スキップドライブに成功し、庭園のような世界の片隅に着地した後。しばらく周囲の調査を実施し。クルーは下りる事が出来なかった。
美しい庭園のような世界だが、外の環境は今までに無い苛烈さだと言う事がわかってきているのだ。
気温は二百度を超え、気圧も三十気圧近くある。大気の成分には、何と水銀が大量に含まれており。酸素は1%もない。
澄んだ青空と、美しい庭園が拡がっている世界だというのに。
そして、既にドローンが確認しているのだが。
彼方此方に、あからさまな有毒物質で満たされた毒の沼が点在しているのである。
いずれにしても、全てに対策が必要だ、という結論を方舟の上層部が出したらしかった。
真田さんは研究室に缶詰。
一方で、幹部達は公開映像で、国際再建機構の本部と連絡を取っていた。
新しい空間に侵入成功した事。
更に、どうやら此処が脱出可能なバニシングポイントである可能性が高い事を告げると。米国大統領は、冷や汗を掻きながらめでたいと言った。
映像通信では無いが。今まで、重力子通信でデータはやりとりしている。
今まで得られたシュバルツバースのデータを常に送り続け。逆に外の状態も送られ続けている。
幾つかの情報を口頭でやりとりするのは、基本的に「安心」のためだ。
また、通信装置に余裕があるから、でもある。
地獄のシュバルツバースを航海しているクルーの心の安全。
シュバルツバースが日々拡大していることに怯えている外の首脳部の心の安心。
それらのためにも。
こういった、直接通信は必要になってくる。
しばしして、米国大統領に、居残り組のボスである国際再建機構の副長官が替わる。
実直な人物だ。居残り組を、良くまとめてくれてもいる。
データもきちんと送ってくれていて。既に南極の半分以上がシュバルツバースに飲み込まれたことも、それで分かった。
「此方でも、判明した事がある。 ライトニング号のことだが……」
「き、きみ!」
「ライトニング号は、米国政府によって「財団」に売却されたことが分かった。 機密になるものは抜いた上でな」
「やはりそうでしたか」
アーサーの答えは淡白だ。
既に前回の通信で、ライトニング号についてのやりとりはしたし。それで予想はついていたことである。
唯野仁成も「財団」の事は知っている。
いわゆる巨大軍産複合体で、近年は流通業に手を出し、莫大な利益を上げている組織である。
その工場は現在の強制収容所と呼ばれる程に過酷な労働が労働者を蝕み、人権も何もあったものではないのだが。
何しろ国際的に巨大な影響力を持つ組織である。国際再建機構でも、潰すのには入念な準備がいる。
シュバルツバースが出現する前には、正太郎長官はこの財団との対決を準備していたようなのだが。
運が悪いことにシュバルツバースが出現。
国際再建機構の総力を、対応に傾けなければならなくなってしまったのである。
アーサーが感情の無い声で、淡々と追撃を掛ける。
「米国大統領。 貴方はこの件を知っていましたね」
「……ぜ、前任者のした事だ。 ただでさえウチの国は、今完全失業率が25%にも達しているんだぞ。 余分な金なんて……」
「そうなると、ライトニング号を近代改修した財団が、シュバルツバースにライトニング号を送り込もうとしていることは間違いないでしょう。 現在、ライトニング号と思われるアンノウンの位置は」
「もう南極のすぐ側だな」
周囲の軽蔑しきった視線に、米国大統領が萎縮するが。
周囲の連中だって、別にクリーンな政治家でも何でも無い。
国際的に問題だらけの現在、どいつもこいつも似たようなもの。同じ穴の狢である。
というか、こんな連中が好き勝手をしているから、シュバルツバースが湧いたのだろう。
唯野仁成は、情けないを通り越して、怒りさえ沸いてくるのを感じた。
「米国の諜報機関はその様子では動いていますね。 ライトニング号に搭載されている装備や人員については分かりませんか」
「……分かっている範囲でデータを送る」
「それで結構です。 通信時間がそろそろ限界のようなので、画像ありの通信は以上とします」
ふつりと画像を切る。
