ロアナプラより愛をこめて   作:ヤン・デ・レェ

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Girls talk II *R15

 

 

 

風呂場で倒れて泣いているところをレヴィに見つかってしまった。影が落ちて、瞼の裏がぼんやりと暗くなったんだ。

 

「いつまで経っても風呂から上がってこねえんで、心配したんだぜ?」

 

タオル越しにレヴィの熱を感じた。彼が甘えるように胸に顔を摺り寄せれば、迎え入れて離さないように胸の前で腕を閉じてしまう。頭を押さえて匂いを流し込む様に。

 

「気づいて欲しかったんだろ?」

 

言われて。気づかれた羞恥と安堵が涙の呼び水となってしまった。開かない目を無理やりにこじ開ければ、目と鼻の先にレヴィの顔があった。

 

「…ああ、んな顔すんなよ。責めてねえよ。ただ、水臭いなってだけだ。それで?ほら、気づいてやったぞ?今度はアンタの番だ。あたしに教えてくれ…」

 

穏やかな声と甘い視線と、優しい手つきであやされてしまえば、全身が脱力した。抱きかかえられても全く力が入らない。力を入れたくない。このままでいたかった。考えることもできそうになかった。彼は易々とその身をレヴィに明け渡した。

 

「どしたい…ンな、しけたツラしやがってよ…言いにくいのか?当ててやろうか?そうだな……」

 

僅かな間、虚空を見上げ、それからレヴィは口角を上げた。にんまり笑って彼の耳の淵に自分の唇を押し付けた。

 

「双子のことか?」

 

彼の目が僅かに開かれたが、直ぐに戻る。だが、それだけで十分だった。レヴィは彼を抱き上げて寝室に運ぶことにした。

 

「…ククク…ビンゴ!だろ?」

 

ゆっくりと、敢えて振動を感じさせるように歩けば、その度に彼の頭をよしよしと撫でてやる。大型犬はどっちだろう。どっちもどっちだ。

 

「…何年一緒だと思ってんだよ。わかるに決まってんだろ?ずっとずっと、アンタのことだけ見てきたんだよ。アンタのことだけ考えてきてんだよ。わかんのさ…」

 

寝室に着いて、ベッドの上に寝かせてやると、間髪入れずにレヴィが彼の上に覆い被さった。余計なものが見えないようにと、ベッドと自分のカラダの間に彼を挟んだ。密着すれば、怖いものなどない。

 

「なあ、話してくれよ。察するよりも、よっぽど話が早いってもんだ」

 

顎をくいと持ち上げて見せると、期待するような卑屈な瞳と目が合った。レヴィの目が細められれば、彼は視線を逸らそうと藻掻いた。が、レヴィが許さなかった。噛みつく様に口を塞がれてしまえば、後は腕力を頼みとするしかないが、彼がレヴィに勝てるはずもなかった。自然と二人は抱きしめ合った。レヴィは気障な振る舞いは好まないが、彼の緊張と不安を解きほぐす為ならば、使えるものなら全て使う。

 

「…怖いか?モヤモヤすんのか?胸が苦しいのか?光が眼に痛いのか?…全部か」

 

トロっとした息を吐くようになると、頃合いでレヴィが舌を抜いた。猫の目の様に爛爛としていた。性欲に衝き動かされるような濃い匂いが充満していたが、現実はもっと粘度が高く複雑だ。しっとりと汗をかいたレヴィの首に彼が顔を埋めた。頭を撫でて、甘い言葉をささやきながらもレヴィは燃えていた。腹の底ではボロボロの飼い主に心を痛めて。大切な人を傷つけた全てのものへの憎悪をも煮立たせて。弱った姿を惜しげもなく自分に晒す飼い主を甘やかす背徳感に焦がれて。

 

「なあ…いつも言ってんだろ?そう言うときゃあ、気持ちよくなって、悪いもんは全部吐き出すに限るってな。スッキリして、疲れて虚無ってよ、それから…何も考えないで寝ちまえよ」

 

