竹中正洋とイブラハ。二人はテロリストだ。
竹中は東京都足立区出身の日本人。イブラハはレバノン出身。
竹中は学生時代に左翼思想に染まり、『人民総決起、世界同時革命』という大義を掲げて活動し、日本赤軍としてテロリストの仲間入りを果たした。国内で指名手配犯になると、彼は国外逃亡を図り、これを成功させる。彼が向かった先はレバノンのベッカー峡谷だった。
レバノンでイブラハと出会い、彼らは互いを同志として認め合った。イブラハは神を信じる男だった。対して、タケナカは神を信じぬ男だった。だが、二人は互いを仲間だと認め合った。彼らは思想も目的も異なったが、
数奇な話だと、思わないか?
社会が行き詰まり、世相が空虚に、夕闇が迫るように暗くなっていく経済大国日本。その中でも、高学歴の部類に入るエリートだったタケナカが、何を思ったか左翼の思想に走り、革命に命を賭して駆け抜けた。そして、今やヒズボラの参謀として、故国の友邦であるアメリカ合衆国と対峙しているのだ。
彼の隣には、友として、同志として、ムスリムのイブラハが立っていた。
イブラハは87年のベイルート、その赤十字キャンプで息子を失っていた。彼の息子の命を奪ったのは、イスラエルによる攻撃だった。爆弾もミサイルも砲弾も銃弾も、アメリカの供与したもの、アメリカが作ったもの、アメリカが売ったもの。破片に刻まれたシリアルナンバーを辿れば、遠からず凶器の出元は特定できた。息子の治療費よりも、ミサイル一発の方が遥かに高価だった。命の値段の、なんと安価なものだっただろう。あの日の赤十字キャンプで、血を噴きだして変わり果てた死屍累々に、何と言えばいい。お前たち全員分の治療費よりも、ミサイル一発の方が高価だったなんて。
対して、タケナカは平和な国に生まれた。世界中から羨まれる平和と安定を手にした時代に生まれた。最も爛熟し、腐敗を一歩手前に控えた時代だった。一番甘く、一番活力に満ちた時代をタケナカは生きた。彼の青春は、果たして勝ち取ったものだったのだろうか。それとも、与えられたものだったのだろうか。
戦火から遠く離れた島国の中で、何故よりにもよってタケナカのようなエリート知識層が左翼思想に染まったのか不思議でならない。彼らは寧ろ、その人生の大半を、一度として
自分以外の全員が貧しくなれば、高台に立つ自分の視点から見下ろせば、それは平等を実現したことになるのだから。これほど簡単なことも無い。
労働者の擁護者を騙りながら、彼ら自身が労働者になる道を選ぶことは無い。
なぜならば、彼ら自身が、その素晴らしい脳みそを使って、労働者と言うものには、何も変える力が無いと言うことを、断定しているからである。思い込んでいるからであり、そう信じているからであり、そもそもが上から目線で物を考えているからである。
労働者にはならない。労働者は無力で、無気力で、行動しないからだ。誰かが、この憐れな羊たちを、より良い方向へと導かなければならない。それは我々の仕事だ。だから、我々は労働者にはならない。
要するに、彼らは愚かな群衆を、自分の思い描いた通りに動かせると考えている。自分を変えるのではなく、自分の都合で他人を変えることが出来ると考えている。その為ならば暴力を使うことも辞さない。自分にとって都合の好い世界を作る為ならば…と、そう言っているわけだ。
「なら、そう言えばいいのに」
「難しい言葉で誤魔化さないでよ」
綺麗で耳触りのいい分かりやすいお題目と、また小難しく人を騙すのに適した迂遠な理論によって、インテリ得意の言葉遊びに塗り固められている所為で分かりにくいが、問題はゾッとするほどシンプルだ。
単純な構造だからこそ、こうまで世にのさばる。恥知らずにも。
レーニンも、毛沢東も、チャウシェスクも、金日成も、ポル・ポトも、チェ・ゲバラも…。彼らが憎んだ資本主義と何一つ変わらない。企業単位で人を食いつぶす社会から、国家単位で人を食いつぶす社会に、より最低な社会に作り替えただけである。どちらがマシだったかは、言うまでもない。
革命家とやらに、犠牲者たちは語るだろう。
『余計なことを』と。
彼らの論理は、挫折したエリート、勘違いしたエリートが、恥も外聞もなく飛びついた、フザケタ論理に過ぎない。イデオロギーも思想も、結局はインテリが独占している知の集積物の一つに過ぎない。結構なお手前で飾り付けられた豚の餌箱に等しい欺瞞である。理性の過信と知性信仰が齎した、人間を無分別な熱狂に陥れる劇毒である。
活動的なバカほど恐ろしいものもない。無気力で怠惰な方が、よほど善良と言うものだ。少なくとも、大義を掲げて、際限なく誰かを傷つけることは無いのだから。
共産主義者ほど、労働者のことを侮蔑し、差別している奴らもいない。共産主義者ほど、労働者の気持ちが分からない奴らもいない。共産主義者ほど、労働者のことを考えていない奴らもいなかった。
