Sストレンジジャーニー   作:dwwyakata@2024

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2、ゴミ山の王

ゴミ。文明の排泄物。

 

あまりにも美しくないそれを積み上げに積み上げて。魔王アスラは支配している世界を眺めやっていた。

 

其所には、既に鉄船が来ている。モラクス、ミトラス、オーカスを既に倒した人間共ののる鉄船が。

 

そしてアスラが放っておいた分身までも退けてのけた。

 

まさか、其所までの手を打てるとは思わなかったが。まあそれも想定の範囲内だ。備えは存分にしてある。

 

アスラは捕まえられない。

 

更に言えば、アスラは今こうしている瞬間も、力を増し続けているのである。

 

呼び出した悪魔共は、何が何だか分からず殺し合いを続けている。そして屍をさらし。その屍からまた新しく悪魔を呼び出す。

 

そうしてひたすらに殺し合わせる。

 

此処は人間を研究して作り出した、「無意味」の世界だ。

 

本来だったら使われるはずだったのに、使われなくなったものを徹底的に集めた。その結果が、オーカスの吐瀉物にも似たゴミの山。

 

そのゴミの山で、本来だったら行われるべきだった美しい行為。

 

純粋なる戦闘を行わせることで、この世界に「禊ぎ」をする。

 

それこそがアスラの目的。

 

アスラの美学である。

 

二度、人間共は鉄船から出て来たが。どちらでも何もできず、戻っていった。それはそうだろう。そもそもアスラが何処にいるかさえも分からないのだろうから。

 

更に言えば、分身を退けるために使ったからくりなど、アスラには無意味である。

 

まあ分身を近づけないようには出来るだろうが。出来て其所までだ。

 

徹底的に殺し合いをさせ。そして生き残ったものから精鋭を募り、人間の世界に攻めこむ。

 

そして自堕落に排泄を続けている人間共に、真に美しい戦闘そのものをひたすら行わせることで。世界を正しい形に戻す。それがアスラによる、世界の浄化だ。

 

元々アスラは戦の神。

 

ゾロアスター教から印度へ。印度で散々変質し。更には周辺諸国に拡散する過程で、そのあり方を散々変えて行った。

 

本来はアスラというのは単一の神をさす言葉ですらない。

 

それほどまでに原形を留めないほどに貶められているが。

 

だが、今はそれでも可としよう。

 

戦の神として、此処に不埒にも攻め寄せた人間共を叩き潰し、人間世界へ攻めこむ嚆矢とする。

 

それはさながら、いにしえに行われていた、戦の前に行われる祈祷。生け贄を捧げられる喜び。

 

アスラは為す術無く右往左往している人間を見ながら、その美酒を思い出しているだけで良かった。

 

さて、鉄船に戻った人間共だが。どうするつもりか。

 

このまま抵抗も出来ずにアスラに屈したり。奴らが言うシュバルツバースが大地を覆い尽くすまで何もできないのでは少し興ざめだ。

 

せいぜいあがけ。

 

そう思いながら様子を見ていると、何やらおかしな動きを始めた。

 

それはいい。あがいて楽しませろ。そうアスラはほくそ笑みながら様子を見ていたのだが。

 

やがて、それが驚愕に代わる。

 

奴らは溶かしはじめたのである。敢えて柔らかく崩れやすく作った、この要塞を。

 

オーカスは鉄壁を要塞と勘違いしていた。

 

だが実際には、沼沢地帯などの地形に守られた拠点こそが、要塞と言うべき存在であって。

 

要塞そのものは、むしろそれほど堅固で無くても、守りきる事は可能なのである。

 

しかし人間共は。何かを撒きはじめ。毒の沼も河も、更にはゴミの山も、根こそぎ台無しにし始めている。

 

それだけじゃあない。

 

なにやら人間共の車とやらが出てくると、ゴミの山をどんどん勝手に持っていく。それも、凄まじい勢いで。

 

崩れて埋もれてしまうかと思いきや。途中、突然鉄船が火を噴き、ゴミ山を崩しに掛かってくる。

 

これは、大規模な土地に対する改変。人間共が、外でやっている作業そのものだ。

 

憤怒の形相が普段だったら浮かんでいたかも知れない。だが、アスラはそれが出来る状態に今はない。

 

そしてこの戦い方を選んだ時点で、すぐに「戦う」事は出来ない。

 

いきなり前提から崩しに掛かった人間どもを見て、アスラは怒りに打ち震えるしかなかった。

 

天使共が飛んでいる。

 

