方舟型と呼ばれる大型母艦の第十番艦が就役。それが飛び立っていくのを、ぼんやりと私は見つめていた。此処から離れた金星の本部コロニーでの出来事だから、まああまり関係は無いのだが。金星初の方舟型の最初の一隻と言う事で、歴史的意義のある船だという。
今聞いているのは、この方舟の物語を歌にしたという、9番まである曲。
題名はSinストレンジジャーニー。罪と奇妙な旅、という意味だ。
方舟の冒険は、シュバルツバースという所で行われ。そして其所で地獄のような旅を経て。
地球の意思と対面して、そして何とか説き伏せることに成功したという。
具体的なプレゼンを行い。それで納得させたそうだ。
現在アステロイドベルトまで進出した人類は、国際再建機構の主導のもと、急速に地球から離れている。
人口爆発もとっくに止まった。
現在地球に残っている人間は十億程度。更に今後は減るという。最終的には八千万程まで減るそうだ。
私は、金星の大型基地で産まれた世代で。AIの教育を受けていることから、もうリモートでの作業義務は許可されている。AIでの効率的な教育は、人材を10歳程度で形にする。肉体労働は流石に禁止されているが。昔は効率の悪い方法で教室で詰め込んでいた学習は。今ではAIにより各自にあった最適なプログラムが組まれ、私のように10歳で義務教育分が終わるのは当たり前。もっと先までの学習を望む人間にも、それが出来るようにプログラムが組まれていた。
そして高度なリモート作業で現場を廻せるようになった今。
デモニカを着て外作業をする人員は兎も角。内部から支援をする人員は、私のような子供でもつとまるようになっていた。
それにしても凄い曲だなあと思う。
音楽はとにかく綺麗につながっているし。
流れている曲は非常に綺麗で、何より13人参加のメドレーとしては信じられないほど息があっている。
なお立体映像でライブの様子も見たことがあるが、とにかく息が完璧にあっていて、凄いと言う言葉しか無かった。まあライブまで見ると疲れるので、今は曲を聴くだけでいい。
この中の一人が、ザ・アイドルと今では呼ばれている伝説のアイドル天海春香だ。その同期の合計十三人を「TOP13」とかいうらしいが。
流石に本人がアイドルとして現役引退した今でも、曲は残っている。
サーキットバーストするかのような強烈な消費の時代は終わりを告げ。
遺伝子データから無作為に抽出した子供達が未来を担う時代が来つつある今の時代。私は最初のその世代だから、期待もされている。
無言でリモートでの作業を行う。
昔は職場と言えば、怒号が飛び交い暴力も振るわれ。みんな極限まで絞り取られて、満員電車でぎゅうぎゅう詰め。精神を病んでしまう人だらけで、心療内科は満員、というのが普通だったらしいけれど。
今の時代は、AI管理による仕事の制御が殆ど完璧で。それら全てがない。
後ろで流れている曲は、国際再建機構から「失敗も醜かった部分も全部盛り込んでほしい」と直接依頼があったらしいが。
曲を聴いている限り、シュバルツバースに乗り込んだ英雄達はとても良くやっていると思う。
最初の内は、うそっぱちだという話も挙がったらしいが。
そもそもいきなり数世代分進歩して戻って来た技術の数々や。
その後のスムーズすぎる宇宙進出から考えても。
この曲語られている話は、嘘では無いのだろう。
四つの下位世界は、人間の業そのものの世界で。多くの人が抱いている醜い心の世界が展開されていた。
四つの上位世界は一見すると何処も美しかったけれど。
宗教というものが持つ問題点が指摘されていた。
どの世界も普通だったら発狂しかねない危険な世界だったけれど。
英雄達は知恵と勇気を振り絞って戦い抜いた。
そう聞くと、今の結果には勇気を貰える。
金星に進出するなんて、ほんの十数年前では絶対に信じられなかったことだと聞いている。
今、金星で私は働いている。
その結果が、全てなのだから。
仕事をしていると、このコロニーの指揮官をしている人から連絡が来る。ノリスというおじさんだ。
