ロアナプラより愛をこめて   作:ヤン・デ・レェ

6 / 36
これはもう一つの世界の夢です。胡蝶の夢のようなものです。この世界で、彼女はロベルタと呼ばれていました。この話は、ロベルタがロザリタとなり、ロザリタがどうして男と出会ったのか。その前日譚であり、彼女が狂った理由でもあります。この物語とは全く関係が無い話であり、またこの物語の中のロザリタの記憶には残らない白昼夢ではありますが、人生の途中までの背景は同じであり、影響は確かに残しております。ロベルタが何を望んだのか。ロザリタがなぜ"あんなダメ男"を選んだのか。その理解の一助となる独白です。今回はロベルタの絶望と悲願の独白です。次回がロザリタの狂喜と救済の独白になります。今回は暗いです。救いはありません。救いは明日の深夜零時までお待ちください。

アンチ・ヘイトが機能します。ラブレス家が絶対正義で最高で完璧で大好きな人は絶対に読まないでください。好きでも嫌いでもないor嫌いか苦手な方は読んでいただいても差し障りありません。副題は『偽善者気取り』です。


ロザリタ / ロベルタ 前

 

 

 

 

 

 

 

 

ごきげんよう。

 

私の名前はロベルタと申します。

 

誇り高き南米十三家族が一つ、ラブレス家で女中(メイド)としての肩書を拝領しております。

 

以後お見知りおきを。

 

さて、突然ですが私は世界で最も幸福なメイドでありましょう。なぜならば、私のご主人様は次期ラブレス家当主であらせられるガルシア・ラブレス様。若様の専属メイドとして、特にそのお傍にお仕えすることを、現当主でありますディエゴ・ラブレス様がお許しになられたからです。

 

以来、私は粉骨砕身、何よりも若様の為にメイドとして学び、実践し、自省に努めてまいりました。若様はお若くして大変聡明でございます。心優しく、私のような、決して若様のような高貴なお方のお傍に仕えるに値しない、口にするのも憚られる行いを重ねてきた者にも、分け隔てなく接してくださいます。細やかなお心遣いに、ロベルタは胸を高鳴らせることもしばしばにございます。

 

まだまだお若いが故に、オイタも少々なさりますが、そのようなことはお戯れにすぎませぬ。あくまでも、若様の本質はご立派な御父上様の跡を継ぐに相応しい、貴族の鑑のような清廉潔白な御方なのです。

 

私は、この身から出た錆故に、大恩あるラブレス家にとって災いを呼ぶ存在でしかありません。その思いは望まぬ形で、或いは最もふさわしい形で私どもの身に降りかかりました。悲劇はいつでも理不尽に、抗う術を持たぬ弱き者にほど、また見舞われるべきではない者にほど降りかかってしまうのです。ラブレス家には、都合二度、どちらも私の存在が故にその不幸に見舞われてしまいました。

 

一度目はご領地よりレア・アースが産出した際に、不届きにもその利権を貪ろうとカルテルが現れ、彼らの存在がラブレス家の平穏な日々に暗い影を落としました。彼らは土地をご当主様に要求しました。当然、ご当主様は毅然とした態度でこの要求を突き放しました。結果、彼らは野蛮にも若様を誘拐し、その身柄を以てラブレス家へと脅迫を、そして報復をせんと計画し、実行しました。私はメイドとして必要な素養に恵まれませんでした。ですが、なんとかこの身に受けた大恩を返すべく、悍ましい過去の記憶を引きずり出し、狂犬としてではなく、ラブレス家の番犬として銃を握りました。若様を救うべく、魔都ロアナプラに乗り込み、種々の困難と不愉快に直面しながらも、この穢れた街から若様を無事にお救いすることが叶いました。

 

そして二度目には、ご当主様が犠牲になられました…私という影の安全を確かなものにするべく選ばれた道は、不幸へ続く道だったのです。悔やみきれないことです。あぁ、もしも私がこのラブレス家にさえ頼らなければ、と何度考えたでしょうか。私はメイドとしての本分も忘れ、一匹の獣として、復讐の鬼として、その身を更なる外道に堕としました。私のことなど捨て置いてくださって構わなかったのに、なんと、若様はもう一人のメイドであるファビオラと共に、悪しきロアナプラへと、地獄へと乗り込まれたのです。ただ、私のことを救うために。勿体ない。なんと勿体ないことでしょうか。私は我を忘れ、自身の主人すら忘れて、破壊と死をまき散らすだけでした。私が出来たことはそれだけであり、結局何も、ラブレス家には返すことが叶いませんでした。

 

無作法にも暴力によってしか若様をお救いすることもできず、また剰えその暴力を以てしてもラブレス家に恩返しをすることさえ叶わなかった私を、それでも若様は家族だとおっしゃいました。そして、この穢れ切った私と共に歩んでいくことを選ばれたのです。貴方に選ばれることが出来て、貴方が私の全てを背負うとおっしゃられて、私は天にも昇る心地でした。あぁ、主よ、私は遂に…。遂に…ぇ…ぁ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…私は今、何を考えた?何を観た?何を知った?何を得た?何を憎み、何を愛した?何を、しんじた?何を、何を、見せられた?

