しかし地獄の穴は、生半可な覚悟でいける場所ではありませんでした。
英雄達を乗せてなお、早速試練が方舟を襲います。
序、極寒の地の大穴
顔を上げる。
艦内放送があったからだ。
ベッドから先に起きだしていた俺は、早々に着替えを済ませる。仕官用のベッドだが、別にそれはどうでもいい。実の所、個室があるわけでもない。千人からが長期間過ごす船である。
待遇の不平等は反乱につながる。
綿密な計算の上に、様々な設計がされているこの方舟だが。
俺が使っているベッドは、一般兵卒。この組織では戦士と呼んでいたか。いずれにしても、普通の兵士や、非戦闘員が使っているものと同じである。部屋には他にも船の関係者が寝ている。要するに士官も兵士も、使っているベッドも部屋もあまり変わらないのだ。
ただ、国際再建機構の士官はみな相当な熟練者ばかり。流石に経験を積んでいる。
すぐに着替えを始めていた。
「……南極に着いたようだな」
「ああ」
上のベッドは譲った。
この長身の男に、である。
ケンシロウ。
北斗神拳とかいう超絶の武技を使いこなす男。実はコードネームストーム1で呼ばれている俺もそれなりに長身なのだが、この男ほどでは無い。
そしてこの男、殆ど喋らない上に、生活能力が皆無である。
何でも家では一つ上の兄である三男の家族に養って貰っていたらしく。
超絶の技も現在では日常において使い路が無く。
国際再建機構がスカウトしてようやく使い路が出来、高給取りになった今は。三男の家である孤児院に仕送りしているとか。
兄である三男とは昔相当に揉めたそうだが。
今ではすっかり和解しており。
兄は自分を超える弟が認められて誇りだと素直に喜び。
ケンシロウも、兄に恩返しが出来て嬉しいと喜んでいるようだ。
前に、ぼそりと俺に話してくれた話だ。
ケンシロウは滅多に自分の事を話さない。だから、逆によく覚えている。
国際再建機構のエースとなってからは、肩を並べて各地で悪党を退治して回った。
邪悪な薬物を売りさばく組織。
腐りきった政府の官僚。
テロリストども。
国が腐っている場合は、俺たちに出来る事は少ない。だから、明確な悪党を倒す事だけが俺たちの仕事。
近代戦を得意とする俺と。
超絶のインファイトで絶対に勝てるケンシロウ。
コンビを組む事も多かったし。
別々に戦う事もまた多く。
互いに顔を合わせたときは、戦場がどうだったかを話して。この世のままならさを嘆くくらいの仲にはなっていた。
なお、この国際再建機構も、どこの軍とも代わらずレーションはあまりおいしくないのだが。
ケンシロウは一人でいるときはカップラーメンばかり食べているそうで。
レーションを喜ぶ、俺があった中でも珍しい人間である。
国際再建機構では、兵卒の人間関係はしっかり調べているらしく。
仲が良いもの同士でベッドを近くにしているらしい。
この組織の上層部は、俺も信頼している。
トップがトップだからである。
伝説のロボット操縦者。
鉄人28号を駆って戦後の混乱期に大活躍し。
そして今ではこの組織の長になっている正太郎長官。
歴史にそれほど詳しいわけでは無い俺でも知る、文字通り伝説の男だ。
しかしながら、そんな生ける伝説がこれだけ尽力しても世界はろくでもない事だらけで。
とうとう、こんな訳が分からないシュバルツバースだの悪魔だのの騒ぎまで始まってしまった。
朝の作業を一通り済ませると、デモニカスーツを着込む。
視界は阻害されない。
体も別に重くはならない。動きもほぼ邪魔されない。
この手の極地用スーツというのは、視界は狭まるわ動きも駄目になるわで、昔はロクな代物ではなかった。良い例が宇宙服だろう。宇宙服そのものは人類の叡智の結晶とも言える高度テクノロジーの塊だが、その鈍重さだけはどうしようもなかった。
だがこのデモニカは違う。
むしろ着ている人間の動きを補助すらしてくれる。パワードスーツも兼ねているのだ。
極限までストレスを減らす作りになっているらしい。あの真田技術長官が心血を注いで改良したという話だが。それも納得だ。