彼らは自分自身にしか興味がない。彼らは彼らのコトしか見ていない。彼らの忠誠心は彼ら自身に向いている。慈悲深く聡明な自分たちのコトだけを愛しているのだ。
連中は、自分よりも豊かな人間が許せないだけだ。連中は、自分よりも賢い人間も、自分よりも優秀な人間も許せないだけだ。連中は、自分よりも無能な人間が嫌いなだけなのだ。連中は、自分よりも賢くない人間が憎たらしいだけなのだ。ただそれだけなのだ。
連中が、最終的に弾圧する対象と、権力を奪い取る為の道具は一致している。
それこそが、労働者であり、弱者なのだ。
だから常に、当の労働者ばかりが割を食う羽目になる。彼らが真面目に働こうが、報われることを許してくれない。それは奴らに食いっぱぐれろと言うに等しいからだ。奴らにとって、労働者が幸せになることは、自分たちが不幸になる事と同義だからだ。
決して消えない労働者と言う概念が存在する限り、奴らはゴキブリのように湧いて出る。
労働者の擁護者と名乗れば、労働者は彼らの支持者扱いである。一緒くたにされた挙句、両方から憎まれてはたまらない。結果、否応なく労働者は支持するほかない。この卑怯な自称労働者の擁護者どものことを。端から選択肢などなかったというのに、さも選ばれて、支持されて立っているかのように声高に叫ばされる羽目になる。
共産主義者だけじゃない。連中は、自分が一番になりたいだけなのだ。
一番いい暮らしをして、一番賢く、一番立派で、一番素晴らしい人間だと讃えられたいだけなのだ。歴史に名を遺し、語り継がれる様なことを仕出かせば、自分は自分が嫌悪した奴らよりも価値がある上等な人間になれると勘違いしている。奴らは思い込んでいる。何かを変えることが、常に価値を持つことであると。何かを守ることが、常に偉大な行為であると。
自分にとって一番都合の好い世界を作りたいだけなのだ。他所で作ればいいものを、別の場所で、狭い世界で満足すればいいものを。傲慢なのはどちらなのか。恥を知らないのはどちらなのか。彼らが逃避の道を選ばなかったことを、これほどまでに憎む日がこようとは。
彼らは、理屈で全てを了解してしまえる。数字と記号の上で、この世界を統制してしまうことに、指先ほどの不信も抱いていない。達成すれば全員が幸せになれると考えているが、実際に幸福を感じられるのは、快楽を味わえるのは自分自身だけだ。そのことの自覚すらもない。その自覚さえあれば、彼らは殻に閉じこもり、ここではない、ここにはない、別の何処かへと活路を見出したはずだ。だが、そうはならなかったのだ。
故に、彼らは労働者のことなど、弱者のことなど、そのための道具か何かとしてしか見ていない。必要が無くなれば、糸屑のように捨てられる。一顧だにせずに、靴底のガムを引き剥がすように、泣き縋る彼らを見捨てるだろう。
連中は、ただそれだけの為に、自己満足の為だけに、労働者と言う顔の無い無数の人々をダシにして、敵視する同類のみならず、他ならぬ彼らの屍を踏みつけにして、一握りの上位層として豊かな人生を貪るのだ。上流階級への憎悪は、自分が選べる立場になった途端に、そっくりそのまま憧憬へと変容する。
「僕は、そうなることが恐ろしい」
「恥知らずになる事だけは、堪えられない」
「そうなれば、最早論じるまでもない。僕は、僕が、のうのうと生きていることを赦せなくなってしまう」
「そうなるくらいなら、何もしないのがマシだ。ずっとずっとマシだ」
「卑怯で惨めで情けなくて醜い方が、僕は自分が、生きていても好いような気がする」
奴らはそれしか考えていない。だのに、そのことに気付かない。そのことを見て見ぬふりをしている。気づいていないふりをしている。そうして奴らは自分だけ健康無事に生きながらえる。資産を蓄えて、誰かを批判しただけで金を貰い、逃げるも傷つけるも思うがままだ。
そして、労働者は貧しいままに死んでいく。最早長寿は苦痛である。都合が好いのは、税を搾り続けられるエリートだけだ。金もなく。暴力もなく。権力もなく。逃げることすら許されない。弱者とは、そういうものなのだ。
「このありふれた苦痛のどこに、一体どこに救いがあると言うのか」
そんな弱者が、敗北者に混じり、生きるために、逃げるためにと悪事を働き、大同小異に裁かれて死んでいく。するとどうだ、それみたことか、と。浅ましい姿を笑われて。愚かな姿に唾を吐かれて。積年の勤勉も、実直も、誠実も、たった一度の失点で無意味と化す。百の善業は一の過失に容易く埋もれる。その立場が弱ければ弱いほどに、失うものは多く、大きい。その立場が強ければ強いほど、失うものは表面的で、微々たるものであり、矮小だ。
金持ちが貧乏人に金をばら撒くと、貧乏人がその金に群がる。
その姿を見て金持ちが言う。『醜い』と。
