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学園都市の復旧はべらぼうに早かった。
一時的に都市としての機能を完全に停止していたにも拘らず、再び人が集い始めるとものの一日弱でほぼ元通りの姿を取り戻したのだ。
どこにでもいる平凡な高校生を自負する上条当麻としては、少しでも早く日常に帰ってこられたのは喜ばしいことではある。とはいえ復旧を果たすや否や、直近に迫ったクリスマスムード一色に街全体が染まりきっているのは流石に逞しすぎる気もしてくるが。
ところで改めて述べるまでもないことだが、上条当麻は苦学生である。
奨学金の給付額を決める
総じて火の車もいいところ。この学園都市が生活必需品を格安で入手できる学生の街でなかったら、もはや文明的な生活を続けることすら難しかっただろう。
「偽札騒ぎぃ?」
そんな上条は片手に買い物袋をぶら下げながら、怪訝な顔で呟いていた。
「ああ、その通りじゃん。復旧後すぐに出回り始めたらしいんだが、これが随分と精巧な出来でな。それなりに被害が拡大しているんだよ」
頷きを返したのは、上条の通う高校の教師である黄泉川愛穂だ。
とはいえ今は冬休み真っ只中。現在地は学校ではなく、学生寮近くの商業施設が立ち並ぶ区画だ。スーパーでの買い出し帰りに、
「えっと、でも確か学園都市のお金って偽造防止用のICチップだかが内蔵されてるって話じゃ? 実際今までそういう系の事件って聞いたことないし」
「それもその通りじゃん。だからこそセキュリティはそれに頼りきりでな、そこが崩れた途端に対処が遅れてしまっている……というのはまあ言い訳になるが。ともかく、頼みの綱のICチップまでご丁寧に作り込んでいるほどの精巧さ、ってことじゃん」
「ははぁー……復旧早々大変だなぁ」
他人事のように言う上条だったが、黄泉川としては本気で頭が痛い問題なのか眉間を指で抑えている。
しかし所詮はただの高校生、この手の捜査はまるっきり素人の上条に手伝えることは特にない。せいぜいスムーズに捜査が進むよう祈るくらいのものだ。
「……めちゃくちゃ自分は関係ありませんって顔をしているが、そういう訳にもいかないじゃん。何せ学園都市全域の貨幣に紛れているんだ、どこから自分の手元に転がり込んでくるかわかったもんじゃない」
「まあそれはそうなんですけど」
真面目な忠告に意識を改めようにも、実感が湧かないというのが正直なところだ。
というか今はもっと大きな気がかりがあって気が気でないというべきか。
なので上条当麻は単刀直入に訊いた。
訊いてしまった。
「ところでどうしてそんな話をわざわざ俺に?」
「お前の財布から反応アリ。ばっちり偽札掴まされてるじゃん」
「ちくしょうどうせそんなこったろうと思ったよッッッ‼︎」
そして返ってきた答えも単純明快予想ど真ん中であった。
「つーかこの財布の中身はついさっきATMから引き出してきた一万円札で一回買い物をしたお釣りなんですが。一回だよたった一回! なんでドンピシャでアタリ掴んできてんだよっつか普通にその辺のスーパーにまで流通しちゃってんのかよ‼︎」
「はっはっは災難だったな。ちゃんとした銀行や金融機関ならまだしも、普通のスーパーくらいじゃどうにもならん。だからこうして判別機器を持った
そう言って黄泉川が取り出したのは、見た目だけなら小型の髭剃りにも見えるような機械だった。モニターらしきものが赤く点滅しており、まるで『何らかの異常事態』の発生を知らせているかのようだ。
「ICチップで見分けられないなら別方式で、ってことで急遽用意された偽札判別機『ダウジング』。とは言っても、単に照合したICチップのシリアルナンバーに
「くっ、最初に『おーいそこの君、って何だ上条じゃんまたお前か』なんて妙な声のかけ方だった時点で嫌な予感はしていたんだ……‼︎」
そういう訳でお財布チェックのお時間だ。
「一発で引いちまったのはこの際仕方ない。せめて五千円札は無事であってくれ! ここから年明けまで文明的な暮らしをさせてくれ……ッ‼︎」
「まあ精巧すぎる分なのか流通量はそこまで多くないようだから、せいぜい一、二枚ってところだと思うが……ん? こいつもか。おやこっちも。ついでにこれも」
黄泉川が『ダウジング』とやらを紙幣に翳すたび、ぴぴーっという無機質な電子音が連続で鳴り響いている。