レヴィは器用に服を脱いでいく。ホットパンツをするすると足から抜き取り、首から抜き去ったタンクトップを彼の枕の脇に押し上げて。肩に刻まれたタトゥーをなぞる様に彼の手が恐る恐る肌を這うたびに、レヴィの体がびくりと震えた。首筋をつと汗の雫が伝った。雫の尾が切れ、大粒のそれは砕けることもなく、タオルの除かれた彼の胸に落ちて、浸み込んだ。彼の汗とレヴィの汗が混じり合っていく。

 

「イイ子でおねんねできた可愛い坊やには、優しいレヴィ様がご褒美をあげようか」

 

二時間もすれば彼は夢の中だ。腕枕で寝かしつけている間、充血した目に涙が浮かんだ。レヴィは、こういう時にどんなことを言えばいいのか、とんと知れない。想像もつかなければ、身近に引き寄せて考えることも難しい。だから、自然とおどけたような、御伽噺の中で森の奥に住まう魔女が、迷い込んだ子供をかどわかす時のような口調になってしまう。

 

「…怖がることなんて何にもないんだよ。全部全部、あたしらにお任せさ」

 

レヴィは彼の持つ小さなものから大きなものまで、そのどれもが特別な物のように思う。彼が自分にも、同じように思ってくれていれば素敵だとも思うのだ。彼の髪を梳いてやるのも好きだ。彼の肌に触れることも、彼に肌を触れられるのも好きだ。大切過ぎて恐る恐るの手つきがなんとも愛らしい。優しすぎる手つきの所為で、レヴィはついつい笑ってしまう。くすぐったくて仕方がない。もっと強く触って欲しいと思う。心臓に一番近い場所を。そこには今、彼が耳を寄せていた。ドクドクと少し駆け足で血を運んでいるのがバレてしまう。

 

「さぁ…教えとくれよ。アンタを苦しめるものを、さ…?」

 

余裕たっぷりの笑みで微笑みかければ、彼の目が弱弱しく光を灯した。ぼそぼそと聞き取りにくい声が、次第に熱を帯び、怒りに燃えて、悲しみに濡れて、恐怖に震えて。相槌を打ちながら、レヴィは彼を離さなかった。その痩せたカラダを抱き締めて。絶対に、離さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この世界の何処かで、誰かが、誰かに、赦しがたい不愉快なことをしている。

 

そのことに我慢できない。そのことが堪えられない。

 

けれど、変えるだけの勇気も、正すだけの力も無い。

 

だが、諦められない。やりきれず、割り切れないままだ。

 

黒々とした不快な塊が、胸の中で雪だるまの様に大きくなっていった。

 

理由もなく、立ち止まって、蹲り、そのまま泣き出してしまいそうになる。

 

泣きたい人なんて自分よりも遥かにたくさんいるだろう。余程大変で苦しい目に遭っている人間も。それこそ数えきれないほどに。

 

その全てをどうにかできるか、と問われれば出来ない。出来ないんだ。何もできない。

 

正しく世界の仕組みのようなものだとさえ感じる。血も涙もない。神も奇跡もありはしない。正義も理性もまやかしだ。

 

溺れる者は藁をも掴むと言うが、正しく己の自己満足の為だけに、己が救われたいがために、僕は君たちに縋り叫んだ。

 

何もするべきではない。僕は何もせずに、何も持たず、何も与えず。そうして何時の日にか野垂れ死にたいと思う。

 

ただ、その日までは、世界の全ての赦しがたい不愉快を正せずとも、僕の視界に入った、運の好い、赦しがたい不愉快の悉くを、塵一つ残さずに、僕たちの生きる狭い世界から消し去ってやりたい。

 

僕の視界の外でやれ。僕の世界の外でやれ。

 

聴かせるな。見せるな。教えるな。

 

だというのに…ヘンゼルとグレーテルから聴いたんだ。僕は双子のことを知ってしまったんだ。双子が教えてくれたんだ。

 

よくも完璧な世界を穢してくれたな。

 

何処のどいつか知らないが、僕のことを不愉快にさせやがって。今更、手の汚す汚さないも関係ないんだよ。好きか嫌いか。それだけなんだ。

 

