ロアナプラより愛をこめて   作:ヤン・デ・レェ

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Twin Kidnapping:Statistical figures II *R15

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

半日かけて、ヘンゼルとグレーテルは彼のカラダで遊び続けた。薬の在庫が切れる頃、全身の穴と言う孔から体液を垂れ流した状態で、彼は昏睡状態に陥った。寧ろ、死んでいないことが不思議だった。その顔は苦悶に染まっているが、それでも何故か優しいものだった。泡を噴きながらか細い喘鳴を漏らすだけ。失禁していて、前からも後ろからも垂れ流しの状態だった。ハッキリ言って、この上なく汚かった。

 

ベッドの上でピクリとも動かない彼を、今度は椅子に縛り付けて遊ぶことにした双子は、持ち込んだ鞄の中から玩具を取り出した。少しでも長く楽しむための玩具だった。医療用のメスやバーナーや錐にネイルガン…それ以外にも物々しい道具が並んだ。道具を並べながら、ヘンゼルがメスを手に取った。

 

「そろそろお兄さんを起こさなきゃね…」

 

意識を失っている彼の太腿に、眠気覚ましにメスを全力で振り下ろした時だった。

 

「あ、あれ?…姉様!」

 

ヘンゼルがグレーテルに言った。

 

「…姉様、なんか、変だよ。僕、変なんだ」

 

深々と刺さったメスにも、彼は薬の所為で反応を返さない。粘度の高い泡を口の端から垂らして、びくりと体を震わせただけだ。

 

「…私もなの、兄様。なんだか、臭いわ」

 

「うん。臭いよ。嫌な臭いがする」

 

グレーテルが言うと、ヘンゼルも同意した。顔を顰めて鼻を摘まんでも、やっぱり臭い。こんなことは今までになかった。糞便の匂いも血の臭いも、気にならなくなって久しい。

 

「鼻が曲がりそう…なんだか、気持ち悪いわ」

 

「息が、苦しいよ…」

 

ヘンゼルが血塗れのメスを握る手から力を抜いた。ガランとけたたましい音が響くと、彼の体がまたびくりと震えた。

 

「へん、ぜる、ぐぇてる、ろしてくれ、るるしめてくるえ…」

 

目を向けると、彼の目には光が無い。だが、うわ言は続いた。それは次第に鮮明に、血を吐くような激しさで。

 

「うぐ、だめだったんあ、ごめ、ごめんあ!ごめんなざい!ちょ、と、でも、ダメ、なん、だ…コボし、たくなかった…コボす、くらい、なら、死んだ、ほうが、マシだ…耐えられ、ない…恥ずがじい…きみだちが、ぐるじんでるどぎ、ぼくぁ、できたぞって、ぼくでもできたぞって、うれしぐで、たのじぞうに、しでだこどが、づらい、もうじわげながっだ!なんどがなるどおもッでだんだ!でぼ、なんどもならながっだ!ゆびのあいだをずりぬげでじまっだ!ぐやじい!むなじいんだ!ごべん!なんにもでぎながっだ!知りもじながっだ!うらべるものがないだら、ぼぐをうらんでぐれ!ぼくをにぐんでくれ!ぞれで、いいんだ!それがいいんだ!そうだ、きみたちは、まじがっでないんだ!だっで、ぼぐも、ぼぐがギラいだがら!」

 

もう、何を言っているのか判別もおぼつかなかった。

 

ポロポロ泣きながらうわ言を叫び続ける彼の姿は痛ましかったが、彼は同情も何も望んでいなかった。寧ろ、痛めつけて殺して欲しかった。二人になら。二人から。自分では何も与えられず、何も救えなかった二人に、せめて、あの日拾った命を受け取って欲しかった。醜悪なエゴだとしても、最後に掌の中に残っていたものは命だけだった。だからそれを貰って欲しかった。奪って欲しかった。あの日、形見の腕時計を喜んで譲り渡したように。二人に、自分に最後に残ったものを譲りたかった。そうでもしなければ、息が出来なかった。ブレーキの利かない、燃え上がる衝動に身を任せて、彼には躊躇も何もなかった。