上条がそこはかとなく嫌な予感を覚えてきたところで黄泉川は手を止め、
「うん。全部偽札じゃん」
「NOォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーウッッ‼︎」
渾身の絶叫が出た。
なんかもう途中から半ばオチは読めていたのだが、人にはそれでも全力シャウトせねばならない時がある。
「いや待て待ってください現状これがワタクシ上条当麻の全財産なのですが⁉︎ たった一回買い物したお釣りが全部偽札ってどうなってんだ確率的に‼︎」
現在の財布残高は八一三五円。ここでお札を全て失ってしまったら残るはたったの一三五円。クリスマス商戦のとんでもない激安料理(原材料不明)でさえまともに手を出せなくなる。
冗談抜きで死活問題であった。
「うーん、これはどっちだろうな。お前のところに特別多く集まってきているのか、それとも流通量自体が情報よりも多いのか……」
「いやもうその辺の事情はどうでも良い! そんなことよりこの偽札分のお金は返ってくるのでしょうか⁉︎ これで全額没収なんてことになろうもんなら年明けまで水だけ生活待ったなしなんですがこちとら‼︎」
真剣に考え込んでいるところ申し訳ないが、こちらも生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。
切実な訴えに今回ばかりは世界が慈悲を見せたのか、黄泉川は苦笑して返した。
「安心するじゃん、これだけ被害が拡大していれば流石に対応の一つも準備されてる。『ダウジング』を携帯した
そういう訳で、買い物をしたスーパーまで黄泉川に同行してもらうことになったのだった。
たまたまレシートを手元に残していたおかげで命拾いした上条は一息ついて、
「あれ? でも流通経路を辿れるっていうんなら、そもそも偽札を発行している大本を特定できるんじゃ?」
「ところがそう上手くはいかなくてな。何せ紙幣自体は本物と何ら遜色ないんだ、シリアルナンバーの被りがなかったら未だに偽札の存在すら発覚していなかったはずじゃん。『ダウジング』の判別だって、要はこの経路がより自然な方を暫定的に本物と見なしているってだけだしな」
どうやら偽物を見分けている訳ではなく、どちらも本物と遜色ないならこっちの基準で本物を決めてしまおうという方針らしい。それで良いのかという感じもするが、それすら罷り通ってしまうほどに完璧な偽造だということなのか。
「場所がわからないなら製造方法は? こう、上手い感じにセンサーを誤魔化せる加工技術があったりとか」
「本質的なところは何も。ただこの精度や規模となると電気系や生成系の能力、もしくはその応用技術絡みの犯行だろうって程度の当たりはつけているじゃん。当然『
電気系と聞いて一瞬上条の脳裏に某ビリビリ中学生の影が過ぎったが、そもそもヤツは押しも押されぬお嬢様だ。こんな行為に手を染めるほどお金に困ってはいないはずだし、そうでなくとも流石にそこまで良心を失ってはいない……と信じたい。以前に思いっきり自販機を蹴飛ばしたりしていたような気もするが一旦忘れておくことにする。
「(……というか、能力そのものだったら俺の右手が触れた時点で消えてるはずだよな。じゃあそっち絡みじゃなくて、純粋な科学技術……ってことなのか?)」
ぼんやりとそんなことを考えているうちに、目的のスーパーの前まで辿り着いていた。
特筆すべきところもない普通のスーパーだが、学生の多い第七学区に店を構えるだけあって品揃えは生活必需品に偏っている。近場に住む学生ならば特に利用しない理由がない、優等生のような店だ。
「いやあマジで焦った。流石に一週間以上の断食は洒落にならなすぎた……」
「というか上条、そもそもお前どうしてそこまで限界生活なんか送ってるじゃんよ」
「……、」
当然といえば当然の疑問に上条は口を噤んだ。
エンゲル係数を爆増させている居候のインデックスも、地味に餌代が嗜好品扱いで割高なペットの三毛猫も、存在そのものが機密情報の塊のような妖精さんことオティヌスも、おいそれと口外する訳にはいかない事情がある。担任のミニマム教師こと月詠小萌は少なくともインデックスのことは知っているはずだが、黄泉川が知らないということは学校側には秘密にしてくれているのだろう。