君たちが嫌いだから。それだけで全員まとめて消すだけの理由としては十分だ。

 

双子に赦しがたいことを仕出かした不愉快な連中には、生まれてきたことを後悔して欲しい。出来る限り、惨たらしく死んでほしい。誰にも悼まれることもなく。誰にも記憶されることもなく。僕の為にも、苦しみぬいて無様に死んでくれ。

 

そうすれば、僕の心も穏やかだ。双子には、好い暮らしをさせてやりたい。押しつけがましいけれど、贅沢をさせてやりたい。好きに生きて欲しいね。これまでの分を取り返せるように。酷い目に遭ったら、楽しい目にも遭わなければ。まともな人生を羨まずに済む様に。自分の人生が素晴らしいものだと、価値を見出せるように。そのためにも、まともな人生では手に入らないようなもの全てを体験して欲しい。そうすれば、ようやく初めてトントンだ。そうでもないと納得できない。

 

納得してから死にたいよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりに開催されたロアナプラ女死会だったが、そこには茶菓子は疎か茶すらも出されていなかった。レヴィもエダもロザリタもバラライカもシェンホアも。五人ともそれどころではなかったのだ。因みに双子は夢の中だ。彼の言いつけで夜更かし厳禁なので、彼が両脇に抱えて眠っていることだろう。ベッド脇には今日もロザリタがいる。

 

さて、今回の議題は言うまでもなく双子についてだった。が…既に一触即発の状態だったことは言うまでもない。

 

「弁明があるなら聞くけど」

 

剣呑な声で言い放ったのはエダ…ではなく、ウィンプルとサングラスを外したイディスだった。珍しく声が硬い。対するのはバラライカだった。

 

「そんなものはない」

 

こちらも素っ気ないと言うよりかは、そのことについて話したくないのが正直なところだった。あの日は自分の管轄で、護衛だって配していた。だが、彼の選択と、自分の過保護とを天秤にかけた結果、賭けには勝ったが彼は瀕死だった。悔やむべきか、バラライカにも悩ましい話だった。

 

「そ…じゃあ、これからについて話しましょう」

 

「今日はイディスがお出ましとはね…なんだい?エダの野郎はショックで寝込んでんのか?」

 

ソーフィヤの心情を酌んで、思ったよりもあっさりと引き下がったイディスに対して、レヴィはエダに言うような軽い調子で声を掛けると、イディスの眉が歪んだ。

 

「エダだと加減がきかないのよッ…」

 

「ご立腹なのね…殊勝な心掛けだわ」

 

短く端的に自身の憤慨を伝えると、イディスは髪をかき上げてから重い息を吐いた。青筋の浮き出た額が覗く。正直に打ち明けた彼女に対して、バラライカも気を遣うようにそれだけ言うと腕を組んだ。

 

「折角彼があそこまでして手に入れた双子を、敬虔なシスターの手でカタコンベ送りにされちゃ困るもの」

 

敬虔なシスター自身がこう言っているのだから面白い。だが、実際問題、あの日の彼の惨状にエダは破裂寸前だった。それでも彼女とソーフィヤが破裂していないのは、偏に彼の為であり、双子との邂逅が単なる偶然ではなく、誰かが…()()()()()()()()()()が御膳立てした結果だと言うことに、既に勘付いていたからだ。調査も始まっていた。まずは尻尾を掴んでからなのだ。生かすも殺すも利用するも…始末をつけるのはそれからだった。

 

「そうね…同感だわ」

 

バラライカは紙煙草を口に咥えると、レヴィの方に顔を向けた。言いたいことがあるなら今ここで言え…暗にそう言う意図で水を向けられたレヴィは、彼女の煙草を手早く炙ると、乱暴に抜いた煙草を咥えた。

 

「ケッ……薬漬けにされて返されたこっちの気も知らねえで。太腿を見たかよ!動脈が千切れかけてたんだぞ!死んでない方が可笑しいんだよ…畜生ッ…」

 

フィルターを噛んで火を点けると、煙を浅くのんでから、喉の奥から絞り出すように低く殺した声でがなり立てた。

 