「唯野桂花。 今の仕事に訂正が入る。 AIの指示に従って、作業を進めてほしい」
「分かりました」
妙な名字だが。私の先祖のものらしい。遺伝子データを蓄積して勝手に子供が作られる時代だ。だから同年代の遺伝子組み合わせだけではなく、本来ならあり得ないような組み合わせの子供がたくさんいる。ちなみに名前は物心つく頃に、AIと相談して決める。
次の国際再建機構の指導者になる人物が唯野仁成というらしいけれど。その人は地球にいる。あった事はないが、寡黙で堅実で、TOP13の歌った曲で主人公として活躍しているのはその人では無いのかという説がある。
私には分からないが。まあ私の先祖なら、誇らしい話ではある。本当かは分からないので、そこまでだ。
作業の訂正が入ったので、ロボットアームを動かして作業を再開。
黙々と地形の修正を行う。
コロニーの外は400℃に90気圧、酸の雨だ。
これを余裕で耐えるデモニカも凄いが。このロボットアームも凄まじい。
地形をならし終えると、AIからの指示があったので、更に微調整を行う。やがて運ばれて来た何かの土台が設置され始める。
コロニーを新しく立てている現場だ。
基礎部分を作っているのだろう。
まだ人類にテラフォーミングの技術はないらしいから、この400℃90気圧の世界で何とかやっていくしかない。
それにはコロニーを作っていく事が必須なのだ。
「はい桂花。 今日の作業は終わりです」
「ふー、疲れたあ」
「今後、外で作業を希望するようになると、もっと疲れますよ」
「デモニカと悪魔を使って作業をするんでしょ。 別に希望しない場合は、このまんまなの?」
そうだと言われたので、ちょっと考えてしまう。
桂花自身は体を動かすのが好きだ。リモートで淡々と作業をしていくよりも。やっぱりデモニカを着て外で活動したいというのはある。
流石に銃を持って戦士として戦うというのはあまり考えたくは無いけれど。
それでも、この身体能力は、どうも先祖からの譲りものらしいので。
使わないのはもったいない、と感じてしまうのである。
「外で仕事したいなー」
「それならば、後8年ほど肉体の成長を待ちましょう」
「はー。 8年もかー」
「その頃にはあらゆる自主的判断が責任と共に出来るようになります。 今の貴方はまだ未成熟な部分が多く……」
分かってると、始まった説教を遮る。
口を尖らせる桂花に、AIは言うのだった。
「気分転換に、外にでも出ますか? 次の仕事は明日になりますが」
「うん、そうする。 ジム行く」
「分かりました。 運動メニューを組みます」
部屋というか、自分の家から出る。
今の時代は、誰にも家がある。昔はホームレスというのがいたらしいが、ぞっとする話である。
コロニーの中には様々な機能がある。コロニー内で家畜の飼育や野菜の栽培もしているらしいのだが。
物資の再利用のシステムも整っていて。食糧の何割かは、正体を知らない方が良いそうである。
これらの技術も、シュバルツバースの旅の結果もたらされたものだそうだ。
なお、金がある人間が天然物を独占しているという事はない。経済というものの形がここ一世代で変わって、もう金の持つ意味が随分と違うからだ。
ジムに出向くと、指定された運動メニューをこなす。
しばらくランニングマシンをこなしていると、隣のランニングマシンに年の離れた男性が乗ってきた。
噂によると、シュバルツバースに乗り込んだ一人だという。
このコロニーの長を今はしている、ノリスである。
「やあ桂花くん。 外では久しぶりかな」
「はあ、まあ」
親子以上の年の差がある男女。昔だったら、かなり危険な状況だったかも知れないが、今は平気だ。
昔は性犯罪とかいうのがあったらしいが、今はAIと監視カメラで全域が見られている時代である。そういうものは起きえなくなった。
警察の作業も、上層部はAIがやっている。
政治という難しいシステムをAIがやるようになってから、社会は大きく変わったのである。
聞きたいと思っていたことがあるので、聞いてみる。
「私の名字の事、知っていますよね」