 

どうしてそんなに楽しそうなんだ。どうしてそんなに嬉しそうなんだ。どうしてそんなに幸せそうなんだ。どうしてそんなに穏やかでいられるんだ。どうしてお前はそんな奴に尻尾を振っているんだ。まさか忘れたなんて言うんじゃないだろうな。まさか絆されたなんて言わないよな。

 

どうして、私を置いていくんだ。どうして、彼らを置いていくんだ。

 

あんまりじゃないか。あんまり、じゃないか。私はどうなるんだ。私は、散々使って、あとはポイか?私は、私のことだけ置いていくのか。私のことを忘れるのか。私のことを否定するのか。…じゃぁ、いいよ。要らないよ。なんでだよ、どうしてだよ、ずっとずっと一緒だったのに。私は私に出来ることをしただけなのに。ベストを尽くしただけなのに。自分の信じたものが間違いだと知って、それでもそれしか出来なかったから。

 

…それも、言い訳。全部言い訳。私は赦して欲しいけど。赦して欲しいわけじゃないの。私は、飼われたかったわけじゃないの。飼われざるを得なかったの。そうした方が好い気がして。都合が良くて。自分が綺麗になった気がして。汚れを落してもらえるような気がして。少しでもマトモに、明るい道を歩けるようになった気がして。私と言う人間を、誇りに思えるような気がして。自分の過去に、意味を持たせることが出来るような気がして。自分が確かにそこにいたことを、覚えていてもらえたような気がして。でも、きっとこれも言い訳なのね。言葉では、幾らでも取り繕えてしまうもの。言葉とは便利なものだから。

 

…。

 

…私は、沢山の人を殺してきました。沢山の人を。老いも若きも。男も女も。この手で殺してきました。私の手は真っ赤に汚れています。私は罪を犯しました。その罪は重く。私は私の良心を見て見ぬふりをしながら、ただ只管に任務に没頭しました。

 

私はFARCが麻薬カルテルと手を結んだと聞いて、組織に疑問を抱きました。そして、間もなく私は脱営し、唯一の伝手を辿りラブレス家にご厄介になることになりました。私はそこでガルシア・フェルナンド・ラブレスと出会い、長い時間をかけてロベルタとガルシアは恋仲となりました。大変なこともあったけれど、二人は末永く一緒にいましたとさ。ロベルタは、終生ガルシアを愛し、ガルシアもまたロベルタを愛しました。ガルシアはプロポーズの際にロベルタの罪を一緒に背負うと言いました。ロベルタは感激して、ガルシアへの愛を強めました。ロベルタとガルシアの道は前途多難でしたが、女中のファビオラの力も借りて、三人で仲良く穏やかに修道僧のように暮らしました。レア・アースのお陰で家自体は上向きに、三人は飢えることはありませんでした。生活は豊かでしたが、かといって必要以上の事業を起こすこともなく、今は亡きご当主様ディエゴの遺志を継いで立派な貴族になりました。時折、ロベルタが厄介ごとを呼び込むこともあったかもしれませんが、三人の仲は終生良好で云々かんぬん…。

 

…。

 

ファビオラは去り際にこう言ったそうよ。ロアナプラは穢れた街だって。

 

確かにそうかもしれないわね。両者は相いれず、喧嘩別れとなってしまったのでした。ベネズエラに戻った三人は、清く正しく美しく。苦労もしつつ、楽しく、健やかに暮らしました。ガルシア少年の人生は長かったかもしれませんが、彼の隣には愛するロベルタの姿が常にありました。ガルシアは幸せでした。彼は清く正しく美しかった。実に素晴らしい人間でした。人を傷つけることもなく。人から物を奪うこともなく。人を貶すこともなく。本当に本当に、何処までも善人でした。満たされていて、漲っていて。ロベルタはそんなガルシアを終生支え続けました。ガルシアはロベルタを支え、ロベルタもまたそれに答えたのです。

 

そう。答え、たのです。

 

そこには正解と不正解があったのです。正しいとか、悪いとかがあったのです。

 

彼女は答えなければならなかったのです。

 

家族と言う言葉に阻まれて。家族と言う言葉に縛られて。唯一人、罪と向き合い続けるしかなかったのです。恥知らず二人に囲まれて、余りにも惨めな時間を、生き延びるためには受け入れなければなりませんでした。何にも気づかないふりをして。見て見ぬふりをして。外から見た時に、さぞかし美しいだけの三人の、その景色を崩してしまわないように。家族が家族でいられるように。受けた恩を仇で返さないように。受けた恩を忘れたと詰られないように。ガルシア少年の清く正しい選択を賛美し、その生き方を絶対的に尊敬し、尊重し、どれだけの理不尽にさらされても、楽しい、嬉しい、幸せな姿を、求められている答えを導き出さねばなりませんでした。立派な貴族のご当主様をしっかりと立てて、義務を履行したと実感できる程度に弱者には施しを与え、目についた悪漢に正義の味方よろしく裁きを与えて、家訓を守りつつも三人が丁寧で豊かに人生を送っているのだと思い込めるように、過去の自分を否定して、ロベルタとして生きて行かなくてはなりませんでした。負い目に縛られ、恩に縛られ、善意に縛られて。引きずり出されて歩かされる日向の道から、落っこちないように、最早世界のどこにも行き場所のない彼女は、ガルシア青年の立派なワンちゃんになったのでした。ワンワン。鳴けと言われれば鳴きます。だって、今度こそ何もなくなってしまったから。テロリストとしての自分も、メイドとしての自分も奪われて。そこにはガルシアの恋人としての肩書しかないのだから。彼に縋るという手段しか、彼女には何もありません。だって全ては間違いで、ガルシアの正義だけが残っていたからです。ダメだと怒られ、否定されると、何もできなくなってしまいます。お金もなく。武器もなく。貴族としての矜持とか、目に見えない何かに支配されることになってしまいました。支配者が変わっただけなのです。昔の飼い主と同じで、思想とか主義とか、そう言うものが今の飼い主のお気に入りです。今度はもっと酷いものです。彼には悪意と言うものが無く。善意ばかりでモノを言います。彼が命令することはなく、何かを頼みたい時は決まってお願いするのです。ロベルタは断れません。もうどこにも行けないから。世界で自分の存在を喜んで許してくれるのは、最早ここしかないのです。ここしかないので、ここは世界で一番素晴らしい場所に違いありません。きっとそうなのです。だからロベルタは幸せにならなくてはなりません。ガルシア様に愛されている限り、ロベルタは必ず幸せなのです。

 

 

 

 

 

 

地獄までの道は、善意で舗装されているのです。恥知らずの、混じりけのない善意によって。

 

 

 

 

 

 

 

 

人間と言うものは、難しい生き物なの。どうしたって、完璧で角の立たない答えなんて導き出せないの。だから誰かが割を食うし、必ずどこかで誰かが泣くの。私は泣かせる側だったかもしれないし、泣かされていたのかもしれない。けれど、今となってはどうでもいい事なのよ。

 

人間と言うのは、難しい生き物なの。失ったものばかりに目が向いて、どうしたって奪われたことばかりが記憶に残るの。傷つけられた記憶ばかりが残っていくの。自分が傷つけたことは脇に置いて、ね?