「ならレヴィ、エダの代わりに貴女が殺るって言うのかしら?」

 

ジロリとバラライカの睨みがレヴィを捉えるが、当のレヴィに恐れはない。

 

「ハッ!…誰が殺るかよッ。ただ…あたしが殺らなくても、誰かが殺るさ…それこそ、シェンホアとかな?」

 

目元を歪めて、挑発的な表情を浮かべたレヴィの視線の先には、俯いたまま未だに一言も発していないシェンホアの姿があった。

 

「…今は、冗談に付き合う、余裕はないですだよ…」

 

「…ほらな?」

 

確かにレヴィの言う通り。シェンホアにはエダよりも余裕がなさそうだった。目が見開かれているし、その眼に宿るのは冷たい殺し屋の温度の感じられない色だ。怖気のする様な、抜き身のナイフのような気配だった。徐に目を閉じたバラライカが煙と一緒に溜息を吐いた。

 

「はぁ…まあ、そうね…気持ちはわかるわよ。私も流石に疲れた。肝が冷えたよ…最初から最後まで」

 

ゆっくりと瞼を上げて、ぼんやりとした視線の先で、先日感じた心の騒めきを思い起こすソーフィヤの顔は険しい。悲痛とさえ言えるものだった。

 

「でもね、そんなのは今に始まった話じゃないでしょう?私達だって、何度も彼と一緒に死地に飛び込んできたんだもの。この中で、誰かが一度でも彼のことを留められたかしら?いないでしょう?…それとも、不安なのかしら?子供にとられるのが」

 

バラライカは気持ちを入れ替えるように前を向いた。顔を上げて視界にシェンホアを捉えると、そんな風に問いかけた。問いかけられたシェンホアもバラライカから視線を逸らさなかった。

 

「それ話違うな。盗られる盗られない、問題違うよ。私、ご主人と一緒に死ねるのはよいな…ケド、死んだあの人のこと、見るは…それだけは御免ね…耐えられるワケ、ないよ、そんなの…イヤ、ですだね…」

 

基本、シェンホアは明るい。ポジティブとも違うし、達観だけではないのだが。ともかくも、五人の中では一番明るい部類に入る接しやすい人柄だ。だが、今のシェンホアは不安定で暗かった。どす黒く底が見えない闇に飲まれたような瞳は、気だるげに半目に開かれていた。正気の人間では直視に堪えない。少し毛色が違うと感じてきた相手が、結局は同類だった、と言う事実をレヴィたちは思いもよらない機会に知ることとなった。

 

「…意見が合うなあ、シェンホア」

 

イディスから切り替わったエダが、ひょっこりと顔を出した。イディスの冷徹で穏やかな目元とは裏腹に、口元にはエダらしい剥き出しの狂相が、弧を描く口角と共に刻まれていた。

 

「あたしもだ…つか、それだけだよ…遺恨っつってもな…人殺しも盗みもしたことのねえクリーンな奴なら、端からこんな場所にはいねえだろ?」

 

エダに続いてレヴィが言うと、見渡すようにこの場の面々と目を合わせた。各々、マグマのようにドロドロとした情念が煮立つ瞳をしていた。余人からすれば目つきが悪く黒々として不気味なだけの瞳かもしれないが、同類たちには十分に通じた。

 

「そうね…人を責められる話でもないわね。彼、ビジネスって言葉が大嫌いですものね。何時だってパーソナルだもの。だから、私たちは私情でしか憎まないし恨まない。恨まれることも憎まれることも覚悟の上。その上で苦しむのが彼で、その上で楽しむのが私達。殺すのも殺されるのも、ただそれだけよ。まあ、この話はこれくらいにしておきましょう」

 

「…でも、次はないよ。次は私、双子を殺しますだよ…双子でも、誰でも…」

 

膠着を破るようにバラライカが手を打ち、話を先に進めることを促した。それでもまだシェンホアがそう噛みつくと、バラライカは興味深げに彼女に目を遣った。

 

「そうね。そうしておきましょう。だから、落ち着いたら貴女…らしくないわよ」

 

「ふふ…らしくない、ワケないよ…あの人のコトですね、話が別ね…そこは、みんな同じ違うか?」

 