正太郎長官の右腕として、「真田さん」と皆に敬愛される人物である。どんなに無茶を言っても答えてくれる。そして真田さんが作ってくれた装備で、俺は夥しい成果を上げてきたのだ。
そんな俺でもいつも通り満足出来る出来だった。
ケンシロウも既にデモニカスーツを着込んでいたが。やはり不器用なせいか、多少苦労していた。
彼は元々拳法をやるために品種改良までしてきたような一族の出らしく。
骨格からして違っている。
怒りが頂点に達すると筋肉が膨れあがって、下手をすると服を吹き飛ばしてしまうらしく。
故にデモニカスーツに高度な伸縮性を持たせる事を真田さんがやったそうである。
まあ、ケンシロウの戦力を思えば当然か。
苦労しながらデモニカスーツを着込んだケンシロウと頷きあうと。
それぞれ持ち場に向かう。
俺がやる事は、艦橋の護衛。
ケンシロウがやる事は、揚陸艦の能力を持つこの方舟の最大の弱点部分。
要するに、物資搬入口の集中護衛だ。
本来は逆を担当すべきと言う声もあったのだが、実はこの巨大な船、艦橋部分は相応に広い。
もしも何かしらに侵入された場合、ケンシロウでも守りきれないかも知れない。
更に言えば、無駄弾を一切撃たない「スペシャル」として今回の任務に呼ばれた俺である。
その辺り、信頼されている、と言う事だ。
前からすたすたと歩いて来る小柄な影。デモニカスーツは着ていない。
向こうから、声を掛けて来た。
「おう、そなたはすとーむわんであったな」
「俺がデモニカスーツを着ていても分かるのか」
「そなたは尋常では無い戦気をまとっておるからのう。 わしくらいになるとすぐに分かるわ」
ガハハハハと、豪快に笑う。
神であるらしいサクナヒメだが。何度か戦闘演習を一緒にやった葛葉ライドウ曰く、この世界には本来存在しない神であるらしい。
伝承が無いどころか。明らかに存在しない場所から来ている、と言う事だ。
「そなた、この戦が終わったらわしの国であるヤナトへ来ぬか? 人から神になったものはヤナトにも多い。 そなたほどの豪傑であれば、我が国でも大いに歓迎するぞ。 それにこの世界が平和になれば、そなたを世界は持て余すだろう」
「有り難い話だが、まずはシュバルツバースに突入してからだ。 それに俺には首脳部や牙無き者を守る大事な任務が第一としてある」
「そうか。 その言葉、誇り高き歴戦の勇士そのものよな。 ……また会おうぞ」
「ああ」
すたすたといくサクナヒメ。歩く様子に子供らしさは無い。むしろ小さいながら、重心をしっかり抑えていて、全く隙が無い。戦闘を知り尽くしている存在の動きである。多分持ち上げるのは相当に難しいはずだ。柔道の達人がそうであるように。
それにしても、サクナヒメというあの神格。大和では無く「ヤナト」と言っていた。
古代の日本が自国をなんと称していたかは諸説あるらしいのだが。
少なくとも「ヤナト」はない筈だ。
そしてサクナヒメは言っていた。また会おうと。
彼女の持ち場はケンシロウ同様、最初に敵が侵入する場所を想定した、物資搬入口である。
此処には他にも手練れを何名か派遣する。
だからこそ、他が危ないのだ。
必ずや生き延びろ。
そう、あの幼児の姿をした武神は暗に言っている。
それに、勿論俺も応えるつもりだ。
艦橋に到着。
既に正太郎長官はいて、敬礼をかわす。
俺は何度か直接話した事があるが。長官に悪い印象を抱いたことは一度もない。
兵卒にも丁寧に接する一方、身内人事を一切しない厳格な人で。家族の居場所は明かしておらず。同時に国際再建機構の幹部にも据えていないらしい。
俺も期待されているらしく。
戦果を重ねてコードネームを貰った頃には、何度か直接話をし。会食などをたまにする仲にもなっていた。
初期から現在まで最前線で国際再建機構を支えた俺だが。
残念ながら既にロートルである。
これ以上自分の身体能力が伸びないことは自覚している。
覚える事は色々出来るだろうが。
基礎能力を上げることは、もう不可能だ。
故に、今回の旅では後継者を育成したい。そういう強い思いがあり。正太郎長官にも、それは伝えていた。