……もっともそれらの事情を加味してなお、上条家赤字原因ランキング第一位に燦然と輝いているのは『度重なる不幸による出費』である訳だが。
(い、言えない! いや実は学生寮にイギリス清教の魔道書図書館とそいつが拾ってきた三毛猫と世界を一度滅ぼした元『魔神』が同居してるんですーなんて当然言える訳ないけど、だからって全部が全部不幸だからですは流石にみじめすぎる‼︎)
どうやら上条の胸にもなけなしのプライドが残っていたらしいが、もう割と砕け散る寸前である。
心なしか煤けた様子の上条を見て黄泉川も何かを察したのか、切り替えるように続ける。
「……まあ良いじゃん。ともあれ、さっさと偽札を処分するか。私もまだまだ巡回を続けなきゃならんしな」
促され、上条が黄泉川とともにスーパーの自動ドアを潜ろうとした時だった。
「あの……えっと、困りますぅ……」
「んっ?」
そして背後からか細い声が聞こえてきて、反射的に上条はその声の方へと振り返った。
一瞬自分にかけられた声かと思ったが、そうではない。声の主は少し離れたところで、こちらとは別の方向を向いて話しているようだった。
「その……あぅ、ですから……」
気弱な雰囲気の少女だった。どこかで見たようなブレザーの制服に長い黒髪を大きなみつあみにして前に流しており、これで眼鏡でもかけていれば一昔前の文学少女フルコンボといった装いだ。
「そう時間は取らせない。話だけでも聞いてはもらえないか」
その少女の対面には大学生ほどに見える男が立っていた。
鶯色のスリーピースにトレンチコート。頭に被った中折れ帽まで同色に統一された、目に優しいんだか優しくないんだかよくわからない出立ちをしている。髪色は金で、顔立ちも含め全体的に西洋人らしき風貌に見受けられる。
「……何だありゃ。ベタなナンパか、それとも悪徳セールスとか?」
「どっちにせよ、見たところあの子が困っているのは間違いなさそうじゃん。悪いがちょっと待ってろ」
上条が何か行動を起こすより先に、黄泉川が動いていた。
素早く二人の間に割って入ると、少女の方をやや庇うような位置取りで事情聴取を始めたのだ。
「はいはい、
「む……」
男の方は目の前に立たれて初めて存在に気づいたように黄泉川を一瞥して、
「……いや、特に何も。失礼する」
そう言うなり、ひらりと身を翻してその場を立ち去ってしまった。
一瞬呆気に取られた黄泉川が我に返って姿を追おうとした時には、既に男はどこにも見当たらなくなっていた。
待ちぼうけの上条の視界からもいつの間にか消えていた辺り、能力か何かで姿を隠したのかもしれないが。
「何なんだあいつは……まあ良い、君は大丈夫か? 怪我とか盗られたものとかはないじゃん?」
「は、はい……まだ声をかけられただけでしたし……」
少女の方はというと、幸い特に実害を受けた訳ではないらしい。口調こそたどたどしいものの、受け答えは至って平常な様子だ。
「えと……ありがとうございました。私、ああいうのをお断りするのが昔から苦手で……」
「気にするな。
「いえ……少しついてきてほしい、話がしたい、とかそんな感じのことしか……」
ある意味仕事が早すぎた弊害というか、どうやら大して会話が発展しないうちに黄泉川が介入したらしい。生憎と男に関する情報はほとんど判らずじまいだった。
「うーん、話を聞く限りはただのナンパの類か? まあ念のため今のヤツは調査しておくとして……っと、放置して悪かったな上条。ひとまずこっちは問題なさそうじゃん」
「そりゃ良かった。それでは早いとこ偽札の件を片付けて、俺の懐事情も助けていただけますと大変ありがたいのですが……」
「わかってるわかってる、すぐに向かうとするじゃん。……それじゃあ気をつけて帰るんだぞ、さっきのヤツがまた出たら躊躇わず通報して良い。その時は今度こそひっ捕えてやるじゃん」
最後に少女を安心させるように告げて、黄泉川は踵を返した。
しかしそこで少女から意外なリアクションがあった。
「あの……すみません。偽札っていうのは、今噂になっている例の……?」
何やら先程の会話の内容に興味を示したらしく、上条の方へ戻っていった黄泉川を追いかけてきたのだ。
「うん? そうだが、それがどうかしたじゃん? ……もしかして君も被害に遭ったのか?」
「いえ……そういう訳ではないんですが。その……
「?」
即座に意図を汲み取れず疑問符を浮かべた二人に対して、少女は丁寧に繰り返した。
「えと……