そしてグルースでの戦いの結末も。
序、雷雲の長
今、唯野仁成は嘆きの胎に来ている。この不可思議なる空間で今まで散々唯野仁成も情報収集してきた。その結果、分かってきている事は幾つもある。
まず第一に重要なのが。浅層から六層まで七層に分かれている嘆きの胎の、一層から六層にまで収監されていた「囚人」。その中の、これから接触する五層の囚人悪魔。
この五層囚人悪魔がほぼ確実に「あの」ゼウスである。
ゼウス。オリンポス神族と呼ばれる、ギリシャ神話における支配者階級の神々の長。恐らく世界でも最も有名な雷神の一柱。比肩する高名な雷神と言えば、北欧神話のトールくらいだろう。
このゼウスについても、戦う前に色々と調べた。悪魔についても神についても戦闘前に調べる事は、とても大事だと唯野仁成も知っていた。人間と戦う時と同じだ。孫子の言葉を引用するわけでは無いが、情報は戦闘で大きな力になるのである。
そもそも、ギリシャ神話というのは。古代に存在した強大な文明共同体、ギリシャにおける神話を強引にまとめたものだ。
ギリシャの民族達の神話を無理矢理まとめていった結果、立場が悪い民族の神は貶められ、或いは悪魔にされ。
立場が強い民族の神は創造神の地位を与えられ。
それらに、もとからあった神話が無理矢理ミックスされ。ギリシャ神話というものが作られていった。
北欧神話やインド神話もこの辺りは同じ。
だから神話の過程で主神が何度も交代する。時代によって、神々の性格も変わってくる。
残忍で冷酷な絶対神だった時代もあるゼウスだが。
時代が降るにつれて、間抜けな好色スケベ爺という印象に変わっていったのは。その方が親しみを持ちやすいからだ。
正義を担保する事こそが、宗教に求められるものだが。
一方で、親しみを持てない神もまた、好まれることは無い。
ギリシャ神話は結局の所どんどん貪欲で淫乱な神々による内ゲバの時代が描かれるものになっていき。神々の性格は時代を経るにつれて人間味を得て、更に言えば悪くなっていったが。
ローマ時代になって、ギリシャ神話の神格がそのままローマの人々に名前を変えて受け入れられると。
今度は法の守護者としての要素を求められるようになり。
一転してお行儀が良い厳格で公正な神々になっていくことになる。
一方で、ただ権力闘争に敗れただけのティターン神族は文字通り邪悪の権化とされていくようになる。
クロノスからローマ時代に転じたサトゥルヌスの絵。我が子を喰らうサトゥルヌスと言う絵画については、誰もが知っているだろう。
唯野仁成は、五層の入り口で、データを閲覧して復習していた。
それが終わった頃に、丁度人員が集まる。戦闘チーム六班が編制され、一線級のクルーが全て整列していた。
勿論この状態、方舟はカラだ。アレックスによる襲撃を受ける可能性がある。このため、方舟は現時点ではプラズマバリアでガチガチに守りを固めている。プラズマバリアについては、既にあの恐らく正体が明けの明星であろう堕天使さいふぁーですら簡単に侵入できないようになった。それならばアレックスだって強行突破は無理だろう。
それ故に、スペシャル達は全員が出てきている。
出し惜しみ無し、文字通りの総力戦だ。
ゼウスがどの時代のギリシャ神話におけるゼウスになるかは分からない。間抜けなスケベ爺のゼウスが出て来てくれれば楽なのだが、そう簡単にはいかないだろう。楽観は思考の放棄だ。
それは軍人である以上、唯野仁成も一番よく分かっている。
それに、である。
ゼウスの姉の一人であるデメテルが、あの実力なのだ。ゼウスが弱い訳がない。今から行われる戦いは、かなり厳しいものとなると見て良いだろう。
既に五層の看守悪魔は、二日掛けて掃討を完了。
調査班が、六層への入り口に大量のタレットや爆発物、更には戦闘用ドローンを配置して、縦深陣地を構築している。
六層の強大な看守悪魔でも、簡単に突破はできない布陣だ。
つまり、野良の悪魔を除けば、脅威は存在しない。全力でゼウスに対して戦う事が出来る。
サクナヒメに対して、ゼウスの説明をライドウ氏がしている。
サクナヒメは腕組みすると、小首をかしげていた。
「何とも面妖な話であるな。 確かにラジエルが言うように、信仰によって神は変わると言うことだが……」
「実力については、最悪の想定で出向くべきでしょう」
