運命を見つけた少年の話。   作:ざるそば

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運命に出会った女の話。

 

 

 

 

 玲瓏寺の暗部は表に出せない裏の仕事を専門とする。その中でも汚れ仕事中心とするところに女――レファリカは籍を置いていた。

 いつもの任務は先ほど終わらせた。違法を犯した者の排除であり、思い出す事すら忘れてしまう程につまらない内容だった。

 そんな気分を紛らわすようにタブレットを手にし、記事へ目を通す。

 つい数か月前、街中で起きた魔物の変異に伴う暴走事件。Aランクのクラン所属者三名が死亡。民間人負傷者多数。

 目撃者曰く該当の魔物はその場に居合わせた探索者が討伐したと言う。しかしその後は不明。

 ――無論虚実である。

 

「情報封鎖、上手く行ったみたいね」

 

 カバーストーリーを敷き―とは言ってもほとんど真実ではあるが―即座に情報を統制。今回の一件は、中小クランに所属する探索者が討伐したと偽の情報を流していた。それから間もなく各地のクランが今回の騒動の関係者を探り合う状況となり、真実に辿り着ける者は一人しかいなくなった。

 これでいい。これで全く関係ない民間人である彼の事を気に掛ける者はいない。

 後は、彼の実力が本物かどうかを確かめるだけでいい。

笑みが思わず零れてしまう。

今の自分の容姿が乱れていない事を知って、折り畳み式の手鏡をしまう。

 

「ふふっ、さて今回はどう踊ろうかしら」

 

 愛用の得物である刀の刀身を指でなぞりながら、かつての出会いを思い返した。

 レファリカと、玲瓏寺の当主であった彼女の出会いは数年前。

 まだ暗殺紛いの仕事の日々に飽きを覚えていた頃だった。

 玲瓏寺当主の暗殺依頼――それも彼女に敗北した分家からの依頼に、軽蔑を覚えながらも仕事は仕事であると割り切って実行。

 しかしあらゆる暗殺術は彼女の前に一切通じず、レファリカは最後のとっておきとして自ら彼女と対峙した。

 結果は、語るまでも無くレファリカの敗北。彼女の剣の前には手も足も出ず。ほぼ防戦一方のまま押し切られた。

 時間にして三分は経ったかどうか。それ以上は何も望めぬ事を悟った。そのまま殺される事を受け入れ――気が付けば、かの剣は首筋寸前で静止していた。彼女はそのまま剣を鞘に納め、踵を返す。

 

『どこへなりとも行くがいい』

『……殺さないのかしら』

『もう一度殺しに来るのなら好きにすれば良い。例え幾年の歳月を重ねようとお前の刃は、私には届かない』

 

 紛れも無い事実だ。

 レファリカが百度の機会を得ようとも、その全てで彼女へ届く事は叶わない。どれ一つ例外などなく、彼女の刃の前に斃れるだろう。

 お互いの意見は一致していた。そしてそれが彼女の唯の気まぐれである事も悟っていた。

 

『……不思議ね、その剣は血を覚えているようだけれど』

『ああ、とうに過去の話だ。だが、私は私の剣をあやつの為に定めた。

 師である以上、無様な真似は出来ん』

『……そう、可愛い弟子がいるのね』

『生憎、愛想は無かったがな。……叶うのならば、もう一度』

 

 その顔は、まるで儚い少女のように見えて。

 不器用な人物なのだと、レファリカは悟った。

 同時に面白いと思った。

 彼女の近くならば、より面白くこの先を生きていけるのではと。

 

「……懐かしい思い出ね」

 

 そうして玲瓏寺の暗部へ強引に押し切って加入。瞬く間にその頂点へ上り詰めた今、彼女はこの国の情報を自由に入手し、動かせる存在となった。

 玲瓏寺当主である彼女を、影から支援している。彼女に逆らう分家とその勢力は全て潰した。余計なちょっかいをかけてくるであろう所も、例外なく。

 けれどその事実を知って尚も、彼女の心は靡く事は無い。刃を以て立つのであればそれに応える。まるで機械や装置のような人間ではない何か。

 そんな彼女の心の多くを占めている例の弟子と言う人物。数年捜索しても、何一つ捕まえられなかったのが、今やっと手掛かりに触れられたのだ。思わず指も軽くなってしまう。

 

「さて……」

 

 タブレットの画面をスライドさせる。そこには少年の画像が一つ。登校途中なのか、鞄を手にし友人に肩を組まれている。どこにでもあるような光景。

 彼の事は全て調べ上げた。

 経歴だけで言うならば白。戦いと言った血生臭い環境からは程遠い人物。平穏な人生を平穏に生きる、そんな人物である。家族も誰一人としてその例外は無い。父は会社員、母は専業主婦、本人と妹共に学生。妹自身は探索者としてある程度名は売れている様子だが、そこまでの名声ではなく、そこまでの実力でもない。