ゴア隊長がため息をつく。母国の大統領である。あまりにも情けないと、全身で思うのだろう。
とはいっても、今の時代まともな国家元首なんて方がレアケースだ。
唯野仁成の国だって、ロクな国家元首が出ていない。
どこでも同じである。
アーサーが、淡々と言う。
「財団が仕掛けてくるとなると厄介です。 今までも、複数の紛争を裏から操り、それで莫大な利益を得てきた集団です。 基本的にエゴでのみ動く組織であり、シュバルツバースに突入してきたら何をするか分かりません」
「この方舟ですら空中分解しかけたんだぜ。 無事に突入なんか出来るのか?」
ヒメネスの言い分ももっともだが。
それは楽観だ。
案の定、アーサーがその楽観は好ましくない事を指摘する。
「国際再建機構から漏洩した技術の一部が財団に渡っている事は、残念ながら既に確認済みです。 更に、この重力子通信を彼らが傍受していたとなれば、対策を講じていてもおかしくはないでしょう」
「ハッ。 人類が滅ぶまで一年だか二年だかしか残ってないんだろ? 銭ゲバのカス共が、何を考えて……」
「そんな事よりも、奴らが脅威になった時に如何に叩き潰すかを考えておくべきだろう」
さらっとストーム1が言う。
皆が、ぞくりとした。
ストーム1は兵士だ。時々とんでもない合理主義的な事を口にする。普段は弱者の爪牙たれと心がけているようだが。
逆に言うと、世界の富を独占してやりたい放題している現在の地球のガンに対しては、あまり良い感情を持っていないどころか。その私兵を蹂躙することをむしろ積極的に行っている様子だ。
好待遇でこれらの大規模軍産複合体が傭兵を雇おうとしても、有名な人物は殆ど立候補しないらしいが。
それはストーム1に目をつけられることを警戒して、のことらしい。
まあそれはそうだ。残忍で怖い物知らずの麻薬密売組織が、ストーム1を敵に回すと判断したら、速攻で離散してしまうほどなのである。
地獄のような紛争を、文字通りの圧倒的暴力で早期解決したことが一度や二度では無い文字通りの「唯一なる」「ストーム」。
そのストーム1が、怒りを覚えているのは確実だ。
「仮にライトニング号が突入してきて、財団の連中が横やりを入れてきたら、対応は俺に任せてほしい。 鎮圧なら三分でやってやる」
「お、相変わらず頼もしいなストーム1の旦那」
「……そうだな」
ストーム1の声には、怒り以上に強い憂いもあるようだった。
気持ちは、何となく分かる。
このシュバルツバースで、皆が嫌と言うほど人間の業を見てきているのである。それについては、重力子通信で外にも送られているはずだ。
それなのに、そんな状態を何とも思わず。
重力子通信を介して、シュバルツバースに眠っている資源だのビジネスチャンスだのだけを狙って、わざわざ米軍の骨董品を駆ってシュバルツバースに来て、好き放題するつもりだとしたら。
それこそ悪魔が大笑いするレベルの愚かさだ。
いずれにしても、殺気立っている空気の中。咳払いの声が響いた。
真田さんだった。
「皆、待たせて済まない。 これよりデモニカの根本アップデートを行う。 デルファイナス以上の危険物質と、今までのシュバルツバースの空間からも考えられないほどの危険な環境での活動のためだ。 今までのデモニカでも活動は可能だと判断していたが、より安全を期するためにも、かねてから開発していた機能を幾つか盛り込むことにした。 機動班から順番に改良を実施する」
おおと、皆の中から喜びの声が上がる。
来ましたかねてから開発していた。
真田さんのこの言葉が出るだけで、どれだけの安心感があることか。
すぐに皆、指定された物資搬入口に急ぐ。既にデモニカの根本アップデートのための装置が準備されていた。
デモニカは情報を蓄積し、経験を力に変えていくスーツだ。
しかも真田さんが改良したデモニカは、その経験を並列化し、着ている全員の経験を集約して、各自に還元する。
今まででもその機能があったが。
根本アップデートした後のデモニカの説明書を軽く見てみると。その効率が今後は更に上がるらしい。
有り難い話である。
