その姿を見てついにある者が決断します。
その決断が、決定的な運命の変化をもたらすことになります。
序、深層の主
女神デメテルが、嘆きの胎第六層に降り立つ。ちょっとマンセマットをおちょくってきて、奴によって場が引っかき回されるようにしてきた。これで、明けの明星は対策に追われる事になる。
一番の懸念事項は鉄船の者達だ。連中が予定通りに動かなくなることが一番面倒な事態を引き起こす。
二番目が、明けの明星。
奴は単純に強い。故に、此方に干渉される訳にはいかない。
わざわざ愛娘を貸し出してまで、マンセマットに協力してやったのはそれが理由だ。
今、嘆きの胎六層は、多くの実がなる場所になっている。既に改造は完了した。此処は既に豊饒の土地。
デメテルの領土だ。
此処は最初は牢獄だった。混沌に傾いた大母メムアレフが、厄介な秩序陣営や中庸陣営の悪魔を閉じ込めるために作った牢獄。
一番面倒だった唯一神の写し身は人間達がグルースと呼ぶ土地に幽閉し。
更にバアルは勝手にするようにと協定を結んで、その辺に放置した。
バアルはもう何がどうなろうと興味が無い様子で、多数の下層世界をシュバルツバースに作り。次の世界に備えている様子だ。
これについては、牢を抜けた後直接確認した。
はっきりいってその有様は、最古の神と言うにはあまりにも情けないので。デメテルも、もう放置していた。
メムアレフが仮に目覚めたとしても、既にこの土地を侵すことは出来ない。
そして、此処の六層の牢獄には。
歩みを進める。目覚めたその者が、デメテルを認識したようだった。
「そこに誰かいますね。 貴方は……」
「久しぶりですわ、聖母マリア」
「……久しぶりです」
そう。
一神教において神格化された、神の子の母。あまりにも有名なる存在、聖母マリアである。
一神教では偶像崇拝を禁止し、一応神は絶対神のみとしているが。
実の所マリアに対する信仰は篤い。中には、他の神と習合して崇められるケースがあったり。更には日本の隠れキリシタンなどは、観音像に偽装したマリアの像を崇めていたことがある。
つまり聖母たるマリアは、一神教において実の所神に近い存在。
此処にいるマリアは、強いていうならば女神マリア。
勿論一神教では本来そういう事は認めないだろう。
だが、各地にある、特にキリスト教では。その信仰対象としての姿はどうしても非常に印象的である。
偶像崇拝を禁止しながら、結局偶像崇拝から離れられなかった一神教。それがキリスト教だ。
いずれにしても、世界でももっとも影響を持っている宗教、キリスト教において。
唯一絶対の神に次ぐ神の代行者としての圧倒的存在感を持つ存在こそ、この聖母マリアなのである。
実在のキリストの母親であったマリアがどういう人物であったのかなど、それこそどうでもいい。
ただ、信仰の対象だから、女神として此処に存在している。
それだけが、重要な事なのだ。
「貴方は何か企んでいるようですね。 人々を苦しめるつもりか、それとも我欲に基づいた行動か……」
「違いますわマリア。 もう企みは終わっていますのよ」
「……なるほど、理解しました。 間もなく此処に人の子らが来る。 私に出来るのは、その人の子らを試すことだけ。 そういう事ですね」
「ふふ、聡明なことですわ」
指を鳴らすデメテル。
側に歩み出たのは、娘のペルセポネだ。一礼するペルセポネに、マリアは応じる。
「ペルセポネ。 貴方はこれでいいのですか?」
「私は人の信仰と身勝手な神々、双方に踏み荒らされてきた冥界の花。 それならば、せめてささやかな意趣返しをしたい。 それだけよ」
「なんという。 貴方は悲しい存在です」
「同情は結構。 これを」
ペルセポネが引き渡したのは、マンセマットがせっせと作り上げていたもの。
正確にはサリエルがこしらえていたものだ。
マリアは基本的に戦闘を行う神格ではない。だが、力だけは無駄に有り余っている。
これは魔術を展開して、防御を増幅するための道具。
実際には形すらない魔術なのだが。それでも引き渡す事が出来る。
「ただ殴られるのを耐えるだけでは意味がない。 それを使って精々抵抗する事ね」
「はあ。 まあ良いでしょう。 ただ、私なりのやり方を採らせて貰いますよ」
「……」
ペルセポネは、デメテルを一瞥するとその場を去る。
もうこのシュバルツバースで会う事もないだろう。