これがこいつらの本性だと。剥き出しの姿だと。
だが、本当に醜いのは、貧乏人の最後の矜持を、まんまと遊び半分、好奇心半分で奪い、傷つけ、そして醜さを曝け出させた金持ちの方である。金持ちは、自分が間違っていないことを確かめるために、貧乏人に対する嫌悪感を無闇矢鱈と煽るのだ。
そんなに配りたければ、黙って配ればいいのに。黙って炊き出しでもなんでもすればいいのに。わざわざ醜さなどを確かめて何がしたかったのか。言うまでも無い。
自分が弱者を助けないことの言い訳のために。自分が弱者から搾取する言い訳のために。この世界は醜いからと、人間と言うのは醜い生き物だからと。後ろめたさから逃れる言い訳を探す為だ。
そもそも、世界が『美しい』も『醜い』もあるものか。
その振る舞いのなんと醜いことか。
黙って無一文になってみろ。お前は、彼らとは違うとでもいうのか?同じように、金持ちがばら撒いた金を拾わずにいられるのか?恥知らずは、果たしてどっちなのだろう。
「恥をかくことは、罪なのか?」
「ならば、人に恥をかかせることは罪ではないのか?」
「何れかを選ばざるを得ないのであれば、僕は是非とも恥をかきたい」
「それはとても、涙が出そうな、足が竦むような、怖いコトではあるけれども」
「せめて、僕は恥を知る人間でありたい。惨めさも、醜さも、ちゃんと感じられるような」
「弱さと言うものを忘れて生きていきたくはない。それは優しさを忘れることだから」
「強くなければ生きてはいけないが、優しくなければ生きていく資格がない」
明日の食事も不確かな日々に、どうして耐えられる。
拾って好いものをばら撒いただけだろ?お前が好きにしろと言った金を、言われた通りに好きに拾っただけだと言うのに、なぜ醜いだのなんだのと、その生き方も積み重ねた苦労も、嘆きも、救いを求める声も、その全てを知りもせずに全否定できるのか。
この訓話はありふれている。金持ちは金持ちとしか付き合え無くなるだとか、そう言う話に引っ張りだこだ。だが、残るもの、感じるもの、そんなものは不信と不愉快だ。不快感だけだ。賢しらで、悲観的で、まんまと気取った金持ちに対しての不快感だけだ。
こんなものは訓話でも何でもない。
『知った風な口を利くな』である。
開明的で進歩的だということを自負する賢しらな者ほど、そういうエリートほど、そういうインテリほど、弱者のことを無自覚にも、冷酷にもあげつらう。躊躇も何もなく、痛罵することに毛ほどの痛みも感じない。ヘドロの匂いを香水のように、さも誇らしげに振りまいている。思想やイデオロギーの垣根なく、最後に行き着く先は同じで、これこそが欺瞞の証明に他ならない。欺瞞でしかなかった。
「こんな欺瞞を纏うのならば、いっそ何もせずに沈黙した方が遥かにマシだ」
「敢えて沈黙する勇気を呉れ!」
「現実逃避の何が悪い!逃げられる限り逃げ続けるんだ!」
「それでも、いいんだよ」
「何もせずに燻ぶり懊悩し続ける、この孤独にこそ、この弱さと醜さこそを肯定することが、現代文明の片隅に生きる弱者が、弱者のまま、この過酷な世界を生き延びるための強さ足り得るのではないか」
「細々でも醜くてもダサくても弱くても姑息でも卑怯でも…何でもいいから生き延びてくれ!逃げてくれ!隠れてくれ!」
「傷つかないように。苦痛から身も心も守れるように」
「歴史を語るのは勝者でも敗者でもない。語り部は生き延びた者だけなのだから」
「卑怯者と罵られてもいいんだ」
「恥知らずにだけはなりたくない」
「偉そうに、立派な振りをした奴らと同じ空気と言語を共有していることすら情けなくて恥ずかしい」
何か大きくて強いモノに巻かれて、綺麗なだけのお題目を正義だ何だと、まるで玩具のように振りかざして、世界を好き勝手に弄び、荒らしまわってきた連中は、その人種や国籍を問わず、人類種の可能性の悉くを穢し果てた知性的な野蛮人だと言わざるを得ない。弱者にとっての奴らの存在は、人間存在そのものに対する冒涜に違いない。
弱者からこそ、奴らは厳然とその命を奪い、財産を奪い、名誉を奪い、未来と希望さえも奪う。まるで弱さは醜さだとでも言うように、その浅ましさを見せしめにして、嫌悪感を煽り、そうはなりたくないと思わせて、だから彼らには助ける価値などないのだと、踏みつけてもいいのだと、否定の上塗りの為のダシにされて。繰り返し繰り返し。最後は誰も覚えちゃいない。そんなこともあったねと、路傍の死骸に一瞥しては去っていく。眉をしかめて鼻を摘まんで。
「その悪臭が、他ならぬ自分自身の腐敗から湧き出でしものと、然りと知っての振る舞いか?」
彼らほど、労働者を卑下し、見下している者たちもいない。自らは鍬を持たず、汗を垂らさずに、彼らは奪うことを選んだのだ。短絡的に、自己中心的に。それを欺瞞と言わずして何と呼ぶのか。