半日ほど掛けて、クルー全員分の根本アップデートを完了。
その後は、いつもと同じだ。
まずは一旦降りて、周囲のデータを採集する。
唯野仁成も、今回はケンシロウ班に混ざって降りる。周囲は荒野ではないが。調査班がサンプルを回収して調べていくと。生えている草らしきものは、どうも地上の草とは完全に別物であるらしい事が分かってきた。
デモニカが無ければ、一呼吸で絶命は確定の地獄だ。
生えている草も、青々と茂っていても全くの別物でも不思議では無い。
食虫植物ではないだろうか。そんな不安もあったが。
機動班として、ゼレーニンをはじめとする調査班が、まずは方舟の周囲を調査するのを護衛している限り。
いきなり植物から不意打ちを食らうことは無かった。
何度か調査班を護衛し、プラズマバリアの範囲内で調査を続けていく。ゴア隊長も、装甲車に乗って出ていて、いざという時に備えてくれていた。
三度目。
ストーム1の配下として、出る。ストーム1は寡黙だったが。咳払いして、話しかけてみることにする。
「財団と、何かあったんですか」
「……財団にジャックという傭兵がいる。 名前から察しがつくと思うが偽名だがな」
「腕利きなんですか」
「腕という点ではそこまでではない。 だが、恐らく俺が知る限り、もっとも邪悪な人間の一人だ」
其処まで言う程の相手か。
唯野仁成も、人間の業は散々見てきているが。ストーム1ほどの人がそこまでいうとなると、穏やかではない。
「少し前にクズの金持ちが、私有地の島にて盛大に児童虐待をやっていた事が明らかになっただろう」
「はい。 あれは国際再建機構で暴いて、動きが鈍いICPOに代わって部隊を派遣して鎮圧したんでしたね」
「そうだ。 その時には逃げられたが、あれは財団絡みの案件だ。 ジャックはあの案件で、財団側から顧問として派遣されていた。 人身売買と護衛のな」
初耳だ。
恐らくだが、国際再建機構でも最近掴んだ情報なのだろう。そしてそんな機密を話しても良いとストーム1が判断するほど、唯野仁成が信頼されはじめている、と言う事も意味する。
「財団は何でも売る。 世界中に根を張った奴らは、子供の臓器だろうが麻薬だろうが、テロリストだろうが、無差別テロ用の爆弾だろうがドローンだろうが、それこそ金になるものは何でも扱う。 何度も支部は叩いたが、それでも致命打は与えられていない。 もしも許されない人間の業が存在するとしたら、その極北とも言える集団だろうな」
「ジャックという男はその急先鋒なんですか」
「ああ。 昔から傭兵の面汚しと言われていた奴だが、財団に入ってからはその手口の残虐性は更に増してな。 さっき例に挙げた事件でも、財団が関わった証拠をあらかた消したのが奴だ。 見つけ次第殺してやるつもりだったが、財団が切り札として派遣してくるなら間違いなく奴だろう。 丁度良い。 姿を見かけ次第、頭を撃ち抜いてやる」
凄まじい。ストーム1が此処までの怒りを見せるのは初めて見た。
ケンシロウを怒らせるのが一番危ないと思っていたが。
ストーム1も、考えてみれば世界中のテロリストを怖れさせている最強のワンマンアーミーだ。
この人も、本気で怒らせるのは避けよう。
そう、唯野仁成は思った。
一旦、撤収命令が出る。同時に、プラントが外に展開された。物資は充分な筈だが。色々やる事はあるのだろう。そもそもデモニカの根本バージョンアップをしたばかりだ。何か貴重な物質が足りなくなっているのかも知れない。
プラントの稼働と同時に、機動班クルーの精鋭が整列する。
これからエリダヌスを攻略するのだが。此処はさながら迷路だ。
複雑極まりない此処を攻略するには、迷子にならないように少しずつ、確実に進んでいくしか無い。
調査班のクルーが一チームに一人必ず入る事が説明される。
機動班クルーは複雑な顔をしたが。
調査班が、いつも適切な仕事をしているのは事実だ。
何より調査班が持ち帰った情報で、マップが作られたり。何より真田さんが新しい開発をしてくれる。
それを考えると、今回はやむを得ないのかも知れない。
皆が揃った所で、ゴア隊長から説明がある。
