そもそもこの憑依先球速すら不明なのでオリジナルまみれになります。
歩荷のバイトは山歩きに慣れている一球達にとって素晴らしい仕事だった。
いつものように下山して持ち帰る食料品や雑貨の代わりに市販の水と食糧、そして日用品を山小屋へ運んでいくだけ。最近は山小屋のオーナーからの緊急調達も依頼され、一球達の経済状況は非常によくなっていた。それこそ、大友と一緒に修行として登山をするくらいには余裕ができた。
「おや、大友君ではないか」
「ど、どうも五味さん。お久しぶりです」
だからこそ、彼らは山籠りしていた五味兄弟とばったり会うとはまるで想定していなかった。戸惑いつつも帽子を下げて挨拶した大友達に対して、五味兄はタオルで汗を拭いながら手を振った。五味は息を切らしながらも、大友を睨んだ。意思のある瞳に大友はにやりと不敵に笑った。
「兄弟で秘密の特訓か。考えることは一緒だな、五味」
「──お前はグラウンドで練習するタイプだと思ってたぞ、大友」
「偶には別の練習がないとダレるからな。せっかくだ、一緒に合同訓練でもするか?」
大友の誘いに五味は迷うことなく頷いた。貪欲さに内心の誇らしさをサングラスに隠しながら、五味兄は大友達に鉄の球を渡した。野球ボールのサイズに合わせた鉄球は丁寧なことに縫い目まで拵えた特注品だ。
一球と大友は九郎に受け役を任せて五味と共に坂下へ降りた。投手の距離、18.44メートルまで開けたのち、三人は揃って自身のフォームで鉄球を投げた。球威の差はあれど、三人の球は全て受け役に届き、小気味のいい音を立てた。球への伝達を直感的に把握するこの特訓は30球で終わりを告げた。
「本来なら倍は投げるが…大友、お前の特訓を知りたい」
明け透けな五味兄の欲求に、大友は快諾した。その視界に五味が含まれていたのは決して見下したからではない。メラメラと焦げ付く戦意が大友に存在することを五味は見抜いた。
大友が案内した場所は滝下の川辺だった。太腿までの川の流れに逆らうように向き合った大友は、ハンドタオルを複数枚縫いつなげたロープもどきを浸し、投げ込みをした。水の抵抗で下半身が筋肉で強張り、持ち上げた腕は水分を含んだタオルに引かれて遅くなった。やがて耐えきれなくなったタオルが水面から離れると、ぱしんと綺麗な快音が響いた。
五味も下着だけとなり、川に飛び込んで大友の隣に立つ。タオルの数は大友より幾つか少ない。この数の差が五味と大友の評価の差であり、埋め難い実力差であった。
「──大友」
「なんだ」
「おれはお前に勝ちたい」
互いに無言で水投げが進む中、五味は大友に胸中を明かした。握りしめるタオルは手が滑りそうになり、踏み込む足は滑り気で余計な力を要求する。五味の後ろで風変わりなフォームで水の上ギリギリを潜水する一球は彼に追いつかんと猛然と力量を積めている。足りないものは多々あるが、それを超えた執念が五味には存在した。
「本来俺が見るべきはそこの一球なのだろう。だが、おれはどうしてもお前に並び立ちたい。プロを目指すものとして、野球をやる投手として。心だけはお前に打ち勝ちたい」
「お前は
「負けない」
「俺もだ」
お互いにかける言葉は他になかった。彼らは互いに無言で会話せずに訓練を成し遂げ、そのまま別れた。彼への言葉を口から出せば負けてしまう。そんな不可思議な内心を笑うように一球は戯けた。
「ぼく、五味さんを上回ってたのに無視されちゃいました。ひどい人だ」
「…ははっ!そうだな!─次は見返してやれ」
「はい!」
大会まであと二週間となる本日。
対戦相手の組み合わせがきまる抽選会の日も巨人学園高校はひたすらに練習を繰り返していた。
「ぬおぉおおーお!!」
雄叫びをあげて一角が大友の直球を打ち砕く。150キロのストレートはそのスピードのまま外野へと飛んで行く。あわやフェンス直撃かと思いきや、一球の壁走りによってそれは防がれた。華麗な捕球を見せた一球に、記者・スカウト・ファンは全員が歓声を上げた。
「モテモテじゃないか!一球!」
「いやあ、嬉しいです。えへへ」
「噂じゃあ巨人学園のマドンナ、芦田麗子財閥令嬢様とランデブーしてるって?野球漬けで何処でデートしてんのさ」
「ぼくの訓練に付き添っての登山ですね。彼女のアドバイスで結構上達しました」
「えっまじなの」
「一球!返球はどうしたァ!!」
外野との雑談に耽っていた一球はモミアゲと眼鏡が目立つ男、原島監督にどやされて慌てて返球する。その球は捕手の九郎に正確に届いたが、アメリカ帰りの男には通じなかった。
「一球!