ブルジョアのエリートが、サークル活動の延長線上で、労働者の擁護者を気取っていたのだ。彼らの行為程、彼らの振る舞いほど、労働者全体にとって不利益なことも無い。これほどに、労働者の立場を地に貶めた者たちもいなかっただろう。
ゲバ棒で叩き合って遊ぶのはご勝手だが、その後始末は誰がするのか考えたことがあったのか。その物騒な狂乱に巻き込まれる恐怖を、一度だとて想像したことがあったか。労働者はこう言っただろう。
『近所迷惑だ。家に帰ってクソして寝ろ』と。
ゲバ棒と黒ヘルの仮装行列。中二病の変態共の大運動会が、どれだけの経済効果を生んだと言うのか。実際に、どれだけの生活改善に役立ったと言うのか。仲間内で論理を捏ね回し、そうだそうだと酒と煙草を片手に言い合い、エリート学生の楽しい思い出の一頁の為に消費された労働者の時間は、迷惑料は何処に訴えれば返してもらえるのか。恩の押し売りではなかったというのならば、是非ともお聞かせ願いたい。
本当に困り果て、疲れ果てた人間に、闘争に向かう活力などない。
「助けてくれ。逃がしてくれ。どうにかしてくれ。ただただしんどくて辛いんだ」
もうそこには、理屈も論理もクソも無い。欲しいのは憲法に書いてある通りだ。
『人間らしい、最低限度の生活』である。
『食べられること』『清潔にできること』『眠れること』『休めること』『楽しみを見つけられること』
そして『
「それ以上に何がある?それ以外に何がある?」
「生きることに余裕が出来て、初めてこの世界について考えられるんだろうに」
自分を理解してくれて愛してくれる性癖ドストライクの伴侶と、ローン無しで家賃光熱費諸々が不要の、家具家電が備え付けの一軒家と、三食昼寝デザート付きの待遇、月に1000ドル程度の小遣いが給付されれば皆ハッピーになれるのだ。
小奇麗な服を着て、清潔で、腹も心も満たされた、インテリが上から目線で吐き出した思想とイデオロギーに耳を傾ければ腹が膨らむのか?連中に従い行動し、力尽くで腹を膨らませたとして、人を食うことと、人を殺して奪ったものを食うことの、どこに違いがあると言うのか。
街頭の説法者は世界を変えられると考えた。だが、先ず変えるべきはその勘違いだった。それだけだ。立ち枯れた思い出を美化する前に、その木の根元を掘れ。埋め立て隠してきた恥の正体がそこにあるはずだ。
『変態的オナニー』を『やんちゃ』と言い換えるな。
勝手に確信して、勝手に暴れまわって、勝手に期待して、勝手に失望して。挙句全てを自分の思い通りに動かなかった世間の風潮や群衆に押し付ける。華麗な責任転嫁は芸術的でさえある。
だが、その芸術は前衛芸術と同じで、未来の同類からしか評価されることはない。ブランドバッグもファッションもアートも、少し遠くから見れば、買い手の誰一人としてその価値を理解していない。物の価値を理解できると思い込んだ人間たちの、世に広く持て囃される、飾りだけの上っ面だけ高尚な営為が、果たしてどれだけの『癒しと救い』を弱者に与え得ると言うのか。
労働者の境遇に義憤を燃やした結果、彼らは、その労働者をダシにして飯を食っている。高いスーツを着込み、或いはファッションで人民服を着込んで。彼らのどこが違うのか。彼らのどこが崇高なのか。彼らのどこが正しいのか。彼らと、ゴキブリ染みた政治家と、一体全体どこが違う?
素朴に、善良に生きてきたイブラハのような人間が立ちあがることは道理だ。奪われたのだから、奪い返すだけの根拠がある。悲しみと、憎しみと。彼らにはそれだけ強い理由があった。
無論、彼らの中にも、食うために、また女を抱くために銃を取るものも少なくない。組織もまたそれを認め、推奨し、大義とやらの為に弱者を貪り尽くさん勢いを恥じ入る素振りもない。
全てが叶うころには、守ると約束した相手が死に尽くしていたとしても可笑しくない。いいや、寧ろそれが狙いなのか?借財を、贖罪の機会ごと踏み倒さんと企んでいるというわけか。
どっちもどっちだよクソったれめ。
正義の名のもとに略奪や強姦、殺戮に精を出す、憎しみも悲しみも知らぬ人でなしの悪党だって数えればきりがない。コーランの教えを自分に都合好く曲解した挙句、戦死は素晴らしいだの何だのと宣う者もまたなんと多いことか。宗教もまた思想であり、思想もまた宗教である。どのみちエリート階層のインテリの恣だ。
どっちを向いても。どっから見ても。救世主か、伝道師か…クソに塗れた自覚のない世界レベルの天才賢者を僭称する恥知らずの見本市である。
「今や理性も知性も野蛮の証明に他ならない」
「賢しらであることが、例えようも無いほどに恥ずかしいんだ」
「何でもかんでも範例に当てはめて、論理的に納得できてしまうことは、何も考えずに欲望の赴くままに振舞うことに等しく機械的で野蛮だ」
「強者の論理を弱者に振りかざす恥を知れ」