嗜めるようなバラライカの言葉に、シェンホアはクスクス笑って返した。ニャハハハと笑う明るい彼女はやはり不在だ。

 

「何はともあれ…先ずは双子のことよ。優先順位を忘れてはいけないわ。私たちが守りたいものは何?私たちが欲しいものは何?この狭い世界を守るにも、彼の寵愛を得るにも…先ずは彼の心を穏やかにしないと、ね?」

 

言いたいことを言い切ったシェンホアは、何時もの細い目に戻っていた。静かに俯いたままで何を考えているのかわからなかった。ともかく鎮静したのを確かめてから、バラライカが総括した。

 

「オーライ…で?姐御、アイツの頭痛の種はさっき話した通りだが…今回は誰を連れてくんだ?行先は?ターゲットは?」

 

シェンホアを一瞥してから、レヴィが身を乗り出して尋ねた。ここからが本題だった。

 

「焦らないの、レヴィ…ねえ、イディス、貴女の会社(カンパニー)ってヨーロッパにも伝手があるわよね?」

 

レヴィの問いには答えずに、バラライカはイディスに確認を取った。実質的なまとめ役である二人の間では、ここでは話せない機密まで委細を共有しつつも、互いに承知の上で敢えて隠し玉を抱えているほどだ。ロザリタやレヴィやシェンホアには、外交や政治は勿論、軍事と財政に関しても任せられないことの方が多い。棲み分けは成されていて、全員が自分の分を弁えていた。今回の場合、正しくバラライカとイディスの分が交わる問題だった。

 

「あるけれど…西側なのかしら?東側なら貴女の掌の中でしょ?」

 

イディスからすれば東欧やロシアなど、旧ソヴィエト連邦圏内の情報はあらゆる面においてバラライカからの裏付けを取ったものばかりだった。まして調べた限りでは双子の出身はルーマニアで、ルーマニアは東側だ。餅は餅屋の通りに、ルーマニアの地下社会に関してバラライカ以上の結果を出せると考えるほどにイディスは己惚れていなかった。だが、バラライカの考えは違った。

 

「イタリアはシチリア島のパレルモ県よ」

 

言われてイディスは納得した。バラライカはルーマニアの地下社会で変態御用達のビデオを売り捌いている元締めも、そこから双子を輸入した愚か者共も、全員まとめて一網打尽にするつもりなのだ。

 

「あ~…どうかしら。無いことは無いけれど…知っての通り、閉鎖的な場所だから。観光目的ならともかく…」

 

イディスは正直に問題点のみを伝えた。難しいことはないが、騒ぎにはなるだろうとの配慮からだ。

 

「伝手はあるのね?」

 

「…あるわよ。それで?何がしたいの?」

 

バラライカは、否、イディスも本質は同じだが、多少の騒ぎなど屁とも考えてなどいない。単に残業が面倒臭い程度の感覚での苦言に過ぎなかった。念を押すバラライカに、イディスはそれ以上の苦言を呈することは止めた。どんなに些細なことであれ、彼の心身を蝕む強いストレスの源を断つことは最優先且つ絶対だ。

 

「貴女のご想像通りのことよ。彼にはイタリア旅行を楽しんでもらうとして…私たちは可愛そうな羊の後を尾ける狼といったところかしら…呼び出しを受けた彼には気の毒だけれど。私たちを羊の群れの元に案内してもらいましょう」

 

灰皿に押し付けた吸殻を入念に捻り潰しながら、バラライカは酷薄に笑って見せた。おどける彼女は地獄のサタンの様に楽しげである。その内心には酷く冷たい憤怒が燃えていた。

 

「あの野郎、最期までしまらねえヤツだな…」

 

レヴィも気の毒な羊が誰なのか心当たりがあったようだ。きっと羊の群れは当人たちは勿論のこと、家族、恋人、友人に飼い犬から何から何まで殺される羽目になる。二度とふざけた真似が出来ないように。誰にも記憶されず。誰にも悼まれないように。徹底的に、生まれてきたことを後悔させられることになるだろう。まったく、その日が来るのが楽しみで仕方がなかった。