 即ち彼に特筆すべきところは何も無い。無いが、それでも彼女の直感が何かを告げていた。今の彼には、もう一つ何かがあると。

 出会ってしまったのだろう。自身を大きく変えてしまう程の運命に。

 

「後はどう接触するか、だけど」

 

 ただ普通に出会ってもつまらない。ならば自分好みにするとしよう。まずは準備からだ、と。

 そう思って、彼女は唇を軽く舐めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『兄さん、何をしているんですか? もう夕食は出来てるんですから早く帰ってきてください』

「ごめんって。思ってたより日直が伸びたんだよ」

 

 電話越しに聞こえる妹の声は、いつになく怒っている。

 ああ、それもその筈だ。今日は珍しく帰って来た妹が、料理を作って待ってくれている。だと言うのに、学校の日直業務が色々と立て込んでしまったのだ。

 科目変更を直前で言うのは反則だろ真面目に、と内心呟く。

 少し駆け足で歩きながら、スマホの画面を閉じた。

 

「急ごうと思ってもなぁ……」

 

 例の事件から三ヶ月。あれから周囲に何一つ変わった事は無い。

 不気味なほどに、何ら変わりない日々だった。どこからか嗅ぎ付けた者が何かを仕掛けてくるとも考えた。しかし何も起こらない。

 あれほどの規模をやらかした魔物を討伐したのだから、何かが変わってしまうと覚悟していたが、日常は不思議な程に変わらなかった。

 家族も、その周りも。そして何物でもない自分自身も。

 

「平和なのはいい事だけど」

 

 世間の目は思っていたよりも厄介だと考える。だって知らぬ誰かが己の名を語るだろうし、知らぬ誰かから因縁をつけられる事だってあり得る。

 それならばただ静かに過ごしていたい。家族や友人達と共に、穏やかな日常を。

 例え退屈だと感じてしまっても、喪ってしまうよりは余程いい。

 異世界での戦いを思い返しても、争いは悲惨でしかなかった。師匠が離れ、己の身一つで旅に出た時に初めてその事実を実感したのだ。

 争いは嫌いだ。人が死に、誰かが悲しむから。

 けれどそれでも、この(つるぎ)は行く末を探している。鞘を喪った刃は、朽ちていくだけ。

 ――師との絆を、歳月などと呼ばれるもので薄れさせたくはなかったのだ。

 今でも修行の一環だった素振りをしてしまう。同じ力で同じようにずっと振り続ける――当時は地味だと思ったけれど、今となっては自分の剣の源となった日々。

 師と己を繋ぐ確かな、けれど風が吹くだけで切れてしまいそうな程にか細い糸。

 

「……行けない、早く帰らないと」

 

 思い出に浸っている場合じゃない。 

 妹が怒り狂っているのだ。早く帰らねば。

 歩幅を早める。

 ――ふと、何かがおかしいと直感が悟った。

 

「……」

 

 夕暮れの空――住宅街は人一人おらず、空は静止した夕日に照らされている。

 文字通りの静寂。まるで自分の息遣いすら聞こえてくるようだ。世界が止まったしまった或いは地球上に自分一人しかいないと錯覚してしまいそうな程に静か。

 だが見られている、と直感が判断した。

 手に剣を顕現させ、抜き放つ。最早この場に一般人はいない。

 

「あら、勘がいいのね」

 

 女の声が一つ。

 振り返ると、紅色の髪を後ろで束ねた女性が一人。端正な顔立ちと高級物のコートを着ている事からまるでモデルと錯覚してしまう。

 その漂わせる雰囲気に死が混じっていなければ、自身とて思わず目を奪われていたかもしれない。いやでもそれはそれで師はもっと綺麗だったな、と思う。

 そんな思考を隅に追いやり、間合いを保つ。

 

「貴方の仕業か」

 

 そう易々と踏み込ませるつもりは無い。けれど女の足取りは、それを得意とするものだった。

 故に気が抜けない。いつ捕食者がその顎を開くかなど、襲われる者は分からないのだ。

 

「正解。少し貴方に用事があるのよ、望月ユウ君」

「……」

 

 構えは取らない。けれどいつでも斬れるように。無駄な力は全て抜き、けれど剣を持つ手だけは緩めず。

 

「貴方の実力が本物かどうか、確かめたくてね。少し味見をさせてもらうわ」

 