「僕は君たちを見ていると、まるで自分を見せられているようで反吐が出る」
だが…否、だからこそ、イブラハと言う個人に限れば、神の論理に縋るのは、ある意味では納得できる話である。彼が望むことを、計画通りに成し遂げた所で、彼は単なるテロリストで終わるのだが…それはさておき、彼の動機にも、その振る舞いにも、他と一緒くたに扱い、ふいに目を背けるには余りにも後ろめたいものがあることは確かだ。
イブラハは、そうでもしなければ人を殺すことも傷つけることもできなかった。だから、神の名を借りて、息子の仇討の為に武器を取ったのではないか。痛みを知るが故に、彼は常に必死なのではないか。彼はさぞかし真面目で純朴で、善良な人間だったのだろう。何者でもなく、ただ一人の父親だったのだ。だから、タケナカのように余裕のある振る舞いなど出来ようがなかったのではないか。誰よりも自分が弱いことを理解していたから。
自分を育んできた世界に反抗し、剰え暴力を振るい、自分を変えるでも、別の世界に逃げ込むでもなく、今いる自分に都合の悪い世界を力づくで変えようとする行為と、イブラハのような者たちの、身に沁みて、湧き上がる様な衝動に支えられた行為との間には、隔絶した違いがある。前者は自らの世界を別に作るのではなく、自らの世界を持ち込めない世界と暴力で戦うことを選んだ。対して、後者は戦うために自らの世界を捨てた。
どちらも崇高な行為などではない。行為に色などない。
だが、イブラハには、涙を流した夜がある。殺意も、憎悪も、息子に抱いていた愛情も、それは確かに身に負い、噛み締めて、確かに感じたものではなかったか。確かに温度を伴い、そこには触れて確かめられる何かがあったはずだ。いまや、それは失われている。失われたものは帰ってこない。それでも、同じ思いを味わわせてやることは、その意味を酷い仕打ちを自分にした相手に直接教えてやることは出来る。
イブラハには失うものなど既になく、奴らはまだ、失うことができる何かを持っているのだから。
それはタケナカの夢見た、彼だけが望むユートピアの実現などとは断じて違う。見も知らぬ、滑稽な妄想の無理矢理の押し付けではなかった。誰もが共感し、或いは誰もが目を背け、誰もが沈黙により応答する様な。無視できない何かだ。
イブラハの衝動とは、最早、彼自身にどうこうできるものではなかった。
それは彼だけのものではなかった。彼の息子の為だけのものではなかった。それは最早、理屈ではない。理屈で納得できるものではなかった。身に近づけて、感じることのできる何かだ。そうでしか見えない、聞こえない、計り知れない衝動だ。忘れることもできない。呑み込めなくて、喉の奥で突っかかる何かだ。
イブラハのようには、誰もなりたくない。何も失いたくない。だが、彼は失い、彼は選んだのだ。それは紛れもない事実で、決して、腹いせでも、勘違いでも、ファッションでも無かったはずだ。肯定できず、かと言ってありきたりな世間一般常識を振りかざし、彼の行動を、極端な選択だと言って抑制するしかできない。暴力はよくないのだ、と。息子は尊い犠牲だった、と。悲劇だった、なんて。なんて、なんて。なんて無力だろう。
イブラハは言うだろう。『ならば、息子を返してくれ』と。
崇高ならざるが故に、復讐の方がよっくどマシじゃないか。余程、自分に近づけて考えられる。大切なものを奪われたことも、死んだ息子のような弱者の為に立ち上がったというのも、納得できる話じゃないか。
「二人ともテロリストには違いないが、どちらが好きかと問われれば、僕なら躊躇なくイブラハを選ぶ」
イブラハも、タケナカも、アメリカの敵対者としての道を選んだ。だが、イブラハがアメリカに息子を奪われたのに対して、タケナカはアメリカから恩恵を受けてきた国に生まれ、全てを与えられてきた。それが全てではないが、それは見逃せない事実だ。
彼らは、時代が違えば普通に暮らしただろう。テロリストではない、もっと違う人生を歩んでいたことだろう。だが、そうはならなかったのだ。
何かが、二人を変えた。その何かは、アメリカ製のミサイルや爆弾かもしれないし、反アメリカの思想書だったかもしれない。
いずれにせよ、イブラハは純朴で善良な父親から、復讐に燃えるテロリストとなった。タケナカは、思想の為なら如何なる手段も厭わない、冷酷な革命家になった。
この二人の特異な関係性は、片方にとっては運悪く、もう片方にとっては運好く、バラライカ達の目に留まった。
イブラハとタケナカは、選ばれたのである。
それぞれ、イブラハは恥を知る者として、タケナカは恥知らずとして。
バシラン島。フィリピン軍治安部隊の、アブ・サヤフ鎮圧の為の特殊作戦キャンプ。そこから非武装地帯を挟んで北に数マイル。この場所に、ヒズボラとアブ・サヤフの連携の下で運営される訓練施設があった。