 

一秒先が最期の瞬間だとしても、彼は自分のことだけを憎んで死ぬだろう。足をじたばたさせて、脱力を繰り返す彼の姿は見るも無残だ。太腿から血が噴き出して、床が彼の血で汚れていく。返り血は双子にも届いた。温かい血潮を頭から被って、その時だ、双子は眼を見開いた。そして。

 

「ウぶッ!?おえぇえぇぇぇぇぇッ!?」

 

そして、二人は殆ど同時に嘔吐してしまった。鼻の奥が酸っぱいもので一杯になった。涙が浮かんで、頭がくらくらした。

 

「げぼ!?げぼッ!ごえ!ぉ、ぉえぇええぇ!ガハッ!あぁ…」

 

彼の血は、生臭かった。信じられないほどに。嗅いだことが無いほどに。

 

確かにそれもそうだろう。それも、そのはずだ。

 

死の際の際で、尚もエゴを貫く姿は健気で、無様で、傲慢で…双子にも負けないくらいに壊れていた。対等で均一な、自己の投影物。それが鏡というものだ。だから、これは異物に違いなかった。

 

これまではずっとずっと、狂って壊れた互いだけが存在する双子の世界に、その閉じられた世界に、より狂い、より壊れた男が力づくで風穴を開けてしまったのだ。

 

血と闇に満ちた世界だ。双子の世界はそうだ。対して、彼の世界はどうだろう?

 

例えるならば、彼の世界は黒い太陽だった。彼が生きる世界は、そのまま、今のロアナプラだった。その正体は今や数千万にも及ぶ世界中のアウトローと、二大超大国をも包括する巨大な国土無き王国の君主と言っても差し支えなかった。時代遅れの絶対王政のこの国で、君臨すれども統治せずを貫く孤独な支配者こそが彼の正体だ。本人に自覚などない。だが、願えば与えられるのだ。理由などなく、どうしてもこうしてもなく、彼が望んだから、そうしたいからと言うだけが理由に相応しい。

 

日向の世界は言うまでもなく、日陰の世界と比べても、更に殊更に狭く暗い箱庭の中で生きる彼の世界は、その狭さゆえに黒い太陽に照らされ得る。限られた狭い世界だけで通用する独自の論理、希望、幸福、正義…そう言ったものが、黒い太陽として、彼自身として輝いていた。その黒い太陽に焼かれずに済む、或いは焼かれてもままなる者は、それこそ一握に過ぎなかった。

 

そして、現実として、ヘンゼルとグレーテルは、その黒い太陽を直視したのだ。注ぎ込んだ酷烈な光に焼かれていた。そう、まるで日光を浴びたドラキュラのように。

 

自分たちとそれ以外しか存在しない世界で、自分だけを見つめていられたのだ。ヘンゼルはグレーテルだけを。グレーテルはヘンゼルだけを。

 

だから、二人は嘔吐した。

 

それまで直視することのなかった、壊れた自分自身を、その狂気を、彼が鏡になってまざまざと見せつけてしまったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今まで散々、詰られてきた。殴られてきた。蹴られてきた。傷つけられてきた。否定されてきた。痛くて辛くて悲しくて苦しくて悔しくて、理解できなくて。自分の何が悪いのか、教えられたとおりにしてきただけなのに。生き残る上で、学んだ最適解を実践してきただけなのに。身勝手な論理で苦しい現実に放り捨てようとする世界には困惑し、翻弄されるばかりだ。一度ならず二度も、見捨てたくせに、救ってくれなかったくせに、そもそも見向きもしなかったくせに…。

 

