更なるシュバルツバースの深部を目指しますが……
序、稲妻は動く
一線級機動班の大半が動けなくなった事で、しばらく方舟は停止していた。それでも三日ほどだが。
既に動けるようになった唯野仁成は、サクナヒメのいるという神田に出向く。場所としては、方舟の前半部に存在しているビオトープ。方舟の中に空間を確保し、田と、それに関する環境を作り上げた部屋。
サクナヒメにとっての神殿。神田であって、同時に神殿でもある場所。
此処に出入りしている人間は、方舟のクルーの中でも植物に知識があったり、或いは食べるのが好きだったりする人間。
ムッチーノがいたので、唯野仁成は驚いた。嬉しそうにおにぎりを食べているのは、あまりにもイメージ通りの姿だ。
「やあヒトナリ。 姫様に来るように言われたんだって?」
「ああ。 丁度皆動けない状態だし、一度来てみるのも良いと思ってな」
周囲を見回す。
廃田となった場所から取って来たらしい土。上には空はないが、代わりに強めの照明がある。
飛んでいるのはトンボだろうか。周囲には虫もいて、蛙の鳴き声さえある。
蛙は少し前に厄介なのと戦ったが、此処で聞く蛙の声は心地が良い。
「定期的に此処は季節を変えているんだよ。 今は秋でもうすぐ収穫。 蛙たちは彼処の水槽さ」
「色々あるんだな」
水源もある。ポンプで水をくみ上げて、贅沢に使っている。
田んぼはそれほど広くは無い。そもそも四百メートルほどあるこの方舟の中でも、三十メートル四方の空間を確保するのはとても大変な事なのだ。だがサクナヒメが豊穣神であり武神でもある事を考えると、此処は必要だ。
何しろ彼女は最大戦力の一人。
最近ライドウ氏に聞いたが、潜在能力を全発揮すれば、ライドウ氏の手持ちのどの悪魔よりも強いと言う。
まだサクナヒメの力は伸びる。
それを考えると、このビオトープの存在は絶対とも言える。
田植え用らしい、作業着を着たサクナヒメが来る。手にしているのは鎌である。まだ回復しきっていない様子だ。
それはそうだろう。ウロボロス戦で極限まで力を出しきったのだから。意識まで失っているサクナヒメは初めて見た。
「おう、来たか唯野仁成。 手伝って貰おうかな」
「俺は実物の田んぼに触れたことがありません。 何をすれば良いですか?」
「靴は変えて、手もちゃんと洗ってあるな。 ……どれ、服装は」
じっとサクナヒメに見られる。
サクナヒメは前から後ろから唯野仁成の服装を確認した後、帽子を被るように指示。確かに此処は、デモニカ無しでも過ごせるが、日差しがきついかも知れない。それ以上に、髪の毛が落ちるのを避けたいのだそうだ。
「本来はそこまで気にすることでもないのだがな。 このビオトープとやらは狭い上に無理矢理わしに都合が良い田を再現しておる。 故に神経質過ぎるくらいで丁度良いのよ」
「この後はどうしますか?」
「収穫までは……もう少しだな」
サクナヒメが見た所、まだ穂を垂らしている稲は充分に育ちきってはいないようである。
それでも、田んぼの状態は確認したいらしい。
稲を踏まないように注意しながら、田に入る。
稲の茎の状態を確認しているサクナヒメ。何をしているのか聞くと、寄生虫がいないか確認しているそうだ。
日本でもそうだが、稲作は害虫との戦いの歴史だ。勿論病気も怖いが、害虫がとにかく厄介である。
特に浮塵子は甚大な被害を出し続けてきた。
この田に植えられているサクナヒメの稲「天穂」は、そういった病気や害虫とも戦い続けて、強くなってきた品種であるらしい。
そして敢えて強くするために、時々害虫などを入れて様子を見ているのだそうだ。
確認を終えると、田から出る。
もう少しで黄金になると、サクナヒメは言うのだった。
肥の様子も確認している。何でもクルーの排泄物の一部を使っているらしい。随分と本格的にやっているのだなと、感心してしまう。
「流石豊穣神ですね」
「実はわしはな、失態で流刑になるまでまともに稲作をしたことがなかった」
「……」
「流刑先で、知識のある人間と一緒に稲作を覚えた。 最初は苦労してもまともに稲など育たぬでのう。 彼岸花の根から毒抜きをして、団子にして食べたりもした。 稲作を投げだそうとした事も何度もあった」
豊穣神と言ってもこんなものよと、サクナヒメは苦笑いする。