「知っているさ。 だが、実の所、私はあんまり詳しくないんだよ」
「どういうことですか?」
「私はある女性をシュバルツバースで凶行から守って、心が壊れて何年も寝込んでいたんだよ。 目が覚めたのは、シュバルツバースが方舟から帰ってきた後。 目が覚めたときには、私が守ったゼレーニンという人は立派になっていて、それでも私が目覚めた事を聞いてすっ飛んできて、良かったと涙まで流してくれたよ」
懐かしそうに言う。
要するに、英雄唯野仁成とは、殆ど面識がなくて。
ただ、方舟の序盤で眠りにつく事になり。方舟が帰り着くまで起きる事もなかったという事らしい。
「何だか複雑ですね」
「ああ。 私が前線で戦っていた頃には、まだ英雄唯野仁成は強いには強いけれど殆ど面識もなかったし、エース格ではなかったからね。 彼がどんどん頭角を伸ばしていった頃には、私は動けなかった」
「……」
「だから、私の陰口を言う人も多かったよ。 彼奴は医療カプセルで寝るためにシュバルツバースに行ったんだってね。 ただ、私はゼレーニン技術長官を守れて良かったと想っている。 あの人が伝説の人である真田さんの後を継いで、どれだけ地球の技術を発展させたかは知っているだろう?」
それについては、頷くしかない。
金田正太郎という人と、真田さんと言う人は、もう歴史の教科書に出てくるレベルの偉人となっている。
AIにも教えられた。
シュバルツバースで得た様々な技術を、どんどん現実的な形で発展させていった、次の世代の英傑。その一人がゼレーニンだ。とにかく若い頃は綺麗な人だった。今も充分に綺麗だ。
「だから私は壁になれてよかったのさ。 私が壁になったことで、今のこの時代があるんだからね」
そういうと、ノリスはランニングマシンから降りる。
流石に年齢もあるらしい。私よりもかなり速めで走っていたのだが。それでも年齢や、ずっと寝ていたこともある。
体の衰えはどうしようもないのだろう。
「私の先祖を知っている人はいますか?」
「方舟のメンバーは基本的に今はもうみんなお偉いさんだったり、一線級で働いたりしているからなあ。 唯野仁成も今は国際再建機構のナンバーツーだし、連絡を取るのは難しいだろうね」
「手紙は無理だろうなあ……」
「そうだね、紙媒体の手紙は厳しいだろう。 だけれども、電子メールだったら、或いは拾って返事をしてくれるかも知れないよ」
ノリスが手を振ると、職場に戻っていく。
シュバルツバースで活躍出来なかった分、デモニカを着て金星の大地で働く事を生業にしているらしい。
また天使を多数従えているらしく。
その辺りは、しぶいおじさんであるノリスには似合わないなあとも思う。
だけれども、多分何か思うところがあってそうしているのだろう。
私は何も思わない。
ランニングマシンから降りると、水着に着替えて泳ぐ。
水泳は全身運動と言う事もある。アトピーなどの体質がある場合は厳しい場合もあるが。アトピーはとっくに完治する薬が開発済である。昔は差別の温床にもなったらしいが。今はそんなこともない。
と言うよりも、基本的にAIが回し、各自が独自にAIの指定で行動している今。
差別や虐めは存在しなくなっていた。
その結果、此処の独自性も保たれ、皆好きな文化を好きに楽しめるようにもなっている。
昔存在した人権屋は急激に歴史の闇に埋もれてきているようだが。
それもまた、当然なのかも知れない。
しばらく無心に泳ぐ。
AIが、サポートをしてくれる。
「流石に無尽蔵に体力がある桂花でも、そろそろ休んだ方が良いでしょう。 一旦休憩を入れましょう」
「うい」
プールサイドに座って、少しぼんやりと天井を仰ぐ。
閉塞感を避ける為か、所々空が作られている。具体的には、そう見えるように立体映像が展開されている。
此処では地球の空が見える。
人間が殆ど金星と火星、地球の周回軌道上、月、更には木星の周回軌道上に去った今では。
地球の環境の回復はAI制御のロボットの元、急速に進んでいるらしい。
管理要員の人間もいるが、地球でもこういうコロニーを作ってその内部で暮らしているそうだ。
