コメント欄にて様々な考察を書いてくださっている方々、本当にありがとうございます。この物語の大半は貴方たちの考察から取っています(ちゃんと自分で考えた部分もあります)。
同じように「IMAWANOKIWA」にハマっている誰かに刺さったら幸いです。
私の娘は、もう二度と帰っては来ない。
くそったれな神が彼女を連れて行ってしまったのよ。
許して、私の天使よ。
どうしてあなたはそれを選んだの?
「この度はご愁傷様です」
声がする。だいぶ近くから聞こえる。誰だろう。誰に言ってるんだろう。ご愁傷様って、誰の葬式?
顔を上げると、業者らしき人が私を見ていた。商業的な笑顔。「死」に関わる場面で、不謹慎にならない笑みがあるなんて、知らなかった。
その人が持つ遺影の中で、無邪気にピースをする、馴染みのある女の子の顔。
ああそうだ。
私の娘の葬式だった。
最初に着るのは、がんで入院中のお祖父ちゃんの葬儀かな、なんて思いながら買った黒いワンピース。陽子は袋の中から目ざとく見つけ出して、目をキラキラさせた。
「きれい。ママ、ぜったい似合う」
「えー、ありがとう。でも、お葬式の時しか着ないからなぁ」
そう苦笑すると、
「じゃあ、おそーしきまで待つ!」
なんて、意味もわかってないだろうに笑顔で言うもんだから、笑ってしまった。不謹慎なのは分かっていたけれど。
棺の中で眠るあなたは、念願のママのワンピース姿を、どこかで見ているのだろうか。
「陽子、」
「なぁに?」
驚いても振り返る。けれど、そこには誰もいなかった。当たり前だ。
陽子は、魂はともかく、身体は、ここにある。
可愛い。いつもの寝顔だ。けど、これは永遠の眠りなのだ。陽子をよその誰かにやるなんて嫌で仕方なかったけど、もし今王子様が現れて、キスで生き返らせてくれたなら、私は喜んで陽子を嫁に差し上げるだろう。もちろん、陽子がその王子様を好きになったらの話だけれど。
「王子さまはね、おひめさまをぜったい助けてくれるんだよ」
陽子は王子さまに会うのが夢だった。いつも、自分と王子さまがキスしている絵を描いて、家中の壁に貼っていた。今もまだそのままだ。帰ったら一番に目につくだろう。外して来れば良かった。いや、今朝、外そうとして、外せなかったんだっけ。思い出せない。つい数時間前のことなのに、あやふやだ。
陽子と呼べば、いつも、なぁに? と返ってきた。返ってこない日などなかった。
けど、あの日は、返ってこなかった。
仕事中に、大型病院から電話がかかってきた。気が動転して、けどなんとか正気を保って、鬼の形相で外へ飛び出した。その日の私は、ウサイン・ボルトより早かったんじゃないかと思う。
受付の人に言われた病室に駆け込めば、人型の何かがベッドに横たわっていた。顔は包帯でぐるぐる巻きにされ、人相を判別したくても出来ないほどの有様だった。私が直視できたのは、少しかすり傷がついた四肢だけ。胴体は白い布で覆われていた。
私は今度こそ正気を保てなくなるかと思った。
左手の薬指に、青いバラのデザインが施された指輪がハマっていた。
去年の誕生日、陽子が買ってとねだった物だ。次の日、画用紙で作った指輪を「お返し」と言って、私にプレゼントしてくれた。
右足のくるぶしには、マジックでキティちゃんが描かれている絆創膏。
一昨日、「かさぶたをむいちゃった」と半泣きで言う陽子に、絆創膏を張ってあげた。それでもまだ不安げなので、油性ペンでキティちゃんを描いてあげたら、「ありがとう」と笑ってくれた。
ああ、間違いなくあなたは、
「陽子」
私の声はかすれていた。自分でも聞こえないくらいだった。だから、陽子は返事をしてくれないんだと思った。
「陽子っ」
今度ははっきり言った。けど、普段の喋り声よりは小さかった。それでも、近くに座ったお医者さんが聞こえる程度の声は出していたと思う。
病室は静かだった。外でさえずる雀の鳴き声が鬱陶しかった。
空は大雨。けれど、車の中にいる私は濡れていない。
陽子、タオル。そう助手席を見たけれど、誰もいない。あれ?
膝が重い。ずっしりする。
なんだっけこれ。ぼんやりとする頭で足元を見れば、瓶があった。
あ、そっか。陽子か。じゃあ、軽いな。
こんがり焼けた陽子の骨の匂いは、いつも抱きしめた時に嗅ぐ匂いとは全然違った。陽子の香りは、甘くてマシュマロみたいだった。他の誰とも違う匂いがしていた。
なのに、骨になった陽子は、同じく骨になった曽祖父と同じ匂いだった。
曽祖父の葬儀から帰る時、私は体調不良を訴えて、母親にパーキングエリアで止まるよう懇願した。次の日、私は産婦人科で妊娠を告げられた。お腹の子の父親は、それを告げた途端逃げ出した。
陽子が笑っている。そんなわけはない。けど笑っている。どこで? 目の前で。どういうこと?