ペルセポネはオリンポスそのものを嫌っている。デメテルだから何とか姿を見せてくれただけ。
実際には、顔を出すことさえ本来はなかっただろう。
でも、それでいい。
愛娘に会いたいという気持ちだけは、デメテルとしても本当だったのだから。
マリアに後は一言二言話をして、その場を去る。
言った通り、既に此処でやる事は全て終わっている。人間達は、このシュバルツバースと彼らが呼ぶ土地を解析するためにも、実りを集めなければならない。
実りの実体など、デメテルにとってははっきりいってどうでもいい。
顔を上げる。
鉄船が来たのを察知したからだ。
彼らはマリアと戦わざるを得ない。そしてその時には、実りは完成する。他の手は存在しない。なぜなら、彼らがシュバルツバースと呼ぶ土地を解析しなければならないからだ。
ならば、既にデメテルの策はなっているのである。
一旦その場を離れる。如何にこの土地を実質上支配しているとは言え。それでもデメテルにとってリスクがある行動は避けたい。
それに、だ。
五層に潜んでいる赤黒が、万が一にもマリアを倒したらそれはそれで計画が狂う。あれにも、ちょっかいを出しておく必要がある。
さあ、もう少しだ。
オリンポス神族の醜悪な内ゲバに翻弄され続けたデメテルの復讐は、もうすぐ完遂することになる。
そしてその時には。
この星そのものが。デメテルにとって都合が良い場所に変わるのである。
全てが理詰めだ。デメテルは、ほくそ笑みながら、五層に向け動いていた。
赤黒を殺す必要はない。少なくとも、赤黒が余計な事さえしなければいい。
あいつが三層で余計な事をしたせいで、多少の計画の狂いが生じたが、それももう修正ずみである。
これ以上の計画の修正はさせない。
故に、下手に動くようなら拘束はしておく必要があった。
ところが、だ。
赤黒は五層から、インドラの戦車に乗って移動を開始。浅層へ移動する。まさか、直接方舟に接触するつもりか。
五層に入った辺りでそれを察知したデメテルは、少し考え込む。
だが、すぐに凄惨な笑みが浮かんでいた。
赤黒が鉄船の連中と直接接触しても、特に問題は無いか。元々シュバルツバースと鉄船が呼ぶこの世界。
どの道多少の追加知識では、崩壊させる事など出来はしないのだから。
方舟、レインボウノアが再び嘆きの胎に入る。
大物との連戦が続いているが、クルーの負傷者はいても戦死者はでていない。一線級のクルー達の戦闘経験が蓄積されて、それぞれが上手に致命傷を避けているし。医療班も手慣れてきている。前線に出て来ている、メイビーのような元医療班の機動班クルーも存在している。
これから嘆きの胎最深部、六層に侵入することは既に皆に周知されている。六層には化け物のような看守悪魔がゴロゴロ彷徨いていることも。
だが、ゼウスを下し、インド神話の神の力とも呼べるマーヤーを下した今では。
もはや、それらすら手が届かぬ相手では無い。
勿論油断することも出来ないが。
その代わり、過剰に怖れる必要がない相手にもなっていた。
降下を開始する方舟。
もう揺れることも無い。400メートルを超える巨船だが、宇宙に進出した場合、このサイズではまだ小さいという話もある。
いずれこのサイズの宇宙船が量産されることになるのだろうか。
真田さんは、それを見越しているようにも思える。
唯野仁成は物資搬入口で、ヒメネスとともに備える。五層より上の看守悪魔がすっからかんになり。
更にはゼウスがいなくなった事は、六層の看守悪魔達も掴んでいるはずだ。
今までも訳が分からない能力を持った看守悪魔は山ほどいた。
センサーをかいくぐって、其奴らがいきなりなだれ込んでくる可能性は否定出来ない。
勿論、プラズマバリアの性能はあの堕天使ルシファーですら簡単には侵入できないほどに強化されているし。
レーダーも、身を隠すのが得意な悪魔を散々解析した結果、恐るべき強化を遂げている。
それでも、絶対は無い。
戦場を実際に知っている唯野仁成は、絶対というものが存在せず。それを信じる事が如何に危険か知っていたし。
このシュバルツバースで、更に思い知らされてもいた。
方舟が着地。周囲のプラントや野戦陣地は無事だ。姫様が物資搬入口に来る。一神教徒のクルー達も、敬礼は既に欠かさない。
頷くと、姫様は周囲を見回す。
あのゼウスとも真正面から渡り合ったほどの武神だ。
この人が察知できない相手なら、もうどうしようもないだろう。