彼らが解放区と呼ぶこの地区の司令部内の一室では、今回の暗号表奪還作戦の指揮を任されたヒズボラの一指揮官イブラハと、彼の参謀を務めるタケナカが議論を重ねていた。
「タケナカ!他の三組は既に捕捉したが、最後の一組だけが見つからない…一体どうなっている!」
アラブ系で日焼けした浅黒い肌をした男がイブラハだった。ターバンを頭に巻き、顔には微量の汗の粒も浮かんでいた。彼の額には深い皴が刻まれており、顔つきはやや痩せこけていた。神経質と言うよりかは、単純に気が短いことを、そこそこ長い付き合いから、参謀役のタケナカも熟知していた。度々、こんなふうにがなられるが、これは別に珍しいコトでも、また酷いコトでもなかった。彼らなりのコミュニケーションだった。ただ…今回のイブラハは何時にもましてピリピリしていた。それは確かだった。
「まぁまぁ、そうカッカしなさんな…」
「お前が組めと言ったんだぞ、タケナカ!」
前日の昼頃にレヴィとロックの位置情報が途絶えてから半日、ヒズボラは既にロアナプラ捜索班を通じて他の三組の運び屋を捕捉、これを拘束することに成功していた。だが、逆を言えば一組でも本物がいればそれでおしまいだ。タケナカが三合会の張という男から持ち掛けられた話に乗り、事後承諾で高い金を支払ってでも手に入れたアドバンテージがこれでは水の泡になる。そう思えば、イブラハは気が気ではなかった。
「念には念をって奴だったんだ…初めから信頼できる話だったかよ?あってもなくても、だろ?」
「…お前の言うことは理解できる。だが…」
イブラハの焦燥は理解できる。だが、大局観に優れ、理想と現実を客観視できる、理性的な参謀として自他ともに認めているタケナカからすれば、イブラハの振る舞いは部下の士気に余りポジティブな影響を与えるものにも思えなかった。
少なくとも、引き絞りすぎた糸は僅かな想定外で切れてしまう。彼に言わせれば全てが遊びで、だから多少の緩さも重要だった。泰然自若にしていろと、常々イブラハに言い聞かせて来たものの、彼の積年の想いは、思いのほか重かった。
ザイールのアメリカ大使館爆破に始まり、マンハッタンの地下鉄で生物化学兵器を使用する大一番に至るまで…一連のテロがイブラハの一世一代の賭けだと言っても過言ではなかった。
「まずは報告を待つってのはどうだ?アブ・サヤフ鎮圧のために集まった治安部隊の連中のキャンプの方に動きは無いんだろ?」
「あぁ、まだ動きはない」
タケナカの口車に載せられてか、はたまた落ち着きが戻ったのか、イブラハは額から汗をぬぐいつつ、目元を二度三度揉んでからタケナカの話に耳を傾けた。
「ならまだ連中もこっちにゃ気づいてねえよ。エスコートや案内役が必ず現れる。その時を狙って解放区に攫っちまえば後はコッチのもんだ。だろ?」
タケナカがそう言うと、イブラハも素直に頷いた。彼らの関係は余人の評価に関わらず長い。前後の興奮と鎮静にも拘らず、話の大筋は脱線しなかった。
「そうだな…確かに、お前の言う通りだ。…三合会からの情報、そのものには間違いがなかった。それは事実だ…」
イブラハが忌々し気に言った。
彼が三合会をヤクザと見下していたことはタケナカも知っている。だが、その上で張からの申し出を受けたのだ。
もとはと言えば、金さえ払えば手元に転がり込んできたものを、イブラハがヤクザ相手の取引を嫌って、タケナカ不在の間に一方的に断ったのが厄介の原因だった。だが、そのことは言わずに、タケナカは煙草をふかしながら話を続けた。
「アメ帝のエージェントが大手を振って歩ける場所に
アブ・サヤフ鎮圧の為の特殊作戦キャンプを受け渡しの場所に選んだと聞いた時は驚いたものだ、とタケナカは笑った。
張という男は中々に面白いことを考えるな、と。
「あぁ、だからこうして先回りして準備を整えることができた。だが…それだけじゃないことくらいは、理解しているのだろう?」
イブラハは確かめるように問うたが、タケナカは肩を竦めてぼやくように頷いた。
「そりゃぁ…な?連中だって、どっかじゃ俺たちの敵さんとも繋がってるだろうぜ…」
ヤクザにしてはかなり頭が切れることも気になったが、文書の受け渡し自体は中止せず、ヒズボラとアメリカを競わせるような、双方の顔を立てつつ自己の利益を忘れないところも気に入ったから話に乗ったのだ。
抜け目のない取引相手は手強いが、タケナカからすると歯ごたえのある面白い遊び相手だ。今回の情報共有の仕込みを向こうが言い出した時、タケナカは一筋縄ではいかない張という男と関係性を繋ぐことが、今後の活動の奇貨となることを期待したのだ。
「そうだ。…だが、選択肢などない。ようやく…ようやくここまで来たんだッ。マンハッタンを死の島に変えるための最後の仕上げを邪魔されてなるものか!」