「それはそうだな。 ゼウスとやらはどのような武器を持っている」
「まずケラウヌスが最大警戒対象です」
ケラウヌスとは、とサクナヒメが聞く。まあそれは当然だろう。
ライドウ氏も、きちんと説明をしてくれた。
ケラウヌスとは、ゼウスの使う雷の武器だという。形状は様々な伝承が伝わっているが、いずれにしても雷そのものである事は間違いないらしい。それも、周囲の全てを一瞬で焼き尽くす火力だそうだ。日本では、ケラウノスという名前よりも雷霆の方が良く知られているとか。
このケラウヌスは元々ゼウスの武器だった訳ではなく、ゼウスが下した鍛冶の神々が作り出したものであり。一種の献上品である。
この献上品を手にすることにより、ゼウスは最強の雷神へと変わったのだ。
もっとも神話によっては奪われたり、効かない場合もあったそうだが。
まあそれはそれである。
「それと、ひょっとするとアダマスの鎌を有しているかも知れません」
「アダマスの鎌? どのような武器か」
「簡単に説明すると、ゼウスの先代の主神クロノスが、その更に先代の主神ウラノスの、主神としての力を奪った武器です」
正確にはウラノスの男性器を切りおとすのに使った武器だが、まあそこまで説明する必要はないと判断したのだろう。
最高神としての力を奪うほどの武器。それは間違いなく、圧倒的な破壊力を持つ神の武具である。それだけ分かれば充分だ。
「当たれば生半可な神は即死であろうな」
「ほぼ間違いなく」
「そんな武器に加えて、周囲全域を雷で焼き尽くす武器も持つ、か。 雷神はヤナトにも何柱かいたが、全てをあわせても及びそうにないのう」
「北欧神話のトール神なら対抗できるかも知れませんが、いずれにしてもケラウノスは生半可な方法では防げません。 ……其所で彼に盾になって貰います」
テューポーン。
ギリシャ神話にて、完全状態のゼウスを倒した唯一の存在。
その神話が書かれた時代によってはゼウスが一方的に勝利しているようだが、残念ながらテューポーンに倒された神話の方が知られている。
故にゼウスに対していわゆるメタを張る事が出来る。
テューポーン自身、台風の神格化という事もあり、相当な力を持つ邪神だ。確かに側で、びりびりと凄まじい力を感じる。ゼウスの気配を感じて、唸り声を上げているテューポーン。
相当な怒りを蓄えている様子だった。
それはそうだろう。神話において、力では勝てないと判断したゼウスは奸計によってテューポーンを弱体化させ、更には山の下に閉じ込めたのだ。
「変態クソ爺なら楽なんだろうがなあ。 女性クルーは気を付けろよ?」
「割と笑い事では無いから気を付けろ」
ヒメネスの冗談に、ライドウ氏が応じる。
時代にも寄るが、ゼウスは女に対する見境なさでは正直イカレ気味である。これには色々と事情もあるのだが。いずれにしても、外からのイメージで影響を受けることは避けられまい。
ゴア隊長から、声が掛かった。
「方舟からの支援は難しい状態だ。 ただ、一応一つだけ切り札は用意した。 ただ一度しか成功しないとも思う。 気を付けてほしい」
「イエッサ!」
真田さんやゴア隊長は船内で待機だ。
だが、決して前線に出てこないわけでは無く、支援で最大限の力を尽くしてくれる。それについては圧倒的な信頼感がある。
既にライサンダーFは、一線級クルーに普及し始めており。
総合的な火力は、皆爆上がりしている状態だ。
全員で手持ち悪魔の状況を確認した後。六班で、行動を開始。
もはや完全に精鋭特殊部隊である。移動時に、殆ど気配が周囲に漏れない。デモニカによる強化もある。
だがそれ以上に、皆が戦闘経験を嫌でも積んでいる、と言う事だ。
しんとしている第五層。殆どの悪魔を駆除してしまったのだ。看守悪魔は全滅。更に六層からも、簡単に看守悪魔が上がってくることは無い。
何よりも、グルースにおける「幻力」を打ち破るための装置を作るための時間を無駄にしないため。
そして恐ろしく強い事が想定されるグルースの大母に対して少しでも戦力を調整するためにも。
ゼウスの撃破は必須とも言えた。
ゼウスがいると思われる場所の周囲には、ドローンが展開している。
六チームが展開完了。
最前衛はライドウ氏のチームだ。他のチームも、悪魔を展開し終えている。さて、どう出る。
二層までの囚人のように、戦闘を選ばずに解放されれば良いという態度を取ってくれれば良いのだが。