いない方がいい。死んだ方がいい。生まれてこなければよかった。そんな酷い言葉は、いつの間にかちっとも痛くなくなっていた。辛くない。本当は痛くて辛いけれど。ヘンゼルはグレーテルを、グレーテルはヘンゼルを。互いのことだけを見ている間だけは何とも思わなくていい。考える必要はなくて。そういうものだから、()()生きるしかないのだから。仕方ない。仕方ないから仕方ない。苦しいと思うことも、悔しいと思うことも…全部全部。そんな余裕はなかったの。感情を持つことすら許されなかったの。お人形ではいられなかったの。だから、殺すことが出来るの。殺せるの。気持ち悪くなんてないの。臓物も。血も。糞便も。匂いも感触も何もかも。それは、そう、そういうものだから。

 

なのに、この人は何なんだろう。全然責めてくれない。全然怒らない。全然酷いことを言わない。全然痛いことをしない。全然嫌がらない。全然笑ってくれない。

 

酷いことをして、痛いことをして、辛いことをして、なのに…優しい顔で私のことを見ている。僕のことを見ている。

 

褒めてくれる。バカにしてるわけじゃなくて、心の底から。利用するでも無くて、本当に、心の底からよくやったと褒めてくれる。

 

知らない。こんなの知らない。知るわけない。まともな人なら、いい人なら、そんなこと言わない。

 

まともで、いい人は必ず私たちをいい子にしようとするの。直そうとするの。壊れていることは間違っていることだから。ダメなことだから。だけど、いい人だから殺さないなんてことはなかったわ。血は血。臓物は臓物。同じ匂い。温かくて、素敵な物でしょう?そういうものだから。そういうものにまみれてきたから。この人生は素敵なものに違いなくて、なら、私たちは素敵なものに包まれて生きて来たに違いないから。

 

誰のことも憎んでいないわ。憎む暇などなかったから。憎み方が分からなくて。おじ様たちを憎むような振る舞いをした子は、みんなおじ様たちに殺されてしまったから。私たちに、殺させたの。だから、私たちは誰も憎まないの。憎む必要はないの。必要のない事をしなければ、生きていられるの。生き延びられたの。

 

だのに、お兄さんは僕たちに憎めって言うんだね。恨めって言うんだね。憎んで、恨んで、それで殺せってさ。そうして、僕達には生きろって言うんだね。生きていて欲しいんだね。僕たちに、生きて欲しいんだね。

 

これまで色々な人を殺してきたけれど、お兄さんみたいな人は初めて見たよ。

 

皆みんな、僕たちのことが嫌いなんだ。僕たちは誰のことも憎んでこなかったのに。誰のことも恨んでこなかったのに。でも、ダメなんだってさ。だから殺したんだ。

 

同情してくれる人。親切な人。優しいだけの人。沢山いたよ。沢山いた。その逆の人も沢山いたよ。僕たちに酷いことを言って、僕たちに酷いことをして。そういう人たちも沢山いた。でも、みんな一緒だったんだ。僕たち以外なんだ。僕たちの世界には、その人たちはいなかったんだ。いらなかったんだ。今更優しくされても、いい人だなって思うけど、もう遅いんだよ。直そうとしてくれるけど、それだって余計なお世話なんだ。

 

灰色の壁。灰色の天井。暗い部屋の中。冷たいカメラの前。血まみれのバット。血と臓物。怒鳴る人。殴る人。蹴る人。犯す人。殺す人。

 

それだけだったんだ。それだけ、だったんだよ。

 

最初からゴールだったんだ。終着駅だったんだ。だから、そこでお終いなんだ。それ以上なんてなくって。それ以下もなくって。だから、僕たちは一つになったんだ。

 

姉様は姉様に。

 

兄様は兄様に。

 

名前は必要ないよ。だって、僕しかいないんだから。

 

名前は必要ないのよ。だって、私しかいないんですもの。

 

そうだった、はず、なんだけど、なあッ……。なんで、いまさら、迎えに来る、かなぁッ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄さん!お兄さん!ダメだよ!死んじゃヤダ!ヤダよッ!お願い死なないで!」

 