 

人間と言うのは、難しい生き物なの。あれだけ望んでいたものなのに、手に入ればそこで満足してしまうの。もう一度、その感覚を失う前に戻りたがるの。満足したらいけないの。満足してしまったら、不足を失うのよ。

 

人間と言うのは、難しい生き物なの。自分が憎んでいたものも。自分が許せなかったことも。自分に都合が悪くなると変わってしまうの。自分に都合が良くなると変わってしまうの。好きなことは憎むべきものに。嫌いなものは愛すべきものに。理由を付けて、こじ付けて、託けて、言葉を弄して。自分に嘘を吐いて、正しいことを求めてしまうの。正しいことに近づけたがるの。自分は間違っていないって、ありとあらゆる手段を使って。自分を誤魔化していくのよ。一度、それをしたが最後。後から気づいて後悔するけれど、戻ったら周りから何を言われるかわからないから、怖くてそんなことは出来ないの。悩んでいるうちに沖に出て戻れなくなってしまうの、そこから先は進むだけ。溺れ死ぬのも考え物ね。あらゆるものから、真実が失われるの。全てがまやかし。でも、現実だから逃げられない。ずっと、ずっと。終生、まやかしに心と体を蝕まれながら生きなくちゃいけないの。そうするしか、生き延びることもできないから。

 

悪いことって何かしら。良いことって何かしら。

 

間違ってることって何かしら。正しいことって何かしら。

 

…全部全部、まやかしなの。酷い夢。悪い夢。

 

若様、若様って…。ふふふふふ…可笑しくなっちゃうわ。あぁ、可笑しい。言葉遊びよね。全て全て。

 

ねぇ、若様。私ね、忘れてないのよ。あなた、確かに言ったわよね。猟犬は死んだって。そして、こうも言ったわね。私の罪を一緒に背負うって。

 

ねぇ、どっちなの。死んだ猟犬に、首輪をつけることを選んだのかしら。

 

あのね、この際だからハッキリ言ってあげる。あなたのそれは、偽善ですらない。

 

あなたも、ファビオラも。偽善ですら、ない。

 

どうして人は語り掛けるのかしら。去り際に、どうしてあんな言葉を吐いたのかしら。

 

この穢れた街で踊り続ければいい…って。でも、それって私のいままでと、私のここまでの人生と何が違うというのかしら。これからの人生と、何が違うというのかしら。狂っている。狂っている。あなたたちって、使う言葉がまるで一緒ね。語彙が足りないのは、相手を理解できていないことと同じだわ。

 

去り際に言葉を掛ける必要などなかった。勝者はね、黙って去るのよ。背後には死体しかいないから。

 

去り行く者が、去られる者に言葉を掛けるとき、それは悪趣味な勝利宣言か、あるいは相手を理解できなかったことへの負け惜しみなの。

 

去られる者が、去り行く者に言葉を掛けるとき、それは負け犬の遠吠えであり、同時に無理解への嘲笑なの。

 

去るも去られるも、遣り残したことが何一つないのなら、そこには沈黙のみが存在を許されるの。

 

あなたたち、私がどうして人を殺してきたのか、どうしてこんなに苦しんだのか、どうして狂ってしまうのか、何一つとして理解していないでしょう。理解していない。理解していないにもかかわらず、知識だけで知った気になっているの。知った気になって、好き放題に私に言うの。物分かりの悪い子供に諭すように、ね。この子は全く仕方がない子だ、って言うように。可哀そうだとか好き放題に。本当の私…そういうことも、言ってたわね。私の本当の姿。あなたの中にある本当が、私の本当だなんて…まさか思っていないわよね。

 

でも、そうでも勘違いしていないと、私の罪を背負うとか、そんなことは言えないハズよ。

 

温かい家族。穏やかな日々。優しいご主人様。清く正しいご主人様。そ、素敵。でもね、全部全部言葉遊びなの。

 

昔気質なのは時代遅れで過去の栄光に余裕を感じている傲慢から。余計な事業を起こさないのはそもそも実力が無いからか、はたまた自称清貧なことがステータスだと勘違いしているから。

 

そもそもね、どうして私に何も言わないの?…何のことか理解できないって顔してる。いいわ、教えてあげる。偽善者が一番好きなことは何か、をね。

 

偽善者が一番好きな物、それはね、自分を綺麗に保ったまま、誰かの為に行動することよ。

 

誰かの為に行動する。誰かの為。それはとても甘美な言葉。自分に益が無いと錯覚させ、否応なく相手への協力を強いるの。或いは、協力を拒否した相手に罪悪感を残すの。協力を断った相手の都合を何も知らずに、それでも相手を詰る為の口実を与えてしまうのよ。よりにもよって偽善者気取りにッ!!!