 

「彼には同情するわ。連れて行くのはロザリタとレヴィと私とイディス、それから肝心の双子よ。けじめは自分でつけて貰うわ。子供であることには違いないけれど、彼と共に生きるなら、その為の道理がある」

 

「私はなにするか?置いてけぼりは、嫌ですだよ?」

 

バラライカが指を擦り合わせて、爪についた煙草葉の滓を払いながら言うと、シェンホアが疑問の声を上げた。眉根を寄せると首を傾げて問うが、幸い可愛らしい糸目は見開かれていなかった。

 

「シェンホア、貴女は彼の御守よ。それで留飲を下げなさいな。これはある意味で過去との決別なのだから。この機会にこれまでの双子は死ぬわ。全部抱えて消えて貰う。他の誰に触られたとか、犯されたとか、泣かされたとか…そう言うものは全部、ね?」

 

バラライカがニッコリ笑って説明した。焼傷が引き攣って軋むような音さえ聞こえてきそうだった。野生動物の威嚇のように腰が引ける笑みだった。彼はこの笑顔に見惚れるのだから堪らなかった。

 

「それなら…まあ、我慢できるますね」

 

ふむふむと頻りに頷くシェンホアの機嫌は急上昇。現金な変化に一同からは苦笑と溜息が漏れた。自分も、言われれば同じ反応を示しただろうと自嘲するような。

 

「そう…貴女、時たま凄い頑固よね…まあいいわ。彼と二人きりでフィレンツェでもナポリでも好いから楽しんできなさい。ただその代わり…これからは双子とも仲良くすることね」

 

「それなら文句はナシね」

 

シェンホアが頷いたのを確認すると、バラライカはこの場の締めくくりにレヴィの方に視線を向けた。

 

ハラショー(よろしい)…それじゃあ、今日の所はレヴィに譲る事ね」

 

「え!?あたしィ?」

 

突然差し向けられたレヴィは指で自分を差して驚いていた。

 

「あの人から聞き出せたのは貴女だからよ…誇りに思うことね。じゃ、話はお終いよ。連絡するから、旅券その他の準備だけはしておくこと」

 

さらりと言うと、バラライカはさっさとその場を後にした。帰り際に寄った寝室で。小さく開けたドアの隙間から。双子に挟まれて眠る彼の寝顔を一目見てから。

 

「わかったよ…姐御、すまねえな」

 

今日はバラライカの日だったらしい。何となく察したレヴィからのお詫びがバラライカの耳に届いたかどうか、それは詮無きことだった。眼を瞑り、ソファに頭も首も背も預けて深く座ったレヴィに、シェンホアが声を掛けた。

 

「しおらしいは、らしくないな」

 

「…んだよ、シェンホア」

 

じとりとレヴィが見上げると、シェンホアは面倒臭いのを隠しもせずに言った。

 

「別に、何もないですだよ…ただ、バラライカの言う通りね。ご主人、貴女には特に脇甘いよ」

 

一変して、嫌に優しい視線を向けられて、レヴィは鳥肌が立った。

 

「別に、ンなこたねえだろ…」

 

バツが悪そうに外方を向けば、待ち構えていたようにエダのニヤケ面があった。

 

「珍しく意見が合うな、シェンホア。あたしも同感だよ」

 

ウィンプルに髪を押し込んだシスターは、フォックススタイルのサングラスのブリッジをくくんと人差し指で押し上げた。口元の笑みは何時もの攻撃性が見る影もない、微笑と呼んで差し支えのない大人しいものだった。

 

「エダまで…なあ、ホントにそう思うか?」

 

エダもシェンホアも。二人共に意外にもソフトな態度だった。だからかレヴィは拍子抜けすると、フラットな表情で目を見開いて素直にそう問うた。

 

「ああ、間違いねえ」

 

「嘘言うの得はないね」

 

果たして、エダもシェンホアも、レヴィのことを全肯定してくれた。明日は核でも降るのだろうか。

 

「そ、そうかぁ?」

 