「今日はいよいよ突入の日だ。 高確率で「悪魔」と思われる存在の迎撃があると見て良いだろう。 君には艦橋の皆の命を預ける」
「イエッサ!」
「うむ。 それでは、その席を任せる」
艦橋は生命線だ。
艦の中枢にあるから。簡単に敵の侵入は許しはしないだろうが。
それでも侵入されると、首脳部が壊滅する可能性がある。
俺は、回る椅子に座った。
これは艦橋の全てを一瞬で認識するため、である。普段はロックしてある。
場所も、艦橋の先頭付近。
此処でロックを解除して、椅子ごと回れば。
周囲を一瞬で全て把握することが出来る。
既に葛葉ライドウの協力により、敵の尖兵となりそうな悪魔のデータはデモニカスーツに入れてはいるが。
それでも何があるかは分からない。
敵の一部が、どうも自分より精神力などで劣る相手に、存在を認識させないという能力を持っているらしいので。
気を強く持たなければならないのは事実だった。
艦橋のオペレーター達。
真田さん。それに今回の探索任務の隊長である、ゴア氏が来る。戦歴においても判断力においても、隊長に相応しい人物だ。米軍にいた頃から評判が良く、米軍は手放すのをかなり惜しんだらしい。
皆とも敬礼した後、席に着き。ロックを確認して、更にシートベルトをつける。
全員デモニカスーツを着けている。
これは、最悪の事態を想定してのことだ。
いずれ宇宙に進出した場合。
危険があるときには、常に宇宙服を着けるのが基本。
そうなるのだろう。
それにしても、これだけ巨大な揚陸艇が陸上、それも南極の雪原を進んでいるのに、まるで揺れが伝わってこない。
凄い技術だな。
俺は、素直にそう思っていた。
軽く身じろぎする。
全くという程揺れを感じはしなかったが。それでも、艦が止まったのは分かった。
「春香くん、頼む」
「分かりました」
艦橋の一員。
今回参加している中で、もっとも本来なら戦闘とは縁遠く。しかしながら長期戦でありながら最も重要な役割も果たす人物。
場の空気を改善する達人。
世界最高のアイドルである天海春香が頷き、艦内放送のマイクを手に取った。
「艦内のみなさん、天海春香です。 いよいよシュバルツバース至近に到着しました」
皆、緊張していることだろう。
流石に今寝ている者はいないはずだ。
順番に、やるべき事を春香が指示していく。
アーサーやゴア隊長が話しても良いのだが。
こういう戦闘以外の事も含め、できる限り春香のアナウンスで船内の放送は回していく。
これは事前に決めていることである。
この探索は、恐らく長期になる。
長期になればなる程、ストレスが強烈になっていく。
それをわずかでも緩和するため、だ。
危険物が近くに無いか。ある場合はきちんと固定されているか。それぞれ自分の身を近くに固定しているか。私物などは指定の棚に入れ、ロックしているか。
それぞれを確認するように、もう一度春香が言う。
そして、確認し次第、部屋の長がそれぞれ、安全確認のボタンを押すようにと。
オペレーターが、進捗率を読み上げていく。
準備が良い部屋は、すぐに来たが。
厨房や動力室などは、流石に時間が掛かった。
そして此処のクルーは動きに無駄がない。
真田さんが既に作業を行っている。
この方舟は、核融合炉を使っているらしいのだが。
並列化した電気系統にバッテリーを混ぜ込んでいて。それによって、フルパワーで稼働する動力を、更に普段はため込んでいるらしい。
そして爆発的な力を発揮する事が出来る、ということだった。
強襲揚陸艇なので、ミサイル艦や巡洋艦ほどの重武装ではないのだが。
艦上には三連の主砲が四門ついている。その中でも中央部にある主砲は、一際に大きい。
噂によると核弾頭を発射できるとか言う事だが。
流石に俺も真偽は知らない。
オペレーターが、何か春香の方にデータを回した。
頷くと、春香が通信を入れる。
「227の安全確認が来ていません。 問題はありませんか?」
「此方227……いやラボ。 薬なんかの細かいものの固定にてまどっちょる。 ちょっとまっとくれ」
「分かりました。 ラボは生命線です。 確実に固定を済ませてください」