イブラハの拳が地図や電話の置かれた机に叩きつけられた。赤鉛筆やマグカップが跳びあがり、冷めたコーヒーが飛び跳ねて地図の染みになった。
「痛恨の一撃を、平和ボケした奴らの横面に叩き込む…その日が楽しみだ。派手にやらにゃな」
根元まで吸った煙草の吸殻を編み上げ靴の底で踏み躙ると、タケナカがしみじみと言った。口角が上がって、目元も楽し気に歪んでいる。イブラハの眉が寄った。
「…お前は、楽しむというが、生物化学兵器を利用した地下鉄での無差別攻撃…その効果を実証したのは、他ならぬお前と同じ日本人なんだぞ?」
今も根を残す新興カルトによって引き起こされた惨劇の爪痕は、未だに強い衝撃と戦慄を残し続けている。タケナカを見つめるイブラハの瞳には様々な感情が渦巻いていた。そこには気遣いと警句も含まれていた。タケナカは新しい煙草に火を点けて咥えると、天井を見上げた。
「日本人をやめて二十年になるが、そう言ってくれるのは今じゃお前さんだけだよ…まぁ、その、なんだ…楽観的なのは悪いコトかい?」
イブラハは、天井から自身に向けられたタケナカの、郷愁と諦念の籠った視線に負けたように外方を向いた。ままならなさにやりきれない思いがあった。
「…いいや。だが、気を引き締めてくれ。些細なミスが俺たちの大望を阻む壁となる」
目を閉じて、窘めるに留めると、イブラハは目を開いた。強い意志の底には、めくるめく怒りと憎悪があった。
「ははは!大望ね…そうかい、いや、そうだな…イブラハ。俺が部隊を率いるが、構わないな?」
タケナカはイブラハの目を見て笑った。どんな笑いなのか…それはタケナカにも説明の難しい笑いだった。嘲笑か、哄笑か。滑稽なのはどちらなのか。
「運び屋共を捕まえて来てくれ…頼んだぞ」
ご機嫌斜めなイブラハが唸るように言うと、タケナカは背を向けて手を掲げて応えた。
「あぁ、ちゃちゃっと捕まえて来るさ。奴さんも、まさか雇い主お墨付きだとは思うまいよ。とはいえ用心に越したことはねえやな…合言葉の都合も付けて貰ってる。今頃緊急で向こうにも電話がいってるはずだ」
胸ポケットから取り出した電話をプラプラ揺らしながら言うタケナカの様子は、やはり参謀らしからぬ軽快なものだった。だが、イブラハはこれまでタケナカに幾度も助けられてきた。その手腕は疑っていない。
「抜け目ないな…だが、信じるだろうか?」
首を傾げるイブラハだが、タケナカは曖昧な顔で笑った。
「信じねえってことはねえさ。合言葉なんざ、本物の逃がし屋だって知らねえんだ。今だけは俺の方が本物の逃がし屋って訳だ…そんで、気づいた時には解放区でお出迎え…ってね?」
「あぁ…」
手品の種明かしをするように楽しげに語るタケナカに、その手腕とは裏腹に、イブラハはやはり何か不安のようなものを感じてしまった。疑念を振り払うように、視線を地図に落したところで、部屋のドアが開いた。
「司令官!報告がございます!」
「なんだ?」
「それが…」
連絡要員が駆け寄り、イブラハに耳打ちした。
「……わかった。タケナカ!他の三組もクロだった」
ドアに手を掛ける所だったタケナカの背に、イブラハは声を張った。
「となると…連中が最後のピースだ…にしても妙だな」
怪訝な顔をしたタケナカを見て、イブラハの脳裏に最悪の絵図が描かれた。
「まさか、既にアメリカの手に渡っている可能性がッ!?」
イブラハが詰め寄るが、タケナカが手で制した。まぁ、待てと。
「いや、待て…24時間態勢で監視させてきたんだ。それらしい動きはなかった。つまり、単に暗号表を四分割して寄越したって訳か…」
「そうか、そうだな…」
タケナカも確信をもって断言できるわけではなかった。だが、少なくともこの盤上にも、アメリカの盤上にも、動かせる駒も切れる手札も残ってなどいなかった。ならば、少なくとも受け渡しの瞬間までは希望が持てるということだ。そう、自身を納得させたタケナカは、部下を連れて車に乗り込んだ。
「どれ、待たせてると悪いからな。俺ぁいくよ」
「タケナカ…」
カラシニコフで武装した部下たちが乗り、車列を構成する間。イブラハはタケナカに声を掛けた。
「なんだ…イブラハ?」
「あのベッカー峡谷で会ってからかなり経つが…俺たちは、ここまで来たな」
見送りがてら、ぽろぽろと零すように語った。
「はッ!ちと気が早いぜ…勝鬨を上げるのは家に帰ってからだ」
タケナカがそう答えれば、イブラハは頷き、強い光を灯した瞳でこう続けた。
「家、か……くれぐれも気を付けてくれ…俺たちには時間も、後も無い…」
イブラハは真剣だった。だが、タケナカはこれにも、顔に明るい笑みを浮かべて応えた。その目つきは鋭く、貪婪だった。
「あぁ…そうだな。ま、あとはとくとご覧じろってな。俺たちは今、チェックメイト手前さ。最後のピースを取り返せば、過不足もねえ。パーフェクトゲームも目前だ。指揮官殿はどっかり構えて待つことも仕事の内だぜ?」