 

偽善って言うのはね、自省しながら行う善なの。偽善じゃない善はね、自省しながら行った善が、たまたま日の目を浴びたものなの。

 

そして偽善気取りはね、『良かれと思って』行う善なのよ。善を自覚して行う善は、何処まで行ってもヘドロみたいな悪臭を放つの。

 

誰かの為に。あなたたち、ずっと、ずっと、そう言ってきたわよね。予防線であり、保険であり、逃げ道。

 

違うでしょ?自分がしたいからするの。自分が望んだからするの。その方が都合が好いから。嫌なら別のことをすればいい。勿論、選べない場合もあるわ。だから、彼らを責めるのはお門違いかもしれない。でもね、誰かの為だなんて言葉は不誠実よ。力が無かった。それだけよ。シンプルで、どうしようもなく残酷なの。残酷だけど、責めるには余りにも後ろめたいことが多すぎるから、恥を知る人だけは彼らを責めることも、はたまた知ったように語ることもしないのよ。出来ないのよ。そんな卑怯で恥知らずなことはね。

 

さて、ここで一つだけ聞きたいの。若様、あなた自分が被害者だって一度だって思わなかった?一度だって、自分は間違っている側だって疑ったことはあるのかしら?あなたのお父様は何かをその不用意故に踏み抜いたんじゃないかって考えなかった?お父様が何か、間違いを犯したのではないかって、一度でも頭を過っていれば、お父様の墓前で私に、疑問を否定されることで自分を肯定されること前提の疑問は投げかけなかったわよね。お父様は殺されるほど悪いことをしたのかなって?…その魂胆が、私の憎んできたものだとも知らずによくもぬけぬけと…。或いは、そのことを疑問に思うことはなかったのかしら?

 

滅茶苦茶よね、ホント。でも、実際のところはどうだったのかしら。あなたは日向を歩き慣れてる。日向しか知らないから。自分が清く正しく生きてきたから。ファビオラ、あなたもよ。あなたは自負ね。貧しい環境で、それでも努力して掴んだまっとうなお仕事に就いていることへの自負。ご当主様も、きっと何一つ自覚なんてなかったのね。だから死んだのよ。一度、カルテルに息子を誘拐されておきながら。リスクから目を背け続けたのね。幾らでも手段はあったはず。いえ、なかったならなかったで、あなたには持ち物があった。まだまだ切れる手札があって、けれど切らなかった。

 

あなたたち偽善者気取りはね、沈黙と言葉遊びを愛するの。何も言わない。何もしない。語る時は、美辞麗句と正論だけで部屋が埋まるの。

 

ご当主様は一言として私に言葉を掛けなかったわね。

 

頼む息子を救ってくれとも、或いは敵を殺して息子を救ってくれとも。そこで黙って座っているつもりだったのかしら。息子が殺された、何と悲しい事だろうと、天に祈りを捧げたのかしら。

 

…違うのね。違う。あなたは知っていた。私が助けに行くことを。私が助けに行った結果、沢山の血が流れることも。或いは荘園を譲らなかったのだって、私と言う番犬がいたからじゃなくって?なんとかなるかもしれない。或いは相手を侮ったのか、はたまた脅しをかけてくるような相手に、何の抵抗もみせなかったのか。無抵抗は恥よ。ガンジーは撃たれて死んだわ。

 

若様は、一度として私にお礼を言わなかったわね。

 

助けてくれてありがとう?違うわよ。

 

自分の敵を殺してくれてありがとう。自分の為に人をたくさん殺してくれてありがとう。自分の所為で人を殺させてしまってごめんなさい。僕が一人として人を殺さずに済んだのは君のお陰だって。手を汚させてしまってごめんなさいって。

 

言ったかしら?

 

…。

 

ほ・ら・ね?…あなたのどこに、私の罪を背負う覚悟と言うものがあるのだ。重いものを持つにはね、相手のことを少しでも理解する努力が必要なの。けれど、あなたの語る言葉には全てに答えが用意されている。ロベルタならこう答える。ロベルタならこういうに違いない。ロベルタなら…。あなたの中のロベルタは、私ではない誰か別の、自分にとって都合が好いだけの何かなの。あなたは私を、レヴィよりも強いと言って自慢した。私が強いと、どうして貴方が誇らしいのかしら。レヴィって女よりも、沢山沢山人を"倒せる"と思ったからじゃなくって?ねぇ、教えて欲しいの。"倒せる"って、なに?"倒す"って、何で?どうやって?どうしたことが"倒した"ことになるの?倒すってことは、殺すことでしょうが。違うのかしら?頭の悪い、私に教えて頂戴な。私はどうすればあなたにとって強いの?強いと、どうして誇らしくなるの?まさか箒を持ってはたき倒すとか言わないわよね?銃を持ち、肩に刺青が入った、殺しを厭わない相手よりも強いことに、非殺傷が伴うとでも考えていたのかしら。考えていなかったのならばお間抜けで。そうじゃないなら、ただの無恥よ。あなたは、確かに自分が救われるということが、どういう意味になるのか理解していた。知っていた。相手が私に殺されて死ぬということが、つまりは自身の自由に繋がると。

 