考えるよりも先に体が動いていた。ヘンゼルは目から流れ出ている涙と言う温かい体液を、本当に自分のものだとは思えないような感じがした。でも、確かに流れていて、悲しいとか、苦しいとか、そういう一言で割り切ってしまえる単純な感情ではなかった。どうして流れるものなのか、分からなかった。まるで陳腐な映画のようだ。お涙頂戴の、安っぽいドキュメンタリーみたいだ。でも、これは醜くて生臭いんだ。凸凹していて、引き剥がし難いものなんだ。忘れたくても忘れられないものなんだ。

 

「置いてかないでって言ったのはお兄さんじゃないか!なんで、なんで僕たちのことを置いて行こうとするんだよ!」

 

縋りついて、抱き着いた。どっちがどっちなのかも、もうよくわかんないや。グレーテルとヘンゼルと彼がごちゃ混ぜで、ひと塊になっていて、うごうご蠢いてた。変なの。でも、まだ生きてるよ、まだ生きてるんだよ。子供なんだよ。どっちも。二人とも子供の体温だ。

 

二人とも、まだ声を上げて泣けるんだ。

 

「いま、今外すからね!ごめんね!いますぐ、外すから!」

 

ヘンゼルが噛みつくみたいにメスを振るった。手足に残ったワイヤーの擦過傷から血が滲んだ。

 

「どうしよう、太ももから血が止まらないよ!」

 

頭を押さえて髪をぐしゃぐしゃに掻き毟るヘンゼルが涙声で叫んだ。プラチナブロンドの髪が傷むのもお構いなしだった。それはもはや売り物ではなかった。それはヘンゼルの体の一部であって、商品ではないのだから。

 

「兄様、落ち着きましょう?まずは、まずは…」

 

焦ってるのはグレーテルも一緒だった。ドレスを前後ろ逆に着込んでいるし、靴下も片方はヘンゼルのものだった。だが、二人とも気を配る余裕なんてなかった。終着駅が、終着駅ではなかったのだから。神様でもない。奇跡でもない。出来なかったから、ある今と言う無力ゆえの必然が。救えなかったからこそ出会った残酷な現実が、今や死の危機に瀕していたから。彼が死んだら、今度こそ二人きりになってしまう。双子だけだった世界に、初めて双子以外の誰かが入って来てくれた。堕ちてきてくれた。逃す手はなかった。彼の存在は双子にとって、世界で三人目の()()なのだから。

 

「姉様!応急処置の道具をつかって、えーっとえーっと…ど、どうすれば…」

 

「兄様、病院に連れて行くのよ。それしかないわ。本物のお医者様に治してもらうのよ」

 

薬物過剰摂取(オーバードーズ)で死にかけている彼を救うには、初めから、病院に連れて行くしかない。選択肢などなかった。

 

「治るかな…」

 

「治るわよ。だってあんなに傷だらけでも生きているんですもの」

 

「また抱きしめてくれるかな」

 

「きっと、抱きしめてくれるわ」

 

「こんどは、ちゃんと遊んでくれるかな」

 

「もうお薬は使わないって謝れば、きっと遊んでくれるわ」

 

「赦して貰えるかな…」

 

「赦してくれるわよ…だって、お兄さんだから…」

 

理由になっていなかった。でも、()()ならなかった場合は、存在しない。そして、彼以外にはそもそも結果も前提も期待も存在しなかった。最初で最期なのだ。信じるのも、縋るのも。一度切りの勇気だった。なけなしの、擦り切れて擦り切れて、もう何も残っていなかった場所に、自分の血肉を引き千切って、その血肉を押し付けて、そうして彼が力尽くで打ち立てた希望だった。眩しすぎて、生臭くて、不格好な希望だった。だが、希望は希望だ。金が金であるように。人殺しが人殺しであるように。

 

これが、自分を愛しすぎて、自分を憎みすぎた人間の成れの果てだと言うのならば、それは一等マシな部類に入ると彼ならば言うだろう。

 