大望を果たし、神々の都に帰った後は。定期的に流刑先に出向いては、稲作を行うようになったという。
其所は第二のふるさとだと、サクナヒメは言うのだった。
「この世界……シュバルツバースにいる悪魔は、ひたすらに人間への恨み事を述べているように思う。 事実わしも呼ばれてからこの世界の醜悪さには辟易した。 だが、話が通じる相手もいる。 それは間違いの無い事実よ」
「姫様にそう言って貰えるのは嬉しいですが」
「……分かっておるな。 この世界にいる悪魔共の言う事にも一利はある。 シュバルツバースの外にいる人間達は、いずれ世界を食い潰す。 シュバルツバースとやらを破壊しても、本当に解決にはなるまいな。 更に先を考える必要がある。 そなたなら、分かっている筈だ」
稲の確認を終えたサクナヒメが田を上がる。
人間に友好的で、共にあることを選んでくれている神。だからこそに、人間に対して厳しい事も言う。
人間と一緒に過ごしたから。良いところも悪いところも知っているのだ。
故に、出てくる言葉なのだろう。
人間に信仰だけを受けて、共に無かったシュバルツバースの悪魔達とこの神は違う。それは再確認させられた。
神田を出ると、サクナヒメは少し力が回復したようだった。農作業そのもので、かなり回復出来るらしい。今はちょっとだけしか農作業を出来なかった。だが、このビオトープでは様々な方法で稲の育成を促進しているらしい。収穫の時は、更に力を増し、回復も一気に出来るとか。
後は、ライドウ氏の悪魔の魔術で回復を進めるそうだ。また、クルー達の信仰も、サクナヒメの力を回復させている。
現時点での力のまんたんまでは、あと数日かかるという事だが。
逆に言うと、その数日は動けないだろう。
自室に戻る。まだ唯野仁成も回復に努めた方が良い。
現在、方舟は嘆きの胎に来ていて、唯一ウロボロス戦で負傷しなかったストーム1が二線級機動班クルーの演習を進めているが。弾の補給と演習くらいしか出来る事がない。
ドローンも飛ばして四層を探ってはいるようだが。現時点で目立った動きは無い様子である。
罠の可能性が高い。
それは、イシュタルにも警告されている。
元々あのデメテルは四層に囚人として捕まっていたらしいが。
それを直接問いただすのは止めた方が良いだろう。
自室のベッドに転がると、他のクルーの状態を確認する。
ウルフはやはりかなり長引くようだ。最新の医療設備を使って、最高の医者がついていても無理なものは無理。
一方ブレアはそろそろ復帰出来るという。メイビーも、本人が戦わないのならと言う条件で復帰出来そうだとか。
ただ、それでも一線級の機動班クルーが半減しているのは事実である。
二線級の機動班クルーの育成を急がないとまずい。
スペシャル達の内、ケンシロウはもう復帰。ライドウ氏は少し傷の回復が長引いてしまっている。
これはライドウ氏が医務室に出向いて調べた所、山のように古傷が見つかったらしく。完治するまで医務室にいるようにとゾイに言われたからだそうだ。完治までは少し掛かるそうで。
要するに現時点では、まともに動けるスペシャルは、ケンシロウとストーム1しかいない事になる。
これまでにない厳しい状況である。
呼び出しがあったので、出向く。
ケンシロウが、二線級の機動班クルーを連れて、ぞろぞろと嘆きの胎二層に降りていくのが見えた。
現状、二線級のクルーでは二層で鍛えるのが限界だろう。
一方、一度戻って来たストーム1は。現在動ける機動班一線級クルーを連れて、四層に潜る。中には調査班のゼレーニンもいる。
今、嘆きの胎に停泊しているが。
その時間を少しでも無駄にしないため、である。
四層もまた、空間がねじ曲がった広い階層であり。六層ほどではないが、強力な看守悪魔が彷徨いている。
一線級のクルーを更に鍛え上げておかないと、次の空間。大母が控えている場所に出向くのは自殺行為。
そう上層部全員が一致で判断し。
こうして、ヒメネスや唯野仁成も含んだ最精鋭で出向いている、というわけである。
幾ら大天使ラジエルを従えて、守りに関して相当なものを得たゼレーニンとは言え。それでも守りに特化しているのは事実。
守りながら動かなければいけないし、かなり難易度は高い。