「おう、すまんな」
ラボならやむを得ないだろう。
真田さんも苦笑していた。
あらゆる病気に対応出来る薬が揃っているはずで。それも長期戦に備えての事である。
ただ、ベースとなる物資は積載に限界がある。
これから入るシュバルツバースで何も得られないとなると。
流石に厳しくはなるだろうな。
そう俺も考えていた。
地獄の戦場を何度も力尽くで鎮圧してきた俺である。
殺した相手には少年兵だっていた。
非人道的な組織は、当然のように余った子供を買い、兵隊に仕立てる。
そういう子供はしっかり戦闘を仕込まれているし。
戦って無傷で制圧出来るような甘い相手では無い。
俺の手は血に濡れているが。それは必要な犠牲だ。
そう割り切り。少しでも世界をよくするために、引き金を引き続けてきた。
逆に言うと、そんな俺だから現実的にものは考える。
程なくして、ラボから問題なしの回答がある。
もう一度、春香が呼びかけをし。
そして、問題ありの返答がある部屋はなかった。
「それでは、シュバルツバースに突入を開始します。 ほぼ確実に迎撃があるという事です。 揺れが懸念されます。 敵が突入してくる可能性もあります。 皆さん、覚悟はしてください」
春香自身の声に恐怖は一切感じられない。
相当な修羅場をくぐってきている事が確実だ。
俺も噂には聞いているが。
春香は戦地に慰撫で出向いていることはあるらしく。
その過程で戦闘訓練は当然のように受けているそうだ。
ダンスという全身運動で鍛えていたこともあり、基礎的な身体能力はかなり高い方で。
体力についても、全くという程問題は無いらしい。
生半可な兵士より出来るという事で。
彼女はその気になれば、デモニカスーツを着れば戦う事も可能なのだろう。
ただ彼女は、艦内の空気を緩和するための人材である。
戦場に出す事は最後まで許されないが。
艦橋に、全周の映像が出る。
凍り付いた南極に、まるで巨大な光の柱が立ち上っているかのようである。
おおと、声が上がる。
既に直径270キロまで拡大していると聞いていたが。これがシュバルツバース外縁か。
これを飛び越えて、内部に侵入する。
今まではドローンでやっていたが、それでは埒があかない。
だから今度は、人力でやるしかない、と言う事だ。
ただ心配はしていない。
此処にいるスタッフは、文字通り世界最強のスペシャリスト達。
できる筈だ。逆に言えば、此処にいる面子で出来なければ、誰にも出来ないだろう。
ゴアが頷くと。
正太郎長官。今は艦長と呼ぶべきか。
声を張り上げていた。
「ふじょーう。 突入かいーし」
「浮上、突入を開始!」
「突入開始!」
幾つかの声が唱和すると同時に、ぐんと船が浮き上がったのが分かった。
それでも揺れは殆ど無い。
この伸ばすやり方は、聞き間違えるのを防ぐためらしいが。
あのご老体で良くもあれだけ声が出るものだと感心する。
そのまま、浮上を続ける方舟。
ただ、ノアの方舟とこの方舟は違う。
破滅から逃れるための方舟がノアのものだが。
此方の方舟は、破滅を食い止めるためのものだ。
傲慢な神が、気にくわない人間を皆殺しにする破滅から。神が言うまま逃れたのがノアの方舟なら。
誰が起こしたか分からないが。兎も角起きてしまった破滅を、根本から改善するのがこの方舟。
真逆の存在なのである。
直上に上昇していく。飛ぶのは二回目。最初はこの方舟を建造していた地下空間から出る時。
だがあの時とは、上昇する距離がまるで違っている。
エベレストを飛び越すほどにまで今回は上昇するのだ。
凄まじいスパークを放っている光の柱は、どこまでも空に伸びているかのようだったが。
やがて、不意に青空が前面に拡がった。雲さえも無い。雲を飛び越え、更に光の柱をも超えたのである。
さて、此処からだ。
「全員、衝撃に備えてください」
春香の声は落ち着いている。
それが、どれだけ兵士達の声を落ち着かせるか分からない。
そのまま、方舟は。ゆっくり前進を開始した。見えないが、既にプラズマバリアを纏っているはず。
旅が、始まったのだ。