そういえば、少し前に大天使がこの空間に入り込んで来た。奴は此方の手の内を即座に看破すると、部下に対策。しかも、戦力を増やして侮りがたい状態になって来ている。

 

上手く行かないことが増えて苛立つ。

 

その苛立ちを、この世界に呼び出した悪魔共にぶつける。

 

見る間に殺し合いをはじめる悪魔共。

 

どうせなんぼでも呼び出せるのである。徹底的に殺し合わせて、生き残ったものだけを活用してやる。

 

それに、戦いは美しい。苛立ちが、多少はやわらぐのをアスラは感じた。

 

もっと血を流せ。もっと互いの武を競え。そして勝ったものは負けたものを当然の権利として蹂躙しろ。

 

それこそが、本来の美しい生物のあり方だ。

 

それなのに、あの四文字からなる神が現れてからと言うもの、奴の信仰は世界中で好き勝手なことをしている。

 

一矢報いたいと思わないのか人間共は。

 

奴は人間を救うことなどしていない。ただ、自分の絶対性を信仰することだけを求めている。

 

それなのに。ああ、それだというのに。

 

殺し合いを見て、気分を落ち着かせる。今は、怒りを爆発させるべき時ではない。

 

戦いでは、心を乱すことがもっとも負けにつながりやすい。

 

今は様子を見て、敵の更に裏を掻く。それが重要だと、アスラは判断していた。

 

 

 

ゼレーニンは気分が弾んでいた。やはり大天使マンセマットはゼレーニンを助けてくれた。ヒメネスも唯野仁成も、マンセマットを良く想っていないようだが。それは信仰のすばらしさを知らないからだろうとゼレーニンは思っている。

 

世界には貧しい生活をしている人。苦しい生活をしている人がたくさんいる。

 

そんな人達にとっては、信仰こそは救いだ。

 

勿論それは一種の現実逃避になるのかも知れない。だが、厳しい現実を突きつけられている人達に対して、現実と戦えというのは酷すぎると思う。それは弱い者は死ねというのと何が違うのだろうか。

 

近年は、一神教の内部でも抗争が激しい。昔も激しかったが、今は更にその抗争が苛烈に、かつ排他的になって来ている。

 

ゼレーニンはそれほど敬虔な一神教徒ではないつもりだが。

 

それでも、昨今の状況は好ましい事では無いと思っていた。

 

ゴミの山を見上げる。

 

何度か出陣して、周囲にセンサをばらまいてきた。ドローンも使って、同じようにセンサを撒いた。

 

その結果、このゴミ山の規模はほぼ分かった。

 

現在、悪魔達も動員し。更に方舟に積んできたトラックを使って、ゴミ山を根こそぎ処理する作戦を開始している。

 

真田さんの発案だ。

 

ゴミ山の規模は相当なものだが、方舟の砲撃で先に崩落を誘発しつつ。有害物質はそのまま固めてしまう。

 

更にゴミそのものはどんどん回収してプラントに放り込む。

 

こうやって、一角からどんどん崩していくことにより。

 

相手の本陣を潰してしまう。

 

何も、相手が作り上げた城に、正面から乗り込んでいくことなどない。その城の強みを潰してしまえば良い。

 

難攻不落の要塞と言う奴は、歴史上陥落しなかった試しが無い。

 

そしてだいたいの場合は、要塞としての強みを潰された事によって、それらは陥落していったのだ。

 

真田さんは尊敬できる。

 

だけれども、その真田さんに言われたのだ。

 

マンセマットは危険だ。

 

言う事を鵜呑みにするのは絶対に避けろ、と。それを聞いて、ゼレーニンはとても悲しかった。

 

あの地獄から助け出してくれたのはマンセマットだ。マンセマットがいなければ、ノリスと一緒にミトラスの宮殿で精神も肉体も朽ちていただろう。悪魔によって慰み者にされていただろう。

 

それなのに、どうして皆そんな事を言うのだろうか。

 

首を横に振ると、天使達の護衛を受けながら、ゼレーニンは敵要塞の攻略作業の指揮を続ける。

 

真田さん生え抜きの技術陣の中でも、天使の護衛があるゼレーニンは、こうして前線に赴くことが多い。

 

唯野仁成が来たので、敬礼。進捗を話すと、唯野仁成は頷いた。側には、女の子の悪いところを詰め込んで、綺麗な容姿に入れただけのようなアリスが浮かんでいる。アリスはにやにやとゼレーニンを見ているので、不愉快極まりなかった。