「エリダヌスの規模は、今までの空間とは桁外れだ。 この庭園のような宮殿部分だけでも、嘆きの胎を除く四空間の数倍だと言う事がわかっている。 バニシングポイントがあるから、というのもあるだろうが。 それより懸念するべきは、悪魔達がたびたび口にしていた「大母」という存在だ」
頷く。
大母という存在が何かは分かっていないが、既にクルーの間では憶測が飛び交っている。
例えばギリシャ神話に登場するガイアなどの、地母神の中でも最高クラスの神々か。
それとも、メソポタミア神話に登場するティアマトや、北欧神話に登場するユミルのような、原初の神か。
いずれにしても、相当な手強い存在であることは確定だろう。
「此方にはスペシャルがいるといっても、この庭園の構造は複雑極まりなく、連携は極めて難しいと判断して良い。 無理だと判断したら即時撤退してほしい。 恐らく、今まで遭遇してきた空間の支配者よりも、更に格上の存在だと考えるべきだろう。 それでも皆で生還する。 そのために頑張ろう」
敬礼し、皆でイエッサと答える。
それから、プラズマバリアを解除。
デモニカの根本アップデートの性能を試すのはこれからだ。ただ、手にしている装備が若干軽くは感じる。
ストーム1班に入った唯野仁成は、サクナヒメ班に入ったゼレーニン、ライドウ氏の班に入ったヒメネスと、それぞれ別に複雑な庭園に入る事になる。
このチームに入った調査班のクルーは寡黙な男性で、今までも何回か任務を一緒にこなしたが。ケンシロウ以上に何も喋らない。
ただ、無言でそこそこ強い悪魔を展開して支援してくれるので、安心感はある。
庭園に入ると、殆ど間を置かずに、大きな猿のような悪魔が姿を見せる。学者のような格好をしているが、あくびをしている様子から、敵意はないようだ。
「驚いた。 人間がもうこんな空間まで来たのか」
「敵意は無さそうだな。 貴様は」
「わしか? わしは魔神トート」
すぐに調べて見る。
エジプト神話に登場する神の一柱だ。ヒヒやトキの姿をしていて、現在ではトートと呼ばれているが、実際にはジェフティと呼ばれていたらしい。
知恵を司る神だから、学者っぽい格好をしているのだろう。
いずれにしても古代神だ。敵意が無いなら、情報源として期待出来る。
ストーム1が頷いたので、唯野仁成が前に出る。
興味本位か、アリスもぽんとPCから出て来た。
「おさるさんだあ」
「おや、お嬢さんは確かベリアルやネビロスが作った」
「アリスだよー」
「久しいな。 こんな所で会う事になるとは思わなかったよ。 今はその人間にしたがっているのかい?」
うんうんと頷くアリス。猿が好きなのだろうか。
ともかく咳払いすると、話を聞く事にする。トートも、唯野仁成を見ると、興味を持ってくれたようだった。
「人間がこのシュバルツバースに来ている事を知っているのか?」
「そりゃあそうよ。 だってわしも同じように外から来たのだからのう」
「!」
「今此処には、あらゆる勢力の神々やその下僕が集まっておる。 確かあんたたちの国の神々も見かけたぞ」
そうか、日本神話の神々もいるのか。
サクナヒメが見たら何というかちょっと不安だが。ともかく、順番に話を聞いていく。
「貴方はどうして此処に?」
「そりゃあ力を回復する為よ。 此処は地球に対して色々やりすぎてしまった人間の負の精神を吸い上げているからのう。 わしらにとっては、居ながらにして力が増すようなものじゃて」
「なるほど……」
「わしらの世界も厳しいんじゃよ。 何しろ、一神教徒が油断するとすぐ迫害に来るからのう」
トートは魔神と言う事は、中庸の重鎮と言う事になる。
中庸の勢力にも、一神教は良く想われていないのか。相当だな。そう思いながら、順番に話を聞いていく事にする。
トートは唯野仁成をやはり気に入ったようで、色々な話をしてくれる。
これが力になると信じ。
周囲の警戒を任せて、唯野仁成は順番に話を聞いていくのだった。
(続)
大母の空間であるエリダヌスに侵入する英雄達。
しかしそこでも、更なる苦難が立ちふさがります。
大母は英雄といえど、簡単に倒せる相手ではない……ということです。