私は、あなたにとって強い存在なのね。憧れてくれたのかもしれない。慕ってくれたのかもしれない。でもね、あなたの言葉には打算も悪意もない所為で、全て空虚に聞こえてしまうの。人間は、誰しも立派になれる、強くなれる、優しくなれる。あなたはあなたの短い人生の中で培った、そういった価値観を、そっくりそのまま相手に押し付けて悦に浸る、知識と賢さを履き違えた、ただの育ちが良いだけのガキよ。信じ込んでいる、世界の理を理解したつもりになって、勝手に諦観して、勝手に憤って、勝手に罵倒し、勝手に自賛するのよ。自覚も自省もなくね。誰かの為、貴族としての矜持とか義務を持ち出して、自分勝手に奮い立って、等身大の自分を顧みずに大きくて強い便利な鎧に守らせてるの。自慰と、何が違うの?あなたが想像しているよりもずっと、あなたは恐ろしいほど丁寧に、徹底的に、これまで積み重ねてきた私の全てを否定して、私が私の身を守るために身にまとってきた泥を、汚れを、お節介にも引きはがし、洗い流そうとしたのよ。そこには迷いも疑いもなくて、私がどれだけの葛藤を抱えて来たのか、とてもとても理解できないでしょうね。あなたは自分の都合で、私にその泥がついた経緯も、その汚れを被った理由も知らずに、臭いからと言って水を掛けたのよ。抜かりなく、私の為にと小癪にも理論武装をしながらね。自分は良いことをしている。相手の為だけを思っている。その人の人生に貢献している。その人の人生を豊かに、より良いものにしていると…全部全部、思い込みだってことに、自分にとってその方が気持ちいいから、都合が好いから、自分がロベルタを思い通りに出来るからだって…理解して物を言って欲しかった。恥を忍んで、それでも前を向くならば、私はあなたを主人として素直に認められた。けれどあなたはそうではなかった。恥知らずにも、温かい日向から、冷たい日陰にホースで水を撒いただけだった。濡れ鼠の私を見て、綺麗になったと笑ったの。寒くて凍える私に向かって、期待だけが渦巻いた曇りのない眼で見つめ、私が感謝を捧げると、如何に自分が正しかったのか、自分の選んだ正義のご褒美を見て悦に浸ってた。自分が正しかったんだと、その証拠を私の口から吐き出させて。あなたは確信を新たにして。自分で濡らした私を日向に無理矢理引きずり込んで、肌の痛みも考えずに、マイペースで私の体を拭いながら、あなたは、一方的に熱のこもった目で私を見つめてた。私の抱える恐怖にも、私の抱える不安にも、私の抱える屈辱にも気づかずに。気づく間もなく、あなたはそのまま大人になっていった。私は期待しただけ無駄だったのだ。深い失望を感じたのは、あまりにも身勝手に過ぎるだろうか。

 

ガルシアもファビオラも、結局のところ子供でしかなかった。余りにも幼くて、その中途半端な賢さが、そのまま愚かしさに繋がったの。あなたたちが去り際にあの街へと吐き捨てた一言は、まるで中世を野蛮な暗黒時代だと決めつける現代人にも似ていたわ。なんて滑稽なんでしょう。現代人は、昔の人より賢かったとでも言うのかしら。昔の人は、今の人間よりも劣っていたとでも言うのかしら。昔の人よりも、今を生きる自分の方が優れているとでも言うのかしら。昔の時代は最悪で最低で、今を生きる賢くて物知りな自分がその時代にいれば何かを変えられるとでも、何かをマシに出来るとでも思っているのかしら。

 

うぬぼれるのもほどほどにしろ。

 

あなたたちがやってることは、まるっきりコンキスタドールそのままよ。正当化するのばかリお上手なのね。知識の多寡で人を量る様は、見ていられないほど醜悪だわ。吐き気を催すほどに、それは自己満足でしかない。彼らは考えた。彼らも、考えるの。足りない物を満たせるように。足りない何かを補えるように。必死に探して、必死に信じて、必死に抗って…だから今があるのよ?彼らの遺した知識を踏み台にして、だからあなたたちは高い所に立ててるの。視野が中途半端に高いせいで、それを広げることを不要と断じているの。だから自分が賢しらな気になっていられるの。あなたたちが侮蔑し、吐き捨てた言葉は、躓き蹲る弱い人間全員の運命と境遇を自己責任と努力不足だと詰るものであり、様々な理由で正しく生きられなかった人間全員への侮辱であり、己の無恥の他ならぬ証左なのよ。ハッピーエンドを迎えて、自分が勝った瞬間に、あなたたちは善悪の彼岸を、まんまと見誤った。正しい者は勝利へと導かれるのであると、自分たちの正しさが導いたのだと。目の前に、もう一人の偽善者気取りがいたせいで、まんまとその瞳を曇らせたのね。わかりやすい穴を見つけて、そこに自分の恥を埋めたのよ。肉が腐ればいずれ膨らんでくる。耐えがたい腐臭をまき散らしながら、ね。

 

誇り高い生き方の裏で、どれだけの人間が死んでいったのか、忠誠の代価がどれほど血腥いものであったか。あなたたちは終ぞ、理解しなかった。知ろうともしなかった。何時の日か、あなたたちは語るのでしょうね、アレは大変だったねと、教訓を得たねと、恐ろしい体験だったねと。賢しらに、習うものも学ぶべきも無いと思いつつも、まるでさぞや深い見識と思索を重ねたかのような口調で。さしあたり哲学者気取りも追加ね。だってあなたは誰も殺さず、そもそも自分の手が汚れたなどとは思ってもみないことだから。

 

あの戦いで、どれだけの人が死んだであろう。彼らにも家族がいたのかもしれない。愛する誰かがいたのかもしれない。その人生は真に何か、自分以外の為に捧げられたものだったのかもしれない。善業を積み続けてきた人生だったのかもしれない。或いは。或いは。

 

…あなたたちの理性は、あなたたちの手持ちの偏見で埋められていて、あまりにもお粗末だ。ピン止めされた蝶ばかりを眺めていて、表面上の美しさに目がくらんでしまっていて、磔にされた蝶への哀れみをどこかへ落っことして来てしまった。視野が高く、狭い。整然としていて傷のないピカピカの知識だけで身を固めて、受け売りの思考だけで物事を判断している。それは、とても、とても罪深いものだ。あまりにも無恥、無恥に過ぎるのよ。

 

貴族としての矜持で、あなたはどれだけの人を救ったのだろうか。貴方の御父上は本当に聖人君子のようであったろうか。より大きな事業を起こせば、より多くの人を救えたのだとは考えたことがないのだろうか。貴方を守るために荘園を売るなり、レア・アースを売り、武器を手に入れるなり、護衛を雇うなりと抵抗することができたのではないか。あなたさえ攫われなければ、ロアナプラに私が向かうこともなかった。私は誰も殺さずに、穏やかな生活を続けていたかもしれない。タラレバに意味はないが、過去に学ぶことは未来への投資であるはず。あなたたちは過去を美しい景色として眺めるばかりで、結局何一つ動かなかった。したことと言えば、私の代わりを用意しただけ。私に用意させただけ。私が憎んだ人殺しの技術を指南させただけ。