 

「アレックスが仕掛けてくるかも知れない。 気を抜かないようにしてほしい」

 

「今、ケンシロウさんとライドウさんがその辺りを見回ってくれているし、プリンセスも周囲を見てくれているわ。 平気よ」

 

「君は本当に戦闘に向いていないんだな」

 

「……ええ。 それは分かっているわ。 こんな所にいて良いのかって思うくらい」

 

自覚はある。

 

ヒメネスに散々煽り倒されるのも、仕方が無いとはゼレーニンも思ってはいるのだ。

 

だけれども、戦いそのものが嫌なのだ。

 

ロシアから脱出して米国に来た後。ロシアがどのような状態になったか、嫌と言うほど見せられた。

 

文字通り力があれば何をやっても良い場所になったロシアは。それこそ目を覆うような国となってしまった。

 

国際再建機構が様々な支援をしてくれているが、人心の荒廃はどうにもならない。

 

かといって、米国だって似たようなものだ。どうして人は仲良く出来ない。人間がずっと苦労して練り上げてきた法は、それでも欠陥だらけだ。誰も彼もが、自分に都合良く法を利用しようとねじ曲げるからだ。

 

「君のようなタイプが一番危ない。 心の隙間に入り込まれないように、気を付けるんだ」

 

「忠告有難う。 貴方はどんどん力をつけているようね」

 

「光栄な話だが、そろそろスペシャル達と同じように一部隊を任せて貰えるという話が出て来ている」

 

そうか、唯野仁成は此処ですら単独行動が出来るようになりつつあるという事か。この地獄の土地ですら。

 

唯野仁成が巡回に戻る。その直後、耳元に嫌な声が聞こえてきた。

 

「潔癖で美しい乙女だ。 だが、お前のような者は、周囲から自分がどう見られているかわかっているのか?」

 

「誰……!?」

 

ゼレーニンは天使達に警戒を促す。すぐにパワー達は周囲に展開し、槍を構えた。

 

戦闘は苦手でも、それくらいは出来る。天使達も周囲を警戒してくれるが、正直アレックスが使うような強力な悪魔にはどこまで対抗できるだろうか。

 

今の声は、耳に聞こえてきたのでは無い。忙しくデモニカを操作してログを調べるが、声が聞こえていた様子は無い。それなのに。更に声が聞こえてくる。

 

「女どもはこう言っている。 綺麗なだけが取り柄の頭でっかち。 男を何度もとっかえひっかえしては味見している。 真田という凄い技術者には、体で取り入ったに違いないだろう。 ボーティーズでは悪魔に体を売って生き残った。 ノリスに守られていながら、見捨てて悪魔の……」

 

あまりに卑猥で、聞き苦しい言葉が続いたので、悲鳴を上げてゼレーニンは思わず蹲っていた。

 

即座に側に降り経ったサクナヒメが、声を掛けて来る。

 

「どうしたゼレーニン! ものども、周囲を警戒せよ!」

 

「はい!」

 

機動班クルーが来て、周囲に悪魔をたくさん呼び出す。

 

いや。そう言いたいけれど、此処では悪魔を呼び出さないと事実上何もできない。サクナヒメへの警戒は薄れてきてはいるけれど、やっぱり原初の荒々しい神格であるサクナヒメには。更には一神教の神格ですらないデーモンには。心を許しがたい。

 

サクナヒメは周囲を警戒しつつも、腰を落として目を覗き込んでくる。視線を合わせてくれる。

 

神でありながら、そういう事をしてくれることはとても尊敬できるとゼレーニンは分かっている。

 

今だ幾つかの国では王族などの旧支配階級が生き残っているが。それらの人間は、基本的に庶民に膝など突かない。ましてや神が、である。

 

「何があった。 話してみよ」

 

「変な声が……私を侮辱するような言葉を……」

 

「デモニカに反応はないのじゃな」

 

「ええ……」

 

サクナヒメは、手を叩くと、調査班を連れてくるように周囲に指示。ゼレーニンは大丈夫と言おうとしたが、サクナヒメに厳しく諭された。

 

顔色が土気色だと。

 

「そのような顔色の者に仕事などさせられぬ。 それに、敵の手の内が精神に入り込む悪魔だけだとは限らぬのだ。 もしも敵による何かしらの攻撃であるのなら、それを解析すれば味方を安全に行動させられる」

 

「はい、ありがとうございます……」

 

「背負うぞ」

 

調査班の交代要員が来たので、サクナヒメがゼレーニンを軽々と背負い、方舟にぽんぽんと跳んで戻る。

 