たった一世代で、人間は此処まで文明の形態を変化させる事が出来た。
なお、これでもかなり進歩速度のブレーキは掛けたらしい。
あまり急ぎすぎると、良くない事が起きる。
そう説得したのは、現在国際再建機構のトップであるゴア長官と、話題に挙がった唯野仁成。英雄の一人であるヒメネスであったとか。
いずれにしても、もう私にはあまり関係が無いか。
ジムでの運動を切り上げて、自室、いや自分の家に。
少し悩んだ後、血統上の先祖である唯野仁成にメールを送ってみる。
まあ、忙しいだろうし返事なんて来ないだろうなと思った。
そして、疲れたので寝ることにする。
10歳の脳みそだとやっぱり限界がある。
体力は底なしとAIにも会う人間にも太鼓判を押されるけれども。それでも、やはり脳みそまでは無理だった。
それから数日。
淡々とお仕事をする。
合間に、外で仕事をするために、デモニカと悪魔召喚プログラムの内容も勉強する。
悪魔召喚プログラムは、精神生命体である神々や悪魔を相手に都合が良い契約ではないようにして従えるためのシステムを基軸に。悪魔をストックしておく能力、悪魔を合体させて更に強くさせる能力などを有する総合プログラムだという。
あのシュバルツバースでも、戦闘要員は殆どみんなが使ったと言う事で。
戦場では様々な神々や悪魔が、さながら神話の戦いを再現するかのように、激しい火花を散らしたという。
自分より弱い悪魔しか従えられないとも記載があったので、そっかあと溜息。
今の桂花では、限界がある。最下層の悪魔でも、性格はかなり「いい」らしく。隙を突かれて危ない目に合う事もあるため。そういう事故が起きないように、なおさらデモニカの着用による能力の底上げを、悪魔召喚プログラムを利用する際には必須とするそうである。
一方で、凄い事が出来る悪魔もいるそうだ。
今見ている画像では、件の唯野仁成が従えている何かの子供の姿をした神が、土地にとんでも無い栄養を一瞬で与えている画像が映し出されていた。
見る間に枯れ果てていた土地が豊かになっていく。
化学肥料などを使わずに、である。
ただ、ずっと此処に貼り付いている訳にはいかないし、力もいつまでも続く訳ではないらしい。
すぐに作業チームが入って、どうしても緑化が上手く行かなかったその土地の基礎を固め始め得ている。
デモニカを着込んでいるから、唯野仁成の顔は見えない。
私の先祖は、どちらかというと厳つい人だったらしいけれど。それでも顔は見たいなあと桂花は思った。
今の桂花の世代が肉体労働にまで進出してくるようになる頃には。既に崩壊し始めている家族制度は完全に終わるという話がある。
一人で生活するのに誰も苦労せず。
必要な時に会うようにする事が出来る様になった今の時代。仕事場だって、基本的に自宅。
結婚制度も、前から結婚していた人や。物好き以外は継続していないと聞いている。
唯野仁成も家庭を持っていないらしい。子供や恋人もいないそうだ。恋人という概念すら、今ではもう過去の蜃気楼のようだという。
そんな時代に、先祖かも知れない人の顔を見たいと思う桂花は、頭が古いのだろうか。
しかし金星にいる桂花が。十五年前には金星にいたのが信じられないというほどに今は社会が急速に変わりつつある。
最新世代の桂花達でさえ、時代の速さについて行けていないのかも知れない。
勉強を終えて、その後はお仕事をする。
桂花の仕事はAIの補助を受けているとは言え、非常に真面目で丁寧だと評判だ。ただ、基本的に今の時代はどんな地位でも過剰な蓄財は出来ない。桂花も生活に困ったことは無いので、それで不満はないが。
評価はされるが。桂花はどこかで不満を抱えていたのかも知れない。
仕事も終わると、小さくあくびをする桂花。
ふと気付くと。
メールの返事が来ていた。
思わず飛びつく。昔はスパムというものが飛び交っていて、一時期メールという文化は死に絶えそうになった事があったらしいが。今はスパムの駆除も全て完了したらしい。ネットにAIが目を光らせているからだ。
内容を確認する。
唯野仁成。間違いない。