半信半疑のレヴィが半目になって尚も聞き出そうとするが、真意を確かめるまで付き合ってられるほどエダもシェンホアも気が長くないのだ。無論、何時ものレヴィだって。彼女らも彼も、一方通行なのはお互い様だった。

 

「ま、それだけね」

 

「じゃ、あたしらは帰るからよ…お前が慰めてやれ。頼んだぞ」

 

言うだけ言うと、エダもシェンホアも今日はそれぞれ教会と下宿に向かってしまった。家にはロザリタと双子、それからレヴィと彼だけだ。

 

「…るせえ!…言われなくたって、わかってるよ!」

 

わざわざきっちり玄関まで二人を見送ったレヴィは、その背中に向けてお礼代わりにそう吐き捨てた。

 

レヴィの照れ隠しなどお見通しだった。案の定、二人は振り返らずに「気にすんな」と手をゆるゆる振ってから、待たせてあった車に一緒に乗り込み走り去っていった。赤いテールランプが夜闇の中に消える前に、レヴィは家の中に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部屋に入ればロザリタが待っていてくれた。両脇にはぐっすり眠った双子が抱えられていた。

 

「私は出ておりますので。どうぞごゆっくり」

 

そう言ってロザリタは音もたてずに部屋を出ていった。

 

残されたのはアンタとあたしだけ。他には誰もいない。アンタの穏やかな寝息だけが聞こえてきた。

 

アンタのことを見つめてた。寝てるアンタの顔を、ベッドの脇の椅子に座って。

 

暫くして、アンタの寝息が止まって。瞼がゆっくり持ち上がった。アンタの碧い眼が暗闇の中であたしのことを見つめてた。

 

「スるか?」

 

「シない」

 

「一緒に寝るか」

 

「うん」

 

病的なほど白い肌。碧い目。黒い髪。毛の薄い、痩せたカラダ。

 

生きてんのか、ちゃんと息してんのか。不安になるよ全くさ。

 

だからこうして、抱き締めてやらねえとな。雪山と同じなんだ。凍えそうだから、人肌で温めてやらねえと。アンタがどっかに飛んでっちまいそうで不安なんだ。アンタが腕の中にいてくれないと怖くて眠れないんだよ、あたしは。

 

アンタの血は赤いし、体温もある。息だって熱いくらいだ。深くて長い息が、アンタの方を向いて、寄った胸元にかかってる。くすぐったいな。でも、悪かねえ。

 

仰向けんなって、枕を投げて、あたしの腕を代わりに差し出すと、アンタが頭を乗せてくれた。だよな、取りに行けないように部屋の隅に投げちまったもんな。

 

チラって視ると、アンタの腹が寂しそうだった。アンタ、腹が弱いんだろが。腹出して寝ると風邪ひくぞ。タオルケットを掛けてやる。それから、空いてる方の手で腹をポンポンしといてやる。落ち着くか。寧ろ寝れないか。どっちでもいい。いやなら寝返り打ってくれ。拗ねたアンタに赦して貰えるように、赤くなった耳にイタズラしたいんだ。そう言う気分なんだ。わかるだろ?

 

…アンタ、死ぬような思いばっかりだな。

 

危険っつーかよ、死ぬか生きるか。それしかねえのな。極端なんだよ。ホントにさ。懲りねえし。

 

あたしで、懲りればよかったんだ…。そうすりゃ今頃……。

 

なんでもない。やっぱり、なんか、それも違う気がするわ。どっちかっつーと、あたしの方が拗ねてんのか?

 

ふ…ふふ…ははは…拗ねられるくらいに、なったんだな。

 

いや、変な話だよな。でも、なんてーか、悪くない。そうだ、悪くない。

 

好いご身分になったんだな…あたしが、だぜ?スラム育ちのあたしがさ…そうか、感慨に耽るってこういうことを言うんだろうなぁ。

 

幻みたいだよ。確かめる術なんてないのさ。金を数えればいいのか?人を撃っても逮捕されないのを確かめればいいのか?違うだろ?