本当に凄まじい身体能力で、ゼレーニンは何もする事が出来なかった。天使達をPCに戻すくらいか。

 

医療室に運び込まれる。サクナヒメの代わりにストーム1が外に出た様子だ。真田技術長官が来て、何があったのか聞かれる。

 

サクナヒメも側にいるが、これは悪魔が突然出現でもした場合に、対応するため、だろう。

 

「突然耳元で、心を抉るような言葉が聞こえました。 デモニカにもそのログは残っていなくて……」

 

「私には言えないような内容かね」

 

「……」

 

「分かった。 ゾイ医療班チーフ」

 

真田技術長官が、ゾイに代わってくれる。

 

サクナヒメが側に壁に背中を預け、腕組みして見守っている中。ゾイに、何を言われたのか話す。

 

顔を覆うゼレーニンに、ゾイはカルテをとっていた。

 

また、デモニカは真田技術長官が持っていった。ログを更に詳しく解析するためだろう。

 

話を聞き終えた後、サクナヒメが言う。

 

「唯野仁成も、船に入り込んで来た悪魔に何やら言われたという話だ。 わしでも分からぬほどの力量で、船に忍び込める強豪がいる。 そんな状況じゃ。 プラズマバリアを船にしか展開していない今、一隊員の心を侵してくる悪魔がいても不思議ではあるまい」

 

「此方では何とも。 トラウマによるフラッシュバックかと思いましたが、ゼレーニン隊員のメンタルは其所まで乱れてはいないように私には思えます」

 

「わしもそれは同感じゃな。 いずれにしてもゾイ、そなたは医師であろう。 医師としての見解は。 出来る事は」

 

「……心因性のものではないと思います。 真田技術長官の調査を待ちましょう」

 

ゼレーニンは一日休むように言われて、それに従う。仕事をさせてくれと言っても、どうせ許可は貰えなかっただろう。

 

サクナヒメはゾイがいなくなると、咳払いした。

 

「そなたがわしを苦手と思うておる事は知っておる。 それはそなたの信仰する教えでは、神は一つと教えているからか」

 

「……」

 

「その信仰に干渉するつもりは無い。 わしの仲間にも、同じように考えていた者がいたからな。 別に信仰はそれぞれ自由だ。 だがそなたは科学者で技術者であろう、ゼレーニン」

 

サクナヒメの言葉は、鋭く論理的だ。

 

子供にしか見えないこの武神は、火が出るような戦い方といい。その鋭い洞察眼といい。見かけと性格が乖離しすぎている。ガハハハハと豪放に笑ったと思えば、極めて緻密な言葉も発する。子供のように見えて、精神は明らかにそうではない。

 

ベッドで半身を起こしているゼレーニンに、サクナヒメはオニギリを渡してくる。

 

悔しいが、これがとても美味しい事は、ゼレーニンも知っていた。

 

「普通の者はこれを食って美味いと思う。 わしを畏怖するものは、これを食えばわしに信心を向ける。 だが、真田は言うておった。 技術者や科学者は、これがどうして美味いのか分析する、とな」

 

「そうかも知れませんね、プリンセス。 分かる気がします」

 

「分かれば良い。 真田はそなたを買っておる。 ならば、悪魔と言うだけで拒絶反応を示すのではなく、相手を分析せよ。 そしてその分析が、ノリスのような犠牲者を減らす事になろう」

 

サクナヒメは、今だカプセルの中で眠らされているノリスを視線で指すと。

 

医療室を出ていった。

 

ゼレーニンは、返す言葉も無く、ベッドで項垂れるしか無かった。

 

お前は信仰の徒である前に科学者だ。科学をもって皆を救え。そう、サクナヒメは言っていたのだ。

 

そしてそれが正しい事は、ゼレーニンにも分かっている。

 

オニギリは悔しいくらい美味しい。天穂というブランドらしいが、本当にシンプルなのにおいしい。シンプルイズベストという奴なのだろう。しかもこれでいて、とても奥が深い食べ物だという。

 

目元を何度か拭う。そして、一日休んだ後、許可を貰ってまたプラントの調子を確認するべく仕事に復帰した。

 

一日休んだ筈なのに。外に出てしばらくプラントを見ていると。やはり声が聞こえはじめる。天使を周囲に展開しているが、反応する様子は無い。明らかにゼレーニンを狙い撃ちしてきているのだ。

 

稼働しているプラントは、此処で得られた物資を使って、ユニット化して更に二セット増やしている。

 

