寝室の中には、ロックを監視するロザリタと、シェンホア以外の全員が集まっていた。レイジと双子に、レヴィ、エダ、バラライカ。
「それで?今回は何事かしら?昼間に緊急なんて初めてじゃない?」
バラライカが言った。何時もなら発作は夜中だ。眠れなくて酷いことになったり、抱いてる時にシラフになっておかしくなる時ならこれまでにも何度かあった。だが、今回は昼間だ。
「レヴィ、ザイールの件だろ?」
そう言ったのはエダだ。ガムをチャクチャクしながら、寝室に置かれたコンセントを抜かれているテレビに目を向けた。
「流石だぜ、ストーカーはわかってんじゃねえか」
「
レヴィの物言いにエダはニヤリと笑って肩を竦めた。
「どっちでもいいわよ…問題なのは、よりにもよって彼がいる時にテレビを点けたことでしょ?」
バラライカの指摘にレヴィがしょげた。
「悪い、コンセントは抜いてたんだけどよ…どうやらロックが差しちまったみてえだ」
「…故意じゃないなら仕方ないわね、運が悪かったのよ」
レヴィの釈明にエダもバラライカも息を吐いた。
「んで?なんでまた、泣いてんだ?いや、もう寝ちまったか…」
三人の視線の先にはグレーテルの膝枕に頭を乗せて、ヘンゼルを抱きしめたまま寝息を立てるレイジの姿があった。
「お兄さんは最近ね、不眠が続いていたの。その所為で少しだけ、いつも以上にセンシティブだったのよ」
彼の頭を枕に乗せ換えると、大きなテディベアにするみたいに抱き着いたグレーテルが言った。双子の顔には常に微笑が浮かんでいる。ふわふわと、現と幻想の狭間を生きる双子の世界の中では、憎悪も憤怒も存在しない。無論、例外もある時にはあるが。
「なるほど…それで、貴方たちと一緒に抱き合ってたら、泣き止んだけれど、今度は優しい気持ちになって、そのまま今度はレヴィを抱き締めたくなったと?」
整理するように、バラライカが電話越しのメイドからの説明を噛み砕いて並べてみれば、グレーテルがにこりと笑った。
「ええ、おばさんの言う通りよ。そういうことね」
バラライカは心底安心して、ベッドに腰かけると、体を折って額を彼の腰に押し付けた。
「優しい持ちになって、それで今度はレヴィに抱き着いて泣いたのか…怒ったり、悲しんだり、感極まったりと…忙しい坊やだな」
しばらくして体を起こすと、彼のことを見守りながら、そう零した。
「手のかかる子だと思う。だが、何と言えばいいのか、自分がまともに生きている心地になる。変な話だな…」
バラライカの言葉は、レヴィとエダの言葉を代弁したものでもあった。なんとなく、照れくさい様な、バツの悪い表情を浮かべたレヴィとエダがいた。
「さて…なら今度は始末をつけねばな。と、その前にシェンホアはどうした?」
バラライカが彼の頬を手の甲で触れて感じながら、エダに視線を飛ばした。情報なら彼女の領分だ。
「飛び込みの仕事だよ。
エダの言葉にレヴィが片眉を吊り上げた。心当たりがあった。
「なぁ、エダ…昨日話したこと覚えてるか?」
話を振られたエダが口と眉の端を吊り下げた。
「ヒズボラのハイキング表だろ?覚えてるよ。バラライカだって知ってるぞ?逆にウチの下っ端にゃあ聞かされてねえ話だ。あたしのとこまでホワイトハウスから泣きが入ったんだ。おかげで昨日は残業だったが…エージェントは予定通りバシラン島で待つことになってる。ヒズボラ共に悟らせるのは、ちと不味いんでな…」
プチンとガム風船が弾けた。
「はぁ…ロックの野郎が手前の
痛む頭を抑えるように手を当てて、レヴィが一服つけようと煙草を咥えると、横からにゅっとエダの手が伸びた。フリントを擦る音に合わせて火が点いた。珍しいこともあるもんだ。つい目が寄って、レヴィは目を瞬かせた。
「野良犬にしちゃぁいい嗅覚だ」
エダはそう言うと、褒めるようにレヴィの煙草を炙った。親指でパチリと蓋を閉めれば、金のライターがエダの手の中で光を反射した。レヴィの視線がエダを貫いた。
「エダ、張の旦那は何をさせるつもりだ?あたしは勘に障る以外にゃわからなかった…あたしは学者でも参謀でもねえ。そういうのはエダ、手前の仕事だろ?」
