誰も寝てはならぬ。
何はともあれ、生まれてしまったのだから。
そこに、どれだけの罪があろうか。
罪と罰など、人の創り出した虚構に過ぎない。そんなものに縛られる必要はない。
だが、生まれてしまったからには、人間に生まれてしまったからには、人間として生きていかなければならない身の上であれば、最早、どうしても逃れられない。それもまた事実だ。逃げようとしても、逃げど、逃げど、その都度追ってくるのだから。
生まれてこなければよかったのに。
これほど冒涜的な言葉はないだろう。だが、果たして、どう生きろというのか。
極道の家に生まれながら、普通に生きることなど。
真に道を極めるのであれば、あなたは子を成すべきではなかった。
もしも、心から我が子の幸せを望むのであれば。我が子の平穏を望むのであれば。
あなたは極道のままに死ぬべきであった。
だが、結果として君は生まれてしまった。
生まれてしまった命は、肯定されなければ死んでしまう。生きながら腐ってしまう。
太陽のように愛されて育てられた君に、一体どれだけの選択肢があったのだろうか。
ここはまるで箱庭だ。
君が暮らすのは箱庭の中に建てられた狭い城である。死ぬまで、君はその狭く高い城の窓から、外の世界を見続けることになる。
幸か不幸か。君は飢えずに育てられた。貧しさとは無縁の、特権を享受してきた。
だからこそ、君はウチのことも、ソトのことも恨むということを知らなかった。知らずに済んできたが、果たして、そのことに果てというものは本当にあったのだろうか。
年を取り、家を出るまでなのか。それとも死ぬまでなのか。
君は目に見えない刺青を背負って生まれてきてしまった。
君は何も悪く無いというのに。君に、一体どれだけのことができただろう。
閉鎖的で古い世界で、どれだけの声を上げられただろう。
蝶よ花よと大切に育てられたことは、君にとって掛け替えのないことである。望めば与えられる環境下だったことは疑いない。君は確かに恵まれていた。
だが、ヤクザの組長の娘に生まれた君は、いつの日にか、自身の家業と向き合わなければならなかった。斜陽のヤクザという職種の宿命そのものとも。
自分を育んできた家は、気がつけば、翻って君の人生を、誰よりも何よりも蝕み、貪り、搾取するものに他ならなかった。
伝統と格式が。義理と人情が。何よりも、全ての根底に流れる詭弁が。
磨かれた品性と、恵まれた知性が仇となってしまった。
詭弁といえども、そこには、確かに道理の通った、過不足のない数学的な明快さがあったから。
詭弁だ。どこまでも詭弁に過ぎない。
だが、賢しらなことは時として自らの首を絞める。
例え全てが詭弁に過ぎないとしても、半ば押し付けられてきた恩が、義理が、君に抵抗も反駁も許さなかった。
庇護者である君の父が死に、組の者からはお嬢と呼ばれ、荒事からも穢れからも守られて、何も見せられずに知らされずに育てられてきた、誰からも愛されてきた君の元に、責任という厄介が流れ着いてしまった。
ぽっと牡丹が開く様に、それは唐突なことだった。実に理不尽なことだっただろう。
けれども、それは、守られてきたこれまでのことを思えば云々と、取り返しのつかない不可逆の時間を逆手にとって、これまでの君の半生に一方的に注がれてきた有形無形の担保を盾にされて仕舞えば、最早、どんなに誠実に言葉を並べても逃げられるものではなかった。
美談とは、何であろうか。
君の身に降りかかる試練は、その試練に向き合い、逃げずに立ち向かう君の姿は、美談となり得るのか。
美談になり得たとして、それは、誰にとっての物語だろうか。
君は、生まれた瞬間から、宛ら宿命の蜘蛛糸に絡め取られた蝶々の様である。
愛を施されて育てられ、その愛故に、自分以外の誰かにとっての正解を選び取ってしまった君の、その悲劇的なその生涯は儚く美しいものだろう。
だが、君にとっての真実は、一体何処へ。
儚くも美しい悲劇の舞台には、君の姿だけが無かった。
然らば、どうしてこの物語に、かたるだけの意味があろうか。君のために、物語るだけの意味があろうか。それはまさしく欺瞞だ。欺瞞でしかなかった。
だから、君を探さなくてはならない。君の真実と向き合わなければならない。
矛盾を呑み込み、欺瞞を受け止めて、汚穢をそのままに携えて。
剥き出しの我が身を晒す勇気をこの手に。生を生と思わず、死を死とも思わず。目の前の君に向き合わなければ。僕たちの欺瞞を捨てる必要はない。欺瞞と向き合い、この恥を抱いて生きる勇気をください。
そのためにも僕は君を探さなくてはならない。君のことを知らなくてはならない。君と語り合わなければならない。
君を見つけるまで、誰も寝てはならぬ。