「悪魔はいないが、違う面倒なのが来ているのう」
「? どういうことだ、姫様」
ヒメネスの言葉に頷くと、マクリアリーを呼ぶサクナヒメ。
すぐに船外のカメラを確認するマクリアリーは。驚いたように、声を上擦らせていた。
「アレックスです! アレックスが、船外に来ています!」
「総員戦闘態勢! 勝てる自信があってきたのかも知れん。 今では危険度は下がったと認知していたが、それでも油断はするな!」
ゴア隊長の声とともに、クルーが更に物資搬入口に増員される。
ストーム1も来たが。ストーム1は、しばし目を細めると、サクナヒメに言う。
「殺気も戦意も感じないが……姫様はどう思う」
「わしも同感だ。 どうやら戦いに来たわけではなさそうだのう」
「デメテルの気配が遠くにある……これは様子を見ていると考えて良さそうだが……」
「あの腹黒が。 何を目論んでいるのやら」
プラズマバリアを解除。野戦陣地は臨戦態勢である。
とはいっても、此処に配置している野戦陣地だけでは、アレックスを仕留めるのは不可能だろう。
そもそも人知を越える戦闘力を今までも見せてきている。
今では、スペシャル達や、唯野仁成やヒメネスがもうアレックスを上回ったと言うだけで。
他のクルーでは、まだアレックスには及ばないだろう。
手持ちを悪魔を全展開されたら、野戦陣地だって蹂躙されるのは確定だ。
つまり、唯野仁成達が出なければならない。
物資搬入口を開く。
さっとクルー達が展開する。最初に飛び出したのはサクナヒメとストーム1である。
その後、唯野仁成とヒメネスも出る。
クルー達が銃を構えるが、サクナヒメが右手を横に。
撃つな、という意味だ。当然だが、ハンドサインはサクナヒメも把握している。
「アレックスよ。 何をしに来た。 今までのそなたの行動を考えると、皆が殺気立つのも当然だと言う事は分かっておるな」
「……武神サクナヒメ、貴方の言葉ももっともね。 ただ、このデモニカは食糧などは生成できても白旗は生成できないの。 こうすればいいかしら?」
アレックスが、光の剣と拳銃を捨て。そして両手を上げた。
そして唯野仁成を見た。
「貴方が今までの唯野仁成とは違うと判断したわ。 故に、全てを話そうと決めたの」
「……他のクルー達にも話をしてほしい。 君が未来の平行世界から来た事はほぼ見当がついている。 具体的に何があったのか、俺とヒメネス、ゼレーニンが何を未来でしでかしたのか、教えてくれ」
「……その前に。 今までに影から確認したのだけれど、ヒメネスもゼレーニンも人間のままなのね。 ライトニングはどうしたの?」
「潰したが。 勿論此方に被害などない」
ストーム1が簡潔に説明をし。流石にアレックスも絶句したようだった。
困惑している様子のアレックスに変わって、ジョージが話す。
「確かにこの巨大な次世代揚陸艦の戦闘力なら、ライトニングなどものともしないのかも知れない。 アレックス、予定通りに進めよう」
「……分かったわ」
「では、降伏を受け入れる。 国際条約に沿って扱うが、かまわないな」
「ええ。 そんなものがまだこの時代には存在していて、私をそう扱う余裕があるのね」
ほろ苦い笑みを浮かべるアレックス。余程の地獄を見て来たのだなと、唯野仁成は悟る。
事実途上国の紛争地帯では、そんな条約何の意味も持たないことが多い。身で味わった事だ。
サクナヒメが、唯野仁成に声を掛けて来た。
「アレックスの方は任せる。 わしは部隊を率いて外を見張る。 どの道科学の難しい話はわしにはわからん」
「ありがとうございます、姫様」
「……アレックスは兎も角、デメテルの動きが気になるのだ。 まあ、奴には何もさせぬよ」
そうサクナヒメが言うと、圧倒的な安心感がある。
両手をあげたアレックスに手錠を掛けようとヒメネスが動いたが、ストーム1が良いと言う。
「どうせ手錠など引きちぎられるだけだ。 そのままでいい」
「そうか、確かにデモニカで超強化されてるからな……その通りっすね。 手錠を無駄にすることはないか」
「唯野仁成、俺と共にアレックスを見張り尋問につきあってくれ。 ヒメネスは、その剣と銃を真田技術長官に届けてほしい。 気を付けて扱え」
「ああ、分かってる」
船内に移動。サクナヒメは十五人ほどの一線級機動班クルーを連れて、外で見張りを続ける。