「…そうさなぁ、張の旦那は抜け目ねえからなあ。わたしの
レヴィの追及に、エダはのろりのろりと答えた。実に、滑稽な調子だった。
「おいおい…それじゃあ何か?張の旦那はあたしらに、マッパでジョーズとチェイスしろってのか?」
レヴィがそう言うが、エダは薄ら笑いを消した表情で言った。
「レヴィ、あたしの話聞いてたか?張の野郎はな、裏でムジャヒディーンと仲良くおしゃべりしてんのさ。おめえと!ヒズボラを!ブッキングさせようって魂胆なんだよ!」
エダのネタバレに、レヴィは呆けた顔をした。
「は…?なッッんでそうなるンだよ!?」
信じられないという表情のレヴィに、エダは胸を下から持ち上げるように腕を組んだ。
はぁ…、と溜息を一つ。
「お前のこと、ブラックリストから除外してたのが裏目に出たな…平凡を装ったスーパーエージェントってとこか?バラライカとCIAのパイプかなんかだと勘違いしてんじゃねえの?」
サングラス越しに気の毒そうな表情を作ったエダにレヴィの顔が赤くなった。
…コイツ!あたしで楽しんでやがる!
「おいおいおい!冗談じゃねえ!あたしは『シークレットハンター』のロバート・マッコールじゃねーんだぞ!?」
一人で万事を解決するスーパーエージェントが主役の、アメリカの古いドラマを持ち出しては見るものの、勘違いもここまでくると笑えてくる。影のデカさと実物の差は歴然だ。冗談じゃなかった。
「HAHAHAHA!笑えるぜそのジョーク!張の旦那から教わったのかよ?」
笑うエダだが、脳裏では計算高く考察を立てていた。レヴィの容疑は何も完全な虚構とも言えない。実際、バラライカとレヴィの間には深い関係性があり、ガルシア・ラブレス騒動でマニサレラとの手打ちの為に100万ドルをぽんと支払ったことからも、またバラライカがその際にレヴィを擁護する立場で合議を回したことも…あの時のことが切っ掛けとなり、憶測が憶測を呼んだのではないかと…そう考えていた。
実際、これらは概ね当たっていた。レヴィとバラライカの身辺を探っていたら、偶然浮上したもう一人の存在がレイジであり、彼は先日文字通り瀕死に陥った。
三合会がホテル・モスクワの盤石な支配を快く思っていなかったことも、その為に動いてきたことも、イディスの名の下で以前から継続的に把握してきたことだ。
この島にプライバシーなどないし、法令順守の必要もない。やり易いったらなかった。
流通する電話全てに出荷元から発信機を埋め込むのも、新居と言う新居に盗聴器を仕込むのもお手の物である。人を雇うのも簡単だ。バーツでもドルでもフランでも円でも人民元でもなんでもござれである。
彼女が律儀に運用してきた財は、その一つ一つを小さくまとめて目立たないように世界中に分散させてきた。イディスは分散型で、バラライカは旧ソ連圏への集中型である。両者の金は文字通り、正業で贖われてきた。
アウトローの暮らしは派手だが、意外にも普通に使える金は少ない。
対して、国家権力の化身であり、独自の経済圏を有するエダとバラライカからしてみれば、汚い金の方が割合的には極々微小なのである。成すこと全てが合法になるのだから笑いが止まらない。
100万ドルは大金だ。ただのチンピラが扱える額ではない。
となれば、何らかの外交的に重要な立場を有するレヴィが騒動を起こし、彼女の安全を保障するためにホテル・モスクワが身銭を切った…と考える方がまだ現実的だ。
まさかレヴィのポケットマネーだとは誰も考えないだろう。
実際、誰もそんなことは思ってもみなかった。
多少の違和感はあっても、否、寧ろ完全に場末のアウトローの役を演じていると目されるレヴィのことを、CIAか何処かから送り込まれた重要人物が偽装しているのだと考えれば…なるほど、確かに100万ドルにも、バラライカの庇護にも納得だ。無理矢理でも、話の筋は通るように思われた。
運び屋や海賊として各地に赴き、エージェントと接触していても不思議ではない。寧ろ、ロアナプラに馴染んでいて顔も広いレヴィは適役に見える。一度そう考えると、思考が加速するにつれて現実味が増していく。なんとなく、そんな気がしてくるのだから厄介だ。