 

殺す方が悪いに決まってる。悪いことをする方が悪いに決まってる。そうよ。えぇ、そうよ。その通りなのよ。だからね、だからなのよ。私は我慢が出来ないの。その悪いことが、弱いことだと堂々と宣言して憚らなかったあなたたちのことが。

 

ねぇ、教えて。私を納得させて。ガルシアも、ファビオラも、一人として自分が殺した相手のことを思いだすことはあるかしら。もしもあるなら、それは正しい事なのよ。そして、もしも思い出さないのなら、それは正しくないことなのよ。正しいか、正しくないかは、私が許せるか、許せないかの違いだけれど。もしもね、あなたたちが、自分の所為で死んだ人間に想いを馳せる事すら出来ない人間だったなら、その時は私があなたたちを殺してやりたい。だって、あなたたちは、つまりは、理由があれば死んでも仕方がない人間がいるって、心の底から信じて疑ってないってことでしょう。そのことが、正しいことだって、世界のルールだって思ってる。容赦なく殺せるし、手向けの言葉も必要なくて、その人たちの人生には、命には何の価値も意味も認めていないの。

 

でもね、たくさんたくさん、人のことを殺してきた私が教えてあげる。彼らを顧みないということはね、そっくりそのまま、彼らが殺してきた人間にも、なんの価値もなかったんだって、意味のない存在なんだって、大きな声で喚き散らしてるようなものなのよ?あなたたちが、私や、ロアナプラに住む人間たちに言った言葉はね、そこに行きついてしまうのよ。価値が無い。価値を認めない。意味を見出さない。そもそも、あなたたちには罪悪感が薄いのではなくって?それはもう、彼らは悪者だものね。映画の中の悪者よりも、余程残忍で好戦的で…きっと沢山の人を傷つけてきた。けれど、あなたたちは、彼らをまるで同じ人間だとも思っていなかったのでしょう?立派なことを何一つしたこともなかっただろうとも、決めつけていたのではないかしら?あなたたちの、その全ての思考が、思い込みが、勘違いが、まるっきり、私の全てを嬲りモノにしてること、そろそろ気づいてみたらどうかと思うのは…私のわがままなのかしら。

 

全てが終わって。仲睦まじく静かに穏やかに暮らしてるうちに、私だって流石に気付くのよ。そのうち、気づいて唖然とするの。死にたくなるの。自分の周りを囲む塀の高さに、理解してもらえない、理解できないその高さに。絶望することも、許されないの。他にはどこにも行くところが無くて、他に生きる方法も思いつかなくって。これまでの人生全てを捨てて、その結果手に入れたものがコレだってことに、他ならぬ自分が認めたくなくって。でも信じたくて。だって、信じている間は自分の罪に向き合わなくても済むから。その罪に、この場所に至る為に価値があるんだって、自分で自分を誤魔化せるから。

 

仲睦まじく、するしかなかったんじゃないかしら。あまりにも、義理とか、恩とか、そういうものに雁字搦めにされてしまって。殺しすぎて、誰も信じられなくて。どこにも居場所がなくって。やっとこさ手に入れたと思ったその平穏でさえも、燃え盛る家の隣で三人で蹲ってるようなものなのよ?まるで信じられない。どれだけ神様は私のことが嫌いなんだろうって、悲劇のヒロインぶるのも忘れずに。ただ、感慨も、悲劇も、すべてすべて一過性の物なの。そんなものは、感情の高ぶりで、ほんの直ぐにいなくなるの。残されたのは虚しさだけ。私の価値も、何もかもに向き合わず…いえ、盲目なのね。初めから。全てを履き違えた、自分を賢いと思いこんだ子供二人と、永遠に死ぬまで、おままごとを続けなくちゃならないなんて。気が狂わない方がオカシイの。気が狂ってしまえば、後は何も考える必要も、思い悩む必要もないのだから。死ぬまで子供に世話を焼かれ続ける人形になるの。子供二人は滑稽に踊るわ。私の気狂いを、何か別の物の所為にして。別の誰かの所為にして。可哀そうだ。気の毒に。ロベルタをこんな風にしたやつを、僕は絶対に許さないって。年を重ねて、私の世話をすることに飽きて来ると、思考が流れてこう変わるの、あぁ、老いた妻を介護する自分はなんて素晴らしい人間なんだろうって。そしてこう思うのよ、どうしてこんなに僕たちだけが酷い目に遭うんだろうって。清く正しい自分たちが、どうしてこんな目に遭うんだろうって。そして最後は…そうね、こんなに可愛そうな妻を見過ごしては置けない、せめて僕が自分の手で送り出そう…とか何とか言って、勝手に覚悟を決めて、勝手に私を殺すのかしら。それとも死ぬまで面倒を見て、自分の隣に埋めてくれとか、彼女の隣に埋めてくれとか、そういうことを言うのかしら。

 

…結局、あなたたちは、不幸になってもいい人間と、そうじゃない人間がいることを、自分の中で正しいことだと思い込んだまま死んでいくのでしょう。理由があれば死んでもいい人間がいて、死ぬべきではない人間がいて。あなたたちは、自分に命の取捨選択ができるほど、自分の命を上等なものだと思い込んでいるの。そうでなければ、どうしてそんな発想になるのかしら。あの人は死ぬべきだ。あの人は殺されていい様な人間じゃなかったって。その人の人生の全てを知っているわけでも無く、ただただ、世間一般の、大多数の意見と照らし合わせた時に、自分が責められない程度のラインを狡猾に見定めているのではなくって?共感してもらえるように。だって、皆にそうだと肯定されると、まるで自分が選んだ人間に比べて、自分には価値がある人間だと思えるでしょ。自分は要らない人間じゃないんだって。だからね、人は人を選別して、価値のない人間にはどこまでも冷たくなれるの。そのことに、何の疑いも抱かないの。

