
次に目が覚めた時は、二人が僕のもので遊んでいた。抵抗してみたけれど、子供二人に組み敷かれてしまった。二人は代わる代わる僕に跨って遊んでいた。楽しそうだった。楽しそうでよかった。楽しんでくれ。僕のことは気にせずに。好きにしたらいい。満足したら、捨ててくれ。それでいい。それがいい。無造作に捨ててくれ。投げ捨ててくれ。ゴミのように。何の価値もないクズ糸のように!
君たちに、この世界がした仕打ちと同じことを、全部この身に教えてくれ。神はいないから。原罪を背負ったイエスもいないんだ。アッラーもいなければムハンマドもいない。アブラハムも誰もいないんだ。カインもアベルもいないんだ。無責任な連中と同列に語られるのだけは我慢できない。だから苦痛を教えてくれ。君たちのことを教えてくれ。君たちのことを誰よりも少しでも知ってくたばることにしたんだ。だから、楽しんでくれ。僕を殺してくれ!もう生きていたくないよ!痛いのも辛いのも面倒臭いのも嫌なんだ!でも、こんなのってないよ!こんなのはあんまりだッ!折角…折角、最初の最後で正解を引き当てられたと思っていたのに…結局、僕は、最初から最後まで、何一つとして正解なんて引き当てちゃいなかったんだ。全財産を捨てても全部を救えないと理解していたとしても…何で今更見せるんだよ!耐えられないよ!!!
でも、知る事が出来てよかった。だってこんなにも心穏やかだ。この死に、喜んで身を投げ出せる。君たちには殺す権利がある。そして、その通りにするんだ。仏心も慈悲も改心もするな!壊れたままに僕を殺せ!傷つけろ!僕のことを認めるな!この潔さを認めてくれるな!
英雄じゃないんだ。戦士じゃないんだ。貴族じゃないんだ。誇りもクソもあるもんか。この世界に不条理をぶつけ返してやれ。
「嗚呼!ヘンゼル!グレーテル!ごめんよ!赦さないでくれ!このまま苦しめて殺してくれ!君たちは何も間違っちゃいないんだ!間違っているのも、壊れているのもこの世界なんだ!壊れたままに世界は続いていくんだ!だから、死ぬな!死なないでくれ!君たちが死なないでくれよッ!誰を殺しても君たちだけは!誰にも殺されないでくれ!壊れた世界に殺されないでくれ!おいて行かないでくれッ!イヤなんだ!そんなの受け入れられないよ!僕もそっちに行くから!だからッ!どうか!この世界に勝ってくれ!笑ってくれ!人生なんて!全部遊びだろ!?だからッ!信じさせてくれ!忘れないよ!忘れないでくれ!どうかどうか、僕を痛めつけてくれ!僕は…」
グレーテルが、僕の叫びを何かが辛い所為だと思ったみたいだ。それは案外正解だった。
追加の薬液が全身を巡って、言葉にならない、素面じゃ言葉にできない言葉が、濁流のように口をついてあふれ出た。
「あああああああ…ああ、あああああ、な、なんだ、これ、こへ、何も分からない…なひを、なにも、何をぼかあ、しゃべってるんだ?叫んで、いるんだ?ああ、きかないで!こんな、ますたーべーしょん、恥だけが積もってくよ……ヘンゼル、グレーテル、いっそのこと、僕のことを食べてくれ…君たちの中で生きたい…君たちが生き続けられるように…せめて本当の意味で、生命のストックに、君たちの幸せを祈ってる、祈り続けるよ…だから、君たちの糧に…どうか、許してくれ…それだけ、許してくれ…もう、ダメ、だ…なんだ…あ、は…嗚呼…さみしいよ…ここは、暗いんだ、寒いんだ……抱きしめて、僕を……」
そこから先の記憶はない。