ベルトコンベアを作り、大きなゴミもどんどん運び込み。資源化している。

 

此処のゴミは、大きなゴミが多く。汚染物質も多いが。その分極めて貴重な物質を山のように含んでいる様子で。

 

プラントから出てくる物資は、どれも極めて高価なものばかりだった。

 

ラボは大歓喜。真田技術長官に許可を貰って、どんどん前倒しで色々なものを作っているらしい。

 

また、方舟から砲撃。ゴミの山を崩しているのだ。そんな中でも、やはり声が聞こえる。嫌な声が。

 

「お前は心が美しいが硝子のように脆い。 女共はお前を忌み嫌っている。 自分よりも美しいからだ。 では男共はどう思っているか。 お前に性欲をぶつけて、思うままに蹂躙しようと思っている。 そう、ボーティーズとお前達が呼んだ世界で、ミトラス配下の悪魔どもがお前にそうしようとしたようにな」

 

「やめて……!」

 

「視線には気付いているのだろう? お前の胸や腰に男の視線は常に纏わり付いているのだ。 なぜなら別に育てる気など無くてもお前に子供を作らせたいし、お前で欲望を発散したいからだ。 それが人間というものだ」

 

「ゼレーニン!」

 

鋭い声と共に顔を上げると、ヒメネスだった。

 

厳しい表情で、思わず小さく悲鳴が漏れた。だが、ヒメネスは周囲を油断無く見張っている。

 

「なんか変な声が聞こえてるんだろ。 また聞こえてるのか!?」

 

「さ、触らないで……!」

 

「何だお前男性恐怖症か何かか?」

 

違う。そんな事はない。ただ、さっきから聞こえている声は。明らかにトラウマを誘うものだった。

 

確かに男女では性に関する考えが違うし、人間の動物としての部分がある事くらいはゼレーニンだって分かっている。

 

だが若くして俊英ともてはやされ、飛び級で大学を出て、国際再建機構に入って忙しく働いているゼレーニンは男女交際の経験も無かったし。両親は敬虔なロシア正教徒だった事もあって、ゼレーニンに早く男を作れとか、そういう要求もしてこなかった。

 

それにゼレーニンはいわゆる高嶺の花だったからだろう。自覚はあまりないが容姿はとても優れているらしいし、博士号持ち。更に言えば国際再建機構のエリートである。男もあまり寄ってこなかった。それでいながら、昨日も今日も聞こえてくる声が指摘してくるように。

 

ゼレーニンに対する周囲の視線は、肉食獣のそれだった。

 

分かっている。そういうものだと。だけれども、どうしても、ボーティーズのトラウマが抉られる。それも分かっている。分かっているのに、どうしようもない。

 

首を振ると、まだ揶揄するように飛んでくる声。

 

「どうして欲望に忠実にならない。 悪魔とみだらにまぐわえ。 そなたの欲求は全て一発で消し飛ぶだろう。 人間などより余程強烈な快楽が得られるぞ。 周囲に悪魔は幾らでもいる。 何なら性を知り尽くした悪魔を寄越してやろうか?」

 

「い、いやっ!」

 

「様子がおかしい! 誰か、女性クルーいるか! こいつを医務室に連れてけ! ああもう、クソッ!」

 

ヒメネスが苛立っているのが聞こえて。それが怖くて仕方が無い。ヒメネスはどうしてゼレーニンに敵意を向けるのか。ゼレーニンだって、ヒメネスが苦手だけれども。いつもどうしてああ痛烈な言葉ばかり叩き付けてくるのか。

 

メイビーが来て、ゼレーニンに肩を貸してくれる。また医務室に。デモニカを真田技術長官が持っていく。

 

ゾイに、心の中に言われた事を全て言って、カルテをとられる。

 

それだけでも、相当な屈辱だった。

 

「別に貴方男性恐怖症でもないでしょう? そうなるとボーティーズの出来事がトラウマになっているのかしら」

 

「……」

 

「ボーティーズの件は仕方が無かったのよ。 元々ミトラスの配下は破落戸同然だったようだし、ノリスだって貴方を恨んだりはしていないわ。 悪魔は心の隙間を突こうと狙って来るという話だし、此処の悪魔にはその傾向があるのかも知れない。 もしも悪魔の攻撃であるのなら、真田技術長官がどうにかしてくれるわ」

 

「……はい」

 

また一日休むように言われた。

 