「はい!」
帰国した原島の指導はとにかく実践的だった。打撃だけに選別しても、ピッチングマシンを使った各種変化球の打撃訓練。打法、スイング、打率を統計的に集めた解析結果の提示。他にも視覚的に評価された成績にチーム全員が苦笑いをしていた。堀田などは隠れてしていた酒を辞めるほどだ。肉体強化の効率、それだけを考えた彼の訓練は『冷たい優しさ』と言われていた。
だが、中には感情論を先行した非効率なものもある。特打はその最たるものだ。
「九郎。幼馴染だからと言って手緩い配球はやめろよ?」
「勝負事にバカは厳禁だーよ」
大友のからかいに九郎はそっけなく答えた。リードのいろはを教わった九郎の配球は鈍臭い田舎者の風貌とは異なり、非常に理論的だ。あるいは、獣を相手にするからこそ冷徹な手を取れるのか。当然のように
マネージャーの文六が最新式のスピードガンと大学ノートを用意する。各球団のスカウトがこぞって注目する大友にはささやかな差し入れが送られる。山田太郎と同学年じゃなければな、とスカウトが溢した愚痴には笑いが堪えきれなかった。準備を整えた文六が合図を送れば、大友達は切り替わったように鋭い目を互いに交わした。
大友の初球は試すかのようなど真ん中の直球だった。167と記載した数字に見学者達はざわざわと忙しなくなる。そのまま内角を切り込むように決めた二球に一球は掠りもしなかった。
一球が球を当てたのは十二球目だった。文六の目では全く認識できない150キロのフォークを一球の視力は捉えた。ショートの頭を超えたレフト前。観客の感嘆に文六も呼応した。
しかし、それも長くは続かない。カーブ、カットボール、フォーク、そして10キロ単位で変化するストレート。
最後の球は大友の自己ベストを超えた168キロのストレートだった。外角高めに入った球を一球のバットは捉えたが、鈍い音と合わせてセカンドへの小フライとなった。一勝十九敗の完敗だと一球は大きく息を吐いた。
「(負けたな、大友。…自覚があるから何も言うまいが…フフ)」
一球の自己評価とは裏腹に、原島は内心穏やかでないだろう大友に口元を歪めた。一球が当てた球は大友の決め球だった。つまり、試合でこの対決が実現した場合、彼の打席は上振れで三打数一安打一犠打、打てた打者に入る。しかも決め球を打たれたとなれば、球数も含めて精神的な影響は桁違いだろう。
「大友、一球。罰だ。これからの抽選会、お前達と文六で行ってこい」
「「はい」」
雑談しながら駆け出す彼らを、原島は楽しげに見つめていた。
抽選会場である都立勉強高校までそれほど遠くないという理由で文六を交代で背負いつつランニングをしてかけた三人が到着した時には、他の高校は粗方揃った状態だった。東西合わせて174校の人間が一同に会する光景に、一球は感心の声を上げた。
「岩風監督はシード権だって言ってましたけど」
「いやあ、無理だろ。新設のペーペー私立校だぞ?実績が足りないだろ」
「木下家が家格で舐められる感じですかね」
ざわざわと大友達の姿を見て各々の高校生が彼らを指差した。大半は大友に興味があるようだが、いくつかの高校は目敏く一球を見て警戒していた。
『─巨人学園のユニフォーム。…大友と、一年か?』
『…ろよ。強いのを鼻にかけてユニフォーム着てきやがる…!くそう、でも強そうだぜ…!』
『へっ。お、大友ががなんだいいい、おおおれれが打ち勝ったててやるぜい』
様々な感想が蔓延る中、一人の女性が呆れたように一球へ話しかけた。ショートヘアの彼女は半目でじとりと一球達を見つめていた。
「わたし、恋ヶ窪商業のマネージャーの前田です。ユニフォームでくるなんて大した自信ね。大友さん、真田さん」
「練習中に抜けてきた形だからな。この程度の注目で自信と称されても困る」
「おお、ぼくの名前も知っているんですか!」
有名人に加えられたことに一球は手を上げて喜んだ。前田は口に手を当てくすくすと上品に笑い、反対に大友は苦い顔を浮かべた。
「お前を知っているなら情報を抜かれてるのと同じだぞ?良いのか、忍者の末裔」
「
「知られたのが現代の忍者じゃなけりゃな」
大友の台詞に前田は冷や汗をかいた。最新のコンピュータを利用したデータ戦略を基礎とする恋ヶ窪にとって、戦略バレは負け筋に繋がる。幸い、彼らの話はたとえだったようで、特に前田を気にした様子は無かった。
「仮にも末裔だろ?情報の一つくらい盗めないのか?」
「盗みましたよ。別高校に侵入して打撃の極意を」
「い、いつの間に…!」
「打倒大友だーって半分の距離から一日中バッティングしてました。まさに