張維新が嵌った陥穽は、思っているよりも浅い。だが、それは質の悪い流沙だ。賢ければ賢いほど。理屈で考えれば考えるほどに、いとも容易く呑み込まれる。
「こんのッ…はぁ~…ジョークじゃすまねえよ。聞いといてよかったぜ…海上のど真ん中で置き去りにされるところだった」
厄介ごとに巻き込まれた自覚で、レヴィは顔を顰めて煙を吐いた。
「水上機はマズッたなぁ…けどよ、いっそのこと意趣返しに使ってやったらどうだい?」
レヴィのボヤキを聞いて居たエダが、ふとそんなことを言い出した。
「あらいいわね、面白そうじゃない。ところでなんだけど、先にこの件の落とし前を決めない?」
エダの提案にバラライカも乗ったが、先ずは彼の為に
「姐御、そうはいってもな…今回はどうすんだ?イタリアの時とは勝手が違うぜ?」
レヴィの指摘にバラライカは口元を笑みに歪めた。
「ふふ…やることは同じよ。ただ…今回はね、最後の方で彼にも参加して貰おうと考えているのだけれど」
ねっとりとした視線の先には眠るレイジがいた。ドロドロに蕩けていて死ぬほど甘い瞳だ。
「へぇ…どうすんだい?」
「エダ…張と通じてるヒズボラの連中の顔は割れてるのかしら?」
乗り気のレヴィに答える前に、バラライカはエダに訊ねた。
「一応な…幹部クラスは写真もあるぞ?読むか?略歴と、行動履歴くらいだけど」
エダは小脇に携えていた茶封筒を差し出した。ザイールの件を踏まえて、重要資料の準備だけはしていたようだ。
「ええ、読ませてもらうわ…」
受け取ったバラライカが束の間、黙読する時間が過ぎた。取り出した書類を捲り、紙の擦れる音が響いた。
数分の後、紙を捲る指が止まった。二枚の書類を抜き取ると、バラライカは封筒をエダに返した。
「姐御、何かあったか?」
「お目当てのもんが見つかったのさ」
レヴィが問えば、代わりにエダが応えた。バラライカの目が、鋭く硬く冷たくなった。軍人の目だ。
「エダ、CIAの担当官を公海上で待機させることは可能?」
エダは頷くと、ガム風船に息を吹き込んだ。
「サイクロンの所為で哨戒艇も駆逐艦も好きで近寄らねえとっておきの場所がある。クルージングにゃもってこいだぜ?」
エダの返答を受けて、今度はレヴィにバラライカの視線が刺さった。
「ふむ…レヴィ、書類の受け渡しはバシラン島から公海上に変更になったわ」
目元の険を解して笑いかけたバラライカに、レヴィは憮然とした表情で応えた。
「みてえだな…それで?サイクロンのど真ん中でプレゼント交換会か?」
問えば、バラライカが笑った。
「まさか!海の中よ」
海の中と聞き、以前のネオナチとの厄介を思い出したレヴィは露骨に嫌そうな表情で舌を出した。苦い薬でも飲んだ時の子供みたいな顔だった。
「スキューバかぁ?ブリュンヒルデの二の舞はイヤだぜ?亡霊の相手も御免だ!」
そう言うレヴィだったが、バラライカは至って平静。寧ろ、微笑ましげである。
「心配ご無用、乗るのは中古の原子力潜水艦よ。91年に結んだ
日本の船に運ばせて、私たちは使うだけ。
微笑まし気に、さらりとそんなコトを言ってのけた。
核のゴミ問題も心配ご無用。土地だけは余っているロシアである。NATOとの壊滅的な戦争を前提に置かず、採算度外視で都市機能を集約させて人口密度を高めれば、幾らでも核廃棄物処理場など作れてしまう。
今を生きる自分たちが未来の為にと不幸を背負えるだけ背負えば、一体誰がその補填をしてくれるというのか。希望で満ち溢れているのかも疑わしい、あるかもわからない未来の都合など無視である。
「ええぇ!?」
「採算度外視も甚だしいな!」
レヴィが驚き、エダが快哉を叫んだ。だが、反応はそれだけだった。彼女たちにとって、これは日常の一頁に過ぎない。彼と出会い、幻想と現実がスイッチしてから久しい。
「だって…折角プライベートで立派な
頬を膨らませることは流石にしなかったが、頬に手を添えて困ったようにバラライカがそう言った。レヴィとエダは半笑いだ。
「なら仕方ないな」
「あぁ、そいつは仕方ねえな」
二人も最後は納得すると、顔を見合わせて噴き出した。
あはははははははッ!!!