茶化すような言葉だったが、イブラハは、今度は顔を顰めるでもなく頷き応えた。
「理解は、しているんだ……タケナカ……君にアッラーの御加護を」
イブラハはそう言うと、一人の友人に向けて、微かに笑みを浮かべた。
「…お前さんこそな、イブラハ」
タケナカはそう言うと、部下に車を出させた。
タケナカの車を先頭に、人の消えた街に向けて続々と車列が続いていく。
あとがき
*僕は右翼でも左翼でもなんでもありません。括弧太字で表した、レイジの台詞の通りです。敢えて言えば、レイジの考え方・感じ方が、僕の考え方・感じ方です。
頭でも体でも心でも、強い人は何とか出来ることも多かろうが、頭でも体でも心でも、兎角、何か一つでも弱いとそうもいかない。人が出来ることが出来ないなんてざらだしなぁ。
僕が通ってたのは中高一貫校だったんですが、卒業するまで数学のテストは入学後最初のテストを除けば、大小問わず全部赤点でしたな。0点ばっかりとってました。全部の空欄を埋めても、埋めなくても0点でしたな。数学が本当に出来なくて、テスト返される日は家に帰ると毎回泣いてました。授業でも板書を任されるたびに課題が解けてなくて、毎回毎回数学の先生と他の生徒に謝ってました。出来ないことは誰かに迷惑をかける悪いことだと責められた経験は、そのことをはっきり口に出されなくても、一生忘れられない傷になります。他の生徒の前で先生に溜息吐かれて、すごい悔しくて恥ずかしかったですね。起立性調節障害で適応障害で軽く鬱だったから休みがちだったし、卒業無理かと思ってた。卒業できたのは運が好かっただけ。兎に角、学校に行くことが苦痛でしたな。
でも悩んでも強くはなれんし、ならんし。そもそも、皆が努力できるわけじゃないし、その努力って曖昧なものも、結局は誰の基準なのか次第だし。多分そもそも努力って言葉を使うことが間違ってる。コイツの所為で、頑張る人と頑張らない人が篩にかけられてるよな。努力してると言い張れば免罪符にもなってしまう。良い生徒と悪い生徒の違いは、良い兵隊と悪い兵隊の違いと同じ。ってのは、富国強兵政策で国民皆兵システムを学校を媒体に導入する上では仕方なかったのかもしれんが、それを現代にも受け継ぐ必要はそろそろないやろ。
「努力しなくても何でもできる奴もいる。努力もできる奴だけがしろ。無理に意識して努力せずとも続けられること、そこそこ出来ることを探せ」って教える方がマシな気がする。褒められるハードルも十人十色だし、その幅が狭くて高過ぎるから、一律で褒めて貰えるハードルを下げれば、自己肯定感もマシになるんじゃないかな。いきなり賢くて強いエリート人間を作るために、それ以外をダメにするよりは、失敗しても恥かいても屁とも思わない人間、へこたれない兎に角しつこい人間をたくさん育てられれば。そう言う人間に育てば、多分、少なくとも当人は今よりも楽しいことを探しやすくて、好きな事物をはっきり好きだと言えて、そこはマシな気がする。
弱い所をなんでもかんでも、無理やり矯正するってのも、弱いことが悪いコトみたいでなんかなぁ。良い悪いでしか判断つかんくなってるせいで、何となく、曖昧な感じを許せる優しさと言うか、寛容さが今の社会には足りてないよな。皆何かに追われてて、その何かの正体を考える余裕もないくらいに急いでる。もう少しゆっくり生きようぜ。せめて僕の周りだけでもゆっくりになってくれと思う。人に嫌われないサボり方とか、罪悪感を感じない休み方とか、そういうのを教えて欲しかったな。
弱くてもそこそこ楽しく生きられれば多少はマシなんだけど。僕の場合は小説やら二次創作やらを書いたり読んだりすることが、楽しいことだから助かってるけども。そう言うもんが見つかったのは、単に運が好かったんでしょうな…。
僕の乱筆乱文が誰の何の役に立つのかは、正直見当もつかない。けれども、そう言う考え方・感じ方もありなんやなって、少し感じて貰えればこれ以上のことはない。何番煎じかも知らないけれど。誰かにとっての何番目でもいいから、僕の言葉が誰かの目に触れる機会に恵まれれば、それは結構凄いことだと思う。
文字を追いかけている間だけでも、苦痛から逃げたり隠れたり忘れたり、兎に角あなたと僕の心身を守る事に貢献できれば何も言うことは無いのです。
共感でも、怒りでも、納得でも、なんでもいい。理屈も脈絡もどうでもいいから、ここまで読んでくださったあなたの気持ちが少しでも楽でマシになってくれることを切に願います。
長くなりました。読んでくれてありがとうございます。あと二話くらいで『Jihad for whom』は終わりです。日本・雪緒編は幕間を挟んでからになると思います。幕間は誰とイチャイチャさせようかな。悩みどころですね…。