外では殆ど戦闘は起こっていないらしいが。それでも、時々怪我人が運び込まれてくる。機動班は怪我とずっと向き合う仕事だ。ましてデモニカが破損すると、極限環境ではそれだけで命に関わる。

 

眠る。両親はずっとゼレーニンを大事にしてくれた。あのおぞましい声は、流石に船内では聞こえない。

 

目が覚めると、真田技術長官に呼ばれる。デモニカに異常が見つかったのだろうか。

 

研究室に出向くと、真田技術長官がゼレーニンのデモニカのログを調べていた。こう言うときの真田技術長官は、少しばかり怖い。

 

鬼気迫っているというか。本当に研究が好きで、其所から色々なものを作り出してきた人の凄みというか。そういうものが感じられる。

 

真田技術長官は、ゼレーニンに座るように言うが。ゼレーニンの方を見ていなかった。

 

「ログを確認した。 どうやら極めて微弱ながら、脳に直接何かしらの思念が送り込まれている様子だ。 デモニカを通るときは思念は平坦だが、脳の内部で増幅されているようだな」

 

「やはり悪魔の仕業だった、と言う事ですか」

 

「そうなる。 今、デモニカのアップデートをしているところだ。 だが、物理的に直接悪魔が話しかけてくる可能性も今後はある。 それに今回の件で、君はトラウマを刺激されたのでは無いのか」

 

真田技術長官はずばりと聞いてくる。ゼレーニンは、その通りだから。応える事が出来なかった。

 

大きくため息をつく。

 

「サクナヒメとの会話については把握している。 姫様が言う通り、我等はまず技術者で科学者だ。 君もそれは同じ筈だ。 マンセマットを今まで以上にこの場で罵倒するつもりは無い。 だが、君はまず科学者として、客観的見地から現象を観察し、分析するべき立場にいるのではないのかな」

 

「返す言葉もございません」

 

「……君は優れた科学者だ。 だからこそ、君に的を絞って敵は仕掛けて来たのだとも言えるだろう。 デモニカを改良したから、君に対しての精神攻撃は防ぐことが出来ると思う。 悪いが、すぐに外に出て、効果を確認してほしい」

 

頷くと、ゼレーニンはデモニカを着込んで、外に。

 

メイビーが一瞬心配そうにしたが、大丈夫と言ってプラントの指揮に戻る。ゴミ山を崩す作業はまだまだ中途なのだ。休んではいられない。

 

見ると、かなり作業は進捗している。ゴミ山は建築途上のピラミッドが如き姿になっている。どんどん崩されている様子だ。プラントも、もう一つ作ろうという勢いである。

 

声は、聞こえない。前は、もうプラントの指揮に取りかかったら即座にという勢いだったのに。

 

だが、警告音は鳴っている。恐らくだが、精神攻撃を仕掛けてきているのだろう。だけれども、もう何も聞こえなかった。

 

ヒメネスが来る。表情は険しいが、或いは敵意は無いのかも知れない。

 

「おう。 真田の旦那が昨日皆に話してたぜ。 精神攻撃を受けたんだって?」

 

「ええ。 とても卑劣な攻撃だと思うわ」

 

「それは違うぜ。 戦争では勝った方生き残った方が正義だ。 精神攻撃は立派な戦術の一つでな。 敵はその辺りを良く知っているって事だな。 誰だか知らないが手強いぞ」

 

ヒメネスの言葉は現実的だ。スラム出身のこのヒスパニックの精悍な男性は、いつものようにゼレーニンに対して敵意むき出しでは無かった。

 

いつも攻撃的なのは、何故なのか。聞いてみようかと思ったが、止める。ヒメネスが、相棒にしているバガブーを呼び出すと、一緒に哨戒に行ってしまったからである。言いたいことだけ言って。そうぼやきたくなったが、今は仕事だ。

 

それに、精神攻撃をして来た悪魔は許せない。

 

この作業は、敵の城を崩すための作業でもある。城を崩してしまえば。無敵の鎧を失ったオーカスのように、敵の弱体化は必至だ。

 

勿論まだまだ何重にも防御策を講じている可能性もある。油断は出来ないが、それでもやらなければならない。

 

プラントにどんどんゴミが吸い込まれていく。

 

警告音はまだ鳴っていた。

 

完全に無視していると。やがて静かになったが。効果がなくなったと、敵も判断したのだろう。

 

不愉快だけれども、ヒメネスが言うように。敵が戦いというものを知り尽くしているというのは本当なのだろう。

 

効果が無いと判断した瞬間、精神攻撃を止めたのだから。

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