可笑しい。なんて可笑しいんだ!
可笑しいことを理解しつつも、こういうことが楽しくなってしまった。
歪んだ青春の焼き直しなのかもしれない。
一頻り笑ってから、三人は先ほどの書類に目を通した。
「公海上の所定ポイントで水上機を着水。パイロットを排除後、ゾディアックボートを降ろす。そいつに乗って、浮上した
書類に基づき、エダがレヴィに説明した。逐次エダの手元が動き、メモを書き込んでいた。処分することを前提でレヴィに預ける確認用の資料だ。エダは意外に身内だけには几帳面で律儀だ。
「非番の
イディスがエダの説明を継いだ。締めはバラライカに譲るらしい。エダとレヴィの視線が彼女に集まった。
「ああ。姐御、まとめてくれ」
レヴィの言葉にバラライカが頷いた。
「イブラハと竹中正洋。この二人の略取が作戦目標になるわ。どちらか片方だけでも構わないけれど、イブラハは生け捕り以外は認められないことに留意して頂戴」
「竹中ってのは?」
「
レヴィは写真の顔と名前を反芻して、口元と頭の中で記憶すると先を促した。
「OK…帰りは?」
「ヘリよ」
バラライカが指を立ててクルクルと回して見せた。本業の癖に、こういう素振りを可愛く見せられるのはズルい。
「Mi-6を飛ばすから、それに乗って帰って来て。モスクワ所有の無人島にあるヘリポートで降りたら、行と同じ
シャレの利いた言い回しにエダとレヴィが口元に笑みを浮かべた。
「
「質問は?」
「ないな」
レヴィの返答に満足したバラライカが懐から煙草の箱を取り出した。ほっそりとした指が、滑らかな紙箱の表面を滑った。
「それは
咥えた煙草にレヴィが火を点けた。彼女が片手で手繰る、ジッポーライターの武骨な開閉音が響いた。
「命大事に、仕事はキッチリ熟すさ」
そう言うレヴィの余裕の笑みを見遣りつつ、バラライカが口を開いた。
「あの
口元から煙草を離したバラライカは、思い出したように訊ねた。責めるような言い方ではないのは、彼女には年長者としての威厳があったからだ。フィルターに淡いルージュが移っていた。
「アイツは面白いヤツだ。姐御も、覚えてんだろ?エクストラオーダーん時に入った悪党見習いさ」
レヴィはそう言って自身も新しい煙草に火を点けた。どことなく自慢げな口調に、バラライカの目が細くなった。
「えぇ、度胸があるのは認めるわ。それで?ここまで、よく見える場所に立たせてあげる必要はあったのかしら?」
「わたしも、そこは疑問ね」
責めるような色が声に滲んで、イディスからも疑問の声が上がった。
二人の言葉にも、レヴィは焦るでも怒るでもない。ただ、ほくそ笑むような表情を浮かべていた。
「じゃあ…張の旦那を殺すか?」
口の端で煙草のフィルターを甘噛みして、犬歯を食い込ませながら、レヴィは薄く笑って言った。
確かに、それは疑問が尽きない話だった。愛しのレイジは死に掛け、今やレヴィも殺されかけた。バラライカは利権に唾を吐き掛けられていたかもしれないし、エダは蝙蝠外交にしてやられたと感じていてもおかしくない。姑息な手段と憤るか、老練な策士だと一目置くか…。いずれにしろ、舐められたら、二度と舐められないように殺すか、死にたくなるほど痛めつけるのがこの世界だ。
だが、エダもバラライカも、気の抜けた顔をしていた。なぁにを言っとるんだ君は。とでも言いたげな。
「いいえ。それは無い話ね。レギュラー出演の演者をその都度、降板させていたら舞台がつまらないわ」
二人の意見をイディスが言葉にした。レヴィは中指と人差し指で煙草を挟むと、顔を外方にむけて笑った。
「だろ?同じだよ。あたしもアイツを育ててんのさ」
尖らせた口先から、紫煙を細く長く吐き出しながら、喉の奥で笑っている。冷笑、ではなかった。喉に負担のかかる咽るような笑い方で、目尻には涙が浮かんだ。ツボに刺さったらしい。
「彼に務まるかしら?」