 来る、と直感が叫んだ。

 女の手が動くと、その背に隠れていた刃が姿を現す。

 長身の刀――見た瞬間に、体が刃を迎え撃っていた。交錯する波面が火花を散らす。

 

「反応がいいのね」

「!」

 

 舞踏のような振る舞いで、女はさらに刀を振るう。

 一度の呼吸で、二度の斬撃。察してはいたがやはり只者ではない。

 頭部、首、左胸、大腿部、正中線――狙い全てが人体にとっての急所を正確無比に捉えてきている。

 

“早い上に、無駄が無い……”

 

 殺すためだけに最適化された斬撃。――自分の知る剣とは違う。

 数合打ち合っただけで、彼女の剣は殺すために研がれてきたのだと理解する。

 嫋やかな麗人を思わせる見た目でありながら、その技は達人の領域にあった。

 もし、ただ単純に同格を相手にしてきた者であれば敗北は免れないだろう。殺す事において彼女を超える程の腕が現れるなぞ考えられない。

 

“だけど、それだけだ”

 

 生きる為の剣では無かった。

 望月ユウと言う例外は、その先を行く。彼の相手はいつだって、現実ではなくそれを超えた己の中にあった。

 女と斬り合いながら。けれど目の前にいる相手は全くの別人が浮かび上がっていた。

 

『――ユウ』

 

 己と相手以外に誰もいない白い花園。その中で幾千幾万と重ねた剣戟。偽りの月明かりに照らされた刃。

 その記憶が、光景が、ずっと離れない。この世界に帰ってきてからもずっと。

 斬り合いの最中にその記憶と光景を重ねてしまう。まるで合わせ鏡のように。

 

「……まさか、考え事してるのかしら」

 

 女が間合いを取る。彼の目が己を見てない事を悟ったが故に。

 彼女にとっては二人目だ。自身と剣を交え、そんな目をする人物は。

 

「――忘れられない、光景があるだけですよ。瞼の裏に、指先に。今も染み付いて離れない感覚がずっと」

「つれないのね、せっかく貴方の為にここまで準備してきたのに、別の人の事を考えるなんて」

「貴方もでしょう?」

 

 ユウの言葉に、女は目を細める。

 生憎自身は知略が得意ではない。だから他人の知恵や言葉を借りて来た。故に言の葉とて同じ事だ。

 

「値踏みされてるな、ってのは分かりましたよ。本気で殺しに来たのなら、貴方は今頃大怪我してる頃でしょうし」

 

 己は貴方に勝てる。ただそう告げるだけ。

 女はその光景に、もう一度ある人物を重ねた。

 

「……やはり、そういう事。不思議なモノね、人生って」

「?」

「私からの小手調べはここまで。後の品定め、よろしくお願い致しますわお婆様」

「!!!!」

 

 女の視線の違和感で、やっと気配を察した。

 咄嗟に後方へ数回、飛び退く。それぞれ立っていた場所へ、短刀が複数突き刺さっていた。

 ――音もなく、影は女の傍らへ着地する。

 

「レファリカ、アンタの目利きは不思議で堪らないよ。この小僧からは、少しも剣の気なんか無かったと言うのに。

 アタシも老いぼれかねぇ」

「……フフフ、そんな事は無いかと。何せ、彼自身が関係者なのですから」

 

 長い白髪を後ろで一纏めにした老婆が一人。小柄ではあるが、背筋は真っ直ぐに。そして視線は一度も揺れる事無く目の前の獲物を見つめている。

 目立たない、灰色の着物。都の街へ出れば、決して目立つ事のない、忍びの色。

 その佇まいに、ユウはかつての世界で戦場を共にした者からの言葉を思い出す。

 

“いいか、新米。戦場で老いぼれを見かけたら、強者と思え”

 

 強い、ただ強い。――そう思わせる程に見えない。殺意が、気配が。

 先ほどだって女の視線の違和感があって、ようやく気付けたのだ。

 この老婆、ただ者では無い。幾千幾万の屍を踏み越えている。

 

「そうか、アンタご当主様の……。成程、立場も無く、身分も無い者との立ち合いを為すのなら、腕を示さねばなるまいよ」

「……」

「小僧、何故今アンタはこんな事になっているのか、知りたければ――この刃、乗り越えて見せな」

 

 瞬間、本能的に剣を二度振るう。間髪入れず火花が二度散る。

 短刀での二刀流――だが、それだけではない。

 さらに剣を振るえば、足で逸らされた。

 

「!」

 