スイングは良くとも当て感がお粗末な一球は経済の余裕により余った体力を打撃向上に当てていた。闇雲な素振りにみかねた近所の少年に教わった打撃自慢の高校は、打倒大友の名の下に狂気の打撃練習を重ねていた。
打倒巨人学園ではなく、打倒大友である。彼らにあるのは大友を打ち崩すことだけだった。守備は一球よりも酷く、投手も巨人学園の二軍以下。コールド勝ちしか頭にない打撃の極みの高校。体よく仲良くなった一球は大友の情報と引き換えに彼らの訓練に参加し、ひとかどのパワーヒッターとしての実力を身につけていた。
「よお、一球ちゃん。おひさ」
「お久しぶりです。
噂に引きつかれたのか、張本人達が一球に挨拶をしに来た。大友は彼らの身体を見てすごいことをしていると少々引いた。彼らの片腕は非均等に膨れていた。スイングを鍛えた弊害である、筋力の偏りのためだ。ただの肉体改造ではこうも偏ることはできない。彼らの執念は本物であると大友は認めざるを得なかった。
特に波乱もなく大友達はくじ引きを終えた。挨拶も、抽選後の何処からともなく湧いてきた記者達へのインタビューもつつがなく済ませた大友は待ち侘びていた一球達に缶ジュースを渡した。
第一試合、勉強高校。
第二試合、徳丸ヶ原高校。
第三試合、京玉高校。
第四試合、友西高校。
準々決勝、恋ヶ窪商業高校。
準決勝、鬼桜男子高校。
決勝、神宮高校。
覇気が見えた連中をピックアップした大友は帰高中に文六へ上記の高校への調査を頼んだ。
「…あの、何で試合相手決めつけてるんです?」
「勘」
それは大切だぁと一球は笑い、文六は苦笑いした。後日、その予想を的中させた大友に文六は盛大に引き攣ることになることを、今の彼は何も知らなかった。
「ほうか。シードはなしか」
「期待はしてなかったがな」
大友達の報告と文六の書いたトーナメント表を見て、監督達は暖めていた一軍オーダーを発表すると叫んだ。今までの集大成の結果を前に、選手全員が喉を鳴らした。
「一番セカンド、堀田!
二番ファースト、司!
三番レフト、一角!
四番サード、佐藤!
五番ライト、真田!
六番ピッチャー、大友!
七番ショート、吉沢!
八番センター、林!
九番キャッチャー、呉!
ベンチは蔵石、島本────
──以上だ!」
歓声と落胆が混じった声が当たりを満たした。岩風はパチンと指を鳴らし、原島に目線を向けて指を丸くした。それは職員室で仕事終わりに飲み屋にいく符号だった。
「よおし!原島!こうなったら奮発せなあかん、食べ放題行くぞ!焼肉や!」
「あんた俺達の懐を理解してるでしょうに。…まあ、一軍だけならいいでしょう」
ベンチ入りを含めた一軍が歓声に沸いた。二軍も二軍で理事長と芦田の差し入れで鍋パーティーをするらしく、楽しげに具材を運び入れていた。一球にゾッコンとはいえ学園のマドンナと食事をする機会などあり得ない。そんな空気を読まずに大友は一軍に対して謝罪をした。
「俺は鍋にいくぞ。監督にはよろしく言っておいてくれ」
「ほん?自分、女好きなんか?」
「ああ、堀田達は知らんか。大友、無類の鍋好きなんだよ。週末は大体部屋で一人鍋してるぜ」
サードの佐藤の言葉に大友は頷いた。女には今のところ興味が薄い彼だが、その分食道楽にのめり込んでいた。海外の調味料を調達して鍋料理を再現するほど、大友は鍋が好物だった。
「そんじゃ一球と大友は明日な。俺らはカルビ肉味わってくるぜ」
「大友をよろしくだーよ、一球」
「何だ、俺が世話される方か?」
「鍋奉行しそうな人にはそりゃ言いますよ」
憮然とした顔で大友は不貞腐れたのを見て、一球はくすりと笑った。彼と打ち解けてまだ半年程度だが、彼は思ったより子供っぽい性根だ。ある意味では九郎より純心なガキ大将がそのまま社会性を身につけたような幼さが大友にはあった。
翌日、出発する貸切バスの前で大友達と二軍は一軍と監督を待ち侘びていた。
「…後一時間だぞ?遅刻か?」
「監督までか?あの二人がそんなことするとは思えないが…」
「職員室に行った文六も帰ってこねぇし…何があったんだ?」
ざわめく彼らはとりあえずバスに乗り込んだ。近場とはいえ球場での挨拶周りもある。一軍は気になるが時間通りに乗り込むべきだと主張した一球の言葉に反対意見がなかったためだ。
結局、一軍はバスに間に合わず間に合ったのは紙切れを手にバスに飛び込んだ文六だけであった。
「た、大変でーす!!」
文六が息を切らして大友達に駆け込む。その表情は真っ青であり、嫌な予感が拭えなかった一球に確信を持たせるのに十分だった。彼は震える声で監督から受け取ったであろうオーダー表を見せながら、混乱した様子で叫んだ。
「い、一軍の人が食中毒で出場出来ないと病院から!」
「「………は?」」