それは楽観だ。
しばらく備えていると、ライドウ氏がまずは動く。テューポーンが、唸り声を上げながら進み始めた。
次の瞬間。
文字通り、世界が白に塗りつぶされた。
ゼウスが閉じ込められてい植物の巨大な牢が、文字通り内側から吹っ飛んだのである。
そこにいたのは、スケベ爺然とした神ではない。
半神が黒、半神が白。猛々しい風貌の壮年の男神である。間違いない。あれがゼウスだ。
その右手には巨大な雷撃の槍らしきもの。あれがケラウノスだろう。
そして左手には、鋭い鎌。草刈り鎌の形状だが、その大きさはまるで鉈だ。
背丈は二十メートルほどと、最近見て来た悪魔達に比べるとそれほど巨大ではないものの。
とんでもない威圧感である。
これは予想の最悪を極められたなと、唯野仁成は植物の影に隠れたまま、様子を見る。
テューポーンに主に収束してケラウノスはぶっ放されたようだが、周囲にもこれだけの影響があるという事だ。
まさに世界でもトールに並ぶ知名度を誇る雷神に相応しい必殺の武器。
確定で命中し確定で殺す雷神の槌ミョルニル程ではないにしても、このケラウノスもとんでも無い代物だ。
「懐かしい気配があると思えばテューポーンか。 ただ残念よな、弱体化している状態か」
「やはり牢など内側から破る事が出来たのだな」
「いや、最近この嘆きの胎を封じていた力がどんどん弱ってきていてな。 あの大母の長に閉じこめられた状態では違ったのだが。 まあどうせ、後ろで誰か悪巧みをしているに違いあるまい」
からからと、威圧的に笑うゼウス。
そして、周囲を睥睨した。
「むっつ、強い気配があるな。 名乗れ。 俺はオリンポスの長にして、雷神ゼウスである。 お前達風に言えば魔神ゼウスというところかな?」
もう、こうなっては仕方があるまい。
姿を見せると、それぞれスペシャルが名乗る。唯野仁成とヒメネスも。ゼレーニンも来ているが。ガブリエルは守りで手一杯だろう。
あのケラウノスを何発も撃たせるわけにはいかない。
しかもあの様子だと、まだ出力が挙がるのはほぼ確定である。
「異国の武神を交えた英雄達か。 面白い。 テューポーンが全力状態であれば言う事はなかったのだが、弱体化した分を補って余りある程の陣容ではないか。 俺に力を認めさせてみよ。 そうすれば、六層へ自由にいけるようにしてやろう。 ただ、俺もしばらく眠らされていて気が立っておる。 簡単に死ぬでないぞ?」
「一つ質問がある、ゼウス神」
「どうした、可能性を多く持つ星の男よ」
「……赤と黒の服を着た女性が姿を見せなかったか?」
勿論アレックスのことだ。
ゼウスに単騎で挑んで手込めに、というのを予想してしまったからである。
ゼウスは手を顎に当てて考えると、思い出したようだった。
「おう、恐らくそれは気配を探っていた者だな。 けなげにもこの俺を倒すべく、情報を探っていたようだが……今は恐らくこの五層の何処かに潜んでいよう。 巧みに姿をかくしておるわ」
「そうか、それは安心した」
「どういう意味か」
「見境なく貴方に孕まされているのではないかと思ってな」
ゼウスは激高するかと思いきや、むしろ大笑いした。そして、笑顔を崩さない。
圧倒的戦闘力から出る余裕が、ゼウスに怒りを抱かせないと言う事だ。
この様子からして、享楽的な後の時代のイメージも抱いている存在なのではあるのだろう。
ただし実力は古き時代のものに近い。
陽気で無邪気に強大な暴力を振るう。そんな、古代の神々らしい存在に仕上がっていると言う事か。
「ははは、まあ言わんとする事は分かる。 俺もスケベである事は自覚しているが、だがそれ以上に山のように子孫を名乗る奴がいてうんざりしている。 あの者に手は出してはおらんよ。 戦ってもおらん。 それに、知っているかも知れないが、オリンポスの神々も安泰ではないのだ」
頷く。それについては調べた。
クロノスが己の子供達を、地位を奪われるのを怖れて食べてしまった逸話は有名である。ローマ神話時代では、それを題材にした絵画が描かれているほどに。
だが、ゼウスも同じ事をしていることはあまり知られていない。
古い時代における神話では、「予言」は兎に角大事なものだった。予言には、神でさえ逆らえなかった。
北欧神話の神々で、予言を司る運命の三女神が大きな存在感を示しているのもそれが故である。