 

ロアナプラの街であなたたちが見たこと、聞いたこと、それらをどう解釈したかで、どう思い、どんな言葉を吐いたかで、あなたたちの価値観が、偏見が、丸裸にされたのよ。あなたたちは、あの街を、街中の悪党を、まるで何か巨大な悪の概念そのものだと感じたのではなくって?孤軍奮闘する自分たちを、美しい絆で結ばれた、高潔な騎士団か何かだと。正義の使徒か何かだと。御可哀そうな婦長様、彼らのような悪党が世に蔓延るせいで、彼らの所為で貴女のような素晴らしい人間が不幸な目に遭われているのですね、と。僕の大切なロベルタをそんな目に遭わせた奴らを、僕は絶対に許さないぞ、と。

 

思い上がりも甚だしい。試していたのはあなたたちじゃないの。あなたたちは、試されていたの。あの街に。善悪の彼岸に。そして、あなたたちはまんまとその罠にはまった。あなたたちは自分の愚かしさの所為で、自分の品性を溝に捨てたのよ。無恥を晒して、自分を顧みることもなく、ただ岸の向こうにいる誰かを罵倒したの。こっちの岸と、あっちの岸。それだけの違いだというのに。あなたたちのいる岸はね、向こう岸と比べて何一つ劣っていないの、けれど優れてもいないわ。ただ、そこにある岸なの。誰もが泳いで行き来できてしまう岸なのよ。彼らが持ちうるほんの小さな良心ですら、あなたたちは斬り捨てたのよ。それがどれだけ残酷で、惨いことなのか…理解できないなんて言わないわよね?

 

極端な言い方だけれど、あなたたちには人を赦す権利もなければ、人の罪を背負うだけの器もない。あなたたちは、鏡に映った自分を先ずは見なければならない。向き合わねばならない。いとも容易く人を殺し、ほんの少しボタンが掛け違っていれば自分がいたかもしれないその場所に唾を吐いたことを理解して、その上で自分の罪を数えなければならない。罪を振りかざす者に、他人に罰を与える権利はないの。罰を与えられるのは、他ならぬ自分だけなのよ。自分で罰を与えた時、自分を赦せるくらい罰を与えた時、その量を知るのは自分だけだから。そして赦しを与えられるものは、自分を罰するに値すると、唯一信じられる誰かだけなのよ。それは赦しであって、赦しではないけれど。自分を罰し、赦すためには、罪を罪とは思えなくなるような、常識を殺せる誰かが必要なの。それがほとんどの場合は司法であり、或いは神様なのよ。誰にも縛られず、誰のことも縛らずに平然としていられる、そういう狂った何かだけなの。だから人は祈らずにはいられず、司法により機械的に縛られることを望むの。私たちは、心の底では、常に他人を下に見てる。自分よりも劣った人間のことしか愛せなくて、自分よりも優れた人間のことを憎まずにはいられない。だから、あなたたちのことを、私は決して愛せない。

 

若様。あなたは、狂犬を殺して、鞭で番犬を手に入れただけなのですよ。ラスカサスの後悔を、あなたは再現したのです。インディオを解放し、代わりに黒人を奴隷にしてしまったのです。ラスカサスは悔やみ、あなたは正義に酔っている。あなたは、あなたの世界で私を飼おうとしている。私の世界を知ろうともせずに。私の世界を、一方的に悪だと決めつけて。あなたは、あなたの父親を奪った男と何一つ変わらない。キャクストン少佐は国益の為だとか、上の命令だからだとか、若様は貴族としての責務だとか、誇りだとか。あなたたちは、そういったものに酔ったまま、現実を実に自分に都合の好いように捻じ曲げ、形ばかりが美しく、実に貧相なものに変えてしまった。革命の狂信者として、人を殺しまわった私と何が違うのですか?どうして、そんな風に他人事のように、実に気の毒そうに、心を痛めたような表情を浮かべられるのですか?まるで私がバカみたいじゃないですか。あなたは、いいえ、あなたたちは…。下品だ。卑怯だ。無責任だ。現実逃避ばかリ。まるで私のようですわ。厚顔無恥にも程があるところまで一緒ね。

 

理由と様式さえ揃えれば、どんな人間でも殺してしまえる人間が信仰するのは、思想とか主義とか理性とか正義とか…あやふやで恣意的で、どうしようもなく無恥な概念だ。お前たちは、ただただ、勝ってしまっただけに過ぎない。偶然にも、勝者の側に立ったに過ぎない。勝者の傲慢を、お前たちは平然と履き違え、その理想の履行や、或いは敗者への罰を、当然の如く勝利の源泉であると同時に、自身の信仰の成果だと信じて止まない。私はソレが、この世界の中で一番に憎い。美辞麗句で埋め尽くされた命令書を、何度読んだか。何度、その通りに任務を遂行したか。意味ある死だと、価値ある犠牲だと。何度語り、自分に言い聞かせて来たか。

 

同じじゃないか。おまえも、おまえも、おまえらも。どいつもこいつも大同小異に腐っているじゃないか。自覚もなく、その死を悲劇で、仕事で、任務であると片づける。何か自分よりも遥かに大きなものに包まれて、毛布の中から銃を撃つ。安全毛布に阻まれて、死臭も血の温度も、何もかにもを自分の心から遠ざけて。一人では持ち上げられないような、大きなものを皆で重たそうに持ち上げて見せる。誰しもが、自分が一番重たいと信じてる。重い理由が、全員が全員、地面に向かって抑えつけてるせいだとも気づかずに。重さを錯覚したまま。何か綺麗で、耳障りのいい言葉。勇気とか、友情とか、そういうもので境を作る。人殺しと、戦果とで。ファビオラ、あなたは何人を殺しましたか?それは貴方にとって何でしょう、殺人件数ですか?それとも戦果でしょうか?自分の体に染みついた、努力して身に着けた技能を、あなたは褒められては嬉しそうにしていましたね。ならばそれは、戦果です。殺した相手の顔を見て、殺した相手に想いを馳せて。戦場を崇高なものだとすることと、人殺しの間にどれだけの違いがあるのですか。あなたはよくて、私はダメだったんですか。私のは、仕事でも、任務でも無くて、ただの人殺しだったんですか。何故でしょうね?