 斬りつけからの足払い。予備動作すら仕込ませる程に熟達された技。

 体を逸らしてからの宙返りで回避する。

 老婆の右手が得物を袖へしまう。そのまま、腕が伸ばされる。

 一気に間合いを詰めてからの掴み――体を捻って、寸前の所を避ける。

 加えて、それと同時に互いの刃が削り合いの音色を響かせた。

 

「……ほう、やるじゃないか。お嬢の丁寧な刃だけじゃない。ただ殺す事を目的にした外道の技すら対応するとはね」

「場数だけならそこそこは。でもここまでの使い手は、初めて立ち会いました」

 

 短刀二本での暗殺術――加えて、気配の遮断と予備動作すらほぼ見えない程の体術。

 下手にこちらから踏み込めば、瞬く間に返り討ちに合う未来が目に見える。

 呼吸をしているだけで生きていると感じるなど、久方ぶりだろうか。

 でも、違う。

 あの時――あの剣の前では、今ですら霞んでしまう。

 過ぎ去った一時に遠く及ばない。

 

「……これ以上やる必要は無いがどう思うかね、お嬢」

「あら、お婆様にしてはたった数合で?」

「充分さね。少なくともアタシは、小僧をご当主と立ち会わせる事には反対しない。初見でアタシの絶殺を凌いだんだ。

 その技量はある。まだ他に老いぼれの手を借りる事があるのかい?」

「嫌ですわ、お婆様の推薦があればそれだけで。後は私が勧めておきますから」

「……?」

 

 戦闘の気配が消えた。もうこれ以上斬り合う必要は無いと思っていいのだろうか。

 

「ん」

 

 ふとユウは、スマホが振動している事に気が付いた。

 さてどうするか。さすがに通話しながら戦うなんてのは、初めての事である。

 

「出ていいわよ。安心なさい、貴方の勘は正しいし、これ以上は時間を持て余すだけだもの」

「……じゃあお言葉に甘えて」

 

 言葉に嘘はない――と言うよりあれほどの使い手だ。殺そうと思えば、別の手段をいくらでも取れる筈。それら全てを差し置いて、直接刃を交えてきたのは彼女なりの誠意なのだろう。

 

「げっ」

 

 通知された名前に思わず声を上げてしまう。

 かかってきたのは妹からであった。

 ユウからすれば僅かな時間での出来事と感じていたのだが、時計はそれが三十分も続いていた事を示していた。怒っている、これは確実に怒っているブチギレである。

何せ学生でありながら、もう社会人の振る舞いを身に付けているのだ。時間にルーズなのは許せないに決まっている。

 恐る恐る耳元に当てた。

 

『兄さん! どこで! なにを! してるんですか!!』

「いや、違うって。ちょっと色々あってさ」

『友人の方に聞きましたよ! もう帰ったって』

「それはそうだけど」

 

 ここで斬り合っていました、なんて正直に言う訳には行かない。無駄な心配は掛けたくないし、と言うか信じないだろう。

 嘘は下手だから何かを言ったところですぐ見抜かれるに決まっている。

 余裕のない思考で知恵を巡らす。巡らすけれども、いい手立てが思いつかない。

 そんな最中、ふとスマホの感覚が無くなった。

 

「失礼するわね」

「えっ、ちょっと……!」

 

 摘まむような動作で簡単にスマホを奪い取られた。

 剣での斬り合いならともかく、こういった事に関しては素人である。

 流れに身を任せるしか無いか、と諦めた。

 

「初めまして、望月ユウ君の妹さん。お兄さんを借りてしまってごめんなさいね」

『え、その声、女の人……? あ、い、いえっ、初めまして……! 兄が、お世話になってます……!』

 

 待て、妹よ何か勘違いしていないか。

 違う、そんな耳障りの良い関係をしていた訳ではない。

 だが生憎、流された舟のように最早彼女に全てを任せる他なかった。

 

「ふふっ、彼ってばとてもいい人だから私に付き合ってくれていたのよ。私が言うのもなんだけど、どうかそんなに怒らないであげて。彼ってばとても紳士的だったの、エスコートも上手だったし」

『と、とんでもない! そんな、兄に、お付き合いしてる人がいるなんて知らなかったもので……!』

「彼との時間もそろそろお開きにするから安心して。それじゃあお兄さんに返すわね」

 

 はいどうぞ、と渡されたスマホ。

 女はさも楽し気に彼を見ていた。

 

「おいおい……」

「早く出てあげたら?」

 

 先ほどとは異なる意味で恐る恐る耳に当てる。彼女が付けている香水の匂いがした。

 

『もう、兄さんってば。彼女がいるならちゃんと言ってください!』

「いや、そのさ、えっと何て言うか」

『大丈夫、私は出来る妹なんで言いふらしたりしませんから! それより彼女さんに恥をかかせちゃ男が廃りますよ! きちんと近くの駅まで送ってから帰ってきてくださいね』

 