目の前には何もいないのに、確かに陽子が笑っている。天使だ。あの日私に舞い降りた子。
産まれた頃こそ泣きじゃくっていたのに、いざ生きていけば、あの子はよく笑う子だった。私のことをいつも慰めてくれた。いつもいつも笑いかけてくれた。
そんな愛しい笑顔が目の前にある。どうして?
触れようとして、けど、手は空を切った。と同時に、天使の笑みも消えた。
膝に、雪のような白い粉が落ちていた。私は、あの天使にまた会いたくて、一心不乱にその粉をかき集めた。
お願い、もうちょっとだけ夢を見させて。
朝の日差しが顔を包む。窓からは涼しいそよ風が入ってきている。私はぼんやりとした頭で目を開いて、しばらくそのままボーっとする。
そっか、昨日窓を開け放したまま寝ちゃったからか。
しっかり布団の中に入っているのに、その布団自体が冷たいせいか、身体が一瞬ぶるりと震える。いくら風がずっと入り込んでいたとは言え、普段はこんなに冷えてないのに、どうして?
「ママ、もうすぐ『シオリ』始まるよ」
その声にハッとして、私はバタバタとリビングに駆け出す。ソファの上で、私の天使が足をぶらぶらさせている。
彼女がこっちを振り返る。その指の先にはテレビがある。画面がついている。そうだ、昨日、テレビを消さずに寝ちゃったんだ。
私はニッコリと笑って、その隣に腰掛ける。
「あら、ちゃんと覚えててくれたの?」
「うん。ママ、このドラマ好きなんでしょう?」
ニッと歯を見せて笑う、私の天使ちゃん。本当に、本当にかわいい。肌白で、透き通ったような存在感。この子は本当に私から生まれたのだろうか。そして、あのクズな父親の遺伝子を本当に受け継いでいるのだろうか。
あいつのことは思い出したくもない。避妊をめんどくさがったのは自分なのに、いざ妊娠するとそれもめんどくさいというような顔をした。私はそれでも、産みたいと思った。その選択を後悔したことはない。
今こうして私に笑いかける天使が、その思いを増幅させる。ああ、大好きだ。そんな感情が溢れ出し抱きしめようとした瞬間。
「え」
スッと、煙のように私の天使が消えた。
頭が混乱して、だんだんと恐怖が襲ってきた。そして、今まで見ていなかった部屋の中に目をやる。
缶ビール、ゴミ袋、散乱した白い粉と割れた瓶。
よろよろと四つん這いで進み、その粉をできるだけ掬う。涙がボロボロとこぼれだした。
聞き馴染みのあるオープニングテーマが鼓膜を刺激する。確か、前回、誘拐された息子が帰ってきて、今回は犯人の裁判編だったか。原作漫画では犯人も改心して謝罪して大団円だったけど、どうなるんだろう。
それ以上考えたくなくて、急いでテレビを消した。音もなく画面が闇に包まれる。涙は止まらない。
もう、ドラマなんか見るもんか。感動なんてするもんか。
どれだけハッピーエンドを見たって、陽子は帰ってこないんだ。
いきなり、あの忌まわしい病室が目の前に現れた。驚いて後退りしたときには、もう自分の家の景色に戻っていた。
息が苦しくなる。目をぎゅっとつぶって、祈った。
ああ、早くまた、私の天使に会いたい。
カァカァと、どこかからカラスの鳴き声が聞こえる。
「ママ」
「なぁに?」
仰向けに転がった私に覆いかぶさるように、丸っこくて可愛い顔が覗き込む。天井の電球が天使の輪のように見えて、思わず微笑む。なんて似合ってるんだろう。
「どうしたの?ママ」
「ふふ、貴方を食べたらお菓子みたいに甘いんだろうなぁ、って」
えー、食べないでよーと無邪気に笑う。ほっぺはきっともちもちで、口に含めば幸せな気分になれるだろう。
そう考えついたときには私はその頬に引き寄せられていた。けれど、私の口が柔らかなほっぺたに触れることはなかった。
私の可愛い天使は、そのときにはもういなかった。
顔を上げると、バルコニーから差し込む夕日が眩しかった。目を細め、ゆっくり這いずっていく。
我が家の唯一の植物であるパキラが葉を茂らせている。陽子が、急に「ほしい」と言い出して、びっくりしたっけな。
くる。そう思ったときにはもう涙がこぼれていた。これもいつものことだ。その度に、陽子がいないという現実が痛いほどに突き刺さってきて、苦しくて仕方が無くなる。
それでも私の天使に会えなくなるのは嫌だ。だから私はまた、あのクズ男が唯一残した粉に呑まれるしか無いのだ。
「ママ、ごめんね」
恐る恐る顔を上げると、バルコニーで、羽を生やした陽子が三角座りをしてこちらを見ていた。美しく白い羽をこちらに向けていて、陽子は振り向いて私を見ている。夕日を背景にしたその姿はとても幻想的で、思わず息を呑む。まるで、宗教画から出てきたみたいだ。
「陽子?」
「なぁに?」
陽子だ。陽子が天使になってやってきたのだ。私は胸が詰まるのを感じて、それでも溢れ出る感情を抑えられず、顔を覆って泣いた。止まらない涙の中には、喜びも入り混じっていた。
「ごめんね、何日もひとりぼっちにして」
陽子はこちらを振り向いたまま、動かない。
「神さまがわたしをえらんだんだ。お嫁さんにしたかったんだって。だから、わたしは連れて行かれて、天使になったの」
少し嬉しそうなその表情に、私は困惑する。どうして嬉しそうなの?