「…レヴィ、
バラライカとエダの無自覚のボケが炸裂すると、レヴィが決壊した。
「ハハッハハハハハ!!!!!あははははははは!アイツと、あたしが?おい!エダ!手前ッ!ホントにしっつけえなぁ…!」
レヴィが余りにも腹を抱えて笑うものだから。エダのこめかみにピキリと青筋が浮かんだ。
「笑うじゃないの、レヴィ…あたしはな、あたしらが仲良しクラブだってことがバレんのが怖いわけじゃねえんだよ…わたしはね?レヴィ。
エダからイディスへ変容しながらも、言いたいことは同じだった。
『踏み込み過ぎちゃいないか?』
エダの言いたいことはそれだけだった。
バラライカも無言でエダに同意するも、レヴィにはレヴィの言い分と言うものがある。野良犬の論理とも言っていい。一度でもシステムに組み込まれ、一度でも規範を信仰したことがあるのならば、レヴィのソレとの衝突は不可避だった。ここいらで腹を割って話すべき時が来たのだ。
レヴィは舌で唇を湿らせると、鼻から押し出すように息を吐いた。腰かけていたベッドから立ち上がり、両手を腰に。少し俯きがちに床に視線を向けて、眼を瞑った。そして、息を深く吸いながら、顔を上げると瞼を持ち上げて、エダとバラライカに向き直った。
「…エダでも、イディスでもいいか。そぉぉぉぉかい、ならよ、あたしも教えてやるさ。あんたも、姐御も、デカい山しか見てねえだろ?だからよ、あたしはあたしでその山ん中に入ってよ、木を一本見つけ出してきたってわけさ。まだまだ小さな芽だが、アイツはきっと立派な悪党になるさ。その証拠に、あたしの
レヴィの言い分は、間違っていない。鷹の目で世界を見るエダとバラライカは、舞台全体に目が届く。対してレヴィのそれは虫の目だ。彼女には部下などいない。権力も持ち合わせてはいない。一人分の暴力と金だけだ。それだけでも十分だが、自分が動いて使わなければ意味がないのも確かで。だから、自分の代わりに、舞台を盛り上げるような名優を一人でも用意することを選んだ。それがロックだと言うのだ。
「アンタ、ロックを偉く買ってんだね」
エダの言い方には棘がある。レヴィは顔を傾げて問うた。
「エダならレイジのガキの時分のことも知ってんだろ?」
「当然ね」
入れ替わりに出てきたイディスに、レヴィはふっと口元を小さく歪めた。狂暴な笑みだ。
「あたしは時々思うのさ。社会が生んだ歪ってもんを、そのまんまに体現しちまうアウトサイダーって奴が、運悪く生まれて来るんだってな…それがあたしで、レイジで、アンタたちで、そんでもってロックなわけだ。張の旦那も然り、双子も然りさ…どんなに足掻いたって、マトモには生きられねえ。生きてる世界が端から違うのさ」
「それで?だったらどうすんだい?」
レヴィの語りに、エダが合いの手を入れた。
「あぁ…こういう手合いはな、
「ふふ…ハッ……」
レヴィの言葉にエダは、鼻先が擽ったくなった。確かにそうだ。納得して、笑いが漏れた。案外、的を得たことを言うもんだ、と。
「…最初に彼と出会ったのは貴女だったわね」
バラライカは、納得したように呟いた。煙草は半ばまで灰に変わっていた。バラライカはレイジの背中を一撫ですると腰を上げた。枕元にあるガラスの灰皿に、残りを吸わず押し込めた。
「レヴィ…ロックのことはアンタの領分ってことにするよ。ま、懲りたらアイツ一人にしとくんだね」
エダが捨て台詞のように言ったが、レヴィも別に難しくは考えていない。
「学がねえのは知ってる…馬主になった気で楽しむさ」
手をひらひらさせてエダのお小言をあしらうと、吸殻を灰皿に放り込んだ。
「そいつが好い…さぁ、明日の夜は全員集めて飯食うぞ。ホテル・モスクワに団体様で予約を入れとく」
だからそれまでに帰ってこい。エダのは、そう言う意味だ。レヴィは笑って頷いた。
「ああ。また明日な」