 プツッ、と無慈悲な音が響く。

 女を見ると、顔を背けて肩を震わせている。

 間違いなく、確信犯だ。

 そして弁解を語る間もなく、通話は切られた。

 

「……イイ性格してますね」

「面白い子をからかうのは楽しいもの」

 

 そんな年寄りの趣味みたいな、と言おうとして思わず口を噤んだ。

 もし言葉にしてしまえば、また斬り合いになる予感があった。言葉は災いの元である。昔師を怒らせてはロクな事が無かったな、と思い出した。

 

「返すわ。大丈夫、壊したりはしないわよ」

 

 スマホの一覧――見たら彼女の連絡先が既に登録されていた。

 明らかに偽名であろう名前が一つ。

 

「ファム・ファタル……?」

「生憎、本名なんてとうの昔に忘れたの。今の呼び名はあるけれど、それは大事な話でも無いから」

「……」

「あ、そうそう、それより大事な事を聞いておかないと」

 

 この人を読むのは無理だ。彼は内心呟いて、彼女に関して考える事をやめた。

 

「ねぇ、シオンって名前に聞き覚えはあるかしら?」

「――!」

 

 心が、跳ねた。

 忘れる筈が無い。忘れられる訳が無い。

 剣を教えてくれたあの面影を、一瞬たりとも欠けた事は無い。

 

「どこで、その名前を」

「ええ、やっぱり。先の剣でも確信したけど、間違いないのね。……」

 

 彼女は踵を返す。

 目線だけがこちらを見つめていた。

 

「週末の朝、貴方の家の近くで迎えに来るわ。貴方なら察せられる雰囲気の場所があるから、そこが目印よ」

「それは目印と呼ばないのでは」

「簡単に答えを上げても、面白くないでしょう? 大丈夫、探すのは得意なの。貴方がこの世界の何処に至って、必ず探し当てる自信があるわ。だから安心して、貴方は貴方が思う所にいなさい」

「……分かりました」

 

 この人は、信用して良い人物であるかどうか。その前に、己の師について知っているという事。

 その事がどうしても頭からこびりついて離れなかった。

 

 

 

 

 

「……そうか、やはりお前だったかユウ」

「……」

 

 レファリカは玲瓏寺の本部にて、事の顛末を彼女へ告げていた。それと彼と斬り合っていた最中、隠しカメラにて撮影した正面からの写真。

 揺れている――いつもなら動じない筈の瞳が、水面に映る月の如く揺らめいている。

 鋭利な刃を無比に振るう指先はたった一枚の写真を手にしているだけで、いつになく震えている。

 

「似てたわ、貴方の剣とほとんど。何なら言ってた事まで。私の剣じゃ貴方達には勝てないって」

「そうか……あの未熟者が、偉くなったものだな」

 

 本来ならば氷を思わせる程に冷たき声は、いつになく穏やかだ。

 機嫌が良い、とでも言うのだろうか。こんな彼女を、レファリカは今まで目の辺りにしたことが無い。

 

「ご当主様、貴方の弟子を名乗るには――相応の兵でありました。老いたとは言え、この身の技を防いで見せた。

 ――彼と立ち会うと言うのであれば、この老体、全力を尽くしましょう」

「……頼めるか、有難い。私も、ようやくこの鞘から抜ける時が来たようだ」

 

 彼女は椅子から立ち上がると、剣を手に顕現させる。

 その様は彼とまるっきり同じだった。

 

「レファリカ、希望を見た事はあるか」

「希望……?」

「己と世界を繋ぐ縁……或いは旅人の標となるような星の輝きを。私はあやつに、あやつの瞳に星を見出したのだ」

「いつになく饒舌ね、お嬢様」

「許せ、今日は気分がいい。言の葉も軽くなろうもの。――万里一空、私の剣は星を目指し、運命に至らんとする旅だった。

 斬れども斬れども、積もるは塵芥ばかり。頂きに達するには、余りにも退屈過ぎた」

「……それを破ったのが、あの子なのね」

「ああ、そうだ。ユウ――あやつの剣に、希望を、星を見出したのだ。あの剣ならば、やがて私を超えてくれると」

 

 抜き放たれた剣の刃。その波面に映る彼女の口元は三日月のよう。

 

「一度目は負けた。――心中の記憶に、未だ強く焼き付いている。忘れるものか、忘れられるものか、あの剣を。あやつを」

 

 まるで誰かに水面へ映る月を望むような目で。

 

「今度は、私が斬る」

 

 

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