機動班のクルー達は、サクナヒメにほぼ絶対の信頼を預けているので、全く緊張している様子は無かった。
船内を、アレックスを挟んで、唯野仁成とストーム1で連行する。
いきなり艦橋に連れていくほど大胆にはなれない。幾つか部屋があるので、その中の一つを使う。
部屋に入ると、プラズマバリアを局所的に展開。
この部屋は、方舟が出港する前に、デモニカに経験を積ませる為。ストーム1とケンシロウ、ライドウ氏が戦闘訓練をしていた部屋らしい。
文字通り実戦形式で戦闘をしていたので、プラズマバリアを展開しておかないととてもではないが使えなかったそうだ。
まあスペシャル達の戦闘力を考えると、当然だろう。
椅子や机が部屋に運び込まれてくる。アレックスは周囲を不安そうに見回していたが、ジョージが時々緊張を緩和する為か話しかけていた。
「バディ、彼らに殺意は無い様子だ。 緊張しなくてもいい」
「ええ、分かっているけれども……」
「此方真田だ」
机の上に置かれた端末に、真田技術長官が映り込む。
真田技術長官、真田さんと親しみを込めて呼ばれるこの人は。偉大なる学者にして技術者だが、戦闘能力はない。この場に来るには危険すぎる。遠隔で話をするのは、まあ当然の事とも言えた。
「君がアレックスだね。 私はこの方舟、レインボウノアの設計を担当し、今までも様々な機械を開発してきた国際再建機構の技術長官真田だ。 君が未来の平行世界から来た事は大体想像がついている」
「そう、この巨大な次世代揚陸艦は貴方が作ったのね。 貴方は何者? それに他の異常なスペシャリスト達は何?」
「順番に互いに情報交換をしていこう。 まず国際再建機構からだ。 国際再建機構は、戦後の日本の混乱期に、人型の巨大ロボット鉄人28号を駆って様々な悪の組織と戦った伝説の英雄、金田正太郎長官が設立した国際組織だ。 現在は世界の紛争の半分を解決し、役に立たない国連の代わりに強力な抑止力となっている。 この次世代揚陸艦も、米軍が手放した次世代揚陸艦四隻を国際再建機構が引き取り、その部品を主に使用して建造したものだ」
「聞いた事がない単語ばかりだわ……」
アレックスは更に困惑している様子だ。
ムッチーノが来て、ジュースを置いていく。合成だが悪くない味のものである。唯野仁成が先に飲んで見せて、安心してもらう。
少し迷った後、アレックスはそのジュースを飲んだ。
「君のいた未来には、恐らく国際再建機構は存在しなかったのだろう?」
「ええ。 無能な国連と、先進諸国がやっとどうにか合意して、米軍が建造中の四隻の次世代揚陸艦を中途半端な完成度でシュバルツバースに送り込んだと聞いているわ。 その中の一隻が、本来唯野仁成が乗り込んでいたレッドスプライトよ」
「レッドスプライト、ブルージェット、エルブス、ギガンティックの四隻は、この方舟レインボウノアの素材になった四隻だ。 そうか、あの技術的にも問題だらけの四隻で、このシュバルツバースに突入したのか。 その時点で大きな被害が出たのだろう」
「……私が知っている記録によると、どんなに良い条件でも突入の時点でレッドスプライト以外の三隻は撃沈されたわ。 そしてブルージェットからはヒメネス、エルブスからはゼレーニンしか助からなかった」
それは、また凄惨な話だ。そしてそんな状態では、ヒメネスやゼレーニンは心を病んでしまっても不思議では無い。
更にアレックスは言う。
「レッドスプライトも殆ど座礁同然でアントリアに不時着して、その時点で総隊長のゴアも戦死。 船内に入り込んだ悪魔によって多くの隊員も殺されて、突入前の戦力の80パーセント以上を喪失したと聞いているわ」
「私がどうかしたか」
「!」
ゴア隊長が映像に映り込んだので、アレックスは流石に立ち上がっていた。
ストーム1が鋭い視線を向けたので、無言でそのまま座り込む。ストーム1は針のような注意をずっとアレックスに向けている。最悪の事態に常に備えている、という事である。
「アレックス、間違いなくゴア隊長本人だ。 この世界では生きていると言う事だ」
「し、信じられない……」
「バディ。 現実を客観的に見ろ。 そうして今までも生き延びてきたじゃないか」
「そうね……」
アレックスが俯き、唇を噛む。咳払いをすると、真田さんは更に話を進めて行く。
唯野仁成も、側で話を聞く。そうしなければならない義務があると、知っていたからである。