一言残すと、レヴィは部屋を後にした。ロックに遅れたことを詫びながら車に乗って港に向かった。
こういう時、レヴィはレイジに触れない。
楽しみは後にとっておく。それはレヴィにとっては単なる習慣ではなかった。大事に取り分けておいても、誰にも奪われないことを確かめるという意味を持っていた。大切なものがそこに変わらず存在し続けていることの確認は、安心の確認と同義だった。そう言うことが出来る場所。そういうものがある場所。
帰る場所とは、得てしてそういうものなのだろう。
数時間後、昼前に予報通りのサイクロンが発生すると、水上機パイロットとの通信が途絶。三合会の追跡班がGPS情報を元に発見した頃には、既にパイロットは裏切りの代償に賜ったカトラスの9mm弾により事切れていた。火を掛けられた水上機は燻ぶり、黒煙を吐き続けていた。
調査の為に写真を撮影している追跡班から数キロ離れた地点、海面下約200mを巨大な
26ノット毎時の速度で、水中を一路バシラン島に向けて進む原子力潜水艦を阻むものは存在しなかった。
一日目の夜、文書の中身を受け渡すためにゲストとして艦内に招かれたCIAの係官、シュガーとブレンドは気が気ではなかった。上司から
「ほらよ、これだ。確かに渡したぜ?」
レヴィが差し出した文書を丁重に受け取ったブレンドはコクコク頷いた。
「あ、あぁ…確かに受け取ったよ。ミス…」
「レベッカだ」
借りられてきた猫のように大人しい二人の姿を、鞄を運ぶロックは気の毒そうに見ていた。ラーメン屋の大将もかくやと言う、腕を組んでどっしりと構える暇な船員たちに見届けられて、ヒズボラのハイキング表は無事にCIAの手に渡った。
「ミス・レベッカ…それでは、俺たちはこれで」
CIAの二人は一刻も早くこの悪夢のような場所から逃げ出したかった。この違法で違反で異常な空間から。
「レヴィ、えっと…なんていうか」
浮上するやそそくさと艦を後にした二人組を見送って、ロックは何故かカトラスのスライドを引いて臨戦態勢を整えるレヴィに目を遣った。
「あっけなかったろ?」
「まあね…平穏無事は何よりだけど…」
ほとんど反則だったが、事実は事実だ。文書は表向き上、確かにCIAに渡り、そこには何の問題も無い。書類には既定のルート通りに文書を受け取ったとだけ。ロシア人も潜水艦も、場違いなアジア人の男女二人組についても、彼らは何も知らないし何も見ていないのだ。
レヴィもロックも、張の旦那に言われた通りにしただけだ。
「ま、ホントの仕事はこっからだ」
「え?もう終わったんだしさ、帰るんじゃないの?」
てっきり終わりかと思っていたからそう言ったが、正直なところロックだって不完全燃焼だった。だからなのか、言葉とは裏腹に、期待の籠った声は遠慮がちに弾んでいた。
「馬鹿言え!今度はあたしに付き合えよ!」
「そんな!?」
逃げる素振りを見せれば、案の定、レヴィが遠慮なくロックの首根っこを掴んだ。ロックは、その遠慮のなさに、得も言われぬ安心感を抱いた。自覚症状のない病気のようなそれは、しかし確実にロックの中で少しずつ幅を利かせていく。
「手前!ロック!天然か知らねえが、だったら寧ろ質が悪ぃぞ!勝手にひと様のタマをベットしやがって!下手すりゃあそこで張の旦那とその愉快なお仲間とダース単位で撃ち合いだったんだぞ!?手前の舌の数より多い鉛弾を食らう頃にゃあ…あたしはともかく、お前は今頃カーペットの染みだったに決まってら」
レヴィががなると、ロックは顔を青くして、気不味そうな表情をする。ここが日本なら、既に三回は土下座させられていたに違いない。だが、ここは日本じゃない。ロックは両足でしっかりと立ったままだ。
「レヴィ、何もそこまで言わなくても…」
諫めるように両手を出すが、レヴィは鼻で笑い、呆れた口調で言った。