電子印などを確認する。偽造されている形跡も無い。
間違いなく、本人からだ。
内容は、簡素なものだった。
唯野仁成は、近々国際再建機構のトップになる。現時点でトップのゴア元帥が、そろそろ引退するから、だそうである。
このため大変忙しく、周囲に隙を見せる訳にもいかない。
だから、最近の様子だけを映像で送ろう。
面識がない自分を慕ってくれて嬉しい。
だけれども、これからの時代は人間が距離をそれぞれ置いて生きていく時代になる。
人間は群れると碌な事をしない。同調圧力で、誰にも不幸をまき散らす。
だから、一人で生き始めた世代は。周囲と交流を取るにしても、一定距離をきちんと執る方が良いだろう。
既に生態系から逸脱した人間は、そうすることで。
やっと次の段階に、知的生命体として進む事が出来るから。だそうだ。
ぼんやりと、見ていた。
ちょっと頬が熱いのを感じた。
唯野仁成が、血縁上は父になるのか祖父になるのかはあまり興味が無い。遺伝子データがそれぞれ登録されている今は、別に昔のように不便で手間も掛かる自然分娩を経て子供が生まれるわけでもないし。
年齢関係無く、子供がいてもおかしくは無いからだ。
ただ、それでも地球を救った英雄の一人が先祖で。
でも、あった事も無いと言うのは少し寂しかった。
ため息をつく。
良い意味での溜息だった。
AIは何も言わない。
感慨にふけるという行為を理解していて、そうしている桂花を見守ってくれているという事である。
ジムに出向く。
それから桂花は、体をもっと鍛えようと思った。
そして一刻も早くデモニカを着て悪魔を従えて、金星の過酷な環境でも働けるようにしたいと考えたのだ。
いずれテラフォーミングの技術が完成するとして。それはどんなに早くても何世代も後になると言う。
金星が、蘇りつつある地球のような美しい星になるには、何十いや何百年も掛かってもおかしくは無い。
それでも、その礎になりたい。
そう、桂花は思った。
底なしと言われた体力をフルに使って見る。何処まで出来るか、興味が生じたからである。
そして、もっともハードなスケジュールを組んでもらい。
それをやり終えた後は。何とも言えない達成感があった。
唯野仁成も、常人離れした身体能力を持っていたと聞いている。幼い頃から、こんな感じで体を動かすのが好きだったのだろうか。
家に帰ると、心地の良い疲労で、桂花は満足したし。
また別の話も聞かされる。
「桂花、君には別の方舟の英雄の遺伝子も入っている」
「そうなの!?」
「ああ。 その英雄は、ワンマンアーミーとまで呼ばれた人物だ。 英傑の子が英傑になる訳ではない。 だが、君の場合はひょっとすると……」
「そっかあ」
何となくその名前は覚えがある。
方舟の最強メンバーの一人。ワンマンアーミー、ストーム1。今でも正式な名前は明かされていないらしい。
流石に現在は引退しているらしいが、それでもその圧倒的な力は知られていて。
各地の悪い人間は、その名前を聞くだけで逃げ散ったという話である。
手を見る。
もっと体がしっかり育ったら。
桂花はそんな英雄達の力を引き継いだ人間として、新しい世界の先頭に立つ一人になるのだろうか。
いや、そんな考えは良くない。
今の時代は、もう上も下もなくなりつつある。
国際再建機構だって、統治システムの大半は、利害から切り離されてAIがやっているというのである。
前の世代くらいまでは、利害と結びついた政治システムが、多大な弊害を産んでいたからだという事だけれども。
まだ、桂花の頭でも、そこから脱却できていないのかも知れなかった。
いずれにしても、嬉しい話だ。
手足が伸びるのが待ち遠しい。
TOP13の歌ったメドレーを聴き直すことにする。9曲もあるメドレーだから、全て聞き終えるのには相応の時間が掛かる。
これを歌って踊りきるのは、相当に大変だっただろう。
歌を聴きながら、シュバルツバースと呼ばれる滅びの穴の攻略史を見る。
今までも知識としてはあったのだけれども。
多分唯野仁成の。先祖から直接連絡が来たことで、きっとモチベーションが上がったのだと思う。