 

ああ、沁みるぜ…クソったれ。空っぽのまま、底が抜けたまんまなんだ。アンタが注ぎ続けてくれてるから。だからここまで来れたんだよ。だからもう二度と離れられないんだよ。あたしは変わってない。エダの奴も、ロザリタもバラライカもシェンホアだってな。そして、アンタも。

 

全員同じだ。変わったのは生きてる世界だ。クソったれの現実が殺されて、アンタの生きる世界に引きずり込まれちまった。無理矢理に呑み込まれて今があるんだな。

 

…怖いか?あたしが?

 

あたしに捨てられることが、か。そっか…あたしもだよ。アンタに捨てられるのが怖い。捨てられたくない。現実は地獄だからな。アンタもか?アンタもか…奇遇だな。なら、お互い天国で暮らせるようにしなくちゃな。離れないようにしなくちゃな。手放せないように、しねえとな。

 

…今度、イタリアに旅行に行くんだ。いや、別にイタリアだけじゃないけどな。銀行にも用事があるってエダの奴が言ってた。あとは…アレだよ、アンタの為の薬も調達しに、な。そこんとこは、心配すんなよ。全部、エダ(あいつ)に任せときゃあ心配いらねえよ。

 

それでな、まあ、ちぃっと野暮用で数日空けると思うんだが…アンタは気にせずに楽しんでくれよ。何にも考えないで、ジェラートでも食ってたらどうだ?噴水とかも有名だしよ。あ、あと、アンタの好きな遺跡とか像とか、そう言うのだってあんだろ?な?

 

…シェンホアが面倒見てくれるってよ。あたしらも直ぐに合流する。だから、心配すんな。そんな、悲しそうな顔すんなよ。切なそうな顔すんなよ。物欲しそうな顔すんなよ。一緒にいるよ。ほんの数日だけだ。

 

あ~……よし!

 

直ぐに終わらせる。だから泣くな。泣くなよ。あたしまで泣きたくなんだろーが!クソ!アウトローの癖に涙脆いってッ…へ、変だよなぁ?

 

弱くなっちまったな。ダサいな。あたし。

 

それでも…いいのか?

 

そうか。そうだよな。

 

弱いな…ほンっとによ。

 

ふッ…ぅ……ぐす…ふッ…ふふ、あはは…泣いてねえよバカ…ばか野郎…アンタ、ホントに…ばか野郎だ。

 

あたしの顔が好きなんだもんな。カラダが好きなんだもんな。声が好きなんだもんな。目が好きなんだもんな。耳の形も好きなんだもんな。腰つきも、身振り手振りも、服装だって。悪い顔も好きなのか。強い所も好きなんだな。あとは?あとは?他には?もっと、アンタの好きなあたしを教えてくれよ。あたしもアンタの好きなとこ、一個一個教えてやるからさ。百個もあるかな?いや、そんなにねえな。ハハハハハ!百個あったらなんだよ?百個見つけられれば愛の証明でも出来んのか?幸せだって言えんのか?…な?言えねえだろ?

 

関係ないのさ。好きなもんは好きなんだよ。なんかよく分かんねえけど、心も体もそれに縛られちまうんだ。どうしたって変えられないもんだって、世の中にはあるんだぜ。それを手前で好きになれるかどうか、だろ?

 

だからッ…アンタのこと、あたしは好きだよ。ずっとずっと。案外、年食っても変わんねえかもな。死にたくなったら死ねばいい。でもよ、それまでは、あたしにくれよアンタのこと。要らねえならさ、嫌いならさ。あたしにくれよ。全部全部。あたしが貰ってやるからさ。あたしが大事にしてやるからさ。

 

…照れやがって。おい、もう寝ちまったのか?

 

ふ…クク…寝息が荒いぜ…大丈夫か?おーい?

 

乳揉むか?

 

ンだよ…揉まねえのか…。

 

…ホントに、寝ちまったのか。

 

朝までずっと一緒だぞ。クーラーかけても暑いな。けど、汗みずくになっても離れてやらねえ。

 

朝起きたら一緒にシャワーを浴びような。ここじゃ直ぐに汗疹ができちまう。あたしがアンタの背中を流すのは当然だろ?

 

だから、離れねえ。誰が離れるかよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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