「あのなぁ、無自覚は早死にするぜロック?楽観的に手を出したが最期。寝ている間にズドン!だ。朝日を拝む前に骸になって、昼前にゃぁバゲットに塗り込んだみたくベッドにぶちまけた、手前のバターとジャムを掃除屋に片づけられてたって不思議じゃないね」
そう言い切って煙草を咥えると、レヴィは手覆いを風よけ代わりに使って火を点けた。早朝の薄闇の中で彼女の整った容貌の輪郭が浮かんだ。伏し目がちに煙草を炙る火に目を掛けるレヴィに対して、ロックは何か潔く侵しがたいものを感じた。
「長生きできないってのは聞き飽きたよ…」
その謎の法悦を振り切るように、ロックは草臥れたように呟いた。サラリーマン時代の哀愁そっくりそのままだった。そんなロックを見て、レヴィはちろりと舌先を出した。
「そうかい…んじゃあ、勉強するんだな」
ラッキーストライクのソフトケースの底を叩いてやると、丁度一本、頭を突き出した。そいつを差し出した。
「なんでさ?君には関係ないだろ?ほっとけよ」
煙草を抜くと、レヴィがライターで火を点けてくれた。カシン!と軽快に蓋を閉じる音が響くのに合わせて、レヴィが煙を吐き切った。
「ほっとけるか。腐っても相棒だろうが、ましてや今回はあたしとお前の仕事だろ?チャラにしてやるってんだよ。だからよ、今度はあたしに最後まで付き合ってくれよ」
レヴィはそう言って、煙草を指に挟んだまま、だらりと腕を下げた。ロックの答えを、待っててくれるようだ。
「…意外だな、そんな風に思ってたのか」
ロックは彼女の態度に、なんとも言えない気障ったらしさと、相反する神妙さを感じた。言葉通りじゃないが、言葉自体に嘘はないのだ。だから、ロックの返答は嫌味っぽくなってしまった。
「悪いかよ?」
嫌味な返答に、レヴィは喉でくつくつと笑った。
「いや…ただ、ちゃんと、何があるのか教えてくれ。俺だけを暗闇に残すのは止めろ。相棒なんだろ?」
レヴィの言葉は嘘か真か。化かされているのか。ロックは、心のどこかで彼女にならと、そう思っている節がある。そのことを見て見ぬふりしつつ、その上で裏をかくために頭を働かせていた。まるで、子供が親に自分を見ろとでも言うような…。
「へぇ…オーライ。噴けるうちはまだ死なねえよ。教えてやる。これはまぁ…とある筋からの仕事だ。値段は一人4万ドル」
「高いな…誰からの仕事なんだ?」
「張の旦那とは関係ねえが、姐御とは少し関わってる。これ以上は受けてからだ。どうする?あたしは旦那と違って負けてやんねえが、代わりに無理強いもしねえぞ?」
「受けるよ。それで?目的は何なんだ?」
レヴィからの商談に、ロックは即答していた。
「そいつに入ってた文書だが…どうにも、三合会の中にもヒズボラのお友達がいるみてえでな。水漏れが酷いんで、水道業者に水道管を枝分けして貰ったってワケだ。今あたしらがいんのはここだな。ここまでいいな?」
満足げに煙草を咥え直したレヴィは、ロックにここまでの概要をかいつまんで話した。全て事実で、そこに嘘はなかった。
「ああ、それで?張さんからはなんて?」
「
レヴィはさり気なく、張とこの件との関係性を切りつつ、仕事の背後関係を補足が難しくなるよう拡充し、敢えて自分の立場を煙に巻いた。
「…君も水道業者か?」
期待通りにロックが問えば、レヴィは表情を変えずに真顔で言った。
「奴らのトラックに積んである、便利なパイプの一つってとこさ」
「…続けてくれ」
聞くべきコト。聞かなくていいコト。習ったばかりの内容を目の前で実践したロックを見て、レヴィは実に結構な気分だった。自分が育てている芽が、目に見えて成長しているのを見るのは中々に愉快だった。
「OK…そんで、だ。向こうからの注文はテロリストを二人拉致ること。一人はその生死を問わずに。もう一人は生きたまま。ふん縛って運べばそれでおしまいさ。後は向こうがやってくれる」