四層に入って、電波中継器を撒きながら移動していると、いきなり巨大な牛頭の屈強な悪魔に出くわす。背丈は六メートルはある。その上、身の丈大のとんでもない巨大な斧を振りかざして、雄叫びを上げる其奴の顔面に。
出会い頭に、ストーム1がライサンダーFの弾丸を叩き込む。
怯んだところに、それぞれの機動班のエース悪魔が一斉に襲いかかる。唯野仁成は、アリス達を手で制止すると、剣を抜いて突貫。
多数の悪魔に組み付かれて動きが取れない牛頭の悪魔の懐に潜り込むと。
顎から脳天へ、刃を通していた。
鮮血が上下に噴き上がり、牛頭の屈強な悪魔がぐらりと揺れ。
飛び退いた唯野仁成の前で倒れると、マッカになって消えていった。
なお、牛頭の悪魔の斧を持つ腕を的確に射撃しつつ、動きを止めてくれていたのはヒメネスである。
「邪鬼ミノタウルス。 これが、ミノタウルスなのね……」
ゼレーニンが、今撃ち倒した悪魔について調べている。唯野仁成は呼吸も殆ど乱していなかった。
まあ相手が不用意に飛び出してきて、集中攻撃を食らって動けないところに、接近してからの理想的な一撃を叩き込んだだけだ。
普段はこうはいかない。
「ミノタウルスか。 俺も名前は聞いたことがあるが」
「人間と牛の間に産まれて、人間の子供を好んで食し、迷宮に閉じ込められていたという陰惨で凶悪な怪物よ。 ただ、その陰惨な怪物の出自も酷くまた陰惨なのだけれど」
「ハ、人間と牛の合いの子ね……」
ヒメネスが、アサルトのマガジンを交換しながらぼやく。
いずれにしても、四層の看守単独ならそれほど苦労する事はなさそうだ。単独なら、である。
可能な限り、四層の探索を進めておく。
最低でもサクナヒメが復帰してから、次の大母の空間に出向く。そもそも、ウロボロスから回収したロゼッタの解析にも時間が掛かる。次の空間へも、スキップドライブを重ねるようにして赴かなければならない様子であるから、何が起きるか分からない。準備は徹底的にやらなければならない。
今のこの戦力なら、恐らくアレックスに奇襲されても対応出来る。
アレックスからして見れば、唯野仁成どころか、ヒメネスとゼレーニンも揃っている現状、仕掛けてくる好機だろうが。動いてくる様子が無い。アモンを連れていても、勝てる見込みがない。そう判断しているのはほぼ確実だ。
だから、相手が出てくるのは敢えて考慮しない。油断もしないが。
二体目の看守に遭遇。
大柄な魚の上半身を持った、奇怪な悪魔だ。データがないらしい。下半身はタコのようになっていて、口からいきなり猛烈な吹雪をぶっ放してくる。
しかも、雪が酸性の様子で。デモニカが警告をしてくるほどだ。
だが、吹雪がとまる。
ストーム1が、吹雪越しに一撃を完璧に決めたのである。
更に、吹雪を防ぐように、アナーヒターが即時で壁を展開。魚悪魔は、悲鳴を上げて跳び上がった所を、上空に既にいたヒメネスのロキが、拳を固めて叩き落としていた。
後は地面でもがいている所を、よってたかって叩き伏せるのみ。
死んだ後に、情報集積体を回収。
空間の歪みがあるので、アーサーから警告を受ける。奇襲をいつ受けても不思議ではないからだ。
「総員一旦集合。 周囲に警戒を」
ストーム1の言葉に、すぐに皆が円陣を組んで、周囲を警戒する。
ストーム1はこの間のウロボロスのガーディアンとの戦いで、敵の攻勢を完璧に察知して見せた。
もう人間を超越しているとしか思えない勘を持っているストーム1は、戦場の申し子である。
ただ、ストーム1自身は国際再建機構の古参メンバーであっても、元々は軍属では無かったらしく。
その詳しい素性は聞いていない。
どうも警備員をやっていたらしいと言う話は聞いているが。
それ以上は、唯野仁成も知らない。
周囲を警戒したまま、わずかな間を置くが。
直後、飛び出してくる数体の悪魔。
いずれもが、間違いなく看守悪魔だ。
すぐに手持ちの最強の悪魔を全て出して、対応に掛かる。黙々とストーム1が支援射撃をしてくれるので、はっきり言って助かる。動きが止まった相手に、大火力の魔術を叩きこんで、一匹ずつ始末する。
どうもこの階層、人間と他の生物を混ぜたキメラ的な悪魔の姿が目につく。
看守悪魔は一匹でも多く始末しておけば、後が絶対に楽になる。実際問題、既に二層は完全に二線級クルーの演習場兼狩り場となっている。近いうちに、これが三層になることだろう。
