たった一人になってしまったマンセマットは。最後の大母の空間に逃げ込むと、頭を抱えて震えあがっていた。
この世界は、文字通り原初の地球そのもの。
周囲を彷徨いているのは、少し覗いた嘆きの胎六層にいるような、原初の荒々しい神々ばかりだ。
まさか、明けの明星が、彼処まで大胆な攻勢に出てくるとは。
そして、デメテルが貸し出してくれたペルセポネは、防ぎきれないと判断するとさっさと逃げてしまった。
母親と示し合わせていたのだろう。
防御を破った明けの明星は、後は一方的にマンセマットの配下達を蹂躙。マンセマットも狙ってきたが、部下全てを防ぐように差し向けて、何とか逃げ切る事に成功した。
だが、分かっている。
あれは、逃がされたのだと。
明けの明星が本気だったら、多分もうマンセマットは生きていない。それくらい格上の大堕天使だからだ。
そもそも天界のダークサイドであるマンセマットだからこそ分かる。ルシファーは勝てる相手ではない。
それに、だ。
ガブリエルの声で、天使達は殆ど最初の段階で逃げ散ってしまった。忌々しい事に、ゼレーニンがガブリエルを従えていたのだ。
あれがなければ、多分明けの明星の攻撃を防ぎきることも出来ただろうに。
それを思うと、忌々しくてならなかった。
必死に次の手を考える。
だが、逃げ散った天使達が行く先なんて、人間共がエリダヌスと呼ぶ地に決まっている。
彼処には七大のハニエルが来ていたし、それで全てが知らされてしまうだろう。
天使達の最大の弱点は思考能力をほぼ放棄していることだ。彼らに隠し事をするという思考回路はそもそも存在しない。
もはや、マンセマットに帰る場所はなくなった。
こうなったら、堕天使になるか。
それとも、全てを無茶苦茶にしてくれたあの鉄船の人間共を皆殺しにして、その首を手土産に。
いや、それでは何も解決しない。シュバルツバースに飲み込まれたら、天界もその影響を受けることは確実だ。
大きくため息をつくと、マンセマットは物陰に座り込む。何とも、天界の誇るダーティーワーカーとしては考えられない、情けない姿だった。
不意に顔を覗かれて、びくりとする。
そこにいたのは、デメテルだった。
「あら。 生き延びていましたのね」
「貴方の娘が勝手に敵前逃亡したおかげでこの有様です。 どうしてくれるのですかオリンポスの豊穣神」
「何を馬鹿な。 あのまま戦わせていたら、ペルセポネは負けていましたわ。 戦いの経緯は全て娘に聞いていますのよ。 それにしてもガブリエルを従えられて、それで大半の天使に離反されるとは」
「だ、黙れッ!」
地金が出てしまうが、必死に気の高ぶりを抑える。
そもそも此奴を相手に勝てる見込みがもうないのだ。此奴の実力は、マンセマットとカマエルとサリエルをあわせたのと、同等かそれ以上。
はっきりいってこの至近距離だったら、勝ち目は0である。
「それで、何をしに来たのですか」
「ああ、お別れを告げに来ましたわ。 貴方には利用価値が無くなりましたので」
「お、おの、おのれこのあばずれが……!」
「負け犬の遠吠え、実に結構。 此処に放置しておけば、いずれ明けの明星なり、あの鉄船の人間達が貴方を見つけて処理するでしょう。 私には知った事ではありませんわ」
その通りだ。悔しいが、もはやどこに行く場所すらもない。
マンセマットは震えながらも、それでも呪詛を喉から絞り出していた。
「鉄船の人間共に殺されるのは貴方も同じだデメテル。 奴らはあのマーヤーすらも退けたのだぞ」
「私は彼らと戦う事などしませんわ。 まあ指摘通り勝てないのが理由ですけれども」
「!?」
「私の目的は別にあるのですわ。 それではごきげんよう。 モーセの逃避行で粋がっていた頃が、貴方の全盛期でしたわね。 もう何千年も前の話ですわ」
文字通り、マンセマットの心に致命傷を入れると、くすくす笑いながらデメテルは消えていった。
意味を成さない叫び声を上げながら、マンセマットは隠れていた場所を飛び出すと。何事かと振り向く悪魔に襲いかかり、頭から丸かじりにした。
流石に狂気を剥き出しに暴れ狂うマンセマットを見て、距離を取った方が良さそうだと判断した悪魔達は逃げるが。マンセマットは気にせず、かぶりついた悪魔を食い尽くし、死んだ後もマッカを貪り喰った。
こうなったら自棄だ。この最後の大母がいる空間を徘徊し、手当たり次第に悪魔を喰らい、力をつけ。
この世界を道連れにしてやる。
あの鉄船の人間共に少しでも損害を与えれば、メムアレフとかいう大母の長に勝てる可能性がそれだけ減る。
明けの明星が人間共に加勢するかも知れないが、この感じる凄まじい力、恐らくはそれでも簡単には勝てまい。
だったら、とことん足を引っ張り、何もかもを道連れにしてやる。
髪を振り乱し、既に真っ黒になっている翼が、更に乱れ荒々しくなっていくマンセマット。
この時、既に大天使ではあらゆる意味でなくなったことを、マンセマットは気付いたが。
もはやどうでもよかった。
見つけ次第、全てを喰らってやる。
以前馬鹿にしていたオーカスと同レベルの精神にまで墜ちた「堕天使」マンセマットは、雄叫びを上げながら、周囲を飛び回り始めた。
(続)
グルースの支配者、大母マーヤーは倒れました。
そしてグルースの戦いで同志も手駒も全てを失ったマンセマットは、ついに堕ちるところまで堕ちようとしていました。
「悪魔を使役する力」をもつ天使は。
正真正銘の堕天使になり果てようとしていたのです。