精神力では人間の能力は一割程度しか上がらないと聞いているが。
その一割が、きっと蓋を外してくれたのだ。
今までとは、別物のように理解が進んだ。
曲を聴き終えた時には。偉大な奇妙な旅を終えた英雄達に対しての敬意が、また強くなっていた。
だがAIに警告もされる。
「敬意は狂信につながる。 気を付けるんだよ桂花」
「分かってるよ」
「奇妙な旅に挑んだ英雄達は、英雄ではあったが精神まで完璧だった訳ではない。 それも、理解していてほしい」
実際、曲の最中では苦悩する人の様子や、失敗の様子もきちんと歌われている。
攻略史を見ると、実際問題失策だった事もあったようだし。苦悩して精神状態が危険なところまで行ってしまった人もいるそうだ。
桂花は頷くと。10歳なりに、順番に。色々理解していこうと決めた。
今後、どんどん金星の開拓は進む。コロニーも増える。金星の軌道上にも更にたくさんのコロニーが作られるだろう。
今は金星は、分厚い酸の雲に覆われ。太陽光は殆ど入り込まず。それにも関わらず大気の99パーセントを占める二酸化炭素によって猛烈な温室効果が引き起こされ。結果として灼熱地獄と化しているが。
やがてこの二酸化炭素を少しずつ別の元素に変換し。
酸の雲も分解して。
やがて日光が入り込めるように長期的な計画も立てているらしい。いわゆるテラフォーミングの一角だ。
桂花が生きている内に、金星が美しい花と緑の惑星になる事はないだろう。
だが、コロニー内には美しい森がある一角は存在しているし。
何百年か後には不可能事ではなくなっているはずだ。
その礎に桂花がなれるのなら。
これ以上の幸せはない。
もっと勉強したい。AIに告げると。少し悩んだ末に、AIはスケジュールを組んでくれた。
運動量をがつんと増やしたのだ。
底なしの体力でも、やれることには限界がある。
勉強まで更にやるようになったら、きっと桂花は幼い内に脳に異常をきたしてしまう。
残念ながら桂花は運動能力は高いものの、脳の出来はそこまで優れていないので。AIによる最高率学習でも、限界があるらしい。
そう言われると流石にちょっとむっとするが。
それでも、やってみたいと思うのだ。
学者になりたいとまでは思わない。だけれども、自分が出来るだけの事はしたかった。
昔の時代。地球の最貧困層に産まれていたら。桂花のこの考えは、身の程知らずの子供の妄想で片付けられていただろう。
だが今はそれも違ってきている。
これが昔人間がなしえなかった多様性であり、可能性であるらしい。
それを獲られたのはつい最近。まだ地球には、ほんの一部にこの可能性に反発する者もいるらしいが。
それも、いずれ終わる。
既に人間にとって、神も悪魔も一緒に歩む者となっている。
これはまた、奇妙な話ではあるが。
信仰から産まれた精神生命体は。いずれもが昔は統治に利用されていた者で。多くの悲劇も生み出したらしいが。
既に当たり前のように悪魔召喚プログラムで使われるようになり、共に開拓の最前線に立つようになってからは。
その存在は悪でも善でもなく、ひとくくりで仲魔と呼ばれるようになり。
気むずかしい隣人ではあるものの。
決まったルールに従って一緒に新しい可能性に挑む者となって。
そして既存の信仰は崩壊し。信仰の可能性もまた生じたのだ。これもまた、教わった事だった。
明日が楽しみだ。
今日は疲れきるまで体を動かした。明日からは、もっと体を動かして基礎体力をつけて。
そしてもっと勉強して、できる事を増やしておきたい。
デモニカを着て、金星の過酷な世界にデビューしたときには、何か悪魔も仲魔にして。そして一緒に金星を開拓する事業をしたい。
夢が止まる気配はない。
少し前の若者が、みんな希望の無い未来と、ブラック企業にすり潰される現実で、みんな死んだ目をしていた資料映像を見た事がある。
今は、なんと素晴らしい時代か。
そう、桂花は考えた。
それは、間違っていないはず。英雄達が神々ときちんと話をつけ、ついに地球への依存からも脱却して、作り出した今の時代なのだから。