ギリシャ神話もそれは同じ。
恐らくだが、此処にいるゼウスは、己の地位を保つために、安易に子供を作ることを避ける性格なのだろう。
その行動の是非は、また別の話だ。
「さて、俺のケラウノスもそろそろ温まってきた所だ。 全員掛かりでかまわぬ。 掛かってこい英雄達よ!」
「テューポーンでも本気のケラウノスには長時間耐えられない。 総力で、一気に決着を付ける!」
「イエッサ!」
ライドウ氏の言葉と同時に、全員が同時に一斉に攻撃を開始。
勿論高笑いしながら、ゼウスはそれを雷霆にて迎え撃っていた。
五層の奥。
アレックスは身を潜めて、ゼウスが戦いはじめたのを感じていた。
かなり距離を取っているのに、凄まじい気迫である。
明らかにゼウスは楽しんでいる。恐らく、徐々にギアを上げていくつもりなのだろう。ジョージがアレックスではどれだけ頑張っても勝率4パーセントを切ると言ったが、それは今や肌で感じ取ることが出来ていた。
今、手持ちにはアモンがいる。
どうにか蘇生させることが出来たのだ。
だが、それでもこれは、はっきりいってどうにもなるまい。文字通り弄ばれて殺されるのがオチだっただろう。
既にアレックスを凌いでいるあの化け物のような連中でも、簡単に勝てそうにもない。
唇を噛む。
このデモニカは、彼奴らが使っているものより二世代後のもので、それも特注品である。世界の命運を担って作り出された、文字通り最高にして最後のデモニカだ。
自己学習機能だって豊富に備えているし、単独で平行世界に渡ることすら出来る。
だが、そのデモニカを持ってしても、もはや追いつくことは出来ない。
アレックス自身だって研鑽を欠かしているつもりはない。というよりも、研鑽しなければ死ぬ環境にずっといた。
人類最強だとも思っていた。唯野仁成に遭遇するまでは。
世界の破滅を防ぐために、幾つもの世界を渡り、最終的にはこの過去のシュバルツバースにまで来て、そして今。
思い知らされる。世の中、上には上が際限なくいると言う事を。
いつもシュバルツバースで、唯野仁成に勝てなくなる。それはもう、分かっているからいい。諦めている。
だが、唯野仁成以上の怪物達が四人。
更には、いつもはもはや混沌の理に全てを託してしまっているはずのヒメネスが、人間として戦っている。
ゼレーニンも同じだ。ガブリエルなんて最高位天使の一角を従えて、支援に回っている。
あれはやはり。
今まで見てきた、唯野仁成と、レッドスプライトのクルーとは別の存在だ。
「もう少し距離を取るべきだ、バディ。 魔神ゼウスの戦闘力は想像を遙かに超えてしまっている」
「ええ、分かっているわジョージ」
「……交戦を選ばなかったのは正解だったな。 まだ力が上がっていくぞ」
「ひょお。 流石にオリンポスの最高神様だぜ」
いつの間にか、側でシャイターンが手をかざして戦闘の様子を見ている。
魔神ゼウスの放つケラウノスは、五層を無慈悲に蹂躙しているが。不思議と五層に咲き誇っている不思議な花は焼いていない。
理由はよく分からない。
ただ、ケラウノスの雷撃の余波がこの辺りにまで飛んできている。
アレックスは隠れている茂みを、更に戦闘地点から離す。
シャイターンはもっと側で見たさそうにしていたが、手を引いて下がらせた。
「おや、俺様を心配してくれるの?」
「セクハラもしなくなったし、もう別に貴方を敵と思ってはいないわ。 だったら死ぬのを見るのは寝覚めが悪いだけよ。 何度も助けてくれたものね」
「ハハ、そうかそうか」
「それよりもアレックス、どうする。 戦いを見届けたら……」
アレックスは、覚悟を決めた。
それについては、まだジョージにも話していない。
だが、踏み出すのはまだだ。
踏み出すには、力がいる。
当然の話で、アレックスは見て来たからだ。破滅の未来を幾らでも。おぞましい化け物に変わっていく唯野仁成とヒメネス、ゼレーニンの姿を。
奴らによって蹂躙され、終わりを迎えてしまった世界の姿を。
だからこそ、慎重に見極めなければならない。
勿論もう分かっているつもりだ。唯野仁成は、今まで見てきた唯野仁成とは違っていると言うことを。
だが、それでもなお。
今まで見せつけられてきた、悪魔より暴虐を振るい、文字通り誰の手にも負えなかった怪物のイメージは。
脳裏から、離れてくれなかった。