激しいが短い戦いを終える。
負傷者が数名出ていたので、すぐに回復を行う。メイビーは戦闘をしないという条件で出て来ていたので、広域回復がすぐに使えるのが大きい。メイビーが展開した女神については、そういえば名前をまだ聞いていなかった。
メイビーに話を聞くと、少し悩んだ後、言われた。
「あれは女神ハトホルよ」
「俺が使っていたハトホルとは違うようだが」
「古代エジプトの信仰はかなり複雑で混線していたようなの。 北欧神話などもそうなのだけれど」
何でも、複数の女神の性質がごたまぜにされ。それぞれがローマ時代まで名前を残しているという。
ハトホルも例外では無いが。
そもそも他の女神などと要素を混ぜられ、強化された状態の、後世のイメージのハトホルがあれだそうだ。
そういえば、唯野仁成が行使していたハトホルよりも、何となく雰囲気が神々しい。
ローマ神話時代には、荒々しいギリシャ神話時代に比べて、神々が神々しくお行儀が良くなったと聞いているが。
ローマ神話ともギリシャ神話とも関係無いエジプト神話の神格まで、その煽りを食っていたと言う事か。
古代のシャーマニズムに近い信仰から、国家運営に密接に結びついた道徳としての宗教へ脱皮する過程に巻き込まれたというのがその理由らしいが。
いずれにしても、より強い力になったハトホルは、頼りになる回復力を有している。
それで、良かったのかも知れない。
いずれにしても、激戦を終えたところで、一旦戻る事になる。
四層の入り口にはタレットが配置されているが、悪魔も近寄る様子はない。まあ、そもそも近寄る意味がないからなのだろう。
一旦方舟まで戻る。演習中の二線級クルー達も、方舟に戻っていた。
プラントも回収されている。
ということは、恐らくだが。次の空間に出向く、と言う事で間違いないのだろう。
全クルーが戻った事が放送される。
ああ、何かあるなと思ったが。
その予想は当たった。
春香の声で、通信が入る。
「幾つかの連絡事項があります」
「……やっぱりな」
ヒメネスがぼやく。物資搬入口で待機という話だったから、怪しいものを感じていたのだろう。
唯野仁成も同じだったから、其所は苦笑いするしかない。
「まず第一に、次の大母の空間にスキップドライブする準備が整いました。 しかしサクナヒメの状態が思わしくありません。 もう少し回復を進めてから、実際のスキップドライブを行います」
「姫様、あのもの凄い一撃で力を出し切った感触だったもんな……」
「ああ。 あれがなければ、ウロボロスの攻略は不可能だっただろう」
「……感謝の言葉しかねえぜ」
ヒメネスに同意する。
そのまま、春香による通信を聞く。
「二日ほどでどうにか動けるところまで持って行けるようです。 ここのところ機動班クルーも消耗が激しかったところですし、二日は休暇にします。 一旦エリダヌスに移動しますので、エリダヌスに移動し次第、交代で休養に入ってください」
通信が終わる。
同時に方舟が上昇を開始。
そして、スキップドライブして、エリダヌスへと移動を終了していた。
物資は充分にあるという事なのだろう。それに、上位空間へのスキップドライブに関して、データを取りたいのかも知れない。
揺れは殆ど無く。非常にスムーズにエリダヌスへ再侵入を果たしていた。
ただしいきなり上位空間に出て。しかも、上空に例のバニシングポイントが口を開けている状態だが。
あの中には壁がまだ何枚か存在していて。
全て破らない限り、出る事は出来ない。
それを聞いて、ヒメネスは落胆したようだが。今までのように悪態をつくことは無かった。
もう、覚悟は決めていると言う事なのだろう。
スキップドライブが終わった後、解散となる。各自自室に戻ったり、レクリエーションルームに。
調査班はここからが本番らしく、ゼレーニンは研究室に向かう後ろ姿が見えた。
唯野仁成は、自室で寝ることにする。少し疲れが溜まっているし、今のうちに体のチューニングをしておきたいからだ。
ヒメネスも無言で自室に戻っていった。
いずれにしても、貴重な二日間の休みだ。攻略が想像以上に順調に進んではいるようだが。
それでも、このクールダウンは、本当に有り難かった。