 

簡単です。負けたからです。私よりも強い何かがあって、その強い何かに負けたからです。それだけで、私は私の命にも尊厳にも人生にも、何に価値も見いだせなくなってしまったのです。この、こ、こッの…どこに、正義が、理性が、良識が、優しさが、平穏が、温もりが、意味があったんですか?私は、信じるものを間違えて、だからそれでおしまいなのですか。私の人生は、私の成し遂げたことではなく、私が学び身に着けたことではなく、大きな流れのうねりに流されるがままに弄ばれた結果で決まってしまうのですか。それ、じゃ、ぁぁ…あ、わた、わたしは、なんの、う、生まれてきた、いみあ、いみが、ないじゃぁ、ありませんかぁッ…。そんあの、あんまりじゃあ、ありませんか…。私は、強いのです、努力もしたのです、死ぬような大変な目にも合ったのです、惨めな目にもあったのです、したくないことも、嫌なこともいっぱいあって、それでも前を向いて、どうにか、生きてきたのです。死んだらお終いだって。人をたくさん殺したわたしでも、幸せになれるかもしれないって、皆が、周りのみんなが言うんです。穏やかな暮らしの中で、静かな暮らしの中で、私の幸せを保証するように、まるで私の罪が軽くなったと思ったんです、赦されると思ったんです、赦せるような、他人の人生を背負えるような、その人の罪を赦せるような、立派な方にお仕えできたと、そう思ってたんです。思い込んでいたのです。信じ込んでいたんです。あ、ぁ、ははは…これじゃぁ、まるで、私も同じですね。恥知らずで、どうしようもないバカの一人だったんだ。誰よりも自分を憎んで、その憎悪を、周りにも押し付けてたなんて…ハハハ…な、なんですか、これ?こ、あれ?おかしいな…まるで、バカの集まりじゃないですか。皆みんな、狂っているじゃないですか。汚いものと綺麗なものを、奪い合って、押し付け合って…醜い!汚い!あぁ"ッッッッぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!イヤだぁッ…もう、もう嫌だぁっ…だ、誰か、助けて。助けてください、わ、わたしのことを!他の誰でもなく、私のことを!どうか、どうか救ってください!もう嫌なんです!耐えられない!耐えられないよ!どうしてこんな!あぁぁっぁあぁ…触らないで、話しかけないで、もう、たくさんなのよッ…聞き飽きたのよ。どうして笑っていられるの?どうして誇らしげに胸を張れるの?どうして勝ち誇ったような顔をしているの?どうして憐れんだような顔をしているの?どうして私を指差すの?どうして、どうして私は、私は私を、好きになれないの…。

 

神様。どうか、私を赦してください。わたしはもう、この世界で生きていくだけの気力が湧きません。希望が、未来が、あまりにも。私は、綺麗で温かい平穏が、この世界のどこかにあると信じていたのです。そういうところを作りたくて、そう言うところを守りたくて。そのために、いっぱいいっぱい殺したのです。傷つけたのです。私は、がんばった。それでも、もうどこにも、そんなものは見当たりません。こんなにも、醜くて、汚くて、救いが無いだなんて…生まれてきたことが、まるで間違いみたいじゃぁないですか。希望を、夢を、還してください。二度と見ません。二度と、そんなもののために人生は使いません。今度こそ、私だけは救われる様な、綺麗で温かい平穏を…。でなければ、私は、もう何にも憚らずに、楽な方に、弱い方に、汚れていくしかないんです。私は、人を殺すことが得意だから。織物を紡ぐのが上手い人がいるように、料理が上手な人がいるように。私は人を傷つけることが得意だから。それしか出来なくて。それが、誰よりも上手にできるから。一番になれるから。一番ですよ?一番なんです。他の誰よりも、凄い事じゃァないですか!私と、彼らはどう違うんですか?ルーデルも!シモ・ヘイへも!私と何が違うのですか?勲章の有無ですか?所属する国家ですか?軍服のデザインですか?殺しに貴賤があるとでもいうのですか?だから、私が私のままで、このままでもいられるように、どうかお願いします。私のことを大好きでいてくれる誰かを私に下さい。喜んで人殺しを褒めてくれる誰かを、私に下さい。嘘を吐かない、包み隠さない、美辞麗句で私を弄ばない、弱くて強い誰かを下さい。私が誇りを持てるような、私を赦せる誰かを下さい。弱い私を見捨てないで。強い私を愛して。私に縋って。私を見捨てないで。私のことを、置いて行かないで。独りにしないで。ここは暗くて冷たいの。誰も私を見てくれないの。誰も私を必要としてくれないの。誰も私に選ばせてくれないの。誰も私の、私の想いを、私の夢を見てくれないの。皆自分ばかりを見ているの。おねがい、だれか、聴いて。私を、見て。私を知って。褒めて。罰して。それから、優しくしてほしいの。赦して欲しいの。私だけを汚さないで。私から可哀そうな私を奪わないで。醜い私を見守っていて。おねがい。わたしを、もうこれ以上いじめないで。

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。