風前の灯火の彼の肉体は完全に脱力していたが、BARを軽軽と掃射するグレーテルと両手でフランキスカを使いこなすヘンゼルの膂力にかかれば、どうと言うことも無かった。椅子から降ろして、圧が分散するように太めのロープで彼のカラダを背負うように体に固定したヘンゼルは、得物の戦斧だけ持つと、残りの荷物をグレーテルに預けて部屋を飛び出した。グレーテルもBARと玩具を担いで後を追った。

 

唯一つだけ、ここで問題があった。双子と彼が病院に乗り込むには支障がありすぎる問題が。

 

その問題とは、ここがコーサ・ノストラの事務所であり、また双子がロアナプラでのイタリアン・マフィアの勢力圏拡大の為にと、シチリアから送り込まれた尖兵だったということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

事務所の奥。ボスの執務室の中では一触即発の状態だった。飛び出す寸前に説明しろと引き留められたせいで、双子の機嫌はすこぶる悪い。彼がこれ以上の怪我をすることを恐れて、トラブルを言葉で解決するべく、或いは邪魔者を一方的に殺すべくこの部屋を経由することにしたのだ。

 

「こんのイカレたガキどもが!病院になんざ行ける訳がねえだろうが!!」

 

「邪魔したら殺すから。退いてよ、おじさん達」

 

コーサ・ノストラのロアナプラでのボスを務めるヴェロッキオの恫喝に対して、ヘンゼルは冷然と言い放った。声には焦りが滲んでいた。鳴き声に耳を傾ける暇も惜しいのだ。

 

「ボス!このガキ、売春窟で三合会の幹部を殺す仕事をほっぽりだしやがった!」

 

「そもそもボーイの人違いだったのよ。私たちは悪くないわ」

 

部下の一人からの讒言はグレーテルが一蹴したが、悪びれない態度がヴェロッキオの癇に障った。一度そう見えると全部この双子の過失のような気がしてきた。

 

「評判は最悪だったが…思った通りのイカレたクソガキめ!」

 

「よりにもよってウチの組の若いやつの腸をぶちまけといて、ただで済むと思ってんのか!?あぁッ!」

 

「撃たれそうになったから、仕方なくだよ」

 

フランキスカで一刀のもとに斬り捨てられたあのボーイのことだろう。実際、同じアジア人でも、よりにもよって目が青いと言う珍しい特徴の彼をわざわざ選んだ理由は謎だった。だが、その謎も部下を殺された大事の前では些事に過ぎなかった。

 

「派手に暴れて失敗した挙句…これから病院にいくだぁ?なんだそりゃ?ふざっけやがって!手前の立場も弁えねえで!ガキだからって容赦はなしだ!」

 

ヴェロッキオが銃を抜き放ち、続いて彼の部下たちも銃を抜いた。

 

「パレルモには俺から代わりのヤツを送ってくるように言っておく。部下を殺すようなガキなんざ信用できるか!」

 

「殺せ!ぶっ殺せ!」

 

双子と彼が囲まれた。人一人を担ぎ、守りながら戦わねばならない双子にも余裕はなかった。

 

ヴェロッキオの音頭に従い、軽々と引き金が引かれ…

 

「お嬢さま、お坊ちゃま、少々前を失礼いたします」

 

そんな声が響くと、双子の背後の扉が開かれると同時に巨大な傘が彼らを覆い隠すようにマフィアの視界を遮った。

 

「なッ!?なんだぁッ!?」

 

「クソ!ケブラーか!?」

 

「てめえ…何もんだぁッ!?」

 

口々に悪態を吐きつつも、突然現れた傘に諦めることなく銃弾を叩き込むマフィアの構成員たちだったが、ヴェロッキオが手を上げるのに従い銃撃が止んだ。

 

「何者だ?ここがどこだかわかってんだろうな?」

 

ヴェロッキオのどすの利いた声の裏で、部下たちが弾倉を入れ替える音が聞こえた。本物のマフィアの威圧に対して、返ってきた答えはあまりにも予想外のものだった。

 