レヴィはさらに踏み込んだ。自分の立場を、張の勘違い、妄想に沿わせれば…一周まわって好都合だと考えたのだ。遠からずなのは事実だしな、とレヴィは心中でぼやいた。
「…ザイールの件と何か関連が?報復の為か?」
ロックの質問にレヴィは心中のぼやきと全く同じように返していた。
「遠からずってとこさ…あんまり難しく考えるなよ?詮索屋は嫌われるぞ」
楊枝代わりに煙草をしーはー、誤魔化すように煙を吐いた。
「ダッチからも言われたよ。それで、俺は何を?」
煙を殆ど肺に入れずに、半ばまで灰に変わった煙草を咥えて、ロックはレヴィを真っ直ぐに見ていた。彼は自分の役割を欲していた。必然性と共に。
「生死問わずの方が、なんとお前の同郷なのさ」
ロックの内心を見通して、レヴィは彼の自尊心を適度に擽りつつ、何処となく物足りなさのような、エッセンス程度の不快感を植え付けるように言った。
「日本人がなんで…!?」
素直な驚愕の裏で、果たしてロックはこの世界が、自分以外の日本人により開拓されていることに、そわそわとしたものを感じていた。アイデンティティが傷つけられたような不安を抱いたのだ。その感情に名前を付けることは何処となく居心地が悪い気がして憚られた。
「おいおい、そいつはこっちの台詞だぜ?それと、向こうもお前のことを見れば同じことを言いやがるぜ?違うか?」
レヴィが追い打ちをかけるように、煽るように言うと、ロックは目を見張り、直ぐに俯いた。
「いや…確かにそうだ」
ロックの顔に浮かんだのは、自嘲気味の微笑だった。
「違うとこがあるとすりゃ、向こうには宗教があるってことだな」
責めているのか、擁護しているのか。どちらにもとれるレヴィの言葉にロックが顔を上げた。
「ムスリムなのか?」
レヴィは無感情に首を振った。
「知らねえよ。けどよ、強く信じるもんがあるなら、それは宗教とどう違う?金も銃も宗教さ。質の好い悪いの違いだ。誰にとって素敵で幸せで都合が好いか。違いがあるとすりゃ、そこだけだ。祈ってる奴にとってなのか、祈らせてる奴にとってなのか、祈られてる奴にとってなのか…」
「そういうものか…」
ロックが納得したように頷くのを見て、レヴィも頃合いかと、ついさっきまで文書の入っていた鞄を差し出した。
「ロック、お前は鞄を持ってろ。大事そうにな。手放すな。肌身離さず持って、逃げる時もソイツと一緒だ。そうすりゃ、連中は信じ込む」
中は空っぽだった。別のダミーの中にもコピー自体はあるのだから、文書はいずれヒズボラの手に渡り、彼らは誰かの思惑通りに作戦を実行するだろう。誰の思惑なのか、それは最早当人たちですら知れたことではなかった。
「俺は囮か?」
「
ロックの問いにレヴィが応えると、ロックは、はははっ、と乾いた笑い声を上げた。
「日本人に生まれて、こんなに損する事ってないよ」
ロックが肩を落とすと、レヴィはバシン!と彼の背中を叩いた。
「いだぁ!?」
赤い手形が残ったかもしれない。だが、無理やりにでも空気を入れ替えるならもってこいの方法だった。
「そいつは結構…よし、そろそろ向かうぞ。ひとまず、旦那が用意した用心棒と運転手とご対面だ。事情を話すにも、拉致るにもまずはそっからだ」
レヴィがさっさと降りてゾディアックボートに乗り込むと、後に続いてロックも急いだ。鞄が濡れないように頭の上に掲げながら、片手片足ずつ、潜水艦の艦橋から突き出た足場に足を掛け手を掛けて、どうにかこうにか降りて行った。
「はぁ…長い一日になりそうだ」
ロックのつぶやきは飛沫と一緒に海に溶けた。
潜水艦の艦橋が遠のいていく。ゆっくりと潜水を始めたそれは、次に振り返る時にはもう海の中に消えてしまって跡形も見えなかった。
ここで反れば、帰りの足は自腹になる。
ここで乗れば、生きるも死ぬもはさて、前だけ向いて進めるだろう。
レヴィの背中を追いかければ済む話だ。
何方を選ぶかなど、ロックの中で初めから決まっていた。