「神さまって、おじいちゃんじゃなくてね、すっごくカッコいい王子さまだったんだよ」
「……そっか。王子さまと結婚できたんだね」
うん、と元気よく頷く陽子の笑顔は、幸せに満ち溢れている。
陽子を連れ去ってしまったのは許せない。けれど、陽子の夢が叶ったのなら、ほんの少しだけ許せる気がした。
「でもね。やっぱり、ママがいないとさみしいよ」
陽子はゆっくり夕日を見た。目に映る羽が神々しい。夫になったという神様がどんな人かはわからないが、こんなに立派な羽を与えてくれるお方なら、悪い人ではないのだろうと思う。
「だから、神さまに『ママもつれてきていいですか』っておねがいしたの。そしたら、いいよって言ってくれたんだ!」
ぱぁっという効果音がよく似合うほど眩しい笑顔で、また私を振り返る。私は一瞬、耳を疑った。
「ママも行っていいの?」
「いいよ。いっしょに行こう、ママ」
その、穏やかで優しい微笑みに、また涙が頬を伝う。なんて優しい子なんだろう。自分の夢は叶えられたというのに、その夢の生活の中に私も入れてくれるなんて。
「ありがとう、陽子。行くよ、一緒に」
「ありがとう。じゃあ、このまま私をだっこして」
そう言って、陽子は前を向いた。私はのろのろと近づいて、陽子を後ろから抱き上げた。お腹の辺りをぎゅっと、確かに抱きしめる。触っても消えない。ああ、本物だ。
「羽、くすぐったくない?」
陽子が心配そうに私を見上げる。言われて、陽子の羽が私の胸にあたっていることに気づいた。確かに、少しチクチクする。けれど、全然気にならない。だって、陽子の羽だもの。
「大丈夫だよ」
「ほんと?」
陽子は嬉しそうに笑って、また前を向いた。
「じゃあ、このままここから飛べばいいよ」
「陽子、飛べるの?」
驚いて陽子を見下ろすと、「当然」といった表情で私を見ていた。私はくすっと笑って、バルコニーの柵の上に足をかける。
「ここはあったかいね。陽子、部屋の中に入らなくて正解だったかも。床、冷たすぎたもの」
私の呟きには答えず、陽子はじっとこちらを見ている。その目線に柔かい微笑を返す。大丈夫だよ、今すぐ行くから。そういう気持ちを込めて。
「陽子と天国で暮らせるなんて夢みたい」
そう言うと、陽子の目がキランときらめいた気がした。産まれた時から変わらない、宝石のような瞳。これからも私は、陽子のこの目を見続けることができるのだ。
「行こう、ママ」
「うん」
そして私は天へと飛び立った。
「先輩、なんなんすか、この死体」
二十代ほどの新人刑事が、ある遺体の前で顔をしかめた。
横にいたベテランらしき刑事が、淡々とした口調で言う。
「今輪 のきさん。まだ25歳で飛び降りなんて、ひでぇもんだ」
新人刑事は眉をひそめてベテラン刑事を目だけで見た。
「それは前に聞いたから知ってます! そうじゃなくて、なんでこの人、植木鉢抱えて死んでたんすか?」
ベテラン刑事は目を伏せて、静かに言った。
「この女は、死ぬ5日前に娘を亡くして、元交際相手が残していった薬物に手を出して、中毒になったらしい。大方、薬物による幻覚とか錯乱で、植木鉢持って落っこちたんだろうな」
遺体の服には、複数枚、パキラの葉がくっついていた。
「相当強く抱きしめてたみてぇだな。一体何と見間違えたんだか」
私の天使
愛しているわ
ああ、良かった
また伝えられて
「私もあいしてるよ、ママ」
滲む視界の中で、私の天使が微笑む顔だけが、はっきりと見えた。
私の陽子
愛しているわ
ああ、良かった
これからも伝えられるのね