(わたくし)は、さるお方にメイドとしてお仕えさせていただいております。申し上げるほどの名前は持ち合わせておりません。何卒ご容赦を」

 

「な!?めッ…メイドォ!?」

 

傘を閉じると、潰れた弾丸を雨粒の如く払った。そして華麗に一礼。現れたのはメイド姿の女だった。ヴィクトリアンメイドを着込み、ホワイトブリムを頭にのせた、長い髪を二つに分けて三つ編みに結い、野暮ったい眼鏡を掛けた…イカれた格好の女だった。

 

「…てめえの話なら噂で聞いたことがあるぜ。なんでも、マニサレラの連中ともやり合ったそうじゃねえか、え?」

 

「非才の身なれば、日々の業務に忙殺されておりまして、特に料理に。ですので…そのような些事は記憶にございませんわ」

 

これは事実だった。最近は料理の腕が上達してきていた。彼からも評判である。だが、そんな事情を知らないヴェロッキオたちからすれば挑発にしか聞こえなかった。凄く舐められている。それはマフィアやカルテルにとって死活問題だ。耐えがたいことだ。

 

「ほぉ…吹かすぜこのアマ!そもそもだ、何の関係もねえ手前が何の用だってんだ!」

 

「朝からお姿の見えない(わたくし)めのご主人様の匂いが、こちらの事務所の中から漂って参りましたので。僭越ながらご無礼を働かせていただきました」

 

これも事実だった。朝起きたらいなかったのだ。正確にはどこかへ一人で向かったことは分かったが、売春窟の手前で見失ってしまったのだ。繁華街や売春窟など、臭気の強い所では匂いを追うのも楽ではなかった。

 

「ご主人様だあ!?ふざけんじゃねえ!今うちはそれどころじゃねえんだよ!おい!生きて帰れると思うなよ?」

 

「問題ございません」

 

淡々と答えるメイドに、流石にヴェロッキオも気を引き締めた。油断はない。

 

「…双子を渡せ。今なら楽に殺してやる」

 

「心苦しい限りではございますが。ご期待には添いかねます」

 

交渉は決裂した。そもそも、初めから両者ともに交渉しているつもりなどなかったが。

 

「野郎共!メイド諸共ぶっ殺せ!どこの誰だか知らねえが、ここに来たのが運の尽きだ!全員まとめて魚の餌にしろ!」

 

ヴェロッキオが銃を向けた。応援の兵隊もやって来るだろう。今までの言葉の応酬は、マフィア流の時間稼ぎでもあったのだ。

 

メイドが再び傘を開けば、瞬く間に事務所は戦場に変わった。銃弾が飛び交い、応えるようにメイドも発砲した。傘に仕込まれたスパス散弾銃が散弾をまき散らした。室内での絶大な威力に怯んだマフィアは遮蔽物の影に隠れた。束の間の静寂が戻ってきたが、その静寂が破られるまで残された時間はあまりない。メイドは双子に振り返った。

 

「さ、お早く。ここは(わたくし)に任せてご主人様を病院までお頼み申し上げます」

 

「メイドさんありがとう…でも、いいの?」

 

メイドに促されて双子は先を急いだ。去り際、ヘンゼルが礼を言うとメイドは前に向き直った。

 

「構いません。ご主人様も、(わたくし)も覚悟はとうの昔に決まっております。私も彼もそうしたいから、だから()()するのです。さ、お早く。出ればすぐに車がございます」

 

「わかったわ!メイドさん!またあとで会いましょうね!」

 

「ええ、またすぐに会えると思うわ」

 

グレーテルがヘンゼルの隣を走りながら言葉を投げかけると、メイドはそっと眼鏡を外しつつこれに応えた。祝砲のように12ゲージの散弾の空薬莢が吐き出されるたびに、マフィアの悲鳴が双子の背後で響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「姉様!きっとあの車だよ!」

 

黒いベンツの車列が、事務所を囲むバリケードのように停車していた。その中でも一番に事務所に近いものを指差して、ヘンゼルが叫んだ。窓越しに葉巻をふかす女がこっちを見ていた。

 

「お兄さんが大変なの!メイドさんが車があるって!私たちを病院まで連れてって!」

 

窓に飛びつく寸前で、揃いの戦闘服を着こんだ大柄な兵士たちが銃を構えて双子を遮った。立ち止まった双子は危ない眼をして痙攣する彼のことを見せながら叫んだ。こんなに、誰かの為に必死になったことも無かったかもしれない。いや、他人ではない。双子にとっては三人目の自分に違いなかった。他には、何も考えられないくらいだった。

 

「構わん。もとより彼の死の他に恐れることなど何一つない。さあ、早く乗れ」

 

双子の様子を僅かな間だけ観察すると、女…バラライカが部下を制してから双子を車に招いた。

 

「ありがとうおばさん!」

 

「お兄さんを病院に連れてってくれるのよね?」

 

速度を上げる車内での双子の問いに対し、助手席に移ったバラライカは葉巻を咥えたまま、逆に問いで返した。

 

「無論だ…お前たちがやったことも、やってきたことも関係ない。お前たちの処遇だが…彼が大事か?否か?私にとって重要なのはそれだけだ」

 

バラライカは冷酷な視線を惜しみなく注ぎながら答えを待ったが、双子は即答した。

 

「大事!大事なんだ!もうお兄さんしかいないんだ!」

 

「お兄さんなの!お兄さんじゃないとダメなの!」

 

怯むことは無い。そもそも、言葉を話すだけで同じ人間だと認識しているのかも疑問だ。だが、だからこそ、そこに嘘偽りなどない。隠しても意味が無いし、隠す必要すらないのだから。強さも弱さも。

 

「そうか……」

 

バラライカはそれだけ言って前を向いた。細く長く紫煙が吐かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄さん!お兄さん!ごめんね!ごめんね!もう少しだよ!死なないで!死んじゃヤだよ!」

 

ホテル・モスクワが経営する病院に着くなりヘンゼルが彼を担いで飛び出した。ストレッチャーに載せられた彼が看護師と医師に囲まれ、集中治療室に搬送されていく姿が見えなくなるまで、双子は叫んでいた。

 

車から降りてバラライカは、ハンドルを握っていた副官のボリスの横で車体に寄りかかりつつ、双子の様子を眺めていた。健気で、残酷で、どちらもあの双子なのだろう。…いや、前者に関しては、彼が一人で掘り返してのけたのだ。そうだとも。彼以外には不可能だった。ソーフィヤはそのことを誇りに思った。息子のように。弟のように。また伴侶として。

 

「軍曹…私が、過保護すぎるのかな?」

 

身を寄せ合って泣き出した双子を見ていると、なんとなくそう思えてしまった。だが、ソーフィヤの弱音を、『大尉殿(カピターン)の恋路を全力で応援し隊』の名誉代表を密かに務めるボリスは真剣に受け止めた上で言い切った。

 

大尉殿(カピターン)、自分はそうは思いません。彼も、過保護な、ありのままの大尉殿(カピターン)を望んでおられます」

 

「本当にそう思うか?」

 

余りの剣幕に驚きつつ、ソーフィヤは重ねて問うた。酷い状態の彼の姿が余程堪えたらしい。頬に深い一文字傷を得た時も取り乱していたことがボリスの脳裏を過った。我々の主君は悪運と女難に恵まれる一方で、運自体には見放されているとボリス達は常々感じていた。

 

「断言して憚りません!」

 

上官の不安を一蹴するべく。ボリスは踵を鳴らして最敬礼で応えた。

 

「そうか…うむ、そうだな。過保護な者が一人くらい居てもよかろう」

 

ソーフィヤはそう言って、照れたように鼻を